宇宙となかよし

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スピリチュアルとサイキック 2006.9.20

 6時前起床。久々に水曜日の「一の滝」に行き、導師たちと滝行をしました。その時の様子は下段の「21日滝行日誌 5日目」をご覧下さい。ちょっと厄介な状況でもあるようですが、これ幸い、「行」に入ってるので、とりあえずは心配はないでしょう。この21日間で何ものにも負けない心身づくりが必要ということなんでしょうか。今日も一日、コーチングやら何やらの日でした。

 ところで最近、どうも説教臭い文章が続いていますよね。表面的には何となく「アンチ精神世界」みたいな感じを受ける人がいるかもしれません。そんな文書を読んでか、「近頃、スピリチュアルな方向に流れているようで、ヤバイでしょうか?」というメールまで頂きました。結論から言うとヤバクとも何ともないし、もちろん「アンチ精神世界」でもなければ、むしろ「精神世界(スピリチュアル)」大好きに変わりありません。私がヤバイと思っているのが、スピリチュアルではなく「サイキック」、またはスピリチュアル的な「方法論」のみに頼って願望を実現させようとする風潮についてです。この主張はずっと前から一貫しています。私の主張とは、昨日も書きましたが、「成功」するためには、何はともあれコツコツ、コツコツと努力していくことにつきます。ただし、どんなに努力しても、頑張っても思うように「成功」に到達しない人は、「潜在意識」がどこかでブレーキをかけている可能性があります。「成功法則」とはそういったブレーキを取り除き、努力に対するスムーズな成果をもたらすためにあるものと思っています。先日、ブログにコメントを下さった「願望実現の予習/復習ノート」さんが、このことを端的にまとめて下さってます。一部、引用させて頂きますと、、、



詩を書かない詩人が成功を夢見る…
ミュージシャン志望なのに楽器の練習をしない…

最近私はこういう「リアルな準備」をしないタイプが今の人の特徴なんだなと思います。

マーフィーの時代は逆だったのでしょう。
毎日努力して頑張っているのに成功しない。

それはいったい何故かと言うと潜在意識があなたの成功を肯定してないからだよ、だからイメトレしましょうよ、と言っておられたのだと思います。

現在のアメリカと違ってピューリタンの名残がありそうだから「勤勉、質素、倹約」が美徳という気風がマーフィーが生きていたアメリカ人の集団意識に残っていたのかもしれません。

だけどとにかく努力をする習慣があるのに成功しない、その解決の糸口を示したのがマーフィーではないかと…

しかし、今の日本は安易なプラス思考と週刊誌的な誇大広告その他様々な文明の利器によって良くも悪くも下世話な欲求が叶えられやすいということもあって、とにかく早く楽に成功するかのような思い込みが今の人にあるように思えるのです。



 なるほど、そうですね。マーフィーを始めとする「成功法則」は「毎日努力して頑張っているのに成功しない人」に絶大な効果をもたらすものであって、何の努力もしない人には当然、何の効果もないものなのです。マーフィーに多大なる影響を受けたと言われる斎藤一人氏にしても、「ツイてる、ツイてる」だけ言って、成功したのでは決してありません。中学卒業から丁稚奉公のような仕事で、懸命に努力してきたのです。私自身はブライアン・トレーシーの成功法則に傾倒していますが、本質はマーフィーも、ナポレオン・ヒルも、ポール・J・マイヤーも一緒だと思います。要するに潜在意識に「成功」をインプットさせることです。これらの「成功法則」は紛れもなく「スピリチュアル」です。精神、心の置き方を非常に重視されています。

 しかしながら、ここでの「方法論」だけが独り歩きして、何となく「楽して成功させる」みたいな風潮のみをありがたがって実践している人が多くなっているような気がします。私はそれを「スピリチュアルな成功法則」ではなく、「サイキックな成功法則」と区別するようにしています。「スピリチュアル」と「サイキック」は混合されやすいのですが、前者が「心の置き方、姿勢」を重視しているのに対し、後者は「方法論、超能力」として区別できると思います(スピリチュアルとサイキックの違いについてはこちらが参考になります→ひとみ研究所)。私はいわゆるスピリチュアルと呼ばれる話が大好きです。密教、風水、クレンジング、PMA、言霊、シンクロニシティ、波動、グラウンディング、、、、などなど。風水などは方法論っぽくはありますが、要するに「きれいにしろ」と言うことであるし、言霊やシンクロニシティなどはまさしく心の置き方の問題です。こういうものの、いわゆる「方法論、能力」の部分だけを取り出したものが、「サイキック」であると考えています。「西に黄色で金が貯まる」なんてのは本来何の理屈もないサイキックな法則であるし、「のうぼうなんとか・・・」と唱えるだけで願望実現できるなんてのもサイキックそのものです。私が実践している密教などもサイキックな雰囲気がありますが、修行の目的は神通力を身に付けることではなく、想いを捨てる、感情をコントロールする、生けとし生けるものに感謝する、、、といった、まさしく「心の置き方」を目指すものです。確かに神通力を身に付けるとか、アカシックレコードにアクセスするとか、サイキック目的で修行する人も少なくないのですが、そういう人は続かないか、命を取られるケースが多いようです(導師談)。

