夢と規範 2014.2.20



 昨日は本当に濃かったねえ。同級生とこんな濃い話をするのは初めてか、、、と思いながらも、以前も東京であったかな。5~6名でカラオケボックスで歌いながらの濃い話。私は昔から「語る」のが大好きで、高校時代は寮生活で、特に高3になってからは上級生もいないし、寮係もそれまでより甘くなるしで、消灯後に何かと集まっては語り合っていました。お菓子食いながら。今思うと、それも酒盛りの一種だったのかな。そこでもいろんなドラマが生まれましたっけ。そのときに語り合った同級生の多くとは今でもしばしば会ういい友達です。高校の寮生活は何かとウザかったけども、もし戻れるなら高3の一年間には戻っていいかな。受験勉強も大変だったけど、楽しい思い出がいっぱいですもんね。

 そう考えると、今でもその「楽しい思い出」を思い出したくて、私もそうだし、多くの同級生は集まりたがるのかな。フェイスブックが戻した縁だけども。でもまあ、同級生に関しては昔からよく知ってるだけに、それこそ幼少期からその家族までよく知ってるだけに、今の視点からいろんなことが考えさせられますね。昨日も書いたように、「~でなければならない」との「規範」の強い家庭で育った人は、それはそれできちんとやっていたものの、大人になり切った今、それがよかったのかどうかは答えが出ませんね。

 一方で、まあ、同級生の中で誰が一番「バカ」かと考えたら、割と名前が上がるんじゃないかという男が、今では数店舗を経営する起業家になっていたりなど、わからないものです。彼は決して勉強もできる方じゃなかったし、むしろ試験中に居眠りをして白紙で提出するようなこともあったりとか、ほとんど最下位に近かった。運動も半端だったし、リーダーシップもない。生活は自堕落。女にも当然モテない。かと言ってワルでもない。失礼ながら、「いいとこ」を探す方が難しかった。私とはさほど親しいわけじゃなかったけど、同じ部屋になったこともあるし、お互いによく知ってはいた。卒業後、変な噂も含めてチラホラ聞いてはいたけども、どちらかと言うと今は「勝ち組」かもしれない。詳しくはわかりませんが。少なくとも楽しそうだし、自由な感じ。もっとも、彼が会社勤めなどしても続かないでしょうし、良くも悪くも「経営者」が一番ピッタリくるのかな。そして経営者として成功したのも、まさに彼が「バカ」だったからかと。

 この場合の「バカ」とは言うまでもなく、いい意味です。勉強はできなかったし、いつも叱られていたし、叱られてもヘラヘラしていた。だけど今にして思うのは、社会人として成功する、幸せになるのと、学歴や勉強の出来不出来とはまったく関係がないってこと。むしろ勉強などできなかった方が、社会に出てから大成する可能性も高い。高校時代は一学年7クラスあって、スポーツクラス1、国公立進学クラス1、私立文系クラス1、私立理系クラス1、その他が3、、、のような割振りでした。もっとも、スポーツクラス以外は寮も同じだし、実質的な違いはないのだけど。で、私は最初のクラス分けテストが良かったためか、国公立進学クラスに入り、位置づけ的には勉強のできるクラスにいました。

 そして今、クラスメートがどうなってるか見てみると、昨日の同級生もそうだし、企業人としてかなりしっかりやってる人が大半。他にも医者、研究員、海外で活動してるのもいる。異端としては俳優なんてのもいる。だけど、経営者・起業家となると、おそらくオレだけかもしれない。一方、進学クラス以外には経営者・起業家がゴロゴロいる。フェイスブックを見てても、その充実度はよくわかる。

 もちろん経営者が良くて、会社員が悪いってことじゃない。経営者の場合は、会社勤めが出来なくてなってる人間もいるし。先ほどのバカもきっとそうだし、オレだってそうだ。だけどもし、「~でなければならない」との「規範」が強ければ、経営者として成功するのは難しいと思う。会社組織もまた何だかんだ言って「~でなければならない」で成り立ってるわけで、その範囲でしっかり活動すれば生活は保障されるし、もちろん成長もできる。それもまた素晴らしいこと。

 一方、「~でなければならない」が弱かったらどうか。おそらく学生時代は勉強もできないだろうし、会社勤めも苦しいはず。決められた範囲で結果を出すのには明らかに不向き。ではオレの場合はどうだったか。「~でなければならない」は強かったのか弱かったのか。今思うと、決して強くはなかった。兄と弟がかなり勉強のできる奴で、私は中の下辺りだった。そんな家庭だから、さぞ肩身の狭い思いをしてたんじゃないかと思われるのだけど、それはまったくありませんでした。兄と弟にだけ英才教育がなされてたわけでもなし、いつの間にか勝手に勉強ができるようになっていた。興味関心で科学の本を読んだり、小さい頃からパソコンのプログラムに触れていたり。おそらくそんな遊びの延長で勝手に「論理的思考」が身に付き、その限りでは学校の勉強とか決して難しくない。それだけのこと。

