天職の見つけ方 2006.9.19

 5時起床。今日はレギュラーのコーチングあわせて、4名の方にコーチングをさせて頂きました。100人コーチングでもそうですが、私の周囲でも、近頃、「自分の生きがい」や「天職」という話が増えています。コーチングをしてても、「自分は何をするために生まれてきたのか、何をすればいいのか、わからない」というテーマをよく頂きます。そのことについては、いろいろとセッションをしたり、人と話したり、自分で考えているうちに、一つの糸口が見つかった気がしますので、今日はそのことについて書きたいと思います。

 まず、「天職」ってのは「自分自身がすでに知っていること」です。ですので、他人のサイキックな能力に頼って、それを見つけようとするのは、あまり本質的なことではありません。仮に「前世は格闘家だった」と言われたら、格闘家を目指すのでしょうか。ですので、サイキックなリーディングなどによって「天職」を探すのは、「参考」にはなっても、そのまま当てはまるものではないことが多いです。じゃあ、コーチングによって「天職」を引き出す事ができるのでしょうか。出来るかもしれませんが、一回やそこらのセッションで引き出すことが出来るとなると、それはそれで「薄っぺらい天職」とも考えられるので、あまり意味あることではありません。なんていうと、私のコーチングを受ける人が減りそうな気もするのですが、まあ、この文章を最後までお付き合い頂ければと思います。

 世の中には早いうちに「天職」を見つけて、活躍している人もいますが、一方で、死ぬまで「天職」を見つけられない人もいます。または気づかない人もいます。そもそも「天職」の定義ってなんなんでしょう。要するに「自分で天職と思っている仕事」ってのが、一番、正しいのでしょうが、ここに5人の男の名前をあげたいと思います。それは、中田英寿、新庄剛志、宮本文昭、ビル・ゲイツ、ウォーレン・バフェット。いずれも今年来年には、今の実業を引退する人たちです。言うまでもなく、彼らはそれぞれの分野で功なり名を遂げた、言わば成功者です。中田はサッカー、新庄は野球、宮本はオーボエ、ビル・ゲイツは実業家、バフェットは投資家です。彼らは客観的に見れば、それぞれの職業が「天職」のように思えます。しかし、まだまだこれから、という時に、スパッと辞めてしまい次の「天職」を見つけようとしているのです。聞くところによれば、中田は経営者(経営学)、新庄は実業家、宮本は音楽家(器楽奏者でない総合的な音楽家)、ビルとバフェットは奉仕家です。スポーツ選手などは肉体的な限界もあるのでしょうが、ある程度成功すれば、監督やコーチ、解説者など、その業界に関係のある仕事に転身します。宮本などはオーボエ奏者としてこれからますます油がのってくる年代です。ビルにしてもバフェットにしても、今の仕事でまだまだやっていけるはずです。それでもなお、未だに「天職」を探しているのです。

 こういう人でも探しきれていないのに、いわゆる一般の人たちがそう簡単に「天職」なんて見つけられるはずはない、と考えるのが妥当かもしれませんよね。ましてや10代や20代で見つけようなんて、気が焦りすぎです。私が大学生の頃、なぜか哲学や社会学の古典をよく読んでいました。フッサールとか、マックス・ヴェーバーとか、アルフレート・シュッツとか(なつかし~)、、結構、固めの本をよく読んでいたのですが、同じ大学生で、私のようなライフスタイルを羨んでいる人もいました。そういう人たちが飲みながら言うのは、「オレもさ~、大学生になったら、石田のように本をたくさん読むはずだったんだけど、、、いざ、大学生になってみたらすべきこととか、読むべき本とかがたくさんあって、どれからやっていけばいいのかわからんのよ~」、と。そう言われると、私は社会学の古典中の古典である、ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を勧めることにしていたのですが、いざ勧めてみると、「でもその本が、本当に今のオレが求めてるものか、わからん」と言って、結局読まずに無駄酒ばかり飲んでいるのです。何が言いたいのかというと、「目の前にあること・できること」をせずに、「効率的(楽で実もある)」なものを追い求めようとするのです。極端な話、いわゆる「天職探し」ってのも、これに似ているような気がします。

