宇宙となかよし

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なぜ、モーツアルトは偉大なのか? 2008.4.9

 朝起きるとふくらはぎが若干の筋肉痛。昨日の山登りですね。他の山はどうか知りませんが、「宝満山」については、登りもきついのですが、下りは特に足にきます。それだけ注意が必要なんですが、注意し過ぎると足に力が入ってしまうし。月3回のペースですが、まだまだ山に慣れるということはないですね。それでも毎回登頂した時の気分は最高です。日も長くなってきたことですし、近々、頂上で日の出を拝もうかと考えています。

 ところで最近の日記はやけに長文でかつネタを披露しまくりですが、それでネタが尽きることはないのかと言われると、それは「ない」と断言できます。いつもそうなんですが、基本的に毎回書く内容が決まってから書き始めるのではなく、書いている途中からどんどん文章が降りてくる感じです。今ももちろんそうで、どんな内容になるのか、書き終わるまで分からない状況です。長さもわかりません。ただ昨日の日記については、ついにツレも「長すぎて読めん!」となりました。確かに長いです。調べると7千字近くありました。毎日の文章の量を調べたわけではありませんが、おそらくは平均にして5~6千字はあるのだと思います。文字数だけ見れば、1週間もあれば本一冊が書けてしまうペースですね。何たる才能の無駄遣い。でもまあいいです。考えずに書くのが私のスタイルですので。トークライブもおそらくそんな感じになるでしょう。基本的に思いついたことをしゃべっているようですから。「何とか先生と語る会」みたいに「5次元」からメッセージを降ろすわけではありませんが、降ろさないとも限りません。ともかくはスピ系のトークライブにはならないでしょうが、スピな話が出ないとも限りません。ともかくまあ、ネタはたくさんありますので。今年から講演とセミナーと執筆で食べていくスタイルを築いていきます。時々、営業も。とか考えたら、今も8割はそうだったりして。ようは価値を高めていくことが重要ですね。

