今日も「魂」の話 2008.8.18

 さて、今日はお盆休み最後の日なんです。今の営業の仕事として、明日からが始業になるのですが、、、実はあと2日間、お休みをもらいました。と言っても、休暇でもなんでもなく、単純にアポを延ばしてもらっただけです。これがサラリーマンであれば、やれ休暇届だの有給届けだの必要になりますが、私はフリーランスの営業マンやっているので、電話一つでお休みできちゃうわけです。それがフリーの利点でもあり、リスクはあるものの、私的には向いている気がします。で、お休みをもらった理由はもちろん養生のためです。今日は所用で郵便局に行ったのですが、まだ、歩くのは辛く、右足全体が極度な筋肉痛になってる感じです。ですので、自転車にはまだ乗れませんし、階段登るのも一苦労です。それでも、夜にはだいぶ歩けるようになり、木曜日には復活できると思います。営業の勘は鈍っていると思うので、加賀田DVDを見て、もう一度叩き込もうと思います。

 で、今日もインドの話。ついに11月のインド旅行の正式申込みをしました。これで意識の上でも、実際の上でも大きく前進しました。今回のインドツアーは基本的にオーダーメイドで、私の方から旅行会社にいろいろとリクエストをしています。最初の案では、デリー、ブッダガヤ、バラナシの3都市だけだったのが、あとからメンバーの方から「タージマハルも見たい」という声が上がったので、それにアグラも加えることになりました。さらにブッダガヤで、これまたメンバーのリクエストである場所を訪れ、ある人に会う計画をしているのですが、なんとその人は11月3日までしかおらず、4日の早朝にブッダガヤを出て行ってしまいます。この段階で実はタージマハルとブッダガヤの出会いを両立することが困難になったのです。いろいろ考えたのですが、列車のダイヤの関係で物理的に不可能。

 しかし私は諦めません。そしてそれを両立させる唯一の道を見つけたのです。それは2日にタージマハルを見てアグラに泊まり、その翌日3日の早朝、アグラからブッダガヤ行きの列車に乗るのです。ブッダガヤには夕刻に到着しますが、その日のうちに、目的の人と会うことができるのです。しかも調べたところ、我々一行と同じホテルに泊まるとか。なんかもう、早くも劇的な感じがしませんか。私もそれなりに調べました。インドの列車のサイトなどを見まくったりして。そして「このスケジュールで行け!」と旅行会社にリクエスト。やっぱ行くからには手を抜きたくないものですから。

 ちなみに今日の昼、突然、ある人から電話。半年以上迷いに迷ったのですが、やっぱりインドに行くとの連絡。ちょうど旅行会社に連絡するところだったので、まさに滑り込み。結局、予言通り8名になってしまいました。しかも当初のメンバーからかなり変わり、ある意味、必然的に行く人が引き寄せ合ったみたいな感じです。あと2か月ちょい。おそらくこのメンバーで行くことになるでしょう。ちなみにインドとは全然違うのですが、10月にもツアーが予定されており、今日はその話でも連絡を取り合っていました。そのツアーも完全にメンバーが確定したのですが、その中には超有名な方もいらっしゃいます。それにしても今年はツアーばかりやってますね。Q州ツアーに始まり、星空セミナーとかインドツアーとか。プライベートでも正月の韓国を皮切りに、阿蘇やら鹿児島やらいろいろ行ってます。行きたいとこに自由に行ける。なんて素晴らしいのでしょう、と感謝せずにはいられません。

 ところで今日は「旅」に関連して、最近、非常に影響を受けた本を紹介したいと思います。実はこれ、ここ最近、ずっと読み続けています。それこそ線を引きながら何度も何度も。これは「人間の真実」が書かれた本なのです。読んでてそうとしか思えない。一応、実話を元にしたフィクションとされており、その内容に対して関係者から批判もある本らしいのですが、その真偽はともかく、書かれてある内容は本物です。

 あらすじ的には、あるアメリカ人女性がオーストラリアのアボリジニの集落を訪れ、すぐに帰るつもりだったのが、なぜか何ヶ月もかけてその集落の人々と一緒にオーストラリアを横断するという話です。その道中、いろんなことが起こるんですね。まず、アボリジニの人たちにはビックリさせられるんです。これから何ヶ月も旅に出ようと言うのに、ほとんど荷物や食料を持たずに出てしまうのです。なぜか。必要なものは天(宇宙)から与えられるから、と言う。そしてこの世にあるものは、お互いに必要だから存在していると言います。動物たちは、人間がいかに生きるべきかを教えてくれます。例えばカンガルーは前にしか飛ばないことで、過去を振り返るべきでないないことを教えます。蛇は人間に何度も脱皮することを教えます。そしてイルカは人間とテレパシーで話しながら、「人生は楽しく自由に生きるためにある」と教えます。

 つまり目の前に存在する一つ一つのすべてが、人間にとって意味があり価値がある対象であり、同時に人間そのものも他者にとって価値のある存在だと教えてくれます。このメタファーの意味することは、結局、世の中(宇宙)は「ひとつ」であり、存在するものすべてに「価値・意味」があることです。アボリジニのような本来のピュアな人間にとっては、それが当たり前なのですが、われわれ文明人は「ひとつ」であるものを切り離し、人間とそれ以外という図式で世界を見るようになっているのです。

