そうか、オレの立ち位置って 2013.8.13



 昨日は最初、イタ飯屋で飲んだ後、近くのカフェバーのようなとこで飲み直し。昨日の写真がそこです。12時過ぎにホテルに戻り、そのままバタン。やっぱり、お酒に弱くなったようです。朝起きると身体がベタベタ。シャワー浴びてなかった。スッキリしてからコンビニでスイカを買って朝食。難波のビジネスホテルなんですが、周囲は大人のお店がいっぱい。この空気。おそらく万国共通だと思われます。シンガポールのゲイラン、バンコクのパッポン、アムステルダムの飾り窓、、、みたいな雰囲気をふと感じ、ちょっとだけ旅して気分に。そして思った。旅が仕事になる。仕事が旅になる。大昔から夢想していた姿が今や見事に現実に。

 まだまだそんなに多くはないのだけど、独立してから仕事で訪れた街は、北から札幌、仙台、金沢、東京、横浜、清里、熱海、静岡、名古屋、京都、大阪、広島、出雲、熊本、鳥栖、鹿児島、そして沖縄。いや、まだあったと思うけどキリないね。これから先はさらにさらにいろんな場所を訪れるんだと思います。文字通り全国行脚。地域地域でいろんな人と出会い、そしていろんな文化に触れる。最高ですね。そしてさらには、仕事と言っていいかわからにけど、私の中の位置付けとしては「海外」も立派な仕事。今はまだインドに二回行っただけだけど、今年はアイルランドとUAEへ。おそらくは今後、講演やセミナーでもいろんな国を訪れる予感がありますね。毎日が楽し過ぎ。だからこそ、健康にだけは気を付けないとね。だけど、体重はみるみると標準に向かいつつあるので、次回の健康診断が楽しみです。

b0002156_13321149.jpg 話を戻しますが、今日のホテルは正午にチェックアウト。周辺はいかがわしかったけど、ホテルは健全でした。午前中はゆっくりして、午後からはコーチングのセッションを一件。そして夜は、、、ああ、めちゃくちゃ楽しかった。中学高校の吹奏楽部の先輩後輩らと飲み会だったのです。フェイスブックでの急な呼びかけでもあったので、当初は私入れて三名くらいと思いきや、直前に増えて計6名に。私が中1のときの高1のOさん、Oさんが中一のときの高3のHさん、私が高3のときの高1のKくん、Nさん、中1のMさんって感じで、世代もきちんとつながってます。今日のど真ん中が私かな。

 うちの吹奏楽部はコンクールでは府大会止まりなんだけど、なぜから卒業後にプロになるようなスタープレイヤーがいっぱいいました。コンクールで上まで行けなかったのは、世間の名門校に比べると絶対的に練習量が不足していたのと、入賞のための専門的な練習をしてこなかったからでしょう。大阪では淀高って有名なとこがあるんだけど、一人ひとりはえ?って拍子抜けするレベルと聞く。もちろん上手い人もいるのでしょうが。それに対して、うちの卒業生にはプロになった人も多いけど、そうじゃない人でも、めちゃくちゃ上手い人が多かった。ぶっちゃけ、私などは才能はぜんぜんないのだけど、そんな環境にいたためか、卒業して一般の吹奏楽団なんかに入ると、いつも上の方だった。ソロも何度もした。私の中の基準がめちゃくちゃ高かったんですよね。先輩後輩に恐ろしい人間がいっぱいいただけに。先生がプロのクラリネット奏者だけに、確かに卒業生はクラリネットでは突出していましたね。

 今日飲んだKくんはプロだし、Oさんも現役時代は惚れ惚れするほど上手かった。とにかくほぼ20年ぶりに近いような人たちばかりで、だけど、フェイスブックのおかげなのか、さほど久しぶり感もなく、話し始めると歳月が一気に縮まりますよね。それぞれの記憶の引き出しがポンポンあけられて、もう苦しかった。笑い死にするかと思ったほど。お酒が入ってるから余計にね。そんな中で、今日、言われてすごく嬉しかったことがあります。プロとして活躍中のKくんからは、「自分がプロになったのは石田さんのおかげでもあるんですよ」って。

 聞いてみると、私は高校のとき、モーツアルトを中心にクラシックにハマってて、コンクールの合宿のときとか、当時はまだ珍しかった「CD」を持ち込んでよく聞いていました。一枚3,500円位する時代。その中で、ジャック・ブライマー、レオポルド・ウラッハ、カール・ライスターなどが演奏するCDを「これ、聴けや」と言って、よく聞かせていました。私自身もちょうどその一年前、ライスターが演奏するモーツアルトに感動しまくって、そのおかげで吹奏楽部を辞めないで続けようと再決心してほど。同時に、楽器のこともいろいろわかってきまて、技術的にも多少は向上したんだと思います。そんな体験があったからこそ、後輩にも聞いて欲しい。半ば独善的にでも聞かせていました。だけど、そこからKくんもまた、クラリネットや音楽そのものへの興味が深まり、紆余曲折ありながらも今では関西を代表するプロ奏者。

