宇宙となかよし

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人はなぜ旅をするのか? 2008.3.5

 今日はいろいろ進みました。腰を上げると早いものです。何で早くやらなかったのか。おそらく自分の中で何かが抵抗していたのでしょう。新月を前に「未完了事項」をどんどん片付けていきます。ちなみに今度の新月は「8日」で内藤大助選手の防衛戦があります。相手はタイの強豪ポンサクレックです。ただ、ポンサクレックは調整がうまくいってないようで、内藤にも十分勝機があるでしょう。内藤選手のことは今でも大好きだし、応援しているのですが、テレビに出過ぎていたこともあってか、有名になる以前のハングリーさが欠けているようには感じていました。偏見かもしれませんが。内藤にとっては十分に有名になれたので、ここで負けても、引退して芸能界という路線が確立しています。それはそれで応援するとは思いますが。

 で、今日はいろいろやりながらも、一息ついたときに昨日借りてきた本に手を伸ばしました。

b0002156_2148395.jpg下川裕治「香田証生さんはなぜ殺されたのか

という本です。図書館にたまたまあったので借りてきました。下川さんの本はこれまでも何冊も読んでいます。主にバックパッカー向けの文庫本ですが、もともと新聞記者だったこともあり、文章もうまいし、洞察力もあるし、時には社会派ルポみたいな文章も書くしで、読み応えがあります。で、その下川さんが、数年前に社会問題にもなった、イラクで斬殺された香田証生さんの足跡を追うルポを出していました。今さらですが借りてきて、手にすると一気に読んでしまいました。実は読んでて涙でそうになりました。

 本の内容を簡単に説明しますと、タイトルは「なぜ殺された」になっていますが、正確には「なぜイラクにいったのか」の方がふさわしいです。その辺は売る戦略として変わったのでは、と思いますが。香田さんは福岡県直方市で生まれ育ち、高校を中退してフリーターになります。23歳の時にワーキングホリデーでニュージーランドに行き英語を学びます。それが何がどうなってか、イスラエルに行き、そこからイラクに向かいます。その結果、イラクでテロにつかまり日本政府に対する人質として利用されて斬殺されます。その当時、私も人ごとならぬ心境で香田氏の行方を見守ったし、そして残酷な映像まで見てしまいました。実はこれ、いつでも私である可能性があるなあ、、とか思ったりして。

 下川さんは福岡県の直方市から入り、そこで香田氏の周辺にインタビューをしながら、香田氏の留学先であったニュージーランドのクライストチャーチに足を伸ばします。そしてイスラエルはテルアビブに飛び、エルサレムからヨルダンのアンマンへ。アンマンでは香田氏が滞在した「クリフホテル」に泊まります。ちなみに私もアンマンには滞在しましたが、クリフではなく、新しくできた「ファラホテル」と言うところに泊まっていました。こっちの方が安くてきれいだと聞いたので。それでも日本人の多くはクリフに泊まっていたようですが。で、クリフホテルの名物管理人であるサミール氏からも香田氏のことをいろいろ聞き出し、最後はサミール氏の手配でイラクの国境まで行って、そこで下川氏の旅は終わります。

 香田氏が捕まって殺されたとき、その半年前にもイラクにボランティアに行っていた男女3人が人質になったことが話題になっていました。彼らは解放されたのですが、日本でも「自己責任」という言葉が流行ったほどです。そんな世論の中、香田氏はたった100ドルしか持たず、半袖短パンという出で立ちでイラクに向かって、勝手に捕まって、勝手に殺されました。その時、日本の世論は「香田バカ」でほぼ埋め尽くされていたように思います。もちろん利口ではないと思いますが、下川氏はいわゆるバックパッカーの先駆けとして一抹の責任も感じたのでしょうか。香田氏と一緒になって、彼の心境を追うという旅を始めます。香田氏を弁護する意味があったのかは知りませんが、少なくとも「香田バカ」の一色に染められた日本の世論に違和感を持ってはいたでしょう。

