人は何のために存在するのか? 2008.8.3

 二日間の合宿セミナーを終え、神戸から福岡に戻ってきたのが夜の11時半でした。非常に濃い二日間でした。「願望実現」というテーマにおいて、人生の目的、存在の意義、魂の正体など、非常に深い内容に入り込み、気づきの連続でした。私はセミナーで聞いた内容そのものに意味や意義があるとは思っていません。それを通して自分自身がどういった気づきを得るか、そしてそれをどのように生活に役立てていくか、それが重要だと思っています。その上で、今回のセミナーは私に大きな気づきをもたらす点で、非常に価値ある内容でした。

 毎日ブログを書いている以上、やっぱりその日のことを書かざるを得ないため、今回のセミナーについて言及してしまうのですが、正直、自分の中でどう整理していいのかわからない状況であるため、どのように書けばいいかのかもわかりません。しかし、ここでもし差支えない範囲であろうと判断して、あえて私が感じたエッセンスを一言で書くと、人は誰もが固有の目的をもって存在している、ということになります。

 そのそもさかのぼればいつになるでしょうか。成功哲学とかスピリチャアルとか全然興味のない時代からこのテーマについてはちょくちょく考えていたように思います。そのことと20歳で幽体離脱を繰り返したのとでは、非常に深い関連があることも最近知りました。このブログのタイトルが「宇宙となかよし」という偶然に付けられた名前であるのも、何か意味があるように思えます。例えば「この世」と「あの世」という概念があります。人は必ず死に、一般的な考え方では、死後は「あの世」に行くと言われています。その後、生まれ変わるかどうかは分かりませんが、とりあえず「誕生」がスタートであり「死」がゴールであるように、普通の人間は思っているでしょう。ですので、言葉通りに受け取ると、「この」がメインで「あの」がサブのように思えますが、結論から言うと真実は逆だと思っています。

 つまり「この世」がスタートなのではなく、すべては「あの世」から始まっていると私は思っています。「この世=結果の世界」、「あの世=原因の世界」という考え方があるように、「この世」でスタートした肉体(自我を含む)はすでに「あの世」という「原因」に対する「結果」だと考えられます。そう考えると、「この世」における人間の目的自体が「あの世」で決まられていると考えた方がいいように思います。では、どんな目的なのか。大雑把に言えば、誰もが何らかの形で「修行」するために生まれていると思っています。そしてそのことを原始宗教(バラモン、ヒンズー)では普通に知られていたのでしょうが、この2~3000年の間にそのことが隠ぺいされてきたのです。

 それを隠ぺいしたのが、実はキリスト教であり仏教でありイスラム教なのです。「修行するために生まれている」というテーゼに遡ると、では、何のために「修行」するのか、という新しい命題が出てきます。その答えとなるものが、よく言われるように「魂の成長」となるのでしょうが、もしそれを目的とするならば、その前に「永遠の魂」と「生まれ変わり」が前提とされてなければなりません。しかしキリスト教とイスラム教では「生まれ変わり」を一応は否定していますし、仏教は「永遠の魂(バラモン教でいうアートマン)」を否定するところから始まっています。ですが、一方ではキリスト教もイスラム教も「生まれ変わり」を実は認めており、仏教についても「永遠の魂」の存在を認識できないものに過ぎず、否定まではしていないという説があります。私は説は正しいと直感しています。結論を言えば、「永遠の魂」は存在し、そして「生まれ変わり」もあるということです。

