宇宙となかよし

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運命を受け入れることが究極の着地点 2017.5.17

う~ん、ブログ書けない。今日はとあるセミナーに参加し、当国では「controversial(物議を醸す)」と呼ばれる内容に接し、大いに混乱してしまったから。このセミナーは3月から5か月間続くもので、4月はロンドンに行ってて欠席したのですが、3月の初回から大いに混乱させられています。これが終わった頃は7月も末となり、新刊も出て、「夢かな心理学(PFD)」も展開している頃だ。2017年も下半期に突入している。


2017年.44年の人生の中で最も濃い一年になっていることが今の時点で決定した。1月からいろいろあったな。やたら批判されまくって、ちょっと疲れてフェイスブック辞めたり、2か月後にまた戻ってきたり、まあ、大飛躍の前の過渡期であることはわかってるのだけどね。先日、私のセミナーにいらした栢野克己さんによると、44歳は天命に出会い、人生逆転する年齢であるとか。


独立してから12年、新たなサイクルを迎えるにあたって確かにその予感を感じさせることが続いている。まだどうなるかわからなけど、今年は「夢かな心理学(PFD)」を展開し、さらに韓国を皮切りに本格的な海外進出のスタートとなるだろう。それ以外にも予想だにできないことがやってくるに違いない。


今日のセミナーの詳細はなかなか言語化できないのだけど、最終的には「すべては運命なんだよな~」って思うしかなかった。セラピーの勉強なので、なんらかの問題解決が目的となるのだけど、その問題の原因を究明したところ、たとえば「先祖」に行きつくことだってある。それ以外にも流産や中絶などで本来あるはずの生命がない、なんかもシステム的に原因の一つになりえると。


極端な一例を言うなら、「私が結婚できないのは、本来産まれるはずのお姉さんが5か月で流産したからだ」なんて事例もある。そんなことは確かめようもないのだけど、そのストーリーで何らかのセラピーをして、いわゆる家族の「もつれ」のようなものを解消し、問題解決に向かうことだってある。


今日のセミナーでも「こんな事例はどうですか?」などの白熱した質問、論議が続きました。ただ、私は途中から聞き流していて、と言うのも、いわゆる事例ってのはパラメータが多すぎるし、質問者の無意識にある情報は反映されないしで、「言ってモヤモヤを解消する」以上の意味はないと感じ。もちろんいろんな情報、事例、法則を知っておくのは有益ではあろうけど、最終的には「現場の判断(インスピレーション)」にしか決め手はない。


かなり以前、電話でコーチングをしたとき、軽い過食症の方がいらしたのですが、あーだこーだとゲームが始まり前に進まないので、突然、「おりてきた!」と電話口で大声をあげました。そこで思いついた突拍子もない方法を教えた結果、その方の過食症はおさまりました。ただ、皮肉な偶然か、まったく別の人が同じく過食症をテーマにコーチングを申し込まれ、これはいけると思って、前の方の「突拍子もない方法」をお教えしたところ、まったく効果はありませんでした。


一つの解決方法が別の人にも効果があることは稀で、やはりその場その場のインスピレーション以上に重要なことはないんだ。そう思うことが今まで何度もあったのですが、最近、それさえも超えて、すべては「運命(destiny)」なんだと思うしかないことも。先祖に犯罪者、中絶、流産、死産、離婚、結婚、不倫、災害、倒産、それらを総称するところの「出会い」など、すべては「運命」と思うしかないこともある。シュタイナーは「運命は出会いまで」で、そこから先は自由意思に委ねられると言いましたが、中には自分の意思を超えた「出会い」だってあるわけでしょ。


そう言えば昨日の堀内さんのセミナーでも、集客の話で、最終的には参加者が多かろうが少なかろうが、すべては運命だし、その人が来たのも運命、来ないのも運命、ゼロであっても、それはそれで運命だと言ってました。ただ、そのような運命を受け入れたとき、そこから何を考えるかは自分次第であり、その後の運命を方向付けるもの。


だとしてもすべては運命であり、起こることが起こっているに過ぎない。それを仏陀は「タタータ」と呼んだらしいけど、まさにここが究極の着地点なんだろう。
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昨日、私の知人が亡くなりました。私がセミナーを始めた最初期に参加され、しばらくはよくお会いしていたものの、ここ5~6年はすっかり疎遠となって、それでも時々はどうしてるかな~と気にはなる方でした。その知らせをFBメッセンジャーから知人からいただいたのですが、その方の名前を見た瞬間、そのことがわかりました。詳しい話がまったくなかったので、その場で電話をして少し話をしました。


どう言えばいいのかわからず、「ご冥福を・・・」と言うのが社会の常識なんでしょうが、なんかそんなのも違う気がして。その死にどんな意味があるかわからないし、ないかもしれないし、つまり起こったことが起こったと「運命」を受け入れるしかない、のか。冷たい言い方に聞こえると思うけど、それ以上の着地はない。でも、人生ってなんなんだろうな。


この二日間、そんなことを思いながらセミナーを受け、飲んだり、食べたりしていました。運命を受け入れる。これができれば、人生はすごく楽になるだろうな。今もいろんな悩みを抱えてる人もいるだろうし、逆に希望でワクワクしている人もいる。いろんな人生があるけど、最終的に「いつか死ぬ」って運命から逃れることはできない。それがいつになるかわからないけど、それまでしっかり生きていようと思います。その「いつか」がやってくるまで、好き勝手生きていようと思います。ありがとうございました。


by katamich | 2017-05-17 23:39 | ■精神世界
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