 そしてもう一つ重要なメッセージが書かれてあります。それはアボリジニから文明人の代表である著者に対する質問に現れています。それは「宇宙から与えられた才能を知らないまま一生を送る人がいるのは本当なのか?」という言葉によってです。つまり「人間」とはそもそも一人ひとりがユニークな存在であり、その役目をもって生きているのです。例えば人を癒す、喜ばせる、食べさせる、教えるなど、具体的な職業と結びつきながらも、固有の「使命」を持って生まれていると言います。その「使命」とは人間が持つ「永遠なる魂」が知っていることであり、すなわち本来は誰もがそれを知るはずなのです。しかし文明人はその「魂の使命」を知らずに一生を終える人がおり、そのことをアボリジニの人は信じられないと言います。

 その理由については、本書には明確には書かれていませんが、結局、システムによってその「魂の使命」を覆い隠すように文明社会は作られていると考えられます。そのシステムとは経済システムであり政治システムであり、そして教育システムであったりします。私が思うに「魂」それ自体は、その目的を果たすようにプログラミングされており、そしてそれを実現しやすい「形」を伴って世に出てきているものだと考えられます。しかし「経済―政治―教育」というシステム(系)の中において、人は意図せずとも、そのシステムに合致するように生きてしまいます。例えば「いい大学に入って、いい会社で働く」という、ある種の画一化された価値観を「教育」という系は押しつけています。本来、人間の「魂」は目的を持っているわけであり、それがすなわち「やりたいこと」だと考えています。

 誰もが幼少時代、何らかの形で「やりたいこと」を持っていたと思います。しかし、多くの場合、安全や教育的判断によりその「やりたいこと」をやらせてもらえずに育ってしまいます。その結果、多くの人が「やりたいことはできない」という「思い込み」をプログラミングされて生きてしまうのです。しかし、世の中には程度の差こそあれ、「やりたいこと」をやって生きている人も存在します。私などはどちらかと言うとそうだと感じています。小さい頃から親に叱られながらも、やりたことばかりやっていました。それでも大人しく収まっていた節はあるのですが、私にとって決められたシステム(系)から抜け出た、顕在的な体験が「放浪」だったと思っています。今でもそうだと思いますが、大学を卒業すると「新卒採用」でないと、後々、就職が不利なります。少なくとも日本では「新卒」と「中途」とでは、明らかに差別されてしまいます。私などはそれをリアルに経験した一人です。一度も社会に出たことのない私が、27歳で「中途」採用されましたが、その時点で「新卒」の7割の給与でした。それが現実であり、「やりたいこと」をやってきたツケなのです。しかし私はその後も「やりたいこと」をし続け、会社を辞め、そして今に至るわけです。

 そう言う意味では、今の私は「魂の目的」に見合った生き方をしているのでは、と感じることがよくあります。別にフリーランスで仕事することだけが「魂の目的」とは限りません。サラリーマンで会っても、それが「やりたいこと」であれば、「魂の目的」だと十分に言えます。しかし、世の中にはシステムの中で、必然的に「やりたくないこと」をやらされて生きている人が、どれだけ多いことか。そう感じている人は少なくないと思います。
 
 話をインドに戻すと、結局、私はなぜインドに行きたいのか。「行きたいから行きたい」としか言いようがないのです。そして今回は一人では行きません。素晴らしい仲間たちと「行きたい」から行くのです。結局、メンバーも同じ思いでしょう。正直言って、大の大人が9日間も日本を離れて、インドみたいな何の生産性もない国行くなんて、ちょっと普通じゃありません。行ったところで人生が変わる?変わりません。少なくとも外面は。しかし極論を排して言えば、内面はめちゃくちゃ変わるでしょう。ここだけの話。で、結局、何のために行くのか。やっぱ「行きたいから」以外にないのでは、と思うのです。「行きたいから行く」はすなわち「やりたいからやる」につながるため、それだけで「やりたいことはできない」というこれまでのプログラムを改編することができるわけです。最初にこれを言ってしまえば、本末転倒かもしれませんが、結果論としてそうなります。現に私も20歳の時のインド、24歳の世界一周の経験は、自分にとって「やりたいことをやる」というプログラミング、そのものだったわけです。ですので、私の中では「やりたいことはできない」ではなく「やりたいことはできる」というプログラムが働いているわけなので、次々と「やりたいこと」ができてしまうのです。正直な話。

 さて、本の話に戻ります。私がこの本から受けたメッセージの中で、最も響いたのが、一つ、人間には「宇宙から与えられた才能(=魂の目的)」があるということ。そしてもう一つ、本来の人間には必要なものは必ず手に入る、ということ。そしてこの二つは密接に関連していると私は考えます。つまり、自らの「魂」の目的に沿った生き方をしている限り、必要なものをすべて手に入る、ということです。言い換えると「すべての願いは叶う」ということ。

 そしてもっとシンプルに言うと、「やりたいことをやっている人間は思ったことをすべて実現できる」のです。それが本来の生き方であろうと思うし、そのことを「この本」は強烈に気づかせてくれたわけです。その本はマルロ・モーガン著「ミュータント・メッセージ」と言います。人生を変える、と言っても過言ではない本だと思っています。そして私はこれからも「やりたいこと」をやり続けて生きていこうと思っています。ありがとうございました。
 
やりたいことをやり続けて行こうではないか!!
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by katamich | 2008-08-18 23:03 | ■精神世界