 だけど、私の場合は興味関心の方向が違っていて、多くの子どもと同じように、野球や鬼ごっこ、探検、ゲーム、プロレス、虫とり、自転車、プールなどが好きだった。そして思いっきり遊んでいた。リコーダーも好きだったね。ようは、兄弟三人は勉強ができるできないはあっても、基本的に自由に放任されてた感じ。勉強ができないことで怒られた記憶もなければ、兄弟で比較されたこともない。勉強ができようができまいが、「それでいい」が基本だった。

 つまり、「勉強ができるから価値がある(勉強できないから価値がない)」ではなく、「勉強できようができまいが価値がある」がすべてのベースにあったように思う。ここでの「勉強」とは、まさに「規範」のシンボル。ただ、兄弟が勉強できる下地は家庭内ですでにあったかなとは思います。それは「本」です。両親はどちらとも本をよく読んでいました。父親は数学教師なのでサイエンスはもちろんだけど、特に歴史ものがたくさんありました。そしていつも本を読んでいた。母親も小説をよく読んでいた。なので、週に一回は必ず家族で本屋に行ってました。そしてどんな本でも買ってくれた。

b0002156_8222531.jpg 兄や弟はおそらくきちんとした活字の本を買ってたと思うのだけど、オレは漫画かプロレスの本ばかり。一時期はプロレスラーになりたいと思うほどハマってた。なので実は昭和のプロレスに関してはかなり詳しい自信がある。「プロレススーパースター列伝」もしっかり読んでたし、プロレス雑誌こそ買ってもらえなかったけど、子ども向けのプロレス本はたくさん持ってた。そして穴があくほど読んでいた。キラー・コワルスキーとユーコン・エリックの一戦など、プロレスファンにとっては母国語も同然。

 思い出した。当時、一緒にプロレスをしてたのが近所に住んでるトシヤ君とせーちゃんだけど、別のところに「セブ」と後年呼ばれるようになる同級生がいた。ただ、セブはかなりやんちゃで手加減もないので、一緒にプロレスはしたくなかった。けども、味方に付けると頼もしいのもあり、学校帰りに高校の体育館のマットでよくプロレスをしたものだ。そのセブもまた「規範」のない家庭で育ったように今なら思う。そして今、イタリアで高級靴の職人をやってるんだと聞いている。しかもセブは靴職人になる夢を高校時代から持っていたんだと昨日初めて聞いた。すごい。高校時代の夢を今きちんと叶えてるなんて。

 実のところ「規範」と「夢」とは拮抗することが多い。靴職人になるなんて「夢」があっても、それを実現する人間なんてごくわずかだろう。そのことを知ってる大人は、そんな「夢」を「規範」でぶっ潰すようになる。だけど、それはそれでいい。だって、靴職人で食っていこうなんて、現実的じゃないのだから。それよりもいい大学に入っていい会社に入った方がいい人生を送れるものだ。そう信じて、親としての愛情で「規範」を押し付ける。繰り返し言うけど、それはそれでいい。だけどもし、親がその「規範」を持ってなかったり、押し付けなかったらどうなるか。子どもは「夢」を見て失敗するか、または成功するか。いずれにせよ、その選択肢はいつまでも子どもに委ねられている。子どもが大人になっても、その「夢」を見続けて成功するも失敗するも本人次第。そして、それもまたそれでいい。

 ただ、大人になった今、一つだけ言えるのは、「規範」に育った大人が「夢」を持つ大人に嫉妬することはあっても、その逆はないってこと。「夢」を持って失敗しても、それは自己責任。「規範」を押し付けなかった親を怨むことなどは絶対にない。あるとすれば、その人はすでに自由ではなく、夢も単なる幻想だったわけです。では、「規範」に育った人が、仮に生きづらさや苦しさを感じた場合、どうすればいいか。まずは「疑う」こと。「本当にこれでよかったのだろうか」、と。それで半分はOK。その上で、自分は本当はどんな人生を送りたいのか「問い続ける」こと。すぐに答えは出てこなくとも、問い続けることによってしか、人生を切り開くことはできない。疑って問う。これが「自由」への一歩です。

 と言うわけで、これが結論ね。やっぱりね、「夢」を持つことは素晴らしいですよ。私の両親は決して「規範」を押し付けることはなかったけども、今振り返ってありがたいな~と思うのは、やっぱり本屋によく連れてってもらったことかな。漫画とプロレスの本ばかり読んでたけたけど、中学高校はいつの間にか音楽(特にモーツアルト)の本を読むようになり、気が付けば、、予備校である講師の授業を受けた瞬間、いきなり読書家(主に哲学・思想)になってしまったのも、今思うと、その「下地」があったからかな、と思います。今はこうやって毎日、大量に文章を書いてるし、曲りなりにも出版までしてるのも「下地」があってこそかな、と。「規範」を押し付けるのではなく、「可能性」を広げてくれた、と今なら思っています。

 あと、もう一つ付け加えるなら、「夢」を持つ大人が成功する秘訣も一つ。それはパッション。テンションと言ってもいいけど、テンションの低い人間に夢を実現することなどできない。それは表面的な元気の良さではなく、静かでも、どこか異様なテンションを感じる人間は必ず実現しますね。と言うわけで、私はこれからも「夢を持つテンションの高い大人」を生きていきます。ありがとうございました。

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by katamich | 2014-02-20 23:38 | ■人生哲学