「モーツァルトのいる部屋」 2015.2.9

 今日は朝から久々に栢野さんの事務所で早朝勉強会・雑談会。沖縄からひーこーさんが来られてると聞いて、私も乱入。朝の7時から10時過ぎまで3時間強、相当に濃い話。詳しくは栢野さんのブログですが、私もいろいろ気付きがありました。

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すべてはどうってことない
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b0002156_1330573.jpg 若いうちにはわからないこともある。高校卒業して、大学受験に全敗したとき、「ああ、これで人生終わった」と思ったけど、その時点ではまだまだ始まってもなかった。同じように、就職に失敗しようが、失恋しようが、ニートになろうが、ウツになろうが、人生を俯瞰的に見たら大したことなかったする。それは年数が経ってわかることだけど、つまりはそれが本質。どう生きたって良い。だったら好きなことするしかないよねってことで、今日の3名はまさに「あるがまま」に生きている。が、ピンチも何度もありました。

 私にとって独立後のピンチは大きく3回くらいあって、まずは2005年9月。企業年金を解約して家賃に充てたけど、その後の保証もなし。そこで奇跡がやってきた。次は2006年2月だけど、そのときの状況は「夢なに」の267ページに貼り付けた預金通帳のごとし。全財産が一万円台になり、月末の家賃振込もままならない。そこでまた奇跡が起こった。次は2009年7月。実はカードでリボ払いキャッシングに手を出してしまい、もう後がない。そこで思い出したのがアレ。「秘伝」の元となる技法だったけど、それで見事に起死回生。9月10月は月収100万円を超え、11月は沖縄に行き、12月には一冊目の出版。奇跡は起こせる。だから、これから先も大丈夫。そんな話やら、ま、いろいろ。

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打たれればいい
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 栢野さんの事務所を後にして、次はいつもスタバ。執筆のインスピレーション。今日はあまり降りてこなかったかなあ。でも進歩はした。3時からボクシング。今日も準備体操、シャドウ、サンドバック、マス、ミット、シャドウのメニュー。マスではベテランのメンバーとやったのですが、その方は高校からボクシングを始め、プロのライセンスもある。ここではキックの習得に励んでるんですが、ウェイトもあって、かなりの威圧感。もちろん手加減はしてくれるのですが、それでも怖い。終了後にいろいろアドバイスをいただきました。手数が多いのは面白い。けど、ガードのときに目を瞑る癖があるから突き込みやすい。逃げながら攻撃する癖もある。ようは、怖がってるんです。で、言われたのが、「マスで死ぬことはないから」って。ようは、打たれればいんです。試合じゃあるまいし、痛かったら手を止めてくれる。大きなグローブでダメージも小さい。いざとなったら頭で受け止めれば、逆に相手のこぶしにダメージを与えられる。そうか、打たれればいいんだ。次回は試しに打たれまくろうと思います。

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原点と言える本
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 夕方、家に帰るとアマゾンから本が届いていました。井上太郎著「【決定版】モーツァルトのいる部屋」。最近、再びモーツァルト熱が復活してきたのですが、昨日も書いたように、人生初のモーツァルト体験が中3の夏で、「クラリネット五重奏曲イ長調K581」に完全に憑りつかれてしまった。それから、「モーツァルト」が気になって、まずはカセットテープを何本か買ってもらい、その半年後、中学の卒業祝いにCDラジカセを買ってもらったのでした。そして最初に買ったCDが二枚。カール・ベーム指揮「レクイエム」、エディト・マティスのソプラノによる「モーツァルト歌曲集」。ハッキリ言って、渋すぎる。レクイエムはまだしも、歌曲集なんてなんで買ったのだろうか。理由はハッキリしています。井上太郎氏の「モーツァルトのいる部屋」を読んでしまってたから。
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 上の写真の左上が1985年に発売された初版、そして右上が昨年発売された「決定版」。その1985年の初版、今から30年前になりますが、もう、ボロボロになるまで読みました。寮生活してたので、自分の持ち物には名前を書くようになってて、それが写真の下。最近はどうしても本が増える傾向にあり、定期的に処分してきたのですが、この本だけはどうしても捨てられない。寮生活だと自由にできる時間が限定され、さらにウォークマンなどが禁止されていました。なので、暇さえあればこの本を読み、「どんな音がするんかな~」といつも想像してたのです。本の中に歌曲「すみれ」の話が書かれてあって、これはモーツァルト作曲・ゲーテ作詞なる大傑作。

「《すみれ》は正しく、二人の詩魂が溶け合って生まれた奇跡のような歌曲である」

と紹介され、中学生ながらに「これ、聴きて~」となって買ったのが歌曲集でした。偶然にも買った「レイクエム」でソプラノを担当してたのが同じエディト・マティス。とにかく、「クラリネット五重奏曲」から入ったモーツァルト、いや、クラシックの世界なんですが、そこから進んでいくための道しるべがまさに井上太郎氏の「モーツァルトのいる部屋」だったのです。

