宇宙となかよし

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Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

お尻の話 2017.3.15

変なセミナーの二日目なんですが、当初、少人数のお茶会気分で濃密にやりたかったそうですが、思った以上に人が集まってしまい、普通のワークショップのようになってしまったとか。まあ、それでもキョリは近いのでガンガン行こうと思います。
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昨日も書いたように、最後に見たのは2~3年前だったと思いますが、当時の棚田さんはビリーフチェンジにしてもファミリーコンステレーションにしても、クライアントの問題・悩みを解決することに、非常にシビアだったように感じていました。が、昨日、私が受けたワーク自体がそんなに深刻度の高いものではないにせよ、「家族」というシステムにちょっとした「関与(影響、介入)」を与えただけで、果たして問題(?)が解決されたのかはわかりません。


しかし一方で、そもそも「問題」とは何でしょうか。それを個人で見ると、悩みとか叶わない願望とかになるのでしょうが、それを解決することで別の個人の問題を生み出すことだってあります。たとえば「営業成績一位になれない」がある人の悩みだとして、セラピーなりコーチングなりで「一位になれないビリーフ」を取り除き、思い通りに一位になったとします。


すると今度は二位に陥落した人が同じ悩みを抱えるようになる。そしてその人がまた一位に返り咲くよう努力したとします。ここに健全な意味での競争が生まれ、組織(システム)としては売上が上がり万々歳ですが、個々人は一喜一憂し、それが疲弊につながると個人レベルの問題はむしろ悪化するかもしれない。システムとしては幸せ、個人は不幸になる。これって果たして健全と言えるのか。


しかし、個人が不幸から逃げるため、会社を辞めたとします。その結果、もっといい人生になるかもしれず、システムが個人を追い込んだことで、その個人が逆に幸せになることもある。私の場合まさにそうで、会社と言うシステムが私と言う個人を追い込んだからこそ、私はそこから離れ、もっと幸せになれた。


「人生万事塞翁が馬」と言う通り、個人にとっても、システム(集団、組織)にとっても、一時点のみを切り取って判断することはできず、たとえ目先の問題が山積みであっても、それが逆に幸せの種にもなるし、その逆もまたしかり。なぜそのようなことが起こるかと言うと、万物は絶えず流転しているから。個人もシステムも、そしておそらく最大のシステムである宇宙全体も常に動いているのです。この世に停滞しているものは何一つなく、「最近、停滞してるんだよな~」って言ったとしても、見えない領域でめちゃくちゃ動いてるかもしれないし、今後の大きな変化のための大きな前触れかもしれない。


つまり、結局は「なるようになる」としか言いようがなく、それが宇宙であり、神の采配かもしれない。たとえばセラピストやコーチ、コンサルが個人や組織になんらかの介入を図ったとしても「なるようになる」という状態を変えることはできない。もちろん具体的にどうなるかは介入によって変わるのでしょうが、それでも長期的に見ると「なるようになる」としか言いようがない。セラピストが介入しても介入しなくても「なるようになる」のだから、だったらセラピストの役割ってなんだろうか。何も言わずにただ見ているだけなら仕事として依頼することはない。


そうやって突き詰めると、こうやって生きていること自体、どんな意味があるのかわからない。何かのために生きるのであれば、その「目的」に向かって到達すれば、生きる意味があり、到達しなければないことになる。それは実にわかりやすい。だけど、「生きる意味がない」なんて人は存在するのだろうか。私たちは意味があるから存在しているのだろうか。もしかしたらそうかもしれないけど、それを実証するのは難しく、難しいからこそ人は哲学や宗教を生み出したのかもしれない。


そもそも意味あるのかないのかわからない存在に対し、なんらかの指針を与えるのが哲学と宗教。すると人は借り物であったとしても、生きる意味を見出し、それが脳内に「満足」を生み出すのかもしれない。ただ、そうなると手段が哲学であれ宗教であれ、「脳内満足」を達成すればいいだけになる。それって意味があるのかって命題にまた戻ってしまう。


そうやってグルグルグルグルやってるのが人間であり、システムは常に動いているのだから、そのシステムなり個人に何らかの影響を与えたところで、なんの意味があるのか。だって「なるようになる」のだし「なるようにしかならない」のだよ。


ってことは、今回、うん十万も払って、5カ月も講座に通う意味ってあるのだろうか。正直な話、新たなセラピー技法を学びたくて申し込んだのでもなく(もちろん試すけど)、「棚田さんが新しいのやるんだ~」ってノリだけで申し込んだのが事実。ってことは、オレにとって意味があるのは「棚田さん」なのか。いやいや、そんなことはないだろう。面白い人だけど、オレの人生にとって特に意味があるとも思えない。偶然出会っただけで、その意味では、今まで会った人たちすべてそうだ。すべてに意味があるとも、ないとも言える。


なに書いているのかわかります?


