超意識へのプロセス 2013.8.7



 滝行5日目。一週間の滝行ですので、楽勝ですね。今日から三日間、食事は動物性蛋白質と炭水化物をカットしてみます。今朝の食事はリンゴ。昼は味噌汁と豆腐。夜は豆腐と納豆とキャベツと切干大根。なんちゅう食生活だと思いますが、これはこれで楽しんでる部分もありまして。ちなみに私、お肉大好きです。炭火の焼肉とかBBQとか、めちゃくちゃ好き。気分が上がるしね。だけど、それはやっぱりハレの宴であって、普段は質素にする方が楽しいことに最近気づきました。身体が軽くなるのは気持ちがいいですし。とりあえずこの三日間で炭水化物もカットしてみたので、どうなるか楽しみ。

 ちなみに私の思い込みでしょうが、体重の減少と収入のアップはどうも連動してるような。コーチングを受けるようになったのも関係してるでしょうが、とにかくタイミングがピッタリなんです。体重が減れば、お金が追いかけてくる。やっぱりですね、自然なのが一番と思います。身長169センチだと、理想体重は61キロ。身体がキレイに見えるラインが女性は身長マイナス112、モデルはマイナス115、男性は108だそうで、その基準です。となると、やはり60キロくらいまでは落としたい今日この頃。となると、もうちょっと頑張らないとね。とりあえずあと3キロほどで目標体重には到達します。私の場合、理想体重と目標体重の真ん中が標準体重で、おそらくその辺が「自然」なラインなのでしょう。と言うことは、今の体重はまだまだ不自然。不自然な状態でパフォーマンスを最大化できるはずありません。以前、とあるチャネラーさんから、私は月収5,000万円のポテンシャルがあると言われました。チャネラーさんの言うことなので、話半分ですが、ポテンシャルと言う点ではあるのでしょう。少なくとも月収500万円は普通に見えていますし、とりあえずはそれで不満はありません。

 それもこれも、私が「自然」に戻りつつあるからだと解釈しています。特に最近は妙にヒラメキが走ります。以前にも増していろんなことがわかってきました。では、この「自然」とはどういう状態なのか。私は、「自然」とは「超意識とつながった状態」と定義しています。と言うことで、今日は昨日に引き続き「超意識」の話をしたいと思います。まず、いわゆる「意識」には三層の構造があり、それは、

・顕在意識
・潜在意識
・超意識


となっています。顕在意識とは言葉によって思い描かれる思考のこと。潜在意識とは言葉にならない「感覚」の世界のこと。そしていつも言うように、潜在意識の役割はただ一つ。「安心・安全」を守ること。この場合の「安心・安全」とは何か。それは「現状」のこと。つまり、潜在意識はただ「現状」を維持したいだけで、太ってるのが現状ならば、それを維持するのが安心・安全と判断します。低収入が現状なら、それが安心・安全。危険な変化を起こさせまいと、100%の力で守っている。これが潜在意識です。そして超意識とは何か。それは現状や安心・安全を超えた、本来の自分、自然な自分、最も宇宙と調和した自分のこと。

 昨日も書いたように、私の体重は2か月前まで76キロでした。それは明らかに太っています。それに対して、前々から超意識は「オマエらしく生きるには、その体重は不自然だ」と言い続けてきました。だけど、潜在意識がことごとく邪魔をする。現状を守ろうとする。しかしここにきて、いよいよ観念するしかなくなってきた。次々とメッセージがやってきて、私も、そして潜在意識もとうとう超意識に従うことになってしまったのです。するとどうなるか。なんともまあ、すいすい進むわけですよ。超意識につながってしまえば、こんなに人生はスムーズに進むものなのか。わかってはいたけど、今にして、完全に実感。もちろん今までも超意識の存在は身近には感じていたけど、ダイエットの話をされるとつい横を向いていた。「自然」ってこういうことだったのか。毎日がインスピレーションの嵐。