 そう言えば先日も、プロの指揮者・ヴィオラ奏者になった男からも同じようなことを言われました。「自分がプロになったのは、石田さんのあのときの言葉があったからなんですよ」、みたいな。考えてみたら、音楽に限らず、人にそのような「影響」を与えてきたことは、私の人生において決して少なくない。旅、哲学、精神世界、自己啓発、心理学など、様々な分野において、私は今でも情報発信しています。ブログも書いています。そしてしばしば、「~のおかげで」と言われることがよくあります。もしかしたら、昔からそのようなインフルエンサーとしての立ち位置があったのかもしれません。そしてもちろん私自身もこれまでいろんな人から影響を受けてきて今があります。そこで受けた影響をさらに世の中に還元する。そしてより高い価値を生み出していくんですね。そんな「あり方」はこれからも大切にしていきたいと思います。

 それからも一つ。私は昔から「夢」がありました。それは優れた文化を育てるための「パトロン」のような存在になること。ただ、優れた文化と言っても、決して客観的なものじゃなく、単純に私と縁がある人とか好きな人に対して。特に音楽がそう。私自身は音楽は大好きですが、決してプレイヤーではありません。だけど今でも大好き。どんなジャンルに限らず、音楽のない人生は考えられない。思えば、私が好きな国ってのは、ものすごい音楽文化があるとこばかり。インドしかり、アイルランドしかり。東南アジアも好きは好きなんだけど、どうでしょう。タイ音楽とかマレー音楽ってのはあまりパッと思い浮かびません。だけど、バリ音楽はすぐ浮かぶ。だからバリも好き。あとは、ハンガリーとかオーストリアとかヨーロッパも伝統的な音楽文化があります。じゃあ、そのような文化を育てたのは誰なのか。もちろん一人ひとりの音楽家がいてこそですが、その後ろには必ずパトロンなる存在がいた。今も昔も、芸術ってのはいかに優れていようとも、すぐに市場性に結び付くものじゃありません。

 ジャズだってそうです。1950年代と言うと、ジャズ花盛りの時代と思われるでしょうが、実のところ失業者にあふれてて、今やレジェンド級のジャズマンでもタクシー運転手をしていた、なんて現実がありました。音楽だけで食えないのです。そこで、そんな優れたアーティストを育てた人物がいました。最も有名なのがパノニカ男爵夫人でしょう。ロックフェラー系に血筋のある大富豪。ニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードなどでは、いつも貴婦そのものの出で立ちで定位置に座っていたとか。そんなパノニカを冠したジャズの名曲も数知れず。セロニアス・モンクの「パノニカ」や、ホレス・シルバーの「ニカズドリーム」など。また、モーツアルトにもたくさんのパトロンがいたように、音楽、芸術ってのは伝統的に「パトロン文化」なんです。アーティストだけじゃなく、それらを育てる誰かがいないと残らない文化。

 そして私自身も、、、できればそのような存在になりたい、と思っていました。もちろんパトロンと呼ばれるような資産はまだまだありませんが、飲み代くらいはいつでも出せるようになりたい、音楽で飯食ってる人間には絶対に出させない。そんな立場でいたいとずっと思ってきましたが、ここにきて、ようやくそのレベルには実現したようです。そして私自身ももっともっと稼いで、大切な文化に還元したい。割と本気で思っています。なぜなら音楽が大好きだから。まずは、飲み代くらいはケチケチせずに、演奏会のちょっとした資金援助くらいは惜しみなく出していきたいな~と思うのです。

 だけど、なんででしょうね。そうやって出してると、私の通帳にもほぼ倍返しで入ってくるもんなんですよね。気持ちよく出せば気持ちよく入ってくる。宇宙の法則かもね。それはともかく、今日の飲み会は本当に楽しかった。終電も近いので一応お開きになるものの、4人が残って近くのバーで再び飲み直しに。時間がたつのが早すぎる。実は来月もこの関係で大阪に帰ることに。もしかしたら、、、5~6年ぶりに楽器を出す日がくるのか。だけど、メインは何と言ってもなつかしい人たちとの再会と語りなんですけどね。ほんと、今日は楽しかった。ありがとうございました。

今日の話に共感して頂ける方はクリックをお願いします!
↓ ↓

人気blogランキング
by katamich | 2013-08-13 23:39 | ■音楽