村上春樹の新作を読んで怒る 2013.4.15



村上春樹の新作を読んで怒る 2013.4.15_b0002156_14171231.jpg とりあえず村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読み終えました。夕方から読み始めて、あれこれしながら読了したのが夜中の3時。まあ、オレの睡眠時間返せ!ですよね。悪い意味で。今日の記事はネタバレするつもりはないけど、まっさらな気持ちで新作を読みたいって人は、ちょっと後回しにした方がいいいかな、と言っておきます。今回もやっぱり「村上春樹」だったな~って感想。悪い意味で。

 私自身、そんなに村上春樹を読みまくってるわけじゃなく、それでも作家単体としては読んでる方だと思います。何度も言うように、私は高校卒業するまで「活字」の本をほとんど読んだことがありませんでした。せいぜいモーツアルトに関する本くらい。漫画は好きだったけど。浪人して予備校に行き、そのときの現代文講師に初日から触発され、一気に読書人に突き進むんです。ただ、今思うと、私の実家は常に「読書」の環境にはあったので、無意識のその下地ができてたんでしょうね。両親兄弟すべて読書家の部類でしたし。ただ、浪人、学生時代はもっぱら「思想・哲学」にハマってて、小説なるものを読み始めたのは、24歳の世界一周のとき。日本人旅行者の間で周ってくる文庫本を片っ端から読んでました。その中には当然、村上春樹もあったし、村上龍もあった。宮本輝、遠藤周作、五木寛之、司馬遼太郎、藤原新也、などもよく周ってきました。中でもやっぱり村上春樹は別格で、狂気する人がいるのもよくわかる。官能小説じゃないけど、それ以上にエロくて、どことなく都会的なセックスに憧れを抱かせることしばしば。

 大学時代、村上春樹に惚れこんでいる女友達がいました。めちゃくちゃ美人なんだけど、それが近寄りがたい雰囲気を醸し出してるのか、授業ではいつも独りぼっち。と言うか、近づくなオーラがあった。友達らしい友達はオレと数人くらい。男友達としては、学内では多分オレだけ。周りの男たちから「おまえ、なんで、あのこと仲いいの?」とよく聞かれました。それはおそらく、私がジャズ好きだから、かな。あと、ちょっと変わってるところも。ジャズの話すんだけど、一般的に知られてないようなジャズの曲とかレコードとかよく知ってる。だけど、それ以上にオレの方が詳しい。あとから知ったのだけど、ほとんどが村上春樹からの受け売りだったのかな。

 とにかく浮いてましたね。田舎の地味な大学ではまるで宇宙人。場違いなほどにパチッと決めてる。いつもブーツをはいてタバコを吸ってる。同じ「浮いてる」同士で気が合ったのかな。だけど、私はそのこには恋愛感情はなく、もっと言えば性欲もわかなかった。オレのアパートの下の住人が一度こう打ち明けてくれた。「ボクが想像でオナニーするとき、いつもあのこが出てくるんだ」って。嫌だね。男って。そんな目で周囲の女性を見てるんかいな。でもまあ、その気持ちはよくわかりますね。だけど、私はそうじゃなかった。今思うと、「試しに一度やらせてください」と本気で頼めば78%の確率でやらせてくれたろうに、と思うのだけど、あのときはそんな対象でもなかった。そもそも「タバコ吸う女」に当時は偏見もあったし、しかも知り合ったのは19歳。大学入る前から吸ってると言ってて、それって不良じゃないか、と。当時の私が好きだったのは、黒髪で化粧っ気がなく、だけど、その必要もないほど肌が透き通っていて、香水じゃなくてシャンプーの香りがして、デコルテを出さずにピッタリとボタンを留めてるようなのがタイプ。そういう女こそが「オ〇ニーに登場する女(自分のときはあえて伏字)」でして、ま、一種のロリコンだったんでしょうね。いや、ロリコンとは言わないかな。中学高校のときのままの「少女」の幻想から解放されずにいただけ。

 だけどですねえ、、、いろいろ勉強になりましたよ。そんな「少女」ほどヤバいってこととか。たいていの男はシャンプーとか石鹸の香りが好き。ブランドの香水は確かにいい香りがするけど、ずっと嗅いでられるわけじゃない。それに対して、石鹸の香りはちょっとはかなくて、その中から何かを探すような嗅ぎ方が許される。その「何か」ってのは、その女特有のフェロモンの香り。男はそれにいちころ。「少女」はそんな自分の香りがわかってた上で、わざと石鹸の香りさせてるもん。その村上春樹好きだった女の子は、確かにバチッと決めてて、よくわからないけどいい香りがしていた、と思う。いい香りだけど、実は男が好きなのはそっちじゃなくて、、、石鹸。いや、石鹸の奥のその女特有の香り。香水ってのは、男を引き寄せるためと言うより、むしろ、自分の香りを嗅がれたくないってシールドだった気もする。それに対して「少女」はその挙動とは裏腹に、無防備にも自分の香りを嗅がせて、まるで女王蜂のように男を引き付ける。あとからいろいろわかったのが、そんな「少女」のような女ほど、セックスにも貪欲だってことですよ。二股三股不倫略奪なども割と平気で、だけど、自分には罪の意識もなく、いつもヒロイン気分。いつも誰かと誰かが取り合いをしてる。私のためにケンカするのはやめて、、、と言って泣いて見せるのだけど、そんなシチュエーションも含めて、そんな自分が大好き。大学卒業後も順当に就職して、ドロドロを含む何度かの恋愛の末、結婚。それなりに幸せになるんでしょうね。

