今日は千年に一度の特別な日 2006.6.6
2006年 06月 06日
ただ、そんなこと言いながらも、「2012年」という一つの区切りを多くの人が意識していることが事実である以上、何かの意味はあるのだと思われます。私としてはよくわからないオカルティズムに走るのではなく、「2012年」を一つの記念日、イベントとして楽しみにしていればいいのではと考えています。その記念日に向かって、いろんなシフトアップが起こることを意識するのはいいと思います。そんな意味でホウホウ先生の言う、「要は、明日から願いが叶いやすくなるのです。前向きな明るい願いを作る事です。そして日々、明るい想念でいてください。」という考え方にはとってもワクワク感を抱いてしまいます(笑)。悪い想念も増幅されていくのでしょうが、逆に良い想念だけを持ち、口に出していれば、ますますハッピーになれるということです。私などはほとんど悪い想念を持たないので、これからどんどんハッピーになれるのだと、心から嬉しくなっちゃいます。
そんなことを考えながら、今日の6時からのコーチングでは、コーチングというよりむしろお互いにワクワクすることを言い合って笑うということに終始してしまいました。いつもは座ってお話をする私も、今日は立ち上がってしまっていました。シフトアップの瞬間に思わず立ち上がってしまったのでしょうか(笑)。それにしても良かったです。その瞬間に寝てるのでもなく、起きて愚痴をこぼしているのでもなく、ハッピーに笑いまくっている自分がいたのですから。クライアントの相手の方もハッピーな人なので、なお良かったです(^^)。
それはそうと、今日という日は、私的には別の意味で記念日的だな~と思っていました。6年6月6日と「6が3つ続く日」です。「666」とはオーメンの数字で、キリスト教徒にとっては恐怖の数字として知られてきましたが、実はそうでない事が定説となっているようです。その一つとしては、新約聖書の新しい研究結果によると、実は「恐怖の数字」は「666」ではなく、「616」の間違いであったと言う話です。そう、単なる見間違いなんです。ソースは以下の文章によります。
この度行われた新約聖書の研究によると、これまで"獣の数字"とされてきた666が、正確には616だったことが判明したとのこと。この獣の数字(Number of the beast)と呼ばれる"666"は、黙示録に記されるアンチ・キリストを指し示す象徴的な数字として、これまで神学者や宗教学者、果ては悪魔を礼賛するヘヴィ・メタル・ロックバンドなどに親しまれてきた数字である。
しかし今回、かつてエジプトはオクシリンクスの遺跡から発見された、ギリシャ語による最古の(三世紀頃)ヨハネの黙示録の紙片を新たな写真技術で解析、研究した結果、実際には獣の数字は"616"と書かれていたことが明らかになったという。(X51.ORGより)
それともう一つあるのですが、「666」は「恐怖の数字」とはまったく逆で「無償の愛」を表わす数字なんだそうです。ソースの文書を以下に転載します。
6-6-6と言えば、
「オーメン」という映画でも使われている、不吉な悪魔の数字です。
実はこれ…、正反対なんです。
6-6-6は悪魔の数字どころか、「無償の愛」を示す聖なる数字で、非常の愛のパワーが強く反映されている数字です。
だからこそ、時の権力者は、この数字を使って欲しくなかったのです。
このパワフルな「愛」の数字がチカラを発揮すると、自分たちにとって都合が良くないので、わざと「悪魔の数字」として封印したのです。(はづき 虹映のウイークリィーライフより)
な~んだ、って感じですよね(笑)。諸説あるにせよ、結局のところ「666」は決して悪い数字ではないと言うことです。むしろ、上記引用の続きにあるように「666」には、とても素晴らしい意味があるのです。仏教に親しむ人間としては、「666」→「6が3つ」→「みろく」→「弥勒菩薩」と普通に連想してしまいます。つまり今日は「弥勒菩薩の日」だったのです。「弥勒菩薩」という仏様は、お釈迦様の入滅後、56億7千万年後に「如来(仏)」として世に現れると言われており、未来の救済を使命としていることから「未来仏」とか「当来仏」と呼ばれることもあります。今は兜卒天(とそつてん)という場所で修行をしています。ちなみに56億7千万年後までの間にこの世を救済してくれるのがお地蔵さんなんですけど。