 ではなぜ、3大宗教がそれらを表向きは否定していたのかというと、これまた単なる推測ですが、地球という星の成長のためだと思っています。現在文明の端緒を遡ると、それは3大宗教の誕生に至ると考えています。3大宗教がそれまでの原始宗教と違う点は、どちらかと言うと「現世利得」を認めているところです。つまり人は今生において幸せになるために生まれているのであり、「永遠の魂」の成長のためではありません。ですので、そのためには「便利」という概念が必要になるのです。「便利」とは物理的に生きやすいツールのことです。この「便利」を実現したのが、文明であり近代科学なのです。とりわけ、キリスト教ではプロテスタンティズム、仏教では大乗仏教がそれを加速させました。ヴェーバーの言うように、プロテスタンティズムが資本主義を生み出し、近代科学の礎を築いたとすれば、3大宗教の出現以前と以後では地球の環境が全く異なると言ってもいいと思います(ちなみに大乗仏教が資本主義の精神の基礎であるという研究もあります)。

 3大宗教の出現が近代科学を生み出し、そして生活を便利にし、さらに人口増加と環境破壊をもたらしてきました。極論かもしれませんが、もしも3大宗教が出てこなければ、今のよう環境問題もなかったのではと思います。それでは、3大宗教は「悪」なのか、という議論が出てきますが、その前にそもそも「環境破壊」自体は「悪」なのでしょうか。環境破壊が「悪」であれば、3大宗教も「悪」だと導けますが、そうでない限りは、一概に「悪」とは言えないと思っています。

 語弊があるのを承知で言いますと、私は「環境破壊」は「悪」でも「善」でもないと思っています。もし仮に「環境破壊」により人類が住みにくい環境になったとしても、実は地球や宇宙にとっては何の問題もないのです。問題があるのは我々地球人だけ。ご存じのように、今は人類が地球を牛耳っていますが、その昔は恐竜でした。そして仮説の範囲を超えるものではありませんが、その前にも別の人類がおり文明社会を築いていたという説もあります。つまり地球にしてみれば、そこで牛耳っている「種類」が変わるだけで、地球や宇宙にとっては何の問題もないのです。環境破壊によって人類が滅亡したとしても、それがイコール地球の病理であるとは限りません。成長期に骨が痛むように、単なる「成長障害」のようなものに過ぎないのかもしれません。そのうち、また新しい進化した「人類」が誕生することでしょう。

 それを考えると、3大宗教が現人類のパラダイムを転換し、近代科学の発展とその弊害をもたらし、その結果、地球環境が劇的に変化していくのですが、それさえも宇宙のプログラム通りだと考えることができます。我々にとって問題なのは、その変化の時期に生きているという点だけです。これが5万年前なら何の心配もないはずです。動物のように生まれ死ぬだけ。この2~3000年に生まれ生きているからこそ、今の人間特有の問題に直面しているのです。そう考えると、今は地球の変化の時であり、それ自体が人類、さらに言えば個々における「永遠の魂」の「修行」の時期なのかもしれません。もちろん「永遠の魂」自体は、これまでずっと修行をし続けてきたのでしょうが、そのあり方が最近はちょっと違うだけです。ですが、宇宙にとってはそんな微細な違いはどうでもいいこと。

 いずれにせよ我々人間(永遠の魂)は「修行」のために生きているのです。しかもその魂は、いかにも「修行」しやすいように、3次元という極めて不自由な場所に極めて不自由な肉体をくっつけて送りこんでいます。これはまあ、修行のしがいがあるわけです。ですので、ある意味、この地球に生きている以上、いいこともあればそうでないこともあるのは当たり前だし、それ自体が「修行」なわけです。しかしただ単にそのいいことと悪いことに流されているのでは、きちんと修行をクリアしたことにはなりません。いつまでたっても同じ修行が繰り返されるだけ。具体例あげて言えば、ある会社で人間関係に悩んで辞めたとしましょう。しかし、仮に新しい職場に行けたとしてもまた同じような人間関係で悩んでしまうわけです。何の成長もありません。もちろん「魂の成長」もありません。