 本書は香田氏の足跡を追いながら、ところどころに下川氏の過去の旅の回想がなぞられます。で、最終的に「なぜ香田さんはイラクに行ったのか」という命題ですが、最後に下川氏はこう締めくくります。

「旅とはそういうものなのだ。確かな目的もなく、知らない国に分け入っていく。旅はそれでいいはずだ。」

と。おそらく多くの人は、この言葉に反発するでしょう。半年前に人質にされた3人はボランティアなどの大義名分がありましたが、香田氏は何もなく、お金も持たず、アラビア語もできず、現地の情報もしっかりと把握せず、イラクに対する興味や敬意もなく入って行ったのです。しかしこれこそが私は「旅」だと思うし、そこには何ら客観的な目的意識などなくていいのです。香田氏にあったのは、イラクを見てみたいという純粋な好奇心、そしてどこか自分を変えたいという焦りがあったのだと思われます。この年、「自己責任」とともに話題になった言葉が「自分探し」でした。高校中退してフリーターになって、意を決してワーキングホリデーに出たものの、英語も中途半端、同年代の大学生には自分よりはるかに英語ができる人間がいる。帰ったところでまたフリーターへ舞い戻り。そんなとき、イスラエルとかの話を聞いてしまい、ここで「何か変われるかもしれない」と思って、周囲にはちょっと行ってくると言い残し、行ってしまいました。しかし、テルアビブに着いたはいいものの、そこはニュージーランドと同じく、「安全」が担保された町でした。下川氏の記述の中で興味深かったのが、ニュージーランドは日本以上に治安がいいとされながらも、そのセキュリティは半端じゃなく厳しかったそうです。なぜここまで厳しくする必要があったのか。おそらく資源も乏しいニュージーランドが「安全」という「資源」を最大限に守るためなのではということ。それと同じようにテルアビブも「安全」に対しては極度に神経質になっているのだと言います。イスラエルというと何かと危ないイメージがありますが、それはヨルダン川西岸などパレスチナ問題で揺れている地域がその象徴のように報じられるからであって、実際には非常に安全な場所だと聞きます。確かに町じゅうに兵士がいたりはしますが、裏を返せば治安が守られていること。そんなテルアビブで香田氏はフランス人からイラクの話を聞いてしまいます。なんとなく期待外れだったイスラエル、、、これはイラクに行けと言うことなのか、と香田氏は直観したことでしょう。そしてヨルダンの「クリフホテル」でイラク行のバスを手配してもらいます。しかし当時のイラクの治安は最悪。多くの人から止められたにも関わらず、振り切って行ってしまいます。

 私はこの下川氏の本を読んで涙が出そうになったと言いましたが、それは香田氏のある感情に共感してしまったからかもしれません。その感情とは「孤独感」。香田氏は日本でも決して順当な人生を歩んでいたわけでもないでしょう。高校中退してフリーターでワーホリに行くくらいですから。そして自分の人生を変えるために、必死でもがいていたのだと思います。そのもがいた先にイラクがあり、吸い寄せられるように行ってしまいます。しかし、当時のイラクには行くことは可能であっても、簡単に同行者が見つかるわけもありません。時間のない香田氏は一人で行ってしまいます。携帯電話も十分な所持金も現地に相応しい服も持たずに一人で。バグダッドでは目当てにしていたホテルから断られます。テロの標的にされることを恐れて。そのホテルは情報ノートなどで確かめて行ったのでしょうが、10ドル前後だったのが、断られて30ドル前後のホテルに泊まらざるを得なくなります。すると当然所持金がなくなります。残りは20ドルちょっと。これではアンマンに戻れません。そんなとき甘い誘いを受けて、、きっと渡りに舟とばかりに受け入れたしまった先がテロの懐だったのでしょう。もし彼が200ドル持っていたならば、30ドルのホテルに泊まろうと、アンマンには帰れたはずです。バグダッドでは何をするでもなく、後悔したことでしょう。しかし、頼れるのは自分しかいません。そんな矢先、一人で捕まってしまい、一人で殺されました。先に解放された3人の人質は、帰国後に本書いたり、講演活動を行ったりと、非常に図太くやっていますが、それとは対照的に、弱々しい香田氏は孤独に殺されました。

