人生の意義?? 2008.7.19

 久々の休日でした。朝は10時近くまで寝て、コーチングやら片づけやら。昼からは「ホジュン」を見て、まったりと過ごします。「ホジュン」を見てても思うのですが、人ってやっぱりそれぞれ「使命(ミッション)」なるものがあるのかな~と。世の中には自らを犠牲にしてまで、「使命」を全うする人がいますね。その最も極端な人物が釈迦であり、イエス・キリストであり、モハメッドであったりするのでしょうが、現代でもガンジーやマザーテレサのような人物もいます。もちろん宗教家や政治家だけでなく、芸能人、音楽家、スポーツ選手、経営者の中にも、自らの「使命」に忠実に生きてきた人物はいくらでもいますし、およそ、歴史に名が残っている人物はすべてそうなのでしょう。エジソン、アインシュタイン、モーツァルト、ディズニー、ソクラテス、フォード、野口英世、松下幸之助、、、などなど数えるとキリがありません。

 一方で世の大半の人は「使命」に気づかずに生涯を終えている人もいるのでしょうか。またはその残したものが偉大かどうかは関係なく、すべての人が、すでに与えられた「使命」を全うしているのでしょうか。その辺はどうしてもわかりませんが、私の個人的な意見で言えば、人は「使命」を見つけるために世に生まれ、そしてその「使命」を全うすることを目的として生を与えられているのだと思っています。「魂」に「永遠性」があるとすれば、この世に「生」がなくなっても「魂」を生き続けるものでしょう。我々人間がこの3次元の地球に生きている意義こそが、その「魂」を成長させるものだと考えています。そしてその「魂」がある程度の成長を遂げたところで、この世の役割御免で、宇宙存在の一部(神など)となって、もはや生まれ変わることはないのでしょう。そう言う意味で、この世に「使命」を見つけてそれを全うした人たちの生まれ変わりは、、この世に存在しないことになります。具体的に言えば、釈迦の生まれ変わり、イエスの生まれ変わり、モハメッドの生まれ変わりなどは、この世のおらず、また、上にあげたような歴史的人物の生まれ変わりも存在しないと考えられます。

 そう言う意味でも、この世は「修業の場」なんでしょう。それは間違いないと思います。ですので、いいこともあれば悪いこともある。この繰り返し。ただ、「使命」に近づける人は、「悪いこと」を文字通りには受け取らず、成長の「糧」としてとらえます。それを乗り越えた時に必ず「使命」に近づくことができるし、そもそも乗り越えることのできない「悪いこと」は自分には訪れません。

 極端な話、日本人であれば、まず、食べるに困ることはないでしょう。余程のことがない限り、アウシュビッツのような生活を強いられることもないでしょう。せいぜい人間関係やお金に困るか、健康を害する程度のことです。そして多くの場合、あらゆる悩みは自然と解決しているのです。例えばコーチングなんかでも時々する質問ですが、何かの悩みがあったとして、いきなり話を変えて、、「そう言えば、一年前は何に悩んでましたか?」なんてことを聞きます。すると、、、ほとんどの場合、、、それにきちんと答えられないのです。要するに「一年前の悩み」なんて覚えてないのです。覚えてないとすれば、それは解決していたことになります。もちろんずっと同じ悩みを抱えている人もいるでしょうが、その悩み方の度合は同じではありません。軽くなっていることがほとんどです。同じように、今、何かに悩んでいたとしても、一年後に同じ悩みを抱えていることは、経験的にあまりありません。もちろん程度にもよりますが、多くの場合、同じ悩みが一年以上続くことは稀だと言えます。
 
 そのように、悩みが消えたということは、それだけハードルを越えたことであるし、人間として成長したことになります。つまり生きる目的である「使命」に近づけたことになります。時々、占い師とかチャネラーなどに自分の今生の目的なんかを聞く人がいますが、そもそも「使命」ってのは自分で見つけるものであるし、ある意味、悩みや葛藤と通してしか得られるものではないと考えています。エジソンにはエジソンなりの悩みがあったでしょうし、イチローにはイチローなりの悩みがあるのでしょう。ただ、成功する人、うまく行く人、自分の使命を見つける人は、同じ悩みにずっとフォーカスしない、という共通点があるように思います。悩みは悩みとして、客観的にそれを見つめ直し、自然と改善させようとします。そして改善させます。

 実は成功の極意はここにあると思っています。コーチングでも時々言うのですが、うまく生きるコツは、いいことがあったらそれを十分に味わい、よくないことがあったら外から眺めることです。例えば素敵な恋人が見つかり楽しいデートをしている時は、しっかりとその幸せを味わうこと。そして仮に恋人と別れて傷ついてしまったら、その傷ついてる自分を外から眺めて、どうすればもっと幸せになれるのかを冷静に考えることです。

 いい時は味わう(アソシエート)、悪い時は外から眺める(ディソシエート)、、、これが成功の極意です。ただ、多くの人はこの逆をやってしまっています。幸せな時は、「私にはこんな幸せ、長く続かない」と客観的に観測してしまうし、悪いことが起こったら「やっぱり・・」と、とことんその状況を味わってしまいます。ほとんど無意識にそうしてしまいます。ですので、まずは意識的にでも「内と外」を自由に入れ替われるように訓練することが重要です。いいことが起こったら「内」にいてとことん味わう。悪いことが起こったら「外」にでて客観的に見つめる。この「内」と「外」の出入りこそが感情のコントロールであり、そのコントロールに長けている人が成功するのでしょう。

