桑田真澄と自尊心 2017.3.31

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今日は「レゴランド・ディスカバリー・センター大阪」に行ってきました。大阪に来て、とても寒く、さらに花粉が飛んでいる。福岡では2月下旬の空気だぞ。まあ、これは全国的なことで大阪も福岡も同じなんでしょうが。それだけに沖縄が恋しい。


そして今日で2017年3月は終わり。今年は年始からいろんなことがあり、2月はインドでチャダルを経験し、3月は例年のごとく沖縄(本島、久高島、石垣島、新城島)に行き、10年前の一年分くらいをすでに経験している。4月はロンドンとマルタに、5月は新潟から長野経由で東京まで一週間の自転車、6月はまた石垣島・西表島・新城島に行く。7月は河口湖でセロトニン合宿の予定。いろいろ企画していますが、薄井孝子先生の鑑定(予言)によると、年末にかけてまた大きなことをやるらしい。基本、その通りになるんですよね~。そうだ、今日は数百万単位の臨時収入が入りまして、会社の決算前に嬉しい現象だ。


ところで昨日までの「自尊心」の話、たいそうな反響でして、それだけ興味の大きさがうかがえます。まだまだ書くべきことがあるのですが、今日はちょっと違う側面から書いてみようと思います。

今、大阪の実家にいまして、そして母校の「高野連脱退」のニュースを聞きました。かつては高校野球の名門であり、いまだにプロ野球に進んだ卒業生の多さはナンバーワンではなかったかと。


物心ついたときから母校は強く、西田・木戸バッテリーに始まり、小早川、吉村、榎田、立浪、片岡、宮本、入来、今岡、サブロー、福留、松井稼頭央、前田などなど名選手を数多く輩出しています。その中で最も有名でかつ偉大な選手と言えば、何と言っても桑田真澄、清原和博でしょう。彼らは私が中1の時の高3でしたが、私は小学校も同じ敷地内だったので、高1の彼らとは下校時間によくすれ違っていました。学校の敷地内と野球部の寮はかなり離れていたのですが、甲子園ギャルがどうやって侵入したのか、学校付近にウロウロしているのを時々見かけました。一度は野球部の練習場まで自転車で案内したこともあったなあ。


野球部は完全に廃部になっていますが、個人的には当然だと思うし、思い入れもほぼゼロだし、むしろ当時から野球部に対してはアンチだったかもしれない。甲子園の応援だけは楽しかったけど。

ただ、同じ高校とは言え、硬式野球部と一般はほぼ隔離されていたので、お互いの交友はほとんどなし。男女交際も禁止だったし、男子しかいない野球部(剣道、ゴルフなどスポーツの特待クラスも)は女子と接する機会がなかった。それでも一部の女子には「野球部=スター」に憧れてくようなのはいましたが、周囲からは冷かな目で見られていたし、まともな女子はほとんど無関係。野球部と付き合う女子はなぜかヤンキーっぽいのが多く、「研○ギャル」と揶揄の対象になっていました。


野球部が廃部になった理由は表向きには「暴行事件」でして、それはその通りなんでしょうが、今に始まったことじゃなかった。桑田真澄選手のお父さんが明らかにしましたが、立浪と同期だった「M君水○事件」なんてのは当時すでに大問題になっていましたが、なぜか表ざたならなかったのはネットのない良き時代だったからでしょう。あと、ネット上でささやかれる「女子マネ○行事件」ってのはデマでしょう。なぜなら女子マネなんて存在しなかったから。似たようなことはあったかもしれませんが、かなり脚色されているとは思います。詳細は不明ですが。


ただ、実を言うと、そんな暴行事件が「日常」であったのを知ったのは卒業してからかなり後のこと。今でこそ卒業生の元プロ野球選手(清原、立浪、宮本など)がテレビで当時のことを面白おかしくしゃべってますが(YouTubeでも確認できる)、同じ学校にいながらそんな話はまったく聞かなかった。それほど「日常」だった証でしょうし、清原が「暴力は伝統」なんて言ってしまうくらい、当たり前のことだったのでしょう。当人たちもそれを悪いことだとは思ってなくて、一年生は「奴隷」でも、二年生になれば「平民」になれ、三年生は「神」となる。今は奴隷でも二年後は神になるんだから、生死にかかわるようなこと以外は黙っている方が吉だったんでしょうね。