 本書の最後に下川氏はイラクの国境近くまで行くのですが、着いたのは夕方で、アンマンに戻るのは夜道だったそうです。そこでそれまで鬱陶しかった運転手が2時間も黙りこくってアクセルを踏んでおり、間もなくアンマンの明かりが見えてから、ようやく口を開いと。どういうことかと言うと、実はヨルダンからイラクへの国境にかけては500台以上の物資を運ぶイラクトラックが並んでおり、待たされる苛立ちからか、いつ何をされてもおかしくない場所だったそうです。運転手は恐怖のあまりに口を開くこともできず、寡黙にアクセルを踏み続けていただけ。つまり現地の人間でさえも恐怖する場所に、香田氏はたった一人で、ホテルに断られながらうろついていたということです。

 「かわいそう」という言葉は使いたくないのですが、想像を絶する「孤独地獄」だったと思います。結果として日本政府から見捨てられる形で殺されてしまいます。ちなみに本書では日本大使館・領事館、つまり日本政府がいかに旅行者個人に対して冷たいかが、いろんな話を出しながら紹介されており、これはこれで面白いです。で、私も一人でバックパッカーをやって、そして今でもいろんな国に行きたがりますが、わかっていることは、旅人ってのは本質的に「孤独」なんだということ。私の知る限り、一人旅する人間ってのは、実は日本でも一人な人が多いのです。私も含めてかもしれませんが。本書ではバンコクのカオサン通りの安宿の話が随所に出てきますが、ここに何度も通う日本人ってのは、その実は「孤独」の象徴みたいな人です。日本では日雇いのフリーター。同年代は就職して結婚して立派にやっている。もはや飲み友達もいなくなって、当然、恋人もいない。半年働いて小銭を貯めてはカオサンに戻ってしまう。ここには「人がいる」のです。自分と同じような人が。安宿のドミトリーに泊まって、ゆっくりと起きて、10バーツラーメンを食べに行きます。そこには自分と同じような日本人がいて、つい話し込んでしまいます。宿に戻って洗濯などして、本を読んだりします。話し相手がいれば話します。そんなことしていると日が暮れ始め、ビール片手にまた話し込みます。ほとんどが愚痴です。日本でくすぶっている同年代に対して、自分たちは自由であることを誇りにしようとします。しかしそれが空しい抵抗であることは本人たちが一番よく知っていること。幸い私はカオサンリピート組には入らなかったのですが、カンボジアの安宿で、あるバックパッカーがビールを飲みながら、急にうつ伏せて泣きだしたのに対面したことがあります。急にです。普段は陽気な男です。しかし誰も彼をかばうこともなければ、理由を聞く人もいません。ようするに「わかっている」のです。本質的にみな「孤独」であることを。

 私は平日の昼間は一人でいることが多いです。それはそれで自由で気ままでいいのですが、反面、孤独であることには違いありません。徹夜して苦しい思いをしながらでも、組織で、仲間でやっていく会社員時代を懐かしむこともあります。もちろん戻りたいとは決して思いませんが。しかし一方で誰かと繋がっていたい、という気持ちは常にあります。毎日ブログを書いたり、セミナーで全国行脚したりするのも、その気持ちの表れかもしれません。つまりは「孤独」を紛らわすために。しかし私などは全然マシな方です。奥さんはいるし、友達も飲み仲間もいます。何よりセミナーや飲み会をするとなると、集まって頂ける多くの方がいます。すごく幸せな状況とは思うのですが、その一方で、今このブログさえも「孤独」に読んでいる人が全国にたくさんいるんだな~とは思うことがあります。しかし究極は誰もが一人です。だからこそ人間には人と繋がる、コミュニケーションする使命があるのでしょうか。人と人とに「間」ができる。そこで「人」は「人間」になるのでしょう。「人」は本質的に「一(ひと)」なんですが、生涯を通じて「間」を求め、「人間」になっていくのでしょう。いいかえると、ヒトは絶えず「人」と「人間」の橋を行き来しているのかもしれません。