 今やっていることは、どうも楽しくないし、自分に向いてないような気がする。何が一番自分に向いていて、楽しく、効果的に仕事ができるのだろうか、、、と夢想し続けるのです。いわゆる「天職」が見つからない人は、このパターンです。現状否定ばかりして、「目の前にあること・できること」を蔑ろにしてしまうのです。では「天職」ってどうやったら見つかるのでしょうか。結論を言いますと、まさしく「目の前にあること・できること」に一生懸命に取り組むことだと思っています。営業職に就職した人は、一生懸命営業し、技術職に就職した人は、一生懸命研究するのです。パートタイムで働いている人も、一生懸命、その時間内で最高の仕事をするのです。主婦・夫の方も一生懸命に主婦・夫業を全うするのです。「天職」を私なりに定義すると「神が宿った職業」だと考えています。なので、中田にとってサッカーは「天職」であるし、宮本にとってオーボエは「天職」なんです。誰が見ても、誰が聴いても、「神」が宿ってますから。しかし、「神」はずっと宿っているとは限りません。それは肉体的、精神的、感性的変化によって、別の「神」に入れ替わることもあるのです。そういった「神」を「指導霊」と言ったりもします。つまり、中田にとってはサッカーの全盛期はサッカーの「指導霊」が宿っていたのですが、様々な変化によって、その「指導霊」も入れ替わろうとしているのです。もしかしたら、今の中田には「指導霊」なる存在がいないのかもしれません。しかし、もし中田が「経営」というジャンルで大成すれば、そこには必然的に「指導霊」も宿ることになるのです。

天職の見つけ方 2006.9.19_b0002156_1632713.jpg ではどうすれば、「神」または「指導霊」が宿るのでしょうか。何度も言いますが、結局は目の前にあることをコツコツする以外にないと思っています。例えば、私のツレは普通のOLです。趣味は、旅行、クラリネット、遊ぶことなどありますが、本人的に結構はまってるのが「手芸」です。ツレは「お尻の超人」から「まんぎょうマン」をすぐに作り上げましたし、「お経入れ」や「線香入れ」も作ってもらって、今でも大事に使わせてもらっています。じゃあツレの「天職」って「手芸」なのかと言われれば、当然、手芸で稼いでいるわけでもありませんし、かと言ってOL業が「天職」かと言うと、そうとも限りません。でも、自分が楽しいと思っている「手芸」をコツコツ、コツコツとやっていけば、そのうち「神=指導霊」が宿る可能性もあるわけです。仮に「まんぎょうマン」を月に一体ずつ作ったとして、10年間作り続ければ120体になります。そうなると「匠」と呼ばれ、「まんぎょうマン」にも本物の「神」が宿ることでしょう。熟練した仏師が彫る仏に魂が宿るが如しです。

 じゃあ、今度は私自身の「天職」ですが、正直、まだ分かりません。でも今は「コーチング」が楽しいと思っていますし、少なからず報酬も頂いています。実は私はプロ・コーチとなるまでに、ほとんど資金を投入しておらず、資格もありません。コーチングで出会ってから1年半くらいですので、時間もかかっていません。時間とお金をかけずに、お金がもらえるようなることを聞くと、一部の人は「私も・・・」と思うことでしょう。しかし、「没頭度」が違います。本や勉強会でスキルを高めてきたことはもちろん、この一年は平日はほぼ毎日5時、6時に起きて、無料を含めてコーチングをしてきました。じゃあ、どうやってクライアントを募集するのかいうと、紹介もありますが、大半はこのブログでの呼びかけです。じゃあ、誰もがブログを書けばクライアントが見つかるのかと言うと、決してそうではありません。私には2年間毎日欠かさずコツコツ書いてきた実績があるからです。そのコツコツがあったからこそ、今、コーチングがとりあえず「仕事」の一つとなっているのです。しかし私なりに課題も出てきたので、10月からはさらなるスキルアップを目指すわけです。もしも、このまま、コーチングを1年、3年、5年、10年と続けていけば、きっと「神=指導霊」が宿ることでしょうし、その時に初めて「天職」と言えるのかもしれません。もしかしたら、その時には別の課題や関心が生まれ、別の「指導霊」に変わる可能性もあります。変わらずとも加わることがあるかもしれません。

