怒りの回路を開け! 2013.8.28



 今日は一日オフの日。休息は大切なのです。最近、空港で文庫本を買って読む習慣があり、それも小難しい本ではなく、さくっと読める小説。百田直樹、池井戸潤、東野圭吾、、、なんだよ、オレ、流行に流されまくりじゃないか。だってですね、店頭にたくさん並んでるんですもん。他の作家で面白いのがあったら教えてください。経済、歴史、社会ものが好きです。恋愛とかは今さらだし、女性作家もあまり読まないかな。避けてるわけじゃないけど。で、今日は百田直樹の「ボックス!(上下)」って本を読んでました。ボクシングを題材とした青春小説。面白かった。調べると、漫画にも映画にもなってる。動画検索するとFC2動画に映画が全編アップされてた。申し訳ないけど、無料で見てしまった。面白かったけど、途中から早送り。最後の方で亀田興毅が出てきて笑った。何だかんだ言って、私は亀田三兄弟が好きですからね。アンチって意味での。

 それにしても亀田さんも偉いですよね。あれだけ日本全国から叩かれまくって、それでも負けずに練習を積んで、いろんな思惑はあるにせよ、世界チャンピオンにもなってる。単なるギミックじゃない。やっぱ、やることやってるわけで、その実力を貶す言葉はありません。それはそうと、小説読んでて感じたのだけど、「男」って、、、と言う言い方が適切かわかりませんが、男ってどこかに闘争本能みたいなのがあるんじゃないかと感じることがあります。闘争に必要な感情は怒り。怒りとは「大切なものを守るために必要」なわけで、女が子を産み、男がそれを守る。一般化はできないし、もちろんそれがいいとも悪いとも言えないけど、あえて役割分担があるとすれば、それはあるかも。

 だけど、人間ってのはその他の動植物と違って、生物であると同時に「人間」である。必ずしも「本能」にのみ支配されない生き物。もしも「本能」にのみ支配されてるなら、この世はすべて「強い」が支配している。だけど、実際には違う。斎藤一人さんが言うように、歴史的には「強い」から「正しい」が世の中の支配基準になっていました。そして今はそれも違うと言います。今は「楽しい」がよりよく生きるための基準。「強い」から「正しい」へ、そして「楽しい」へ。ただ、今にして思うのだけど、それは「強い」や「正しい」を無視していいってわけじゃない。「楽しい」ばかり追求して、法を犯しては生きていけないし、そしてある程度の強さは大切。この時は「強さ」とは、単純に「大切なものを守るため」のもの。その意味では男も女も関係ありません。

 今回の河口湖合宿でも大きなテーマの一つになったのだけど、「強さ」に結び付いた感情は「怒り」であり、その「怒り」を適切に処理できないことが、生き難さの原因の一つにもなっています。今回の合宿で、ある男性の方が二日目の朝に帰らなければならなくなりました(書くことについて本人了承済み)。その連絡を受けたのは前日です。聞くと、突然、夜勤を変わってくれと同僚(上司)から言われたのだと。一か月以上前からこの二日間のことは決まっていました。その同僚にどんな理由があったのか知りませんが、お世話になってるだけに頼まれたら断れないのだと。本人にも言ったのですが、これは一言で言うと、「なめられている」だけなのです。つまり、多少の「理不尽」であれば、受け入れてくれる、と思われている。

 私がもし、同じようなことになったら、「はあ?」と言って当たり前に断ります。相手にどんな理由があろうと、前から決まっていたし、その土日はとても「大切」なものだから。もちろんその「はあ?」には「怒り」が混じっています。大切なものを守るために、怒りの感情を使う。これが人間として当たり前の姿。と言うか、そもそも私だったらそんな理不尽な要求は突き付けられません。今もそうだし、前の会社でもそうでした。しかし、その方はそんな一方的な理不尽を求められ、受け入れてしまう。

 これがまさに「人生脚本」なのです。聞くところによると、そんなことがこれまでも何度もあったとか。今回も初日、河口湖駅に集合のはずが甲府駅と間違ってしまい、慌ててタクシーで一万円近く余分に払って来たとか。その出費は完全に理不尽です。「○○ちゃん、ネタ的にオイシイから、甲府からタクシーで来てね!ははは!」みたいな悪意あるイジメを連想させるような。もちろん、これは本人のうっかりではあれ、「人生脚本」とはそんな形でも出てくるのです。つまり、「人生とは理不尽である」みたいな脚本が。大切なものをことごとく理不尽に奪われてしまう。一万円なんて大金です。今さらだけど、遅刻してもよかった。私に気をつかってか、タクシーで余計な出費を甘んじてしまった。そうやって損する方へ、損する方へと自分を追いやってしまう。