 まあ、そんな女の子は「村上春樹」とかあまり読まない気もしますね。当時、村上春樹を読むような女は、モダンジャズのかかるバーでタバコと片手にウイスキーをなめながら、英米文学について語る、、、みたいな。英米文学はともかくして、今の私は、そんな雰囲気は嫌いじゃないです。いや、大好きかな。タバコは滅多に吸わないけど、それでも年に2~3本は、3次会のバーで酔いを醒ますためにもうらうこともあります。私もようやく「少女」から「熟女」へと転換することができたようで。あ、それはちょっと違うか。それにしてもあのとき、もっと真剣に「やらせてください」と頼んどけばよかったな~って思うのが、これまでの人生における最大の後悔ですね。

 それはともかくとして、村上春樹の新作ですよ。久々に出ただけあって、私もすごく楽しみに。何だかんだと好きなんじゃん。期待を裏切らず、ぐいぐい読ませる見事な筆力。性描写はいつもより少な目だったけど、今回はちょっとミステリー調でもあったので、ページをめくる手が止まることはありません。簡単にあらすじ言うと、主人公の男は高校時代男3人女2人で計5人のグループでいつもつるんでて、卒業してちょっと離れてからも帰省してからいつものようにつるんでいた。そんなある日、「もう会わないでくれ」と言われて、あまりのショックにそのまま16年が経過。真剣に自殺を考えたこともあった。そして今、新たなガールフレンドから、なぜ、いきなりの絶縁されたのか、その謎を解くために4人に会いに行け、と促され、それが「彼の巡礼」であり、物語の骨子になっています。これはミステリアスな展開です。

 そして例によって、回想も含むいろんな「伏線」が登場して、通常の小説だったら、最後の最後で一気に回収されて「ふ~」っと読了するんだけど、ページが少なくなるにつれ、段々と嫌な予感がしてくるんですよ。あ、また、もしかしたら、村上春樹か、とか。つまり、ふるだけふって、オチないの、、、的な。フェ〇〇オの話とかどうなった。袋の話は。いろいろ。その辺は読んでもらえばわかりますが、これっていいのかよ。例えば経済小説の池井戸潤さんなどは、ハラハラドキドキしながら、最後に大どんでん返しなどもあって、気持ちのいいカタルシスが得られるのだけど、村上春樹は基本的にそんな読者サービスはしない。それが春樹と言えば春樹だけど、ほんと、気持ち悪いんですよ。それだけ読ませて、何か得られるものがあったかと言うと、実は何もない。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」とか「坂の上の雲」とかを読んで、人生が変わるきっかけになる人は多いけど、村上春樹ではそんな話はほとんど聞かない。座右の書が「ノルウェーの森」だって人にも出会ったことない。そもそも、他人の人生に関与するつもりなどないんだろうけどね。ただ読ませて、ふ~んでOK、みたいな。それでも信者はたくさんいて、新刊発売と同時に三冊買う人も少なくない。一冊は読む用、一冊は保存用、一冊は飾る用とか。そこまで愛してくれれば作家冥利に尽きるのでしょうが、多分、村上はそんなことどうでもいいんでしょう。ただ書いてたらこうなりました、、、的な感じで、綿密な計算の上で伏線を一気に回収しようなんて気持ちもなし。小説としてはクソですよ。ほんと。

 なんだけど、、、ノーベル賞候補の世界的評価とは無関係に、それでも読んでしまうのが恐ろしいところです。司馬遼太郎の長編小説を読んで「俺でも書ける」と思う人は皆無だと思うけど、村上春樹を読んで「書ける」と考える人のまた多いこと。その辺は松本人志にも通じますかね。B&Bややすし&きよしのようなスピーディーな漫才はできないけど、ダウンタウンだったらできる、みたいな。実際、ダウンタウン以降、NSCにもそんなお笑い志願者が殺到したと聞きますが、ま、売れることはまずないです。見てて腹立つだけで。だけど、そんなダウンタウンとて、紳助竜介を完コピしたりなど、漫才の基本はちゃんとしてるんです。村上春樹だって、幼少期からのその読書量はハンパないでしょ。そんなベースがあった上で、あえてあのような題材や書き方を選んでるだけであって、「こんな話なら自分でも書ける」と言って、にわか作家気取りになるのは、正直、人生の無駄ですね。私の知ってる範囲でも、そんな人、一人や二人じゃありません。

 とにかく、村上春樹は恐ろしいですね。単純にそんな読後感でした。おススメかどうかで言うと、決しておススメではない。何か得られるかと言えば、そんなことはないし。だからこそ、オレの睡眠時間返せって言いたいのだけど、それでも読まずにいられないんですよ。最初から「クソ」って言うのわかってて、それでも読んでしまう。それがやっぱり恐ろしい。続編はありそうで、なさそうな、わからない。もし、続編が出たら、今度は予約段階でアマゾンで注文するでしょう。そしてまた「クソ」って言うのわかってて、それでも読んでしまう。まんまとやられた気分です。

 あ~、でもこれなのかな。村上春樹の本を読むと、心が一気に旅してしまう。読了してページを閉じてもしばらく心はそこに、みたいな。今もそう。先日、沖縄に行きましたが、一週間は余韻が抜けませんでしたが、村上の本もそう。読むとしばらく抜け出せない。だからでしょうか。アマゾンを見ても、新刊以外の本も軒並み順位が上がってて、「1Q84」などは売り切れちゃってます。実際、私も読みたくなっちゃったます。とりあえず、最近、ウイスキー好きだし、秋にはアイルランドにも行くので「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」を読むことにします。ようやく、怒りが鎮まってきました。それではまた。ありがとうございました。

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by katamich | 2013-04-15 23:39 | ■読書・書評 | Comments(0)