 何度も言いますが、「天職」とは決して向こうからやって来るのではありません。ましてや「天使様」とか「ご先祖様」が教えてくれるものでも決してありません。今、目の前にあることをコツコツ、コツコツ、コツコツ続けていくことで、もしかしたら「神=指導霊」が宿って「天職」となりうるのです。「天職がわからない・・・」と悩む前に、朝、5時に起きて一日をスタートさせましょう。人より早く職場に行って、その日の段取りを立てましょう。昼休みは同僚と愚痴をこぼし合うのではなく、30分でも多く読書をしましょう。午後も一生懸命靴底を減らしましょう。主婦・夫の方も、家族のために一生懸命に美味しくて栄養のあるご飯を作りましょう。一生懸命、子育てに勤しみ、家族を愛しましょう。もちろん趣味でも構いません。絵が好きなら、一枚でも多く作品を書き上げましょう。野球が好きなら、一生懸命、素振りをしましょう。それらの一つ一つのコツコツによって、もしかしたら「神=指導霊」が宿るかもしれません。もしかしたら宿らないかもしれません。でも迷ってばかり、焦ってばかりで、何もせずにいたら、決して宿ることはありません。それが私の考えるスピリチュアルであって、サイキックな力に頼って楽にことを成そうとするのでは決してありません。

 ふう。こんなこと書くと、「天職探し、自分探し」としてコーチングを受ける人がいなくなるかもしれませんが、こう言いながらも、やっぱり焦りは焦りだし、悩みや悩みです。私も実感としてよく分かる心境です。今の私の力では一時間やそこらで「天職」を見つけ出すことはできませんが(この先もずっとできないでしょう)、しかし、本気で「天職」を見つけたいと思う人には、その「一歩」のためのサポートは出来るかもしれません。「一歩」のためのモティベートはできるかもしれません。私のコーチングを受けられた人は分かると思いますが、文章ではこんな厳しい口調で言いながらも、決して「ダメ出し」をすることはありません。私を含めて、多くの人が抱える悩みであるからです。コツコツの最初の一歩、挫けそうになったら再びもう一歩、急激な変化ではないかもしれませんが、私もコツコツとともに歩いていきたいと思っています。そうやって本当にコツコツと歩いている人が私のクライアントさんにもいます。コーチングしてて良かったな~と誇りに思う瞬間でもあります。

 そんなわけで、近頃、コーチングをしててしばしば出くわす「天職探し」への糸口としてご理解頂ければと思います。まあ、偉そうなこと言ってるかもしれませんが、これは私自身に対する言葉であると、読み返してみて思った次第です。頑張って行きましょう。。。

 最後に余談ですが、導師が言うには本物の御神さんが宿った時はわけもわからず涙が出るそうです。お葬式などで、阿弥陀さんが降りてこられた時などは、お経が読めなくなるほどに感動して涙が出るそうなのです。コツコツ、コツコツして、ある時ぶわ~と涙が出る瞬間こそが「神=指導霊」が宿った瞬間なのかもしれませんね。私もわけわからんで涙が出るまでは頑張ってみたいと思います。

長い文章を読んで頂き、ありがとうございました♪(人気blogランキング)

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【21日滝行日誌 4日目】

早朝、自転車で不入道に行く。車では感じ取れない、「秋」を全身で浴び、涙が出そうなほど気持ちがよくなる。ノスタルジーを感じる。行きは上り坂だけど、程よく汗をかき、気持ちがいい滝。帰りは風を切って走り抜ける。かけそばにネギと天かすたっぷりにいなり寿司は黄金の組み合わせ。
Commented by かい at 2006-09-20 18:57 x
ありがとうございます。
Qちゃんに出会えたことに感謝しています。心から。
Commented by ももまんじゅう at 2006-09-21 00:02 x
そうなんですよね。そうなんですよ!!!
スピリチュアルは好きなんですけど、なんか「棚ボタ」な感じがしっくりこなかったのは、そこなんですよ。
自分が一生懸命取り組んできたことに、何らかの結果や影響(指導霊が宿る)んだと思うんですよ。
じゃないと、人生おもしろくないもん。(^^)

Commented by katamich at 2006-09-22 07:59
■かいちゃん!
どういたしまして♪
とにかく、コツコツ、コツコツやっていって、いつか「指導霊」を宿らせましょう。
Commented by katamich at 2006-09-22 08:00
■ももまんじゅうさん!
さすがは、「おかん」です(^^)
しっかり地に足が着いてますよね。
ほんと、人生おもしろくするためには、一生懸命に取り組んで、ぶわ~と涙を流す瞬間をいかに多くするかなんだと思います。
これからもお互い頑張って行きましょう♪
Commented by なり at 2017-08-09 06:49 x
2006年の記事を2017年に読ませていただいております。職安で働いている身ですが、私が日々感じていることをここまでしっかり文字にしてくれている事に感動しました。心から尊敬しております。
by katamich | 2006-09-19 23:08 | ■人生哲学 | Comments(5)