決める!決めるだけなんだけど・・・ 2017.3.28
2017年 03月 28日
願望実現の技術としては、紙に書く、アファメーション、瞑想、イメージングなどいろいろありますが、それはあくまで「技術」であって、その前提が必要なんですね。ランチェスター経営の「メンタル:戦略:戦術=53:40:7」になぞらえば、「技術」は全体の7%。
「紙に書いているのに叶いません!」って人がいたら、間違いなく他の93%に原因がある。では、全体の40%に当たるのは何か。それは「(具体的な)行動」です。お金を引き寄せたれば、それなりの「行動」が重要なのは言うまでもない。しかし、もっともっと大切なものがある。全体の53%にもなる最重要項目とは何か。
それは「自尊心」です。
(つまり、「自尊心:行動:技術=53:40:7」と言えます)
「自尊心」のある人が、願望実現の技術を実践し、行動するから100%叶うのであって、「自尊心」がゼロとか極めて低い状態では何をやってもダメです。「自尊心」とはまさに「あり方(being)」であって、ここが充足していない状態でいろいろ頑張っても空回りするだけ。
12年前、私の収入は限りなくゼロでした。しかし今は月収7桁を下回ることがこの3~4年はなくなり、自由に使える収入と言う意味での年収で言えば、日本国民の上位3%以内には確実に入っているでしょう。役員報酬自体は一般のサラリーマンよりちょい高いくらいですが、会社の経費は自由度が高いので、そこも含めるとと言う意味です。旅行とか書籍とか、場合によっては飲み会なども経費になりますので。
しかし一方で、この12年間、私と同じように「やってる」のに、状況はまったく変わらないどころか、ますます悪くなっているような人もいることでしょう。もちろんどんどん良くなっている人も多いです。傾向としては、最近、私の周囲にいる人はほとんどが良くなっていますが、そうでない人は悪くなって批判ばかりしている印象があります。
そう言えば先日の沖縄ツアー、男性が5名だったのですが(女性は21名)、その5名とも年収1,000万円超えていました。うち3名は年収2,000万円超えていて、すごい集まりだな~とゾクゾクしたものです。恩納村の一泊目、その3人が50㎡の部屋に泊まって(なぜかアップグレードされていた)、さらに2名の女性と部屋飲みをしていたのですが、その時の会話のレベルの高いこと。これは成功して当然だと思うし、一緒に飲んでいるだけで基準がどんどん上がるのを感じました。
その人たちの共通点として、とにかく性格がいい。「心理学的に売れる人売れない人 2017.3.11」って記事でも書きましたが、成功する人は心理学的にも「性格がいい」のであって、そのベースとなるのがまさに「自尊心」なんですね。
「自尊心」については、ウィキペディアの解説が珍しく良くまとまっています。
自尊心とは・・・心理学的には自己に対して一般化された肯定的な態度である。英語のままセルフ・エスティーム(英: self-esteem)とも呼ばれる。
ここでは社会心理学における自己の概念に関して、育み維持される自己評価や、あるいは「ありのままの自己を尊重し受け入れる」態度とする。多くの研究者によって自己肯定感は人格形成や情緒の安定のために重要であると考えられており、自尊心はそのためには必要な感情であるとも言える。
他人からの評価ではなく、自分が自分をどう思うか、感じるかである。つまり、一時的に快感を与える、知識、技術、財産、結婚、慈善行為や性的な征服、容姿から生まれるものではなく、言い換えれば、外に求めることでも、人に与える印象でもない。競争でも比較でもなく、自尊心の重要な原因は自分とも他人とも戦っていない状態である。
その起源には、幼いころに大人から尊重され、価値を認められたか、励まされたかといったことがある。しかし、最も重要な影響があるのは、自分自身で選択したということである。言い換えれば、自分の可能性を実現したいという気持ちから、生き方を変えるということから自尊心が育まれていく。
自尊心は、自分が有能であるといういわゆる自信と、自分に価値があるという自尊の2つの要素から成り立っている。研究者によれば、自尊心の欠如は、不安、憂鬱、恐れ、アルコールなどの乱用、成績不振、暴力や虐待、自殺などにかかわっている。
注釈を見ると専門書の丸パクリのようですが、この説明でだいたい網羅されています。とりわけ重要なのが、
1.他人からの評価ではなく、自分が自分をどう思うか、感じるか
2.自分自身で選択したということ
の二点。
昨日も書きましたが、「他人に承認を求める心」こそが不幸の元凶であると。自分は他人から認められたら価値があるが、認められなければ価値がない。私を認める人のことは好意的に思うが、私を認めない(または認めていると感じさせない)人のことは嫌悪する。これらは評価軸が完全に他人にあり、自分でコントロールできない状況にあります。
しばしば病的と言えるほどに批判をする人がいますが、その元凶にあるのがまさに「認められたいけど、認められていない」ことへの怒りと悲しみ、恐怖なんです。
「愛憎」とはよくできた言葉で、「憎しみ」にはその前提に「愛されたい」がなければ成り立たない。本当はその人のことがすごく好きで、自分も認められたいと思っているのに、その人はそのようにアクションしてくれない。それが憎しみとなって、批判や攻撃に転じるのです。しかし本人はそのことに無自覚で、まるで「裁判官」のように冷静客観的に正当な批判をしていると思い込んでいるのも特徴。
他人からどう思われようが、認められようが認められまいが、「自分が自分をどう思うか、感じるか」だけで生きているなら、他人を批判しようなどとは思わない。他人を憎んだり、批判したりするのは、他人から評価・承認を過度に期待して、それが得られないときに出る感情。そのベースにあるのが、まさに「自尊心(の低さ)」なのです。
