カレーの話 2005.11.25

 5時50分起床。今日も早朝コーチング2本立てでスタートです。昼はビジネスの勉強会。夜は「カレー」でした。

 実はミクシィというSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)で、「福岡のカレー屋さん」というコミュニティを管理しており、リクエストの要請もあったので、今回、「オフ会」というのを開催してきました。ミクシィ上で呼びかけて、すぐさま15名もの人が集まりました。下は20歳から上は3●歳までで、男6人女9人と女性が多かったです。場所は私の大好きな「スラージ」です。福岡にあるインドカレー屋って言うのは、結構おいしいところもあるのですが、どうも日本的にアレンジされてあるのが多いのです。でもここはオーセンティックな東インドカレーが楽しめて、前の会社の近くであったので、当時は週に1~2回ランチを食べに行っていました。

 予定時間の8時にはほぼ全員が集まり、それぞれが好きなカレーやドリンクを注文。辛さは0から50倍まで選ぶことができます。私は当然50倍。他の人は3倍から20倍くらいまででした。8時から11時までカレーとビール類だけでみっちり3時間。テーブルは二つに分かれていましたが、ほぼ初対面であるにも関わらず、相当盛り上がっていました。「カレー」という共通項だけでここまで盛り上がるとは。と言っても、カレーの話はほとんどなし。占いとか血液型とか、あと真面目な話とかが多かったですね。ミクシィは不特定多数の集まりとは言えど、紹介者がいないと入れないサイトなので、比較的変な人は登場しにくいです。とっても楽しかったな~。今日の参加者も「また是非、やろう、やろう!」というノリで別れました。

 オフ会の風景。えいたさんから頂いた画像です。
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 えりっちさんから頂いた画像。私の手食いです。
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 ちなみにこの手と同じです。複雑??
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 カレーについては私もいろいろこだわりがあるのですが、以前、こんな文章を書いていたので、今日はそれを再掲するに留めますね。ではでは。

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(ここから)
 私はカレーが好きである。それもここ2、3年で急激に好きになった。カレーと言うと、今でも子ども達にとってはハンバーグに並ぶ人気メニューであり、日本人にとってはラーメンに並ぶ国民食である。当然にも私のカレー暦は年齢とほぼ同じであり、とりたてて珍しいものでもない。むしろ、にんじん嫌いだった昔にしてみれば、積極的に食べたいと思うメニューでもなかった。それがなぜ近年急激に好きになったのだろうか。結論を急ぐと理由は2つある。1つ目は「スパイスの味がわかるようになった」からであり、もう1つは「手で食べる快感を覚えた」からである。裏を返せば、この2つの要求を満たすようなカレーが好きなのである。
 
 しかし、カレーと言うと普通はドロッとした濃い黄色の肉や野菜がごろごろ入ったルーを、皿に盛った炊きたてのご飯(または冷や飯)にかけてから、スプーンでザクッと食べるのが一般的となる。すると、先に2つの要求にてらせば、一般的なカレーは辛い(スパイシー)は辛いものの、とりたてて「スパイスの味」とまではいかず、単なる「カレーの味」に過ぎない。また後者については、それを実行すると「行儀が悪い」とされ食卓から疎外されること必至である。従って、私の好きなカレーはおのずと限定されることになる。誤解を恐れずに言うが、カレーの3大聖地はインド、イギリス、日本である。第一のインドは説明の必要もないだろうが、多種のスパイスを独自に調合したインドにおける一般食である。インドではカレーばかり食べているのかと質問されることがあるが、「イエス」と答えている。だからと言って決して「毎日同じメニュー」ではない。味噌汁がダシの取り方、大豆の種類、具材など各家庭及び食卓で全く違うように、インドのカレーも「家庭の味」はあろうが、毎回、調理の度にスパイスを調合し、具材に変化を持たせるので決して同じものにはならない。従って、ここでは「スパイス」を食べるのではなく、「調合」を食べると考えるのが正しいと言える。
 
 しかしながら、調合の作業は非常に大変で慣れていても一定の時間を要することである。そこで、インドを植民地支配していたイギリスは、考えた末、調合の手間を省いた(あらかじめ調合している)、いわゆる「カレー粉」を発明したのである。ご承知のとおり、イギリスという国は食に対する感性が乏しく、いかなる食材であってもイギリスをその主国とするには難しいものがある。しかし、私がイギリスをカレー3大聖地の1つに掲げたのは、合理的な資本主義の精神により、カレーを世界市場の舞台に上がらせた、その貢献に対するものである。

 次に日本であるが、前述のようにカレーは日本の国民食に君臨して久しく、本当によくカレーを食べているものだと思う。日本のカレーは、イギリスを経由してきたことはカレー粉をベースにしていることから容易にわかる。

 さらに、日本は世界有数の技術大国である。特に他国のアイデアをうまく日本の技術と融合させて、オリジナルより何倍も付加価値をもった製品を開発してきた。それがカレーにも生きている。日本の技術力はカレーをただ食べるに留まらせず、カレーパン、カレードーナツ、カレー煎餅、カレーうどん、カレー南蛮など既存の食材と組み合わせることで、カレーの活躍の舞台を拡大させた。カレー3大聖地の特徴をまとめると、インドはカレーのオリジナルであり、イギリスはカレーを世界市場に登場させた貢献者であり、日本はカレーの可能性を広げた有能な技術者ということになる。

