【人生哲学】逃げてはいけない教
2018年 02月 12日
逃げて怒られるのは人間ぐらい
ほかの生き物たちは本能で逃げないと生きていけないのに
どうして人は
「逃げてはいけない」
なんて答えにたどりついたのだろう
これは2年も前の投稿なんですが、とても大切だな~と思いました。ほんと、どうしてでしょうかね?
もちろん「逃げてはいけない」なんて誰も言ってないのですが、これだけ話題になるってことは、多くの人に思い当たる節もあるのでしょうね。
私個人の事例で言うなら、しばしばネット上とかでいちゃもとか論戦をふかっけられて、ウザいのでうやむやにしてたら、「逃げるのか!」みたいな挑発を受けることもありました。有名人、有識者はこんなのは日常茶飯事でほとんどはブロック。すっかりスルースキルを発揮するわけですが、時々はきちんと出てきて決着をつける。そのバランス感覚、素敵だな~と思います。
実は今もちょくちょくはありますよ。さすがの私も「学習」はしますので、しっかりブロックもするし、スルーもする。「なぜ、ブロックするのか?」ってご質問に対しては、明確な理由を返すのも憚られることもあって、ま、「なんとなく」なんですね。
けど、この投稿はいい示唆を与えてくれました。なぜブロックするのか。それは
「本能で」
でいいんじゃないでしょうか?
これ言うと、「ブロックされる方の気持ちは考えないのですか?」って言われるかもしれない。いえいえ、最初から無害な人をブロックすることなどなく、そもそもそんなことは不可能であって、する時はそれなりの理由があるんですね。
でも、それを一つ一つ「言葉」にするのも面倒なので、これからは「本能で」でいいかと思います。草食動物みたいですが、お肉は大好きです。
だけどね、そんなネットのうんたらかんたらよりももっと大切な「逃げ」が人生にはありまして、たとえば私は「会社から逃げました」から。2005年、4年半のサラリーマン生活から卒業して13年になりましたが、私は会社から逃げたのですよ。
だって、仕事楽しくない、寝れない、客もストレス、給料安い、将来の見通し暗い。逃げるには十分な理由があったのだけど、「勤め上げる」とか「10年は勤めてナンボ」とか、妙な観念にとらわれていたら今はないですから。
私もまあ、好き勝手、満足に生活させてもらってますが、すべては「逃げの産物」なんですよ。逃げてなかったら今はない。
もちろん人生の場面場面で逃げない方がいいこともある。もう少し頑張れば光が見えるのに、逃げてダラダラなることもある。けど、それはそれで自分次第なんでいいんじゃないですかね。逃げて失敗することもある。だったら次はもう少し頑張ってみよう。自分で決めればいいんですよ。
ともかくも、周りがとやかく言うことじゃない。逃げるも向かうも自分次第。「逃げるのか」と言われたら、それでヘラヘラと「逃げるのだ~」って言って立ち去ればいい。それで失敗したら自分のせいになるだけであって、周りに心配してもらわなくてもいいですからね。
ただ、世の中はだいたい逃げても問題ない。井口晃さんだったか『9割は逃げていい』って本があったと思うのですが、ほんと、それくらいですよ。9割はどうでもいいことだったりしますしね。自分の人生に対しては2割くらいは逃げないでいた方がいいこともあるけど、他人からの挑発とかなんとかは100%逃げていいですね。
仕事も夫婦も親子も友人も責任も、逃げていいことばかり。さすがにDVするパートナーとか、おかしなとストーカーから「逃げるな」って言う人はいないと思うけど、当事者の中には「逃げちゃいけない」って思いこんで硬直する人もいるんでしょうね。「逃げてはいけない教」に洗脳されて。
逃げの人生。最高じゃないですか。幸せな方を選べばそれでいいんです。ありがとうございました。
---
受付中のイベント/プロフィール・実績/メルマガ/FACEBOOK/TWITTER/OFFICIAL/お問合せ
アカウント名は「@gix0298a」