批判のメカニズム 2017.4.14

正月に始めた「天使企画」を復活しました。700近くある中、ようやく300。2月以降、インド行ったり執筆が立て込んだり、何かと後回しになりましたが、最後まで完走します!書き込まれた方はそのうち登場すると思うので、見てみてくださいね。

そして5月の「夢なに日本一周チャリンコトークライブ:北関東信越編(新潟7・長野10・東京15)~願いが叶うとき、心はどうなっているのか?」も受付開始しました。自転車ならではで、普段行かない地域でセミナーをさせていただきます!昨年に続き「新潟7」と、「長野15」は初めてです!何だかんだ1か月切っててビックリ。
 
■夢なに日本一周チャリンコトークライブ:北関東信越編(新潟7・長野10・東京15)~願いが叶うとき、心はどうなっているのか?

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さて、今日も滝行と、いろいろ作業。ロンドンまでのタスクも片付いてきました。

① 新刊原稿の執筆(第四章・第五章) ⇒ 済
② 新サイトの原稿執筆
③ 5月のチャリンコトークライブ告知(新潟7、長野10、東京15) ⇒ 済
④ 5月18日のコラボセミナー(東京)のご案内 ⇒ ⇒ 済(打合せ)
⑤ 4月20日の「宇宙となかよし塾(福岡)」のご案内記事 ⇒ 済
⑥ 自転車の整備/ダンボール手配
⑦ アンソニーロビンズの勉強(英語は…)
⑧ 一週間の滝行(8日~15日) ⇒ 最中
⑨ 決算準備
⑩ 作詞
⑪ 7月の河口湖合宿(16・17)の会場手配⇒ 済


今年の夏のハイライトは新刊だな。昨年は翻訳書とCDブックだけだったけど、ようやく専門とする分野での一冊が出る。そして今、取り掛かっているのが「②新サイトの原稿執筆」だ。試したいことがいろいろある中の一つで、新刊執筆中にひらめいたこと。近々発表できると思いますが、「願望実現体質診断願望実現体質診断チェック~頑張らなくても上手くいく~」なるもので、数名の方にモニターをお願いしていて、面白い結果がいろいろ出てきました。かなり精度も上がってるので、発表をどうぞお楽しみに!


ただ、私の周りって実現体質(引き寄せ力)の高い人が多いので、直接聞くとなるとサンプルに偏りがある。そこで批判(愛)ばかり繰り返す某ブログをいじって、反応をうかがってみたりしたのだけど、なかなか面白い考察ができました。まあ、最初から手の内は明かしませんが、そのような意図でございまして。


そこで某ブログのことはさておき、「批判」について書きたいと思います。心理学的にも明らかなんですが、「批判=憎」の裏には必ず「愛」がある。こないだも書きましたが、私はパチンコを見ても何も思いません。まったく興味がないので、批判する対象にもならない。だけど、反パチンコに精を出している人は、好きだったりハマったりした過去なり現在がある。もちろん単純に好きってことじゃなく、中毒のようになっているだけだけど、脳内で起こっていることは同じ。ドーパミンが出るんです。


好きなものに接したらハッピーホルモンであるドーパミンが分泌されるのだけど、中毒症もまったく同じ。その分量が過剰なだけで反応としては同じなんです。しかし、パチンコの場合も自分の思い通りにはならない。あれはたまに当たるからドーパミンが出るのであって、当たらなかったら当然出ない。すると麻薬の禁断症状のようになり、癒しホルモンであるセロトニンが出ず、イライラがたまる。そのイライラを解消するための「批判」なんです。


「愛憎」と言う言葉あるように、愛と憎しみは表裏一体なので、「批判」は「批判=憎」であると同時に「批判=愛(笑)」でもあったのは、別段、皮肉ったわけでもありません。「(笑)」に関しては照れ隠しで。