私にはわかりません。そもそもブログ書く意味とかあるの。そもそも「意味」について考える意味なんてあるの?そもそも「意味について考える意味」について考える意味なんてあるの?そもそも「意味について考える意味について考える意味」なんてあるの?そもそも・・・エンドレス。


・・・なんてことやってるとね、人はパンクに走ってしまうのだよ。画家が自然を模写しようとディティールに近づこうとする。ほとんど写真のような絵が描けた。ある意味、写真以上の写実であり、その「真善美」なる価値観においては、対象としての自然をさえ超えてしまった。神が創った自然を人間の絵画が超えてしまった。では、次にどこに進もうか。すでに神を超えてしまったのだよ、その自然に近づき、それを超えるって意味においては。


となると、人は一気に逆行する。対象としての自然からできる限り遠ざかることで、絵画としての価値を高めよう。そしてその画家は抽象絵画に走り、自然をデフォルメしてデフォルメし尽くしてみる。すると、それでもまた評価されてしまい、対象としての自然を超えてしまった。だったら次はどこに進むのか。もはや「何もしないことが最も美しい」となって、絵筆を折るかもしれない。


ジョン・コルトレーンというジャズサックス奏者がいた。最初は普通にチャーリー・パーカーを目指してサックスを吹いていた。下手なりに。50年代にマイルス・デイビスと出会い、マイルスの言う通りにやって、それなりに評価を得た。ジャズとしてはいい感じに。その後、マイルスのグループを脱し、セロニアス・モンクのグループに入った辺りから変になってきた。既存のコード進行を細分化して細分化して「ジャイアント・ステップス」なるアルバムを制作。二拍単位で高速に転調する最悪の曲。それで細分化し尽くしてしまい、コードの制約から離れたモードジャズを推進する。それでもまだ制約があるってんで、最後はフリージャズ。最後の最後は「オレは聖者になる」と言って、40歳で肝臓癌で死去。




人はやり尽くすことでタオ(道)の境地に入ってしまう。「なるようになる」が真実なんだから、それでいいじゃん。やっても「なるようになる」、やらなくても「なるようになる」。ってことはさ、どっちでもいい。結果はすべて同じなんだ。なるようになる。ってことは、結果が同じならプロセスだけが大切なのか。う~ん、それでもいいかもしれない。


そう考えると、セラピーにも「意味」らしい意味が出てくる。どうせ結果は「なるようになる」で同じなんだけども、そのプロセスに関与することで、意味などないんだけど、まあ、お互いに生きてるふりをすることはできる。


そうか、「意味」を考えるからおかしいのであって、最初から「意味」など考えずに、その時その場でやりたいことやればいい。これに意味があるのか、効果があるのか、やってどうなんのか。そんなこと考える必要などない。ってことは、あの命題に戻ってしまう。


やりたいか、やりたくないかだから!!!


うわ~、ウザい!ただ、このセリフも自分でいっときゃいいだけで、人に言うことはない。そう思うならやれ!以上!って言うか、「やりたいか、やりたくないか」なんて「今日はなんと7時46分にウンコをした!」ことを報告するくらい意味がない!あ~っと、また「意味」って言葉使ってしまった。オレたちは「意味」の呪縛から逃れられないんだな!


まあ、いいや。どっちでもいいや。話変わるけど、今日の最後の方に棚田さんがポロッと言った言葉が深かった。


「これ以上はセラピストが介入してはいけない領域がある」


深いと思ってんの、オレだけかもしれないけど、それ、飛行機で帰って最寄り駅から10分ほど歩いて帰ってマンションの入口に立った瞬間、急に思い出されてハッとした。


「これ以上は人間が介入してはいけない領域がある」


って言葉を思い出して、それを実感させられるのが、もうすぐ行く久高島であり新城島であり。あの島って「入っちゃダメな場所」がいくつかあるの。なんで入っちゃダメなのかわからないけど、ダメって言われたらダメで理由などない。そんな場所がその二つの島は顕著だけど、沖縄にはいくつかある。


久高島のクボー御嶽は入っちゃダメで、入ったら気が狂うとか言われるので、あんまり入る人いないし、オレも入ろうと思わないけど、ダメって言われるから入らないだけなのよ。世の中には人間が入っちゃダメな領域がある。その領域がまさに「なるようになる」なんだね。


「なるようになる」に無理に介入しようとすると、なんか無理が生じる。跳ね返される。セラピーやってても、2時間も3時間もやろうとする人いるわけだけど、それってお互い疲れるだけじゃん。それよりも、ある程度の手順を踏んだ上で、「まあ、どうせよくなるんだし、この辺でどう」と言って引き上げてもいい。ただ、これを「形」だけ真似しても「悟りもどき」になって、まず仕事にはならないから。なので、やっぱり2時間も3時間もやっていいとは思うけど、どっかで踏み越えてはならない瞬間をキャッチして、サッと「宇宙」にお任せすればいいのかもしれない。


いろいろ書いたり、考えたりしたけど、最終的には、まあ、どうとでもなるってことだね。このまま進んでよし!進まなくてもよし!以上!ありがとうございました。


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by katamich | 2017-03-15 23:39 | ■精神世界
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