ああ言えばなんとか 2013.4.7



b0002156_21304653.jpg 上祐さんの話を聞きに行ってきました。そう、あの上祐さんです。主催は「九州ベンチャー大学」で、20分ほど前に会場に入ったのですが、明らかにいつもと違う雰囲気。普段ならなごやかに名刺交換とかしてるとこなのに、ピリピリとした緊張感が空気を包んでおり、いやいや、明らかに主催者の栢野さんご自身が緊張されている。栢野さんが「好奇心」で上祐さんの「ひかりの輪」の集会を見に行ってたことは知ってましたが、まさか、ベンチャー大学にその上祐さんが登壇することになろうとは。2月か3月かに、たまたまフェイスブックの栢野さんのイベントページに今回のセミナーが予定されてるのを見て、まだ誰も招待されてない段階から「参加」のボタンを押していました。早くしないといっぱいになると思って。

 だけど実はそのとき、栢野さんは周囲から非難ごうごうの目にあっていたとか。「気は確かか!」と言われ(もっとも、栢野さんに「気は確かか?」と聞くのは筋違いだけど)、さらに奥さんからも「今まで積み上げてきたものがパーになる」などと言われ、とにかく風当りに強さはハンパなかったと。中止しようかどうかの狭間にありながら、それでも決行。最初はコッソリと20名くらいでするつもりだったそうですが、ふたを開けてみると50名もの大盛況に。

 上祐さんと言えば、言わずと知れた元オウム真理教の大幹部で、18年ほど前はテレビでその顔を見ぬ日はなかった。元々ハンサムで聡明な雰囲気もあり、上祐ギャルなる追っかけまで登場するほどの人気に。間もなく戦後最大の宗教テロ組織であるオウムの全貌が明らかにされ、教祖の麻原は逮捕。教