瞑想とお金の話とか 2013.12.12



 昨日で滝行も終えたので、今日は行く必要がありません。正直、ホッとしますね。ホッとし過ぎなためか、昨日は遅かったのもあり、かなり寝坊してしまいました。ちびQより遅く起きてしまって。それにしても最近、ショックなことがありました。明日からまた5日ほど東京出張なのですが、ちびQに「お父さん、また長いお仕事やからしばらくおらんよ」と言うと、「いえ~い!」なんて言うのです。普通に喜んじゃって。いつもお風呂の前とかには布団の上で遊んであげてるのに。理由は二つ。一つはお土産があるから。もう一つはテレビ見ながらご飯食べられるから。私の実家もそうでしたが、朝のピンポンパン&ポンキッキはともかく、夕食中のテレビは許してもらえませでした。そして今は私自身、テレビをほとんど見ないのもありますが、やっぱり、夕食は団らんでもあるので、テレビは消すようにしています。ただ、私がいないときは一人じゃ手がかかるってことで、子どもが小さいうちは譲歩することに。ちびQ的にはテレビを見ながらご飯を食べたいのだそうで、、、うう、悲しい。

 それはさておき、今日の日中は明日からの準備等。そして夜は久々に阿部敏郎さんの講演会に参加してきました。ボブ・フィックスさんとのコラボです。10月にボブさんの瞑想伝授を受けたこともあり、一度はお話を聞いておきたいとも思い。実際に伝授して頂いたのはアウルズエージェンシー社長の下野さんからですが。下野社長も近頃、ガンガン前に出て来られてますね~。阿部さんの講演は3年ぶりくらいですが、人数がめちゃくちゃ増えている。福岡で平日の夜に150人を集められるなんて。定刻に阿部さんが先に入って来られ、ボブさん、通訳さんを待つのですが、「あ、Qちゃんがいる」とか見つけて頂いてありがとうございました。

 で、間もなく講演が始まったのですが、2時間半、実に深かったですね。テーマは「瞑想と覚醒」ってことで、誘導瞑想的なワークでもするのかと思いきや、最初から最後までいわゆる「情報」の提供って感じ。ただ、テーマ自体は全国各地で同じであっても、話す内容はまったく異なるとのことで、そりゃそうだろうな~との印象。興味深い話はいろいろあったのですが、「え!その話してしまうの?」って話題が出てきてビックリ。阿部さんもボブさんも、今まで講演会はおろか、雑談でもしたことないと。もちろん今回の福岡が世界初。どうしてその話になったのかな。阿部さんがふったのはそうですが、個人的にはめちゃくちゃ面白かったです。何の話か。それは「お金」について。

 いや、これはよくある抽象的な「お金」ってことじゃないですよ。書いていいかな。ま、いいか。書き過ぎると真意とそれる可能性があるので、話を聞いて私が感じたこととして。実に生々しい話で、「瞑想の伝授になんで費用がかかるの?」って話。私も下野さんから伝授を受けた際、当たり前に規定の料金を払いました。何の疑いもなく。だけど実際にはそこにこだわる人、批判の的にする人もいるらしい。そもそも、精神的な営為においてお金がかかるなんてけしからん、と言う人だって確かにいます。

 その話に及んだとき、にわかにボブさんの表情も険しくなり、「実に奇妙な話だ」と一言。同感。と言うか、私も以前なら疑問を抱いていたかもしれませんが、今なら奇妙だと確かに言える。それだけ成長したのかな。で、瞑想に限らず、物事の「価値」を具現化するのに、「お金」ってめちゃくちゃ便利なツールです。瞑想は税金でもなし、受ける義務などありません。本人が受けたいと思うなら受ければいいし、その場合は当然、料金が発生しますよって話でしょ。当たり前のこと。そもそも、その瞑想の値段って、あえて書きませんが確かに安くはない。だけど、それほど高くもない。何より、私の実感として、まず「瞑想」の習慣を持つことは現代人として不可欠。私も本格的に人生が変わり始めたのは2004年ですが、原因はいろいろある中で、ブログと滝行は絶対に欠かせません。その二つは10年にもなる今もなお続けています。それは私にとって不可欠だから、そして楽しいから自然と続いているもの。

b0002156_2341151.jpg 一言に瞑想と言ってもいろいろあるし、広義の意味で座禅も瞑想の一種であれば、滝行もそう。写経や護摩もそうかもしれない。だけど、私の場合、たまたま修行の滝が近所にあるからいいものを、普通は滝行などできないし、座禅も慣れるまではお寺に通う必要もある。その意味で、瞑想は一度きちんと習うなり、伝授を受けるなりしたら、それで手軽に、それも一生続けることができる。滝行など、もし遠くに引っ越したり、また、体調を壊したりしたらどうなるかわかりせんもの。その点、瞑想は最初にいくらか費用が発生するだけで、残りの人生はずっとそれでやっていけます。そう考えたら、瞑想伝授の費用は決して高くはないですが、ただ、続けなければ何事も意味はない。価値はない。