異性関係も同様で、好きという感情がドーパミンを分泌させる。なので、その相手と一緒にいたり、考えたりするとドーパミンが出て幸せな気分になる。しかし、その相手が自分のことを好きじゃなかったり、嫌いだったらどうなるか。当然、自分の思い通りの反応は得られません。するとドーパミンもセロトニンも出ず、イライラしてくる。そのイライラを解消するには、その相手を批判する、苦しめるのが一番。そこからストーカーやリベンジポルノが生まれる。


と言うことは、逆から言えば、まず何らかの「批判」をする人がいる。その人はセロトニンが出ずイライラしている。それも度が過ぎれば抗うつ剤が必要になりますが、自分はそんな対象との自覚がないので、イライラを解消するために批判という手段を採用する。では、そのイライラの元は何かというと、愛、それも得られない愛がある。本来はある対象が「愛」を与えてくれ、ドーパミンが出るはずなのが、思い通りに与えれくれない。その結果、その対象を批判(攻撃)することでドーパミンを出して一時的に癒される。その意味で「批判=自己ヒーリング」なんです。


なので、批判ばかりする人は、間違いなくその人の中に「批判の種」があるからであって、それなしに批判することは心理学的にあり得ない。もちろん多少の批判とか悪口は誰だってやりますが、ここではある意味、執拗に、病的に批判を繰り返す人のことを言います。限られた時間を割いてでも、丹念にブログを読み込み、一方的に批判を繰り返すことで、ご本人は癒されているのです。


そう考えると、皆さんの周りの嫌な奴のことも理解できます。先日、私の知人が派遣先の休憩室でメイク直しをしているだけで、その上役から20分に渡り説教をされたと聞きました。普通なら、仮にそこはメイクをしてはいけない場所だとしても(休憩室なのでそんなことはないと思うのだけど)、「ごめんね、ここでメイクしちゃいけないんです~」の一言で終わるはずが、ネチネチと20分に渡って説教したのだと。会議にかけて問題提起するとまで言ってきたそうですが、その後、そのような動きはもちろんありません。言うまでもなく、その人の中にあるイライラを解消する手段に使われただけ。


では、その人は何にイライラしていたのか。聞くと、その方は容姿があまり良いと言えなかったそうだ。それは顔かたちだけでなく、表情とか態度からも現れる。一方、説教された人は割と容姿がいい。一般的に言うと「嫉妬」なんですが、その根底には「得られない愛」がある。


世の中、いわゆる顔かたちはあまり関係ない。整っていてもモテない人もいれば、そうじゃなくてモテる人も山ほどいる。チビ、デブ、ハゲも実は関係なくて、あるとすればそれらにコンプレックスを感じて、「得られない愛」を求めようとする心が、その人をモテなくする。


その休憩室の説教女は、おそらく幼少期から「可愛いね~、好きだよ~」と無条件に言ってほしかった、無条件に愛されたかった。しかし、それが得られなく、ず~っと、ず~っと、「無条件の愛」を求め続けている。しかし、大人になった今も得られない。となると、それが反転して自分が持っていないものを持っている人を執拗に攻撃したくなる。


なので、もし周りに嫌な奴がいたら、そう考えてあげましょう。もちろんどうすることもできないので、そこはそっとするか、はいはいと言って流してあげること。それでその人が根本的に解決されるわけじゃないけど、それでもその時ばかりは楽になるので、心の中で「今は楽になってよかったね」と言ってあげましょう。

ちなみに今のは女性の例ですが、実はこの手のは男性の方がしつこかったりします。いわゆる「男の嫉妬」というジャンルですが、言いたくないけど、昨年、弁護士の男性がボクサー上がりの学生に傷付けられた事件ありましたよね。その加害者も普段は真面目でいい人らしいですが、痛々しい事件でした。


また、スピのジャンルでもよくあるのですが、人気ブログを書いて、出版して、講演とかでお金を稼いでいる人のことをまた執拗に批判する人も少なくない。その批判する人達は例外なく自分もブログを書いていたり、その手の本も好きだし、講演やセミナーに何度も行っていたりする。できれば自分もあっちの側に立ちたいと思うけど、そうはできない。となると、これまた「得られない愛」がイライラを生じさせ、攻撃することでその場限りの癒しで決着をつける。たとえばこれが江原啓之とか細木数子レベルになると、自分もそことは比べようもないので何も思わないのですが、ある程度自分に近しかったりすると、近親憎悪も相まって執拗な批判に転じてしまうわけ。