そのように「弥勒菩薩」は未来を救済してくれることから、さらに解釈すると、未来の願いを叶える仏様とも言えるわけです、って言うかそう言いましょう(笑)。一説によると、弥勒菩薩は釈迦の入滅後2500年経ってから現れる、すなわち今頃から現れるのだとも言われています。一方で、56億7千万年経ってから現れるという定説どおりの見方の方が支配的ではあります。しかし、将来が約束された菩薩様なんですから、お地蔵さんがお疲れの時など、時々は見に来て欲しいものですよね。年に一回、いやいや、千年に一回でも見に来て欲しいですよね。だとするとやはり「みろくの日」、すなわち6が3つ並ぶ今日がその日と考えたいですよね。と言うか、そう考えます。
てなこと考えていたら、急に「おん まいたれいや そわか」という「弥勒菩薩」の真言が浮かんできたのです。そこでなぜか、「あ、来られてる!」と思ったので、急いで真言を唱えることにしました。普通なら21巻とか108巻とか唱えるのでしょうが、「みろく」にちなんで「36回」唱えることにしました。
「おん まいたれいや そわか」×36
千年に一回見に来てくれる「弥勒菩薩」ときちんと通じ合ったので、私の「未来」はもう安泰です。なんて考えていたら、自分だけでいいのか!なんて思ったりして、時計を見ると23時。あと一時間しかないのですが、何人かにメールを送って、ミクシィとブログにも「弥勒菩薩真言36巻」を呼びかけました。たまたまこの一時間の間にこれらの記事を見て、素直に真言を唱えた人は、きちんと弥勒菩薩様のご加護の元で、未来は安泰ということですよね。もっと早く気づいとけば、前々からアナウンスできたのですが、残り一時間で気づくというのも意味があるのかもしれません。もしかしたら弥勒菩薩様がお忍びで見に来てるのに、大勢の人が「おん まいたれいや そわか」と唱えたら、「まだ修行中なのにこりゃたまらんわい!」とまいってしまうかもですね。だからわざわざ6日終了一時間前に私の元に「ぴか~ん!」と来て、記事を書かせたのかも知れませんね。もちろん根拠はありませんが(笑)。
こんなこと書いてますが、「みろくの日」に修行中の弥勒菩薩が見に来るとか、36回真言を唱えるといいとか、私の作り話ですので、他では言わない方がいいかもしれませんね。とは言いながらも、56億年後に現れるとか確かめようのない話でもあるので、結局のところ言ったもん勝ちかもしれませんが。23時以降に記事を見つけて唱えられた人はツイてる。唱えられなかった人は、、、所詮私の作り話ですので気にする必要なしです。どうしても気にしたい人は、天に向かって「弥勒様、ちょっと待って!」と言いながら、「おん まいたれいや そわか×36」を唱えれば、間に合うかもしれません。私だって先歩いてて「待って」と言われたらちょっとくらい待ちますので、弥勒菩薩様が待てないはずありませんよね。それで待てなかったらなんて懐の狭い仏なんでしょうか。もちろん懐が狭いはずないので、「弥勒様、ちょっと待って!」→「おん まいたれいや そわか×36」、これです。これでOKです。これで未来は安泰です。心がラクになりましたか?(笑)
そんなところで、今日はシフトアップの日でした~♪
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弥勒菩薩さまとQさんの呼び掛けのおかげで私の未来も安泰です♪
ありがとうございます☆彡
今朝36回唱えたのできっと待っててくれてたことでしょう。ありがとうございます。
気付いたのが24:15くらい…
はい。間に合いませんでした~^^;
でも、それから指を折りながら唱えました♪
今朝、【懐が狭いはずないので…】←この言葉にニヤけてしまいました(笑)
ありがとうございます!!
どういたしまして(^^)