 誤解を恐れずいうと、もし今、これからの人生をより豊かに有意義に変えたい、と思うのであれば、瞑想の習慣はその手段になり得ます。私にとっての滝行がそうであったように、その以前と以後とでは、本当に別世界。だからこそ、年間100日、通算1,000回以上やってられるのです。続けた者のみがわかる真実。もちろん瞑想もそう。それを知ってるからこそ、ボブさんも阿部さんもおススメするわけです。瞑想も座禅も滝行も、ほんとに続けてる人はわかってるのです。世の中でいわゆる成功者と呼ばれる人の多くが、座禅道場に通って、それを習慣にしていることからもそう。

 それだけ価値あるもの(習慣)を頂く対価として、そこに批判が向けられるのが正直わからない。いや、言ってることはわかりますよ。だけど、だったら、ほっとけばいいだけの話ですもんね。誰かが言ってたと思うのですが、人はお金を出さないものに対しては、それが無料であったとしても、手に入れようとしないし、活用することはない。例えば私はゴルフにはまったく興味がないのですが、もし、20万円のゴルフクラブを買えと言われてももちろん買いませんし、そこで「あげる」と言われても、換金や贈与が禁止されてるならもらいません。また、天童よしみのディナーショーにチケットは買いませんが、あげると言われてももらいません。うちの母親やったら喜んでもらうでしょうが。だけど、キース・ジャレットのライブが小さなライブハウスでやるとすれば、10万円までなら払います。くれるなら飛びつきます。

 ただ、ゴルフクラブだとか、チケットなどであれば、お金を取ることにさほど反対する人もいないでしょうが、「瞑想」となると、なぜかいろいろ言う人もいる。2ちゃんねるで批判する人もいる。スピリチュアルやメンタル全般に対してもそのような傾向がある。本当に、実に奇妙な話なんですね。価値がないと思うならほっとけばいい。だけど、価値があると思うなら、自分自身の判断で買えばいい。それだけのこと。そして現実的に、瞑想を続けると人生が変わるのは多くの人が体験する通り、一定の真実があるとして、だけど、それでも続けなければ何もならない。瞑想伝授を一回受けて、一回のイニシエーション、儀式によって、その日から劇的に人生が変わることは決してない。

 人生を変えるには二つの道しかない。一つは「小さな行動(の継続)」で、もう一つは「大きな決断」。「大きな決断」にはそれこそ生死や財産にかかわることから、少なくとも今の自分にとってあり得ない基準のものでなければならない。私にとって「R-1ぐらんぷり」に出るのは「大きな決断」です。本番まで一か月切りましたが出ますから。実際に明日、その対策会議をあるコンサルさんと東京でするわけですし。一方、「小さな行動」とは、今の自分の範囲内で前進できることをただ続けること。その意味では「瞑想」は私にとっては「小さな行動」であり、「大きな決断」と言うほどでもない。だけど、人によっては、その決断が大きければ、それだけ行動が続くことも確か。

 もし、無料で瞑想伝授を受けたとすれば、おそらく三日と続かない。そんなケース、山ほど見てきた。だけど、そこに一定の「決断料」が入ったとすれば、人それぞれではあれ、その決断が大きければ大きいほど続けることができるでしょう。そして一年も欠かさず毎日続けていたとすれば、気が付けば大きく人生が変わっていた、、、なんてことが普通にありますからね。それでもボブさんの瞑想に関しては、とやかく言う人もいるでしょうが、実際の話、ギャンブルで数時間で失う人もいれば、風俗やなんかでもあっという間になくせる程度の金額ですからね。そんなのに使うくらいなら、、、と私なら思いますけど。

 まあ、阿部さんも言われてましたが、スピリチュアルやメンタルにかかわる仕事をする人が一度は通る道でもあります。つまり、お金を頂くことへの抵抗。私ももちろんありました。だけど今は、まず、私自身がその価値をしっかり実感していますので、私が払うことへの抵抗はありません。そしてそれだけ払って効果を実感しているので、お金を頂くことへの抵抗も以前ほどではありません。むしろ、決断が大きければ大きいほど効果が高まることも知っているので、ある意味、限られた相手の人生に掛け替えない「価値」を提供する意味で、頂くべきは躊躇せず頂く方がいい。そして頂いたお金は、決して寄付などせず(したければしてもいいけど、お金をもらうことへの免罪符としての寄付はクソだから)、しっかりと生活や遊び、学びに使えばいい。そうやって経済だって回っていくのですから。

 そんな感じで、まあ、今日の話は貴重でしたね。いい現場に居合わせました。で、他にもいろいろ興味深い話が出てきました。一つはボブさんの、「瞑想もいいけど働け!」ってフレーズ。いいですね。至言です。瞑想すれば人生が変わる。それもまた一定の真実でありますが、働かないで瞑想ばかりしたところで収入は増えませんからね。その事実をボブさんの言葉で聞けたのは実に有意義でした。