 では、どうすればそんな「脚本」から抜け出すことができるのか。この場合は「怒り」を適切に使うことを、きちんと身に付けること。もっと言うと、「怒りの回路」をきちんと広げること。ビリーフチェンジセラピーをやってて、非常に多くの方がこの回路を開くことを恐れている。確かに幼少期は大人に対して圧倒的な力の差があります。例えば、親から「オマエはバカだ!」と叱責されたとします。それも理不尽に。本来であれば、「誰がバカだ!取り消せ!」と言うべきなんですが、力の差がある相手に対して、それを言ってしまえば返り討ちにあい、自分の身が危ない。だから、グッと堪えて「オマエはバカだ!」を受け入れてしまう。受け入れることによって、自分の身の安全と、そして親からの愛を得られるかもしれないから。

 そうやって「怒り」を抑え込み、「バカ」という信念(ビリーフ)を受け入れてしまう。その結果、「私はバカだから何をやってもダメだ」なる脚本ができ、その通りに人生を歩んでしまうのです。目標を定めてもバカだから達成できない、願望を持ってもバカだから実現できない、結婚したくてもバカな自分など好かれない、お金持ちになりたいけどバカだから無理だ、こんなバカは生きてても仕方ないけど、バカはバカなりに人生を苦しめばいいんだ、、、という脚本を実現してしまう。極端な話だけど、こんな人はすごく多いし、何度もセッションに立ち会ったことがあります。一発で効く人もいれば、そうでない人もいます。一発で効く人は、生きる力がわき、やる気が出て、そして嫌なことが起こらなくなる、なんてことがよくあります。と言うか、それが普通なんですけどね。また、一発で効かない人は、それなりに深いものがあるので、何度か回数を重ねることはあれ、必ず効果が出るもの。だって、人間が本来持ってる「怒りの回路」を開けばいいだけですから。

 「怒りの回路」を開いたところで、別に怒りっぽくなるわけじゃないし、それで人と衝突しやすくなる、などもありません。逆に「怒り」を溜め込んでない分、「怒り」を実現させるような出来事を引き寄せなくなる。かえって朗らかになるもの。人を許して、感謝の気持ちも自然と出てくるもの。「怒りの回路」が開いてなかったら、溜め込んだ「怒り」を実現させる現実が引き寄せられる。だから不運が続いたり、理不尽や嫌なことばかり起こるのです。病気や怪我に見舞われることも多い。

 とにかく、スピリチュアル業界に多いのだけど、とかく「いい人」を目指そうとする。確かに「いい人」は理想ですよ。だけど、それが本来の「怒り」を犠牲にした「いい人」ならば、それは世の中から「どうでもいい人」とみなされるだけ。世の中の偉業を成し遂げた人、歴史に名を残す人は、人生において大切な瞬間にきちんと「怒り」を使っています。

 百田直樹さんの「海賊と呼ばれた男」のモデルとなった出光佐三氏にしても、巨大な石油利権や既得権に対して「力」を持って立ち向かった。その「力」の源となる感情は何か。喜びでしょうか、感謝でしょうか、赦しでしょうか。違いますよね。かと言って悲しみでも恐れでもない。「怒り」なのです。

 スピリチュアルはなぜに「怒り」を敵視するのか。それは「怒ってはいけない」という禁止令を持っている人がスピリチュアルになびきやすいから。「怒り」を出すのは危険だ。スピリチュアルに入ると、そんな自分を慰めてくれる言葉と出会い、その瞬間は確かにホッとする。だけど、それだけ。根本の問題が何も解決せずに、同じことの繰り返し。「怒ってはいけない」なる禁止令がどんどん強化され、ますます苦しくなっているだけのこと。肌は荒れ、眉間のしわが深まり、呼吸はどんどん浅くなる。だけど、スピリチュアルに出会えば、その時は一瞬、楽になる、、、気がする。その繰り返し。

b0002156_16443015.jpg もういいじゃないですか。そんなクソみたいなメッセージに頼らなくても。自分が自分らしくあるには、必要な感情をしっかりと使うこと。大切なものを守るときは怒り、失ったものを乗り越えるときは悲しみ、危険から身を守るためには恐れ、そして本当の人生を生きるためには大いに喜び。自分が自分らしくあるだけでいい。そのためにはただ「素直」であれば、いい。理不尽に対しては理不尽と言えること。我慢などする必要ない。できないものはできないと言う。嫌なものは嫌だと言う。ただそれだけで自分らしくあれるのに、だけど、ただそれだけのことができない人がなんと多いことか。そんな人生とはもう手を切りましょう。

 不動明王も怒りの化身。仏の中にも怒りはあるんです。今日はこの辺にしときます。ありがとうございました。 

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by katamich | 2013-08-28 23:39 | ■精神世界