宇宙となかよし

katamich.exblog.jp

Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

改造してもしなくても 2014.5.4



b0002156_12385367.jpg 今日もまたお出かけ。ここ数か月、ちびQの趣味は「プラレール」から「戦隊シリーズ」にすっかり変わってしまいました。今年の正月の段階では5月の誕生日プレゼントは「プラレールアドバンスのはやぶさ」だったのが、最近は「仮面ライダーガイムのベルト?」になっているようです。で、今日は朝の9時に家を出て福岡市東区の「かしいかえん」でライダーのショウを見てきました。あんなのを見るのは子ども以来か、または初めてと思うのですが、ちびQを含め周囲の子どもたちも必死でした。悪者が登場して泣き出す子どももいたり、ライダーがピンチになると「がんばれ~」と必死で応援したり。その甲斐あって、ライダーはちゃんと勝つことができました。だけどもし、ここで台本が勝手に変えられて、ライダーがボコボコにされたまま悪者が買ってしまったらどうなるのか。それはそれで「現実」を教える上でいいのかもしれないけど、だけどそれはやっぱり現実社会で学ぶ方がいいかな。子どもも大人も、「夢」を失ってはつまらないですから。

 ちなみに私は幼少期、本気で改造人間になろうと思っていました。ある日、そう「決心」したことを翌日、友達に話したくてウズウズして、「実はボクには秘密がある」と打ち明けます。そして例によって「だけど、これは教えられない」と何度かじらして、最後に「将来、改造人間になるんだ」と告白するわけですが(真顔)、その友達は「そんなの漫画の世界だよ~」と冷水をぶっかけてきます。まあ、仮面ライダーみたいな姿にはなれないと薄々わかってはいたけど(だけど、ライダーマンはなりたくない)、「例えば、右手を改造してパワーアップするとか・・・」などと反論したものの、最後まで「漫画の世界」で一蹴され寂しい思いをしたものです。

 だけど、大人になってわかったことがあります。世の中には思った以上に「改造人間が多い」ってことを。性転換手術のような極端なのから、整形(プチ含む)、増毛、筋肉増強、タトゥーなどなど。結局、オレの言ってることの方が正しかったね。ただ、オレ自身はまったく改造してないし、これから先、することもないだろうけど、改造は別にいいと思ってます。したければ性転換してもいいし、もちろん整形とかどんどんしていい。実際、それで人生変わる人もいるんだから、その決断がハッピーなら何の反論もありません。どんどん改造しましょう。ただし、改造ジャンキーには気を付けて。扇風機オバサンのようになってしまいますから。

 改造に限らず「ジャンキー(中毒状態)」はヤバいですね。先日読んだ村上春樹の本の中に、若い女の子がダイエットで目指してるのは「無」になることだ、なんてフレーズがあったけど、そんなのは明らかに病気。以前、とあるコーチングのセミナーで、その会は「片付け」の先生が講師だったのですが、そのときに勧められた本が、カレン・キングストンのガラクタ本。あの本を読むと、確かにモノを捨てたくなり、実際に、私もかなり捨てました。不要なものをどんどん捨てると気持ちがいい。運気が上がった気になる。で、その先生はある時期からどんどん捨て始めて、今では、詳細忘れたけど、ものすごいとこまで捨ててシンプルな生活してると言われてました。だけどね、これは偏見も入ってるかもしれないけど、その先生はあまり幸せそうに見えなかった。今ならその説明できそうなんだけど、ようは「モノを捨てたら幸せになれる」って動機で始めるのは危険ってこと。

 これはすべてにおいて言える。ダイエットすれば幸せになれる、整形すれば幸せになれる、資格を取れば幸せになれる、瞑想を極めれば幸せになれる、開運すれば幸せになれる(グッズを買いまくるなど)、、、などのいわゆる「条件付き幸せ」の罠。そして実際、マーケットはその辺のことを煽りまくってきます。いわゆる劣等感を刺激して、それを補うためにお金を払わせる手法で。