 ところで今日の夜、面白いテレビ番組がありました。どうでもいいのですが、よく「スピ系」の人ってテレビを批判しますよね。もちろん全員ではないのでしょうが、批判の主な理由は「ネガティブな情報が多すぎる」ということのようです。そもそもテレビを見ない習慣ならばいいのですが、「ネガティブな情報(ニュースなどの)」を避けんがためにテレビを敬遠するのは、なんだかおかしいな、と思ったことがあります。嫌ならテレビを消せばいいのだし、仮にネガティブな情報を見たところで、その程度のことで感化される精神ってなんぼのもんや、とか思ってしまいます。その割には「オーラの泉」みたいな有害番組を平気で見てたりするので、ようわからんのが正直なところ。そしてテレビよりももっと有害なのがインターネットです。リテラシーのない人は容易に侵食されてしまいます。その点、「おっぱい」さえも出さなくなったテレビは何と健全なんだろう、と思います。「オーラの泉」やらも、ようやく終わりの兆しが見え始めましたし。ちなみに、最近聞くのが、世の中が「スピリチュアル」を理解するようになり、その証が「オーラの泉」などの番組だ、とか。私もそう思っていた時期はありますが、よく調べてみると、全然違うことがわかります。もともとこの手の番組は視聴率が高いのです。欧米なんかではとっくの昔から流行りだったし、この市場自体もすでに成熟しています。つまり、やり方によっては確実に儲かる市場なんです。例えばVOICE主催の「ディクシャ・ツアー」など、21日間、インドに行くのに80万円近くかかります。実際に行った人に聞いたのですが、21日間の前半は何もせずに寝ころんでいるだけで、後半にようやくカルキと言う人のヒーリング(ディクシャ)を受けることができるのだとか。本人は80万円で安すぎると興奮していましたが、冷静に考えると不思議です。どうして21日間、ほとんど何もせず(観光もせず)、コミュニケーションもせず、決められたものを食べて、寝ころんでいるだけで80万円が安いのでしょうか。自己変容を経験したとか言っておられましたが、21日間も何もせんかったら、どこか変になるのはあたりまえ。それを自己変容と言えばそうなるし、単純におかしくなったと言っても、それもまた真なりです、確かその方が言ってたのは、「悟り」ってのは「物理的な脳の変容」らしく、悟りを開くとお釈迦様のように頭のてっぺん(百会)がボコッと突き出るんだそうです。お釈迦様の頭の盛り上がりは「悟り」の証拠だと言うのですが、それを聞いたとき、変だと思いながらもあえてツッコミはしませんでした。今ならするでしょうが。なぜなら、例えばパキスタンのラホールにある「断食する仏陀」なんかを見てもわかるように、悟る前から頭は突き出てます。単純に髪を束ねただけだと思うのですが、、、とツッコムべきでした。おまけに、2007年か2008年には日本人全員が「悟る」のだそうで、そうなるとまずは日本人全員が苦しみから永遠に解放されると言っておられました。しかし、今日のテレビ見てもわかるとおり、相変わらず、痛ましい事件にあふれています。飯塚市の児童虐待事件なんか、土地柄を知っているだけに、非常に胸が痛みました。日本人全員が苦しみから永遠に解放されるのは、まだ先の話のようですし、私は3年前にディクシャを受けたにも関わらず、まだ頭のてっぺんは盛り上がっていません。一言で言って「インチキ」なのは自明なのですが、21日間のインド、しかも寝てるだけの旅行に80万円も払う「市場」ができているという事実があるだけ。しかしもし、その80万円が、行ったことによって取り戻せるのであれば、それは立派な「投資」となるので肯けます。それができない以上は、単なるのカモであって、おまけに頭も盛り上がってないのですから、普通にインチキです。そのようなカモを増やすのが、いわゆる「オカルト称賛番組」なのです。「娯楽」として見る分にはいいのですが、リテラシーの成熟していない未成年などが見ると、そのまま間に受けてしまいます。これが問題なのです。ついでに言うと、もし私が21日間80万円でどっか行ってこい、と言われたら、ヨーロッパに行って文化に触れまくります。チケット別で一日3万円も使えたら、相当贅沢できそうです。その方がよほどの「自己変容」になると思うのですが。また11月に企画している「Qさんと行くインドツアー」なんか、9日間ですべて込み込みで20万円ちょっとです。ツアー代金(交通費、ホテル)だけだと15万程度です。しかもそれはオーダーメイドの旅行で安全に濃いところばかり行くツアー。デリーとバラナシとブッダガヤーに絞り、タージマハルなどは外しました。普通のツアーではまずないガンジス川隣接のホテルなども私がリクエストしてますし。しかも9日間も面白いメンバー一緒なので、こっちの方がよほど「自己変容」になるでしょう。一緒に行く人は、100%人生が変わります。

 おっと余計な話が長引いてしまった。こんなことを書くから、マイミク外されたり、波動が低いとか言われたりするんですね。ただ、こう言っては何ですが、本当の意味での精神世界、目に見えない存在については、ものすごく敬意を表していますし、それらの存在抜きにして今の私はあり得ないとさえ思っています。肝心なのは、向ける対象であって、少なくとも私にとって「オーラの泉」はその対象ではないということです。私が対象にしているのは、、、一言で「空(くう)」とでも言っておきましょうか。来月また21日滝行を始めますので、その辺の話がまた出てくると思います。お楽しみに。

 で、今日見た面白い番組に話ですが、NHKの「その時歴史が動いた」という番組で、テーマは「音楽の市民革命」。私は中3の時にモーツァルトにはまりまくって、主要な曲のほとんどは聞いていますし、好きな曲は違う奏者で何枚もCDを持っています。モーツァルトに関する本もたくさん読みました。今日の番組の話なんですが、にわかに感動してしまいました。私は確かにモーツァルトの曲に関してはいろいろ詳しくなったと思いますが、彼のいた社会背景については、はまっていた学生時代、あまり関心を示しませんでした。知識としては知っていても、そのリアリティは感じようとしませんでした。しかし今日の番組を見て、改めてモーツァルトって人はすごいなあ、と思いました。彼は単なる「天才」ではなく、ある種の「革命家」でもあったのです。それは古典様式の基礎を作ったとか、様々な楽器を発掘したとか(例えばクラリネット)、古典派からロマン派への架け橋だとか、そんな音楽史上の話ではありません。まさしく「市民革命」の担い手だったわけです。