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悲しみ
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 その後、海老沢敏氏やアインシュタイン(物理学者ではない)などによるモーツァルト本も読んだのですが、いずれも学者の本だけにとっつきにくい。それに対して井上氏は音楽学者ではなく、文筆家であり、元々は大手出版社の編集者。モーツァルトに関しては一愛好家。この本はベストセラーとなり、後に文庫化もされ、そして昨年、決定版の発売とあいなった。学者と違って、文章が読みやすい。それこそ「中学生にも読める文章」であり、そして愛好家ならではの熱さがある。例えば「クラリネット五重奏曲」にはこんな一文が添えられる。

「私はこの曲を聴く時、秋の夕暮を思わずにはいられない。その澄みわたった空の向うに浮かび上がるモーツァルトの顔は、涙にぬれている・・・」

 こんな文章は学者には書けない。私がこの曲を最初に聴いたとき、「長調の明るい曲でありながら、なんと悲しいんだろう・・・」と何の受け売りもなく感じ、その「悲しさ」を聴きとるために、モーツァルトの深みにハマって行ったのです。同時期の偉大な作曲家にヨゼフ・ハイドンがいるのですが、交響曲や弦楽四重奏曲を始め、数多くの傑作を残しています。今でも演奏回数は多い。一聴するとモーツァルトによく似てる。だけど、どうもハイドンには「悲しみ」が感じられない。なぜ、モーツァルトの曲はこうも悲しんだろう。。。

 その後、いろんな本を読んでいると、日本を代表する文芸評論家・小林秀雄の「モオツアルト」でも「悲しみ」のことが触れられてるし、なるほど、そこに本質があったのか。当時、それは思春期のピュアな感性がゆえに、その「悲しみ」を直視できたのかもしれません。高校を卒業すると、興味は完全にジャズに移ってしまったのだけど、ここ最近、再びモーツァルトの「悲しみ」に触れることができるようになってきた、のかも。

 モーツァルトは35歳の短い生涯で1000曲くらいの作品を残したと言われますが、短調の曲は極端に少ないです。ただ、交響曲の2曲、ピアノ協奏曲の2曲を初めとして、モーツァルトの短調は例外なくすべて名曲。しかし、それ以外の膨大な長調の曲も、、、どこか悲しい。名曲であるほどに悲しい。人間の奥底に眠る感情の源泉に届いてしまう。初版では「クラリネット協奏曲」に関して、こんな文章があります。

「私は、ある人が自殺をしようとした時に、どこからか聴こえてきたこの曲に心を打たれ、自殺を思い止まったという話を、本人から直接聞いたことがある。モーツァルトのこの音楽は、そういう状態の時の人の心にも光を投げかける不思議な力があるのだろうか」

 これまた学者には書けない文章ながら、これ読むと、大きくうなずくしくしかないじゃないですか!初版にはこの手の文章が毎ページに散りばめられている。そして中学生にも読めると言いながら、れっきとした大人の文章。私は高校卒業するまで「ほとんど活字を読んだことない、ただし、モーツァルトに関する本は例外」と何度か書いたと思いますが、その例外の筆頭が「モーツァルトのいる部屋」だったのです。だから、あんなにボロボロになるまで読み込んだ。そして実は、、、私の文章の癖、雰囲気の原点がここにあり、その意味では私は井上太郎氏から文章を教わったと言えるのかもしれません。

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運命の日付が
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 とにかく、この初版からは井上氏の「モーツァルトが好き過ぎてたまらない!」って気持ちこれでもかとばかりに伝わってきて、曲を聴かずとも、その情感をひたすら味わいたくて再読を重ねたんのでしょう。で、昨日、何となくその本のことを思い出し、アマゾンで調べてみると、昨年、「決定版」が発売されてたのを知ります。記念に買っておこうと思いながら、値段を見ると3,000円近い。記念にしては高いかな~と躊躇したのですが、この情報を見て即クリックしてしまいました。心を震わせながら。
 
b0002156_1337316.jpg アマゾンの登録情報なんですが、どの情報を見てクリックしたのでしょう。それは発売日。2014年7月23日。私にとってとてもなじみ深い運命的な日付。そう、「夢がかなうとき、『なに』が起こっているのか?」が発売された当日でした。まさに「運命」を感じ、クリックしてしまったのです。そして本日、届いていました。さっそくページを開いてみると、違う。そうなんです。実は単なる改訂版ではなく、タイトルは同じながら完全なる書下ろしだったのです。井上氏は現在90歳。初版が年代ごとの曲紹介だったのに対し、決定版はジャンルごとの紹介。特徴は曲やその背景にまつわる「事実」が淡々とつづられてることで、初版のような激情感はかなり抑えられています。もちろんこれはこれでいいし、むしろ今の感覚で初版のような感情的な、そして抒情的な文章をそのまま受け入れられていただろうか。

 30年が経過した今、今の感性で書き、そして読む人間がいる。ただそれだけのことだけど、やっぱり「決定版」もまた読み出したら止まらない。自分自身の執筆もあるのに、どうしても読んでしまう。そしてモーツァルトが聴きたくてたまらなくなる。今度の本は「交響曲第41番ハ長調K551」のような一冊にしたいと昨日書いたばかりですが、これからも文字通り「モーツァルトのいる部屋」で執筆を重ねたいと思います。なんだか今、静かに感動しています。ありがとうございました。


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by katamich | 2015-02-09 23:39 | ■音楽