宇宙となかよし

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クサい人生 2013.5.4



 今日もまた本を読んでいました。五木寛之「青年は荒野をめざす」です。何となく読みたくなってアマゾン中古で入手。奥付を見ると初版が昭和49年なので私が産まれた翌年のもの。40年前か。実はこの本を読むのは二回目。前は1997年のオランダはアムステルダムのユースホステルのベッドの上で。アムスと言えば大麻。隣のベッドの日本人が枕の下に大麻を隠してて、「すげ~」とか思ったもの。ただ、そのユースはキリスト教系だったのもあってか、大麻の持ち込みは禁止。間もなく見つかって追い出されました。その本はそのユースで一緒にいた人から借りたものでした。

 初めて読んだときは純粋に感動してしまった。しかし、それを貸してくれた男は「うるさい」と言ってあまり好きじゃなかったよう。と言うか、全体的にその彼は斜に構えてました。名前もなんも忘れてしまったのでA君とします。A君とはそのユースで出会いました。日本人同士ってことだけで一緒の飯とかに出てたのですが、行くところは中華のみ。それも決まって炒飯とスープ。オレもだけど。出会った時点では大麻経験なし。オレも。いつものように二人で中華料理店で炒飯を食べてると、後ろ子から日本語で声をかけられます。振り向くと同じく炒飯を食べてる日本人旅行者。「日本語が聞こえたから~」と言って、同じテーブルにお誘いしました。

 彼はいわゆるジャンキー。アムスに旅行者として長く滞在してるのですが、目的は大麻をやること。両腕にビッシリとタトゥー。そして虚ろな目をしながら大麻談義。ちょうどキマってるとこらしく、そんなときは安い炒飯でさえなんとも言えず美味いらしい。今年の受賞作(大麻の)はヤバかったとか、こんなハッピーな植物は日本でも合法化すべしとか、そんな話を聞いてたのだけど、その彼を見てると「やっぱり違法だよな」と思いました。しばしば大麻はタバコやアルコールと比べて安全で依存性もなく、さらに食品や薬、天然資源にもなるとかで、合法化を叫ぶ人も少なくありません。その手の情報に最初に触れたのは、中山康直さんの本。最近、逮捕されて執行猶予付き実刑の判決が下ったそうですが、すぐに上告したとか。事実関係はよくわかりませんが、「そもそも大麻が違法なのがおかしい」と言ってるのか、「法律に触れるようなことをしていない」と言ってるのか、どっちなのでしょう。後者なら争ってもいいと思いますが、前者なら判決は妥当でしょう。だって、日本は法治主義、つまり近代国家だから。個人や団体の思想信条などは、あくまで「法の下」とするのか近代国家の条件ですから。

 それはともかく、私自身は大麻の有用性、可能性には興味あるものの、身体に安全で依存性はないけどもハッピーになれる、、、については今の日本ではヤバいかな、と。だって、もし合法化されて、目の前のタトゥー男のような奴が増えたら困りますもん。大麻吸って炒飯食うだけの毎日。本人はハッピーかもしれないけど、それを支える周囲の人間、社会があることを忘れてはならない。そんなことを考えながら、「今からコーヒーショップ行くけど、どう?」と誘われました。私はちょっと躊躇したものの、A君は興味津々。コーヒーショップとは「コーヒー」じゃなくて「大麻」が売ってる店のこと。見た目は普通にカフェなんだけど、メニューが大麻ばかり。タトゥー男が一つチョイスして紙に巻き始めました。火をつけて「はい」と手渡されたのですが、私はタバコも吸わないので、そのときは拒否。A君はそのままタバコと同じ感じで吸い始めます。初体験。

 それまでA君はオランダから出たい、出たいと言ってました。そもそも自分には海外が合わない、とかも。何かの情報に触発されて日本を飛び出したのだけど、その中に「青年は荒野をめざす」もあったのかな。本人は「うるさい」と言ってましたが、それでも持ち歩くほどの本ではあるようで。スーパーで買ったコショウの香りを嗅ぎながら、人生の不満ばかり。インドにはいつか行きたいけど、自分がダメになったときのために取ってある、、、とか言ってましたが、そんな不満ばかりの人生、すでにダメだろ、と心の中で思いました。とにかく、何かの触発されて旅に出たはいいもの、思った以上に楽しくない。女の子とも出会わないし、そもそも相手にもされない。たぶん童貞だろう。そんなA君と妙につるんでいた私も私だけど、いわゆる「お子ちゃま同士」だったのかも知れません。

 大学生の旅行シーズンでもない時期(7月初旬)、アムスにいる旅行者はたいていが大麻目当て。だけど、A君と私だけは未経験。別のある日、タトゥー男とは別の日本人といつもの炒飯を食べてるとき、彼も当麻しにやってきたのだけど、その彼は飯食いながらでもいつもセックス談義。ア〇ルにはやったことないけど、ビーズは通すとか意味不明の話ばかりして、A君と私は何も言えずにただ聞くだけ。そんなA君もついに大麻デビュー。吸うと間もなく顔の表情が緩み、店を出ようにも足がふらふら。A君に肩を貸しながらなんとかユースに戻ります。「もういい」とかぶつぶつ言ってました。

 私もそろそろアムスを出ようと、蚤の市で自転車を購入。自転車でヨーロッパを周ることにしたのです。なんと健全な。そんな感じでA君とは別行動してたのですが、アムスを出る日のこと、運河のベンチに座ってるA君を見かけます。声をかけると、ちょうどコーヒーショップから出てきたばかりで、目がトロンとなってます。「いしださん、、、いや~、はまっちゃいましたよ」、と。そうか、よかったなあ、ハッピーそうで。私は振り返ることなく、西に向かって自転車をこぎ始めました。