 香田証生というヒトも「旅」によって「本当の自分」を見つけ出し、日本で多くの人と分かり合える「人間」へと成長したかったのでしょう。しかし、最後はやはり「人・一」で終わり、孤独なままに死んでしまいました。日本では香田氏を取り巻くムーブメントが起こったにせよ、彼自身は絶望的な孤独の中で死んでいったことに違いありません。最後まで「人間」になれなかった悲しみ。「妖怪人間ベム」ではありませんが。でもそれは香田氏に限ったことでもなく、人は多かれ少なかれ、「人間」であることを求めます。つまりそれは「人」であることの裏返しなのでしょうが、私も常に「人間」であることを求めています。時として一人で孤独感を味わいながらも、必死でもがいている自分を発見することもあります。そしてまだまだ「人間」として未熟であることを確認してしまいます。私が取り組んでいるコミュニケーション、、これは「人」が「人間」になるための架け橋なのかもしれません。

 最初に述べたように、香田氏は日本の世論から批判の的にされました。多くは「日本に迷惑をかけた」なんて言い方で。本書でも取り上げられていますが、この「迷惑をかけた」という批判の仕方には吐き気を覚えます。いったい何様のつもりか、と。自らを「絶対正義」において、反論できない「絶対弱者」への容赦のない攻撃。日本人の醜さを感じる時です。インターネット世界ではこれが顕著に出ます。ある人がやや「反社会的」な発言をした場合など、多くの人がこれでもかとばかりにその人を攻撃します。ミクシィに旅行のコミュあるのですが、そこで「ビザを取らずに空港に行ったら門前払いを食ったけど、ビザの話をしなかった旅行会社にも非があるのでは」なんて書き込みがあった日には、ここぞとばかりに「ビザは自己責任」という書き込みが続き、その人の人格までも攻撃することがあります。ここには自分は傷つけられない絶対の高みにあることを確認して、さも日頃のうっぷんを晴らそうかという、姑息な嫌らしさが感じられます。

 ですので、当時、私は香田氏に対するそのような論調に嫌気がさしていたのもありますが、彼が軽率だったのを認めながらも、やはりどこかで「わかる」部分もあったわけです。下川氏が言うように「旅」とはそこに行くだけ、それでいいはずです。行った先に何かを見つける人もいれば、そうでない人もいます。しかし一方で「旅」は必然的に多くの人とのか関わりを持ちます。そこで初めて自分は「人」ではなく「人間」であることを確認するかもしれません。それはある種の本能、つまり「旅」とは人間の「本能」だとも考えられます。その意味で香田氏は最も極端に本能に忠実に生きただけであって、それ自体は決して批難されるものではない、と私は考えたいのです。彼はある種、「人間」になりきれない弱い人間の「代弁者」であるように、死んでいったのだと感じます。そしてそれは私自身の「代弁者」でもあるように。

 ということで、最初から人ごととは思えない香田氏の話を読んで、なかなか考えさせる内容だと気づいたわけです。人はなぜ旅をするのか。人間が「人間」であるための、本質的なテーマがあるように思えるわけです。てなわけで、途中、ちょっとネガティブな記述もありましたが、私もこうやって成長していくのかな、と気持ちを新たに頑張りたくなりました。ありがとうございました。

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by katamich | 2008-03-05 23:02 | ■旅・ツアー
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