 話が若干それたが、一般的にカレーというと味ベースとして「スパイス」か「カレー粉」かに分かれる。言うまでもなくインドはスパイスでイギリス及び日本はカレー粉である。カレー粉ベースのカレーは確かに不味くなることは少ないにしても、味の基本が同じであるため、カレーに対する探究心がさほど増幅されない。一方、スパイスベースのカレーは、ベースがスパイス調合によって自在に変化するため、食べれば食べるほどその奥の深さを知ることになる。
 
 従って、本物のカレー食いというのはスパイスの妙を知ることが必須条件であり、裏を返せばスパイスの調合の味を覚えることでのみ本来のカレーの楽しみ方に近づき得るのである。
 
 さらにもう一つ付け加えると、カレーのオリジナルは手で食べるものである。本場の人はスプーンを使うことは極めて少ない。それは遅れているとか、非文明的である等の意味とはまったく異なる。手で食べる方が美味い事を知っているからである。先ずは指で味わい、その感触とスパイスの心地よい刺激を楽しんだ後におもむろに口に運ぶ。そこで生命を食べて生き長らえているカルマを自覚するとともに、大自然、大宇宙の法則の元で生と食が一体であることを悟るのである。そこに命と食のオルガスムスを経験し、セックスにも似た快感と恍惚を得るのである。

 従って、カレーの何ぞやを語るためには、「スパイスの味」と「手で食べる快感」を知ることが不可欠であり、その二つの要素(カレー二大原則)に以ってのみ本来のカレー道を邁進することができるのである。 

 さて、ここでそのカレー2大原則を軸に私なりにスパイスカレーの3大聖地を紹介したい。それはインド、ネパール、スリランカである。それぞれのカレーは当然、調理の度にスパイス調合するオリジナル方式である。違いはインドではスパイスをふんだんに使い、辛味をペッパーで出すのに対し、スリランカではもっぱらチリで辛味を出し、さらに魚の乾物をだしに使い、ココナツで味を整えることである。ネパールではスパイスをインドやスリランカほど使わずに、3~4種類のスパイスで素材を活かしながらマイルドに仕上げるのが特徴である。

 もちろん、それぞれに美味しさの質があるので、優劣はつけられない。やはり、言葉で説明するよりは実際に食べてみることが肝要である。そこで、「かたみち切符」の訪問者のために特別に「カレー道の真髄に触れるカレー店」を紹介したいと思う。私は福岡市在住であるため、市内限定になるがあしからず了承頂きたい。

 先ずインドカレーでは、天神の天満宮の通りにある「スラージ」を紹介する。このカレーはベンガル地方のオーセンティックなカレーであり、日本にいながら、本場の家庭料理を楽しむことができる。カレーの辛さは0倍から50倍まで選べ、この店での辛口はだいたい5~10倍が目安である。この~倍というのはカレーの全容量に対するスパイスの比率をさすようで、50倍とはスパイス成分が半分であることを意味する。私はもちろん常に50倍を食している。それだけスパイスの妙を楽しむことができる。さらにここのスパイスはかなりの上質であるため、「手」で食べながらその感触と薬効を楽しむ必要がある。さらに、ここのナン、ラッシーも絶品である。付け加えると、ランチで出るサラダも厳選素材を使用している。サラダにはトマトが一切れつくのだが、普通ならスーパーの一個98円のトマトでいいのだろうが、この店は、箱に入った真っ赤な桃太郎トマトを配達させている(ようである)。それだけ、カレーに対する愛情と客に対する真心がこの店にはあるのだ。

 次にスリランカカレーだが、市内には少ない。しかし、西通りにある「ツナパハ」で十分である。オーナーはもちろんスリランカ出身でチリ、ココナツ、魚という基本をきちんと押さえている。スリランカでは食事の時には「パパダン」という薄いスナック菓子のようなものをつまむのだが、この店ではそれをカラムーチョで代用している。その遊び心が憎めない。スリランカカレーは恐らく世界でもっとも辛い部類に入ると聞いているが、この店では辛いのが苦手な人のためにイングリッシュカレーをメニューに入れている。心遣いがよい。私が食すのは最も辛い「デビルレッドカレー」で、初めて注文した時には、「非常に辛いのですが大丈夫ですか」と念を押された。ここでももちろん手で食べる。オーナーは私が手で食べるのを見て、たいそう喜んでいた。心が通うのである。
 
 最後にネパールカレーであるが、市内には数件あることを確認している。私は大手門にある「エベレストキッチン」を押したい。ちょっと高級感のある店づくりで、カレーだけでなく、モモ(チベット風ギョーザ)やトゥクパ(チベット風ちゃんぽん)などチベット料理も揃えている本格派である。カレーの具材もチキン、マトン、ひき肉、野菜、海老などいろいろ選べて楽しめる。ただしネパール料理なので、辛さの調節はもっぱらチリのみに頼っており、辛さを増してもスパイスの重層性は楽しめないがそれもネパールカレーの味わいである。ここはライスが食べ放題で質量ともに満腹になるが、いかんせん、ライスがやや柔らかいのがちょっと減点対象となる。すこし米の水分を減らせば、さらによくなるだろう。 
 
 以上が、カレーの原典的な楽しみ方とその具体的体験例の紹介である。しかしながら、ここではカレーを国民食にまで引き上げている、その「大衆性」の観点が抜けているのは否めない。大衆性がなければ今日における日本のカレー文化は生まれ得なかったであろう。

 またの機会にカレーについての考察を再び取り上げようと考えているが、その時は、もう少し国民的目線にたったカレー文化論の展開とその具体的検証を行いたいと思う。
by katamich | 2005-11-25 14:51 | ■食