 で、超意識につながってしまえば簡単なんだけど、なかなかそうさせない存在がある。それが潜在意識なんですよね。そこで久々の図解説明。かなり気持ち悪い図になってしまいましたが、内容を理解してください。潜在意識をさらに二層にみるとこうなります。
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 中の黄色っぽいゾーンが潜在意識ね。その外側には「感覚ゾーン」があって、内側が「ビリーフ(人生脚本)」となっています。私たちの人生をコントロールしているのが、まさにこのビリーフ(人生脚本)になるのです。この部分はどうやって形成されたかと言うと、大まかには「安心・安全」を守るため。もっと直接的に言うと、「両親から愛を確認するため」にできたのです。例えばダイエットの話でいうと、以前、「オカンの二玉事件」ってのがありました。私たち兄弟は全員成人してしばらくの大みそかの夜のこと。晩御飯にすき焼きだったか、寿司だったかをたくさん食べたのですが、一応、縁起物として年越しそばを毎年食べていました。そのそばが大問題。オカンはなんと私たち兄弟全員に二玉ずつ用意していたのです。それを見た弟が珍しく声を荒げます。あれだけご飯食べたので、なんでこんな時間に二玉を食べなアカンねん、と。これには同感。

 中学生じゃあるまいし、いい加減、いい歳です。だけど、オカンの中には「子どもたちがお腹すかせたらかわいそう」みたいな思い込みがあったようで、私たち兄弟もその思いに応え続けてきたのです。つまり、親の感情に応えることが子どもの義務のような価値観があり(ほとんどの子どもにあるのですが)、それをそのまま引きずってきた。つまり、食べることが親の愛を確認することであった、のです。食べなかったら親は怒るかもしれない、悲しむかもしれない、怖がるかもしれない。その思いを受けまいと、「食べる」ことでかわしてきたのです。このケースだと、おそらく「恐怖」の感情があったと思います。親は子どもが食べる姿を見て安心する。私もよくわかります。程度問題ですが、つまり、私は親の「恐怖」を鎮めるために食べていたのです。その感情は私にもコピーされて、つまり「恐怖」が「食べなければダメだ」なるビリーフ(人生脚本)を固めていたのです。

 もっと深刻な例で説明します。「存在してはいけない」なるビリーフがある場合はどうか。意図せぬ出産から、子どもの存在が邪魔でしょうがないお母さん。ことあるごとに「オマエなんか産まれてこなければよかったのよ!」と言い続けられてきた。本来、相手が母親であろうと、自分の「存在」を否定されることは、生きてる証拠、尊厳を奪われること。大切なものを守るには「怒り」の感情が本来は必要。だけど、母親に「怒り」をぶつけたところ倍返しに危険にあいます。潜在意識は危険を避けたい。と言うことは、尊厳を奪われようと、「怒り」を出さずに静かに受け入れた方がいい。その結果、「存在してはいけない」なるビリーフを構築し、人生の重要な場面場面でそのビリーフ(脚本)が登場して、例えば、ことごとく失敗するなどのパターンを繰り返すのです。

 この場合は「怒り」の感情が「存在してはいけない」なるビリーフをガチガチに固めていた。上の図でいうと「赤玉」が「怒り」です。ただ、ちょっと変な玉もありますよね。赤玉を青が囲んでるような玉。これが厄介なのです。見ての通り、これは「怒り」を「悲しみ」が覆ってる感情です。「怒り」を出すと倍返しで危険な目に合う。だったら、怒らずに泣いてた方がいい。その結果、「怒り」を「悲しみ」で封じ込めてしまい、本来は怒らなければならない状況でも、いつも泣いてしまうのです。

 「怒り」、「悲しみ」、「恐れ」は出せば消えます。味わえば消えます。それらの感情の意図を理解すれば消えます。つまり、「怒り」は大切なものを守るため、「悲しみ」は失ったものを乗り越えるため、「恐れ」は危険から身を守るため、、、それぞれの意図を理解し、味わった瞬間にそれらの感情は消えていきます。しかし、泣いても泣いてもそれが消えないのはなぜか。それは、本来の「怒り」を出さずに、偽物の感情である「悲しみ」で誤魔化していたから。この場合の「偽物の感情」のことを代理感情と言ったり、ラケット感情と言ったりします。代理感情は出しても出しても消えません。消えるのは、それが本物の感情である場合のみ。