 ですので、私はこう言う人は基本的に信じていません。浮き沈みに翻弄されている人。具体的に言えば、いいことがあったら「自分ほど幸せな人はいない」と言い、悪いことがあったら「自分ほど不幸な人はいない」と言う人です。これはいずれにしても「内」に留まっているだけであり、自分自身で浮き沈みの舵取りをしているわけではありません。もっと極端に言えば、いいことが起こった時だけ、ブログとかミクシィとかメールで、ものすごくテンションの高い報告をするのだけど、ある時は、ばったりとその報告がなくなったりする人。そして忘れた頃に「ご無沙汰してました。しばらくの間、あることで苦しんでいましたが、ようやく抜け出そうな雰囲気になっています。ご心配おかけしました。。」なんて更新が突然出てきます。こういう記事を見ると、間違いなく、また沈むんだろうな、、、と思ってしまいます。

 話は変わりますが、ブログ(ミクシィ)を書くことは、実は感情のコントロールの上でものすごく有効だと思っています。ただし、毎日書くこと。いいことがあった時だけ、ハイテンションで更新するのではなく、浮き沈みのどちらであろうとも、客観的に「外」から書くことで、自分自身をコントロールするのです。もちろん素直に書いてもらっていいのですが、いいことがあったらそのまま書き、悪いことが起こっても、何かそこから「学び」があるはずだから、その学びや「肯定的意図」に目を向けて、冷静客観的に書くこと。私は100日ブログをしばしばお勧めしていますが、100日の間にいろんなことがあります。その「いろんなこと」にあえて翻弄されないように、毎日、淡々とブログを書き続けるのです。もちろん書きたくないことは書かなくてもいいです。ただ、どのようなことがあろうとも、「毎日書く」という姿勢だけを保ち続けると、感情をコントロールする力が随分と身に付くようになります。

 結局、何事もうまく行く人とは「感情のコントロール」ができる人、いいことが起ころうと悪いことが起ころうと、それに翻弄されずに淡々としていられる人のことを言うのでしょう。とりわけ試されるのは「悪いこと」が起こった時。そう言えば、3年前、会社を辞めてからインドに行きましたが、その初日に殴られお金を取られましたが、考えてみれば、それから一週間はあれこそが感情のコントロールの訓練だったな~と思いだされます。「初日にホテルを取っておけばよかった・・」という後悔と、「これは何かの学びなんだ・・」という前向き思考とが交差する一週間。しかし結局はその初日の事件によって旅は生々しく素晴らしいものになったし、その経験が今でも生きているように思います。もちろんその時に奪われた400ドルあまりに対して、今、まったく後悔していることはありません。結局、悩みや苦しみなんてものは、ほっとけば消えるもの。これが本質です。しかし、そのほっとけば消えるものに対して、例え短期間であろうとも、多くの人が十分に味わいつくしているようです。お金がない、、あの人と会いたくない、、身体がきつい、、、など。何度も言いますが、そんなのはほっとけば消えます。いや、むしろほっとくことで消えます。もし消えないのであれば、それはほっといてないからです。

 「使命」の話に戻りますが、人にはそれぞれ何らかの「使命」があるようです。しかしそれは自分自身にしかわからないものです。「Qさん、私の使命ってなんですか?」などと聞かれても、他人のことは私にはわかりません。そもそも自分自身のことも分かっていない状況ですから。ただ言えることは、何かピンチなことがあったら、それはチャンスの前触れであるし、成功の糧になるものです。それをわかって上で、目の前のピンチを乗り越えることで、何かしらの「使命」に近づくものだと信じています。私自身で言えば、なんとなく今年、その「使命」のようなものがわかりそうな気がする今日この頃です。

 話変わりますが、来週、また上京します。実は東京でセミナーをした時、ある参加者の発案で「星空セミナー」というのを開催することになっています。山梨のペンションで合宿形式で行われるのですが、私のセミナーは基本的に初日の午後の4~5時間だけです。それ以外はペンションで星空を見ながらみんなで語る、、、みたいな内容です。もちろん私のセミナーはいつにない「濃い」ものになるでしょうが、今日、面白いことに気がつきました。何とその日は、、、7月26日、、、マヤ歴の元旦なんだそうです。意図してこの日を選んだのではないだけに、やっぱり何かある、と言うか、月のリズムと完全に調和していると改めて気づくのであります。7月26日、、、私にとっても、そのセミナーの参加者にとっても、、、何かが起こる。そしてこれから一週間はマヤ歴の年末となるので、これまた何かが変わりそうな気がします。来週も営業やら執筆やらいろいろ頑張ります!ちなみに星空セミナーですが、キャンセルなどが出て、若干名の参加枠があります。私のセミナーに参加された方に限りますが、興味のある方は私宛にメッセージをどうぞ。ではでは。

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by katamich | 2008-07-19 23:20 | ■人生哲学 | Comments(0)