おそらく本人もそのことには少し自覚があるんだけど、「嫉妬して攻撃しま~す」はカッコ悪いので、「エセスピを撲滅する!スピのカモにされた人を救うのだ!」と正義の仮面を被って自らを正当化しとうとする。ただ、公平に見ると、アメリカ発のダイナミクス系の自己啓発セミナーのように、最初から相手を洗脳して借金までさせて、ある意味、システマティックに集金する団体とは違って、個人ブログから講演をして料金を取っている人など、本当にごくごく可愛いもの。そして実際、それで人生が好転する人も多いので、パフォーマンス的にはかなり高いでしょう。

普通に考えると、人の弱みに付け込んだ闇金とか、脳のメカニズムを利用してどんどん集金する公営ギャンブルの方がはるかにあくどい。しかし、矛先はそこではなく、身近で自分でも手が届きそうだけど、届かない微妙なラインに向けられるんです。


ただ、誰もがそうやって執拗な批判に走るわけじゃない。身近だった人がちょっと飛びぬけたりすると、多少、悔しかったり微妙に思うことがあっても、攻撃しようとまで思う人はごくわずか。私の身近で言うなら、出版一年前から知り合いで、セミナーやパーティ、飲み会で何度もご一緒した『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』のリュウ博士など、25万部のベストセラーになって、心がザワツクことはあっても、攻撃するとかあり得ないわけで。むしろ編集者さんが同じだし、本人の人柄もいいので素直に嬉しい部分の方が大きい。そうやって多少のザワツク程度は誰にでもあるけど、批判や攻撃に転じる人はやっぱり限られます。


では、なぜその限られた人たちは病的な批判を繰り返すのか。あくまで一般的な話ですが、幼少期から「無条件の愛」を与えてくれなかったことが大きい。「いい子(従順、勉強できる、聞き分けがいいなど)」でいれば、「愛」をあげてもいいけど、そうじゃなかったらあげない。そうやって「条件付きの愛」か、または「愛」そのものをもらえないで成長することがある。


それは主に両親から始まり、学校生活でもよく見られる。本当は友達と一緒に遊びたいのに、仲間外れにされた経験がトラウマとなって、自分からはなかなか溶け込めない。大人になってからも「自分は一匹狼だから、みんなのように群れになれないんだよ」とか言ってる人、幼少期のトラウマのパターンをそのまま引きずっています。そして群れをバカにする、批判する。でも、他の大人はわかっている。ああ、かわいそうな人なんだな、と。


本当は素直に溶け込みたい。その方が楽しいことがわかっているから。だけど、そこにも「得られない愛」があり、それを攻撃することでその場限りの癒しに逃げてしまい、その繰り返し。

すべては「無条件の愛=ありのまま」からスタートする。十分に「ありのまま」を満たされて育つ人は自尊心も高く、頑張らなくても上手くいく。一方、条件付きの愛しかもらえなかった人は自尊心は低く、頑張らなければ価値がないと思っている。それだけに、一見、頑張らずに上手くいってる人を嫌悪する。そして攻撃に転じる。今はネットがあるから、攻撃するにも困らない。


ただ、本当に重要なのは、そのような人たちがいかに幸せになるか、だけ。「ありのまま」を認めてない人に、認めろと言っても無駄。ないものはないのだから。それでも、私は書き続けたい。今日もちょっと辛辣な話になったかもしれないけど、真実を書き続けたい。それで一人でも二人でも、なるほどと思う人が出てきたら嬉しく思います。まだまだ書くことあるけど、今日も5,000字超えたのでこの辺で。ありがとうございました。
 
■4月20日(木)/福岡/[月イチ]宇宙となかよし塾26 ~願いが叶うとき、心はどうなっているのか?
 
   
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by katamich | 2017-04-14 23:39 | ■人生哲学