 では、どうすればその「修行」をクリアできるのか。その一つ、と言うか、その最大の秘訣が私は「感謝」だと思っています。もしも人間関係に悩んでいたとしましょう。そしてその悩みに流されている以上、その問題は解決されません。しかしそこで「私はこの人間関係によって成長させてもらい感謝しています」と心からそう思うことができたら、その問題は自然とクリアします。ただ、重要なのは本当に「感謝」できるかどうか。もしもこのこと(感謝によって成長できる)が本当の話であり、この文章を読むことができてラッキーだと思ったとしても、いざ、いろんな問題に直面したとき、本当に「感謝」できるでしょうか。

 実は今までこのブログでも何度も同じようなことは書いてきたと思います。ちょっと怪しい言い方をしますが、私はブログを書くとき、ほとんど何も考えずに書いています。今日はこの話を書こうなんて準備をして書くととは、ほとんどありません。だから、私のブログは最初の数行、どうでもいいその日のことからスタートするのです。それを書いているうち、テーマが決まるので、後はほとんど自動書記状態で文書を重ねるだけです。私の文章が長い理由もそこにあります。私の意識はもっと短くと思っているのですが、私の無意識がどんどん文章を長くするのです。ほとんど自動的に両手が走っている状態です。本当の話。だからこそ毎日長く書けるのですが。そう考えると、この文書自体、実は私の限定された知識や経験などははるかに超越した、言わばハイヤーセルフからのメッセージだとも考えられます。

 その上で言います。今日の文章自体も、最初はこんな話を書こうと思っていませんでした。確かに山崎さんのセミナーでいろんな気づきがあったのは確かですが、3大宗教が環境破壊の原因となっているんて話、今自然と生まれてきたものです。そして環境破壊自体が宇宙によるプログラムという話もそう。そして一番重要なこと。人はみな「修行」するために地球に生まれている。もちろん国や時期によって修行の度合いは違います。そしてそれらの「修行」を成就するための唯一の方法が「感謝」であると、私のより大きな存在が言っています。そう、私が思っているのではなく、人によってはハイヤーセルフとか守護神とか宇宙とか言ってる大きな存在がそう言ってるのです。「修行」の成就には「感謝」だと。

 そしてそのことを今伝えています。そしてこれを読んで受け取ってる人がいます。馬鹿にする人もいれば、納得する人もいます。しかしどんなに共感しても、人はそんなに簡単に何にでも「感謝」できる存在ではありません。どんなことがあっても究極、それに「感謝」できれば、それでその修業はクリアするのです。しかし、別の情報として、「いやなことあれば吐き出そうよ」なんて声を聞いてしまうと、その時の衝動に任せて感謝とは真逆な言動に出てしまいます。そしてその瞬間はスッキリするでしょうが、正直、その場限りです。また同じような修行(問題)がやってきてしまいます。何の成長もないのです。そしてそんな人は世の中、いくらでもいます。

 山崎さんから聞いた話で一つだけシェア。魂は自我を通して修行をする(させる)のですが、実は時として、その魂は自我を放棄することがあるそうです。この話は初めて聞きました。永遠の魂は今生における自我をサポートする存在です。私は今までそう思ってきたし、それは間違いないのでしょう。しかし、余りにも自我が魂のサポートから背いて動いていると、そのうち、魂と自我がかけ離れ、最終的には。

 今生の魂や自我にとって一番悲劇なことは、そのような魂と自我のかい離ではないでしょうか、と思います。ではそのかい離を防ぐためには。やはりそれも「感謝」だと思うのです。もう止めましょうかね、これ以上話するの。

 と思ったのですが、ちょっと話を変えます。ところで「永遠の魂」ってどこまで修行するのでしょうか。実はこれには「完成」があります。では「完成」したらどうなるのか。怪し過ぎるので、今日はこの辺で。実はその答えは受け取ってるし、先日の星空セミナーでもちょっとお話したのですが、やっぱり書けないようです。雹が降ってきたのはその話に関係あるようです。

ありがとうございました♪
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by katamich | 2008-08-03 23:29 | ■精神世界 | Comments(0)