 また、自分自身はサイキックな能力を目指していなくとも、何かあるごとに占い師みたいな人に依存しきって、自分で考えることを放棄してしまう人などは、決してスピリチュアルではなく、ヤバイ意味でのサイキックです。コツコツと努力する事を放棄して、何とか楽して願望を実現させたいのです。昨日も書いた通り、コツコツ、コツコツと努力した結果、いわゆる「神=指導霊」が宿って、魂と現実とが深い部分からつながっているような状態はまさしくスピリチュアルです。「匠」とか「名人」とか「天才」と呼ばれる人は、ある意味、皆、スピリチュアルかもしれません。一方、最初から「神=指導霊」を宿らせようと、日々の努力をせずに、目に見えない世界からのメッセージを受け取ろうと、ひたすら祈ったり瞑想したりしているのはサイキックです。

 ここで「スピリチュアル」と「サイキック」について図で示してみたいと思います。私が書いた「のび太並みに下手な絵」で恥ずかしいのですが、まずは「スピリチュアル」です。「成功」に向かって努力するのですが、ゴールに向けての道筋が絡まった糸のように複雑に入り組んでいます。進もうにも、複雑すぎてひっくり返ったり、絡まったり、落っこちたりしています。この複雑さは「潜在意識」と「成功」とがしっかりと結びついてない状態であり、要するに「潜在意識」が「成功」を肯定していないのです。このとき、スピリチュアルな心のおき方、つまり「潜在意識」と「成功」との回路をまっすぐにつなぐことによって複雑さは解消され、後はその道筋に沿ってコツコツと努力するだけです。マーフィー、ナポレオン・ヒル、ブライアン・トレーシーなどはまさしく「潜在意識」と「成功」との回路をまっすぐにつなぐ役目を果たすのです。(斎藤一人、小林正観、津留晃一なども同様)
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 一方の「サイキック」の図においては、まずはゴールまでの道筋は複雑なんですが、何らかの方法で、その複雑さを通り越して、つまりワープしてゴールまで行こうとするやり方です。これ自体はもしかしたらうまくいかないとも限らないのですが、この場合、自らの力ではなく、「キツネ」のイタズラとしてゴールに導かれたのかもしれません。その「キツネ」をある人は「観音様」と間違えて、有頂天になっていたのですが、最初は成功していたものの、今はよくない輩に追われて、奈落の底に突き落とされています。要するにキツネに化かされたのです。(それにしても、絵下手だなあ・・)
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 何度も言いますが、絵が下手すぎです。のび太を馬鹿に出来ません(→こちら)。でも、何となくイメージはつかんでいただけたでしょうか。要するにスピリチュアルとサイキックを混合してはならず、スピリチュアルと言うからには、「コツコツとした努力」を決して忘れてはならないのです。努力のあとにはもしかしたら「神=指導霊」が宿るかもしれませんが、努力せずにワープして成功しようものなら、コンコンとキツネさんに取り憑かれるのがオチなのです(キツネに取り憑かれてもいいから成功した~いという人もいるかもしれませんが・・・)。私はやっぱり「スピリチュアル」で行きたいと思います。かと言って、「サイキック」も全否定するわけではなく、開運の印契とか満月に通帳ヒラヒラとか、人に迷惑かけず、金もかからないようなものは楽しんで実践したいとは思います。ちなみに「ヒーリング」とか「レイキ」とか「すごペン」とかムーンさんの「ハーモニーベル」などは、スピリチュアルでもサイキックでもなく、科学的に説明のつくものです。要するにスピリチュアルっぽい「サイエンス」なんですが、スピリチュアルとはやや区別されるものでもあるんですね。とまあ、こんなところでいったんは「説教ブログ」は終了にしたいと思います。お付き合い頂き、ありがとうございました。

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【21日滝行日誌 5日目】

 久々に水曜日の一の滝に行く。ここんとこ、行けてなかったが、今日は行くべきだと感じた。導師も一緒だ。男滝に入る。観法(黙っているスタイル)で入り、気持ちはよかったが、目の前が明るくならなかった。滝から出ると、珍しく導師から九字を斬られる。私が入っている間、「キツネ」が今にも私に襲い掛かろうとしていたのだとか。観法は受け入れの態勢なので、飛び掛りやすいところ、導師がキツネに金縛りをかけて止めて下さっていたそうな。金縛りにかけると、今度は導師に牙をむいたとか。キツネの正体は、関西の葛城山系出身の中途半端な行者の成れの果て。私と一緒に行をしたがってるとか。しかし、もしそれに取り憑かれるると、私の目つきも変わり、金の亡者、そして最終的に堕落者になる可能性があるのだとか。確かに今、あまりにも多くの人と関わっており、「欲」とも常に隣り合わせの状態。近頃、ブログでもしきりに「キツネ」の話をしてきたのは、私自身がキツネに狙われていたからかもしれない。今回の「行」は特別なテーマはなく始まったそうだが、もしかしたら、そういう輩から身を守るためかもしれない。そう言えば、土曜日に畑観音に行った時も、数珠を持たずに入った私を見て、導師が「やっかいなのに取り憑かれるなよ」と心配されていた。「行」をしている以上は、変なのに取り憑かれることはないそうだが、常に魔物と隣り合わせであることを自覚して「行」に励みたい。とりあえず、今の私は変なのに取り憑かれていないので、ご心配なく。。。
by katamich | 2006-09-20 23:38 | ■精神世界
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