そして、その「自尊心」が育まれる元となっているのが、「自分自身で選択したということ」にあります。幼少期、両親から認められる認められないも大切ですが、いつでも自分で選択できる環境にあるかどうかが、大人になってからの「自尊心」に大きく影響するのです。
先日、長男が「プログラム教室に通いたい」と言ってきました。もちろん行かせるつもりです。物心ついたときからその手のに興味があるのは石田家の血筋だな~と思ったのですが、親によっては「あなたのためを思って、英会話、そろばん、公文、水泳、空手に通いなさい!」と押し付けるような家庭もあるでしょう。
「昔、ピアノ教室に通っていたのだけど、本当に嫌で嫌でたまらなかった。だから音楽は聞くのも大嫌いなんだ」って人に出会ったことがありますが、それはまったくの無駄骨だったどころか、子どもの自尊心を大きく傷つけることにもなります。長男はたまたま「プログラム教室に通いたい」と言いましたが、次男は何も言いません。これからかもしれませんが、もしかしたら小学生になっても何も言わないかもしれない。もしかしたら、そんな「何も言わない(興味を示さない)」子どものことを不安になる親もいるかもしれないけど、それもまた親の横暴なんです。
私の幼少期、思い出してみると、無理やり何かをさせられたことがまったくなかった。逆にやりたいと言ってすぐに辞めることも多かったけど、それでもやらせてくれたことに今さらながら感謝するしかない。「進研ゼミ」も兄がやってたのでやりたいと言って始めたけど、まったく提出しなかった。「野球部」も一時期好きで入部させてもらったけど(チーターズ)、5時からの「キン肉マン」が見れなかったので辞めた。それでも自由にさせてくれた。
高学年からリコーダーが好きになって、中学で吹奏楽部に入ったけど、まあ、自分でやりたいと思ったのはそれくらい。でも、将来につながるような実になるものは一切なし。しかし、浪人してから突然開花します。河合塾って予備校で、故・牧野剛氏の現代文の講義を受けた直後、「オレは本を読まなければならない!」と覚醒し、極端にも哲学書を読み始めた。
天王寺の旭屋かユーゴ書店で中公新書の『文化人類学』なる本を立ち読みし、意味わからずだけど、それでも読破。そこから講談社現代新書や岩波新書から「哲学・思想」の本をどかどか買いまくる。親は当然、すべて買ってくれた。本だけはいつでも買ってくれた。「文化人類学」からレヴィ=ストロースの本に手を伸ばし、サルトル、デカルト、カント、ヘーゲル、キルケゴール、フッサール、ハイデッガーなどに進み、さらにメルロ・ポンティ、デリダ、ドゥルーズなどフランス現代思想(ポストモダン)にはまり、日本人なら広松渉(アルチュセールから)、岸田秀(ラカンから)あたりに手を伸ばし、遡ってマルクスやフロイトも読んだ。ウェーバーを読んだのは大学に入ってからで、指導教官がかつてウェーバーの研究者だった。卒論は無謀にもウェーバーとフッサールを土台としたアルフレッド・シュッツの「現象学的社会学」をチョイスした。
長々と書いてしまったけど、それらの土台があるからこそ、間違いなく今がある。それらがなかったら、本はおろか、ブログも書いてないだろう。そんな興味が出たのはまさに突発的。人生の突然変異のようなもの。だけど、そうなるための土台が幼少期からあったように思う。それはまさに、親が好き勝手させてくれたから。とりわけ次男の私については、生まれもっての性格もあったろうけど、完全に好き勝手させてくれた。私の次男も私に性格がそっくり。
話が脱線しまくったけど、「自分自身で選択したということ」ほどに大切なことはない。それは野球をやるとか、プログラムを習うとか、そんな個別のことじゃなく、「自分自身で人生を選択すること」にもつながる。
この「選択」なるキーワードは深く、重要。よく、「月収100万円になることを選択すれば実現する」なんて自己啓発書があって、それはその通りなんだけど、そもそも「選択する」の意味がわからない人が多い。藤本さきこさんと言う女性起業家の方がいらっしゃいますが、面識はないものの(どっかで会ってるかもだけど)、編集者さんをはじめ共通の知人が多いので、ちらほらお名前を聞きます。その著書のキャッチフレーズに「愛されて、幸せで、豊かで、大好きばっかりの人生にすると決めるだけ!」と書かれてるのを見て、「その通りだ!」と思う一方、そもそも「決める(選択する)」の意味がわかってない人も多いのかな~とも感じる。
「決める、選択する」と言われても、言葉はわかるのだけど、実感がまったくわかない。それが多くの人の本音かもしれないけど、それもまた幼少期から「決める、選択する」の習慣を与えられてこなかったからなんだ。
私自身も本を出すと決めたから出せた、自転車で全国を周りながらトークライブをすると決めたからやっている、月収100万円を下回らないと決めたからずっとその通りになっている、沖縄にしても、インドにしても、アイルランドにしても、アルバニアにしても、行くと決めたからすべて行ってる。すべては「決めた、選択した」から、それが現実になっているだけ。人生はすべて自分で決める。やりたいか、やりたくないか、だけ。他人の承認とか評価とか許可とか条件とか一切関係なし。自分がやりたいからやる。「自尊心」そのものなんです。
今度の本でも「自尊心」についてはつっこんで書きたいし、ブログやLINEでも、今から自尊心を高めていく方法について、どんどんご紹介してきたいと思うのでどうぞお楽しみに!決めればいいのだよ。ありがとうございました。
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