そんな中、桑田真澄だけは当時からまったく暴力に加担しなかった。同室の一年生になった立浪選手は、本来であれば付き人であり、奴隷だったはずが、完全に自由にしてもらっていたと。お菓子を桑田から奢ってもらったり、部屋で寝転んでマンガを読めたりもした。その横で桑田は自分の洗濯物をたたんでいる。

野球部は練習と寮生活の過酷さによって、平日午前の授業中だけが「休息時間」でほぼ全員が寝ていたのに、桑田だけは寝ることはなく、成績も優秀だった。一説によると、進学クラスに入ってが学力で早稲田に入れるほどの学力だったとか。


ただ、そんな桑田も「巨人密談事件」、「賭博疑惑」、「さらば桑田真澄事件」など、いろいろダーティなイメージが付けられ、一方の清原は純粋で好青年の印象と対象的。まあ、高校時代の清原は他の生徒と同じく、いや、それ以上に横暴だったとは聞きますが、桑田だけはそんなことはなかった。授業の休み時間、清原は庭球野球をして遊んで、それを見に来る下級生にアピールしていましたが、桑田は休憩時間は休憩してたのでしょう、校内で見かけることは多くはなかった。


そして今はご存知の通り、清原は覚せい剤で捕まり、なんらかの形で再起することを願う気持ちはありますが、一軍の監督とかにはなれないでしょう。いっそのこと、母校の野球部の再始動のために動き監督でもすればいいとは思いますが。一方の桑田は、大学院でスポーツ工学で学位を取り、評論家、指導者として立派に活躍しています。そのうちにどこかの監督にでもなるでしょう。


なにがそんな明暗を分けたのか。それもまた「自尊心」なのです。

私のいくつか上の甲子園優勝投手に近鉄に行った○田ってのがいますが、これはもう、高校時代から態度が悪かったと聞きます。授業中はほとんど寝てて、起きたと思ったら教室から出ていく。教師が「どこいくねん!」と行くと、「びょういん(大阪弁のふざけた口調で)」で言って振り向きもせずに出ていく。その選手はプロでは通用しませんでした。


確かに桑田真澄は一時期、ダーティなイメージはありましたが、脚色部分も多く、やはり一貫して「自尊心」が高かった。今でも熱心に母校の宗教を信仰しているようだし、そんな桑田の好きなエピソードがあります。

巨人に入って一年目、世間の目は逆風で、そんなプレッシャーにもやられたのか、満足な成績を残せなかった。シーズンが終わってアメリカにキャンプに行ったとき、土地の指導者から「グランドキャニオンにでも行ってこい」と言われる。当時の桑田はすでにプロから引退することを考えていたそうだけど、しぶしぶ行ったグランドキャニオンを見て覚醒。
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自分はなんてちっぽけなことで悩んでいたんだ。できることはまだあるはずだ。その瞬間から後に球界を代表する巨人の桑田が誕生したわけです。

グランドキャニオンでの出来事。これを「ヌミノース現象」と呼ぶことができるでしょうが、そんな現象を起こしたのもまさに桑田の自尊心の高さだと思うのです。自尊心が低いと、とかく自分が自分がとなって、大自然や宇宙など超越した存在に対する畏怖を感じる力が弱い。しかし、桑田はそうじゃなかった。


高校時代も自分の野球に集中するため、暴力とかいじめとにはまったく無関心。当時のいじめの一部には、自分より優れた下級生を潰す意味もあったのか、水◯したM君は立浪らと並ぶほどの実力であったとも聞く。上級生という絶対的強者に立ったとき、自尊心の低い人はその立場を最大限に利用し、残酷なまでの仕打ちに出ることもあるが、桑田はそうじゃなかった。


プロになってからも、世間の逆風の中、怪我に悩まされることもありながら、ストイックなまでの自己管理と練習(合理的な練習)を重ね、きちんと成績を残すことができた。引退後も、清原のようなタレントを目指すのでもなく、解説者、指導者として、しっかりと野球道を歩み、精神面での発言も注目されている。


今さらながら、先輩・桑田真澄さんのことを尊敬する次第です。いつか対談とかできたらいいなあ。ことをぼんやり考える一日でありましたが。ありがとうございました。

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by katamich | 2017-03-31 23:39 | ■人生哲学 | Comments(0)