 で、実際、整形すれば少しはキレイになって、周囲の反応も変わる。気持ちがいい。ドーパミンがドバドバ。すると、人間は「もっと気持ちよくなりたい(もっとドーパミンを出したい)」と思って、さらに整形にお金をかけようとします。しかし、一回目の整形よりも周囲の反応が鈍い。そこで止めておけばいいのだけど、「まだ足りない」と思って、さらにお金をかけようとする。提供者側もいろんな提案をしてきて、次のスペシャルな処置をするには、500万円が必要ですと言って借金までさせる。にわかに信じがたい心理状態ではありますが、ジャンキーってそんなもん。ドーパミンの快楽が忘れられない。

 これはいわゆる「片付け」も同じでして、もちろん「片付け」や「断捨離」が悪いってわけじゃなく、大いに実践して欲しいと思いながらも、やっぱり「やりすぎ」には注意ってこと。私の知るある人ですが、先ほどのガラクタ本にハマってしまい、パソコンと電器以外の電化製品をほとんど捨ててしまい(冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、掃除機、テレビ、エアコンなどは余裕で捨てる)、最後には赤ちゃんの頃のアルバムまで捨ててしまいました。先ほどの「先生」も過去の写真は一切捨てました、と威張ってました。が、その辺は「やりすぎ」な印象を受けました。余程見たくない過去があるならともかく、普通の人にそれを当てはめるのは違和感があるし、幸せの手段として本質的じゃない。もちろんアルバムを捨てたければ捨てていいけど、幸せの手段には決してなりえない。じゃあ、実際、赤ちゃんのアルバムを捨てて幸せになったかと言うと、そうとは限らない。一時的にスッキリするとは思いますが、まだ何かが「足りない」と思って、次に捨てられる奴を探してしまう。となると、友人だとか親子の縁だとか、そんなものに発展しかねない。最終的には自分を捨てる、、、なんてこともなくはない。

 ようは「○○がある(ない)から不幸せ」からスタートするのはマズいってこと。よく使う比喩だけど、喉が渇いたときに海水を飲むようなもの。飲めば飲むほど喉が渇き、最後は干からびてしまう。もし「写真」を過去のシンボルだとすれば、確かに忌まわしい過去があるから今が不幸なんだ、ゆえに写真を捨ててしまえ、では何の解決にもならない。もちろん人によって段階はあるでしょうが、「過去」そのものを受け入れることからスタートしなければ何も始まらないんです。

 私の行うセラピーでも「過去」を否定することは一切ありません。いや、むしろ苦しいけども、その「過去」と一時的にでも強く向き合い、その上で今までと同じように過去にとらわれて生きるのか、それとも過去は過去として、これからは自分の意思で未来を創っていくのかの「決断」を促します。もちろんどっちを選んでもOK。理想は後者を選ぶことだけど、その段階にない人だっていますから、そこは押し付けずに待つ。

 最終的には「○○がある(ない)から不幸せ」ではなく、「○○があってもなくても幸せ(受け入れたい)」なる状況に着地すること。「改造」の話からそれてしましたが(そもそも最初から書きたいテーマなどないけど)、「改造しなければ不幸」ではなく、「どっちにしても幸せだけど、改造した方が楽しいから」くらいで改造するのがいいね。そんなわけで今日も家族サービスの一日でした。ありがとうございました。

いつも応援頂きありがとうございます!
↓ ↓

人気blogランキング


■5月24日(土)/東京/願いを叶えるビリーフチェンジセラピー・公開セッション

■5月25日(日)/東京/「マネービリーフ」から解放されて思い通りの豊かさを受け取るセミナー

■5月26日(月)/東京/ビリーフチェンジ個人セッション

■6月14日(土)/札幌/「マネービリーフ」から解放されて思い通りの豊かさを受け取るセミナー

■6月15日(日)/札幌/願いを叶えるビリーフチェンジセラピー・公開セッション
by katamich | 2014-05-04 23:39 | ■人生哲学
ブログトップ | ログイン