 それからもう一つ。ちょっとはためになるシェアをしたいと思いますが、瞑想中に雑念が湧くのですがどうすればいいか、って話。滝行もそうですが、人はとかく「無になる」ことにこだわり過ぎ。私も1000回以上滝に打たれてますが、自覚的に「無」になれた感じなのはほんの数回。十指に数えられる程度。今でも雑念だらけです。エロいことを考えることもあります。瞑想も同じ。今では朝晩30分の瞑想をしていますが、「ええ感じ」になるのはそのうち3分もないかな。その3分は、ほんとに自分がなくなった感じ。ただ、感覚的に3分と言ってますが、実際には3秒くらいかも。それでもいいのですが、とにかく雑念だらけなのが事実。だけど、私(やおそらく阿部さんやボブさんも)と、瞑想を続けられない多くの人たちとの違いがあるとすれば、それは「雑念はあっていい」と思うかどうか。

 瞑想を続けられない人の多くは、雑念があるからダメ、と考えてしまいがち。それに対して、少なくとも私もまた、雑念はどうでもいい、と考えている。むしろ雑念は出てきて当然であり、だけど、それを割と客観視してるとこはあるかもね。「ああ、出たな」くらいの感じで。で、今日、これはいい話だと思ったのが、瞑想中に出てくる雑念は、その「出てくる」ってこと自体がカルマの解消になってるってこと。なるほど。そうかもしれない。雑念とは、それは自分から出てきたものである以上、ある程度の事実性はありますよね。で、その「事実」を含む「雑念」には、通常だと、そこに怨念だとか想念だとか、いろんなノイズが混じってるもの。それをカルマと呼ぶのでしょうが、瞑想を続けていると、徐々にその「雑念」のノイズが除去されるようになり、「事実」を「事実」として客観的に見ることができるようになる。

 では、どうすればノイズを除去することができるのか。それは、除去しようと思わないこと、です。ようは、出てきた時点ですでにノイズの除去が始まってるのですよ。例えば瞑想中に「月末の支払いどうしよう」って出てきたとしましょう。多くの人は、ここで「ダメだ、ダメだ、そんなこと考えてちゃ、いつまでたっても瞑想が深まらない」と考えがち。だけど、「月末の支払いどうしよう」と雑念が出てきた時点で、その雑念(思考)に対する浄化が始まってるわけ。

 似たようなのに、寝てるときに見る「夢」があります。人はなぜ夢を見るかについて、まだ決定的な結論には至ってないそうですが、今のところ有力なのが、「記憶の整理」って説。起きてると、意識的無意識的にいろんな記憶を吸収しますよね。一説によると、一日に5万とも6万とも。この辺の数字はあやふやですが。で、睡眠不足になると、その辺の記憶(情報)が入り乱れて、脳がフリーズ状態になる。つまり、ぶっ壊れる。だからこそ、睡眠が重要で、中でも夢を見ることで、ごちゃごちゃになった記憶を整理してるのだと。パソコンに詳しい人は、そこで「脳内デフラグ」みたいな連想をすると思いますが、その通りと思います。つまり、夢は、それを見る時点で整理(浄化)が進んでるもんだと考えていい。

 同様に瞑想中に出てくる雑念もまた、何もせずとも、それが出て来る時点で「雑念の浄化」が進んでるわけです。だから、雑念が出てきてもそれを無理に消そうとするのではなく、とりあえずは30分間、「月末の支払いどうしよう」などと思い続けてみてください。雑念が出てきたら、「やった、浄化が進んでるぞ」と思えばそれでいい。そのうち消えますから。そもそも、人間なんだから、思考とか雑念とかあって当然ですから。まずはその前提に立つこと。悟った人は無になってる。それはむしろ偏見ですね。悟った人ほど、雑念だらけかもしれない。比べようがないからわからないけど。だけど、違いがあるとすれば、雑念はあっていいと考えるかどうかの違い。と言うことは、今日の記事を読んで、「雑念あってOK」と理解すれば、それだけ悟りに近づいたことになります。明日からの瞑想ライフにおめでとう。

 と言うわけで、久々に阿部さんにもお会いできたし、ボブさんとも初めてお会いできたし、面白い話も聞いたし、有意義な時間でした。明日から東京です。明日13日はコーチング個人セッション、R1作戦会議、14日は終日セミナー&懇親会、15日はコーチング個人セッション、忘年会、16日はビリーフチェンジ個人セッションです。いずれもまだ若干空きはありますので、今からでも受付できますので、希望者は残席を確認の上、お待ちしております。明日は早いです。ではまた。ありがとうございました。

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Commented by riri at 2014-05-25 21:10 x
私と逆ですね。(^-^;)
ネット社会になってからの私はテレビが大嫌いで(特にニュースは報道姿勢がイラつくので)食事中にテレビを見たがる父との夕食が苦痛で仕方がありません。だから父が旅行に出かけると天国なんです。
小さな甥と一緒に暮らしていますが、子供番組やアニメを一緒に見るのは楽しいです。「妖怪ウォッチ」とか、それで子供との話題が広がりますよ。
Commented by katamich at 2014-06-02 10:40
■ririさん!
私も天気予報くらいは見たいのですけどね・・・(^^;
by katamich | 2013-12-12 23:39 | ■精神世界 | Comments(2)