 存在してはいけない。このビリーフ(人生脚本)を書き換えるにはどうすればいいか。そのためにはまず、このビリーフをガチガチに固めている「感情」を処理する必要がある。この場合だと「怒り」がメインです。まずは「怒り」をしっかり出す。なんで私を産んだんだ。無責任過ぎる。私の尊厳を返せ、私の存在を返せ。きちんと本来感じるべき「怒り」と向き合うのです。その瞬間、「怒り」は次第に消えていき、それ以外の「悲しみ」や「恐れ」も処理したとき、次のように潜在意識は書き換わります。
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 「Ⅱ」がそれです。多少の感情は残ってますが、それでいいのです。「怒り」も「悲しみ」も「恐れ」もすべて必要な感情。なくなっては逆に困ります。だから、少しは残っていい。私ももちろん残っている。だけど、ここにきて初めて「喜び」なる感情を見つけることができるのです。「怒り」も「悲しも」も「恐れ」も出した。「存在してはいけない」はウソじゃないか。じゃあ、どうなんだ。存在を認めるのは誰か。両親か。違う。私だ。誰がなんと言おうと、私は価値がある。これがいわゆるビリーチェンジです。そしてその瞬間、人間の基本的感情の一つである「喜び」が大きくなりはじめる。「喜び」は他の三つの感情と違って、出せば出すほど、味わえば味わうほど「増える」のです。その結果、「Ⅲ」のようになる。

 「喜び」が「私は無条件に価値がある」というビリーフ(人生脚本)を固めています。するとどうなるか。今まで不運続きの人生であったとしても、「喜び」の感情がそれを満たすための現実を引き寄せるのです。「私は価値がない」、、、これを「不運」と言います。「私は価値がある」、、、これを「幸運」と言います。一瞬のうちに「不運」が「幸運」へと変わってしまいました。さあ、どうだ。あなたは幸せになるしかない。ハッピーになるしかない。「喜び」は味わえば味わうほど増える。雪だるま式に増える。その結果、ツイてることしか起こらなくなる。まるでオレのように。収入もどんどん上がるし、やりたいことはどんどんできる。楽しい仲間しか集まらなくなる。おかげさまで、私の周りにはハッピーな人しかいません。当たり前の話。私自身がハッピーすぎるため、その波動に見合う人しか近寄れなくなっているのです。あえて言います。と言うことは、私の周りにいる人はそれだけハッピーなのです。どうだ!

 それはさておき、これがいわゆる「ハッピーな人生」ってやつですね。そしてその先があります。ハッピーだ。十分じゃないか。私は満たされている。このままでいい。感謝しかない。そのように心の底から思った瞬間、顕在意識も、潜在意識も、もちろん感情もビリーフも、、、弱まっていき、そこに現れるのが、そう、「超意識」なのです。これが「超意識」とつながった状態、宇宙とつながった状態、宇宙となかよしな状態、なのです。ⅣからⅤの流れですね。
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 これがまさに「自然」な状態。超意識のメッセージを受け取りまくって、願望がどんどん叶う状態。ハイヤーセルフでもいいですよ、名前はなんでもいいです。とにかく「Ⅴ」の状態が一つの着地。ここに行き着くためには、実は一足飛びではなかなか難しい。様々な修行、つまり現実的な修行を通して、「感情」としっかり向き合う、味わい尽くすしかないのです。3次元は修行の場です。肉体によって「味わい尽くす」ための修行の場です。いつか私たちは肉体を失います。そうなると、もう「味わい尽くす」ことはできません。真の悟りの世界がそれ。だけど、私たち生きています。肉体をもって生きています。だから尊いのです。

 結局、人は皆平等。たまたま「味わい尽くす」ための修行のレベルが違う程度で、先に味わい尽くした人は「あ~、そうだったのか」と気が付くし、そうじゃない段階だと、もうちょっと「味わい尽くす」をやってみましょうか、ってこと。だけど、それは決して苦難ではない。味わうと怒りも悲しみも恐れも消えるのです。そして喜びだけが残って増殖する。感情を味わう。これが、3次元に生きる私たちに与えられた尊き修行であり、その先にあるのは、、、絶対的な喜びでしかないのです。ははは。

 ご理解頂けたでしょう。この世は実にシンプルですよ。とにかく味わい尽くす。これに尽きます。月末の河口湖合宿もまた、、、人生を味わい尽くす尊き場、楽しい場になるでしょう。今回は新規の方が大変です。きっと「恐れ」を振り切って申し込まれたと思います。しかしいざ、フォームを送信してみると、それまでの「恐れ」は消えていることに気づくでしょう。それもまた「味わい尽くす」ってことなのです。そんな機会を逃すことなく、まだ若干名、お待ちしております。「超意識」との出会いを楽しみにしててくださいね。そんなとこで、また明日。ありがとうございました。

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by katamich | 2013-08-07 23:39 | ■精神世界