 当時の音楽は「貴族」のための音楽でした。作曲家は貴族のいいなりに音楽をつくり、時には作品そのものへの干渉も辞さないほどだったそうです。映画「アマデウス」の中でもヨーゼフ2世がモーツァルトを称賛しながらも、注文を付けるシーンがありました。モーツァルトは「完璧なのを修正しようがない」と反論するのですが、そのような作品的なものだけでなく、「貴族のための音楽」というものに異論を唱えていたのがモーツァルトだったというわけです。当時のヨーロッパは「啓蒙思想」が広がり、まさしく「市民革命」前夜の様相を呈していたのですが、その時期に、モーツァルトは音楽を通して同じことをしていたのです。「アマデウス」の中でもオペラの言葉をイタリア語にするかドイツ語にするかで揉めるシーンがあり、モーツァルトは最終的にドイツ語に決めてしまうのが、比較的初期の大作「後宮からの誘拐」です。そして代表作である「フィガロの結婚」は、貴族階級を揶揄する内容であったために、その大元である戯曲の上映を禁止されていたにも関わらず、モーツァルトは作曲に着手します。「アマデウス」でもそれを皇帝にチクられ呼び出しを食らうシーンがありますが、最終的に音楽への理解があったヨーゼフ2世はそれを許してしまいます。ちなみに「アマデウス」の中でヨーゼフ2世は、下手の横好きの音楽愛好家のように描かれていますが、実際にはかなり熟達した演奏家でもあり、本人の作品も残されています。サリエリが作曲した歓迎マーチをあんなにぎこちなく演奏するのはフィクションなわけですね。

 「フィガロ」の上演に貴族たちは訝しく思うのですが、その頃から「市民」は力を付けてきて、「フランス革命」が起こったのが1789年、モーツァルトが亡くなる2年前ですね。そして最晩年、モーツァルトはついに大衆のためのオペラ「魔笛」を作曲するのですが、言葉は大衆に理解できるドイツ語ですし、当時は実に年間80回以上も上演されたそうです。私もこのオペラは生でも見ましたし、ビデオもCDも何度も繰り返し楽しみました。幕が明けて序曲、そして王子タミーノが大蛇にやられて、貴族の象徴である「夜の女王」の侍女に助けられるのですが、目が覚めた時にいたのが、鳥飼のパパゲーノです。そこでタミーノは「おまえは誰だ」と言うのですが、パパゲーノは「あんたと同じ人間だよ」と返します。確かにこのやり取りは知っていますが、ここにいわゆる「平等思想」、つまり貴族も平民もなく、人間はみな平等なんだというメッセージが早くも盛り込まれていたとは、番組を見て改めて気づきました。終盤では「夜の女王」は倒され、つまり貴族階級が相対化され、全員の合唱で締めくくるわけですが、まさしくそれこそが「市民革命」なんです。この時、当時の大衆はどのような心境だったでしょうか。それを思うと胸が熱くなります。で、この時期を境にヨーロッパ全土は一気に市民革命が広がるわけですが、そのような世界地図の変容の時期にモーツァルトがいたことは、何か必然のような気がします。番組の最後の方で、モーツァルトの晩年の言葉を紹介します。はっきりと覚えていないのですが、「せっかく自由に音楽が作れる時代になったと思ったらこの始末、これも宿命だろう」、みたいな内容だったと思います。そして魔笛が上演された直後にモーツァルトは35歳で死んでしまうのですが、音楽的にはやり尽くしているし、そして何より「音楽」を人間(貴族でなく)に返したという功績が大きく、その意味で、モーツァルトの仕事は終わったことを意味しているのでしょう。番組の最後にこんな言葉を紹介されていました。

「僕は貴族ではないが、貴族にも勝る高貴な心を持っている。人間を高めるのは身分ではなく、心だ」

これを聞いて、妙に感動してしまいました。モーツァルトは単なる「天才音楽家」であるだけでなく、傑出した革命家でもあったわけですね。そう思いながらモーツァルトを聴くと、また新たな楽しみ方ができそうです。10代の頃は、そんなことも分からずに単純にモーツァルトの音楽が好きで聴いていましたが、大人になるにつれ、いろんな経験や知識が増え、それによって楽しみ方も倍加するわけですね。年をとればとるほど感動的な人生になる。これは事実でしょうし、実際、そうであるべきだと思っています。これからもめちゃくちゃ感動しいの涙もろい大人になっていきたいと思います。いい番組でした。

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by katamich | 2008-04-09 23:25 | ■音楽
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