 そんなA君から貸してもらったのが「青年は~」です。やっと元に戻りましたね。話の内容は至ってシンプル。ジャズ奏者を目指す主人公ジュンが、トランペット片手にソ連に渡り、そこからフィンランド、スウェーデン、デンマーク、フランス、ポルトガルと進み、最後はアメリカに向かう貨物船に乗るところで話は終わり。なんか中途半端な感じ。最初に読んだとき、何に興奮したかと言うと、ジュンがソ連で出会ったスチュワーデスの女の子と童貞を捨てるシーン。ああ、こんな旅最高。その後もスウェーデンで熟女とさらにその娘ともやり、別のとこではソ連で出会った日本人女性と再会してやり。オレにもこんな体験がこれから待ってるのか~と胸をワクワクさせてたアムステルダムの真っ昼間のことでした。そんな話はともかく、今読むと古クサいし、いや、それ以上に青臭くてこっ恥ずかしい記述に顔が赤くなるのだけど、読後感は当時とあまり変わってないかな。やっぱ、青年は荒野を目指すべきだよ、と。

 ちなみにこの本は当時、小田実の「何でもみてやろう」と並んで、旅人のバイブルだったらしい。今はヨーロッパに行くにも飛行機でひとっ跳びですが、当時はまず神戸や長崎から上海に船で渡り、そっから陸路を伝ってシベリア鉄道で北欧に向かうのが一番安く一般的なルートだったらしい。1997年当時はすでに飛行機の方が安かったのだけど、それでもその旅をトレースしてきた旅人にも会いました。そしてオレもそのうち、、、と思うのだけど、ただ、同じルートで旅しても、iPhoneは手放さないだろうな、そこが決定的に違うところか。ジュンはそうやってシベリアから北欧、南欧と進む中、いろんな人間と出会い別れ、そして最後はリスボンで合流して貨物船でニューヨークに向かう。ジャズ道を突き進むジュン、女優志望のマキ、大富豪を目指すケン、新たな本を書く目的を見つけた教授らと貨物船内で語り合うのだけど、そのときの教授のセリフがクサすぎる。

「男たちは常に終わりなき出発を夢見る。安全な暖かい家庭、バラの匂う美しい庭、友情や、愛や、優しい夢や、そんなもの一切に、或る日突然、背を向けて荒野をめざす。だから彼らは青年なのだ。それが青年の特権なのだ。ジュン君がジャズをやりたいと思う。するとこれまでのジャズの世界に安住しているだけでは気が済まない。誰もこれまで行ったことのない、新たな未知の荒野をめざして君は歩き出す。だから君はジャズをやる権利がある。麻紀さんだってそうかもしれん。わしだって、そうだった。地方大学の教授の職と平和な家庭を捨てて、わしは新宿に自分の荒野を探した。そしていま、若い君たちとヨーロッパを南下し、何が待っているのかわからないアメリカへ行こうとしている。つまりわしも荒野をめざす青年の一人なのだ。そうじゃないか、え?」


 ネット検索すると、このフレーズがいろんな人から引用されてるので、コピペで済みました。24歳でこの本をアムスで読んだとき、私はまぎれもなく「青年」でした。ドイツでビールを買うとき、しばしば年齢確認されるくらいには(日本人は童顔だからね)。じゃあ、今はどうか。40歳。やっぱり「青年」だね。今の生活自体が「荒野」のようなもの。何度も何度も「安定」を求めてきたけど、いつになっても目の前に広がるのは「荒野」でしかない。振り返ってみると、確かに「道」はできてるのだけど、前を向くとやっぱり「荒野」が広がるのみ。だけど、オレはそんな人生を選んできたし、これからもそうだろうね。

 何が起こるかわからないけど、だから楽しい、だから人生なんです。そしてそんな人生を分かち合える仲間がいればなおよい。私がやたらとツアーをやりたがるのも、こんなとこがあるからかな。9月のアイルランドではおそらくレンタカーで、私にとっても未知の世界。一度自転車で周ったとは言え、同じルートを周るわけじゃないし、何より今回は「仲間」がいる。そしていつまでも青臭い青年であろうとする。さすがに今はスタウトを買っても年齢確認されることはないだろうけど、気持ちはアムスでA君と炒飯を食べてるときと何も変わりません。写真は1997年7月8日のオレ。
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 アムステルダムのマルクト広場の計量所の前にて。今から自転車で西に向かって出発。だけどこの自転車は翌日に盗まれる。それでも新たに自転車を買いなおして、ウィーンまで進んだのでした。世界もインフラが発達して、ネットも充実して、当時に比べると「荒野」はどんどん開発されたのだろうけど(もっともマルコポーロはおろかイザベラ・バードの時代と比べると当時も十分に開発されてたけど)、だけど、「人生」という「荒野」はまだまだ未開発。だから面白い。これから何が起こるんだろう。一年後、半年後、いや、一か月後だったわかりません。また、ものすごい出会いがあって人生が大きく揺れるかもしれない。だけど、そんな可能性があるからこそ面白いのです。

 と言うわけで、本自体はビックリするほどクサいのだけど、それを16年ぶりに読んで改めてブログを書きたくなる程度にはオレもクサいってことを確認できました。あ~、よかった。そんなとこでまた明日。ありがとうございました。 

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by katamich | 2013-05-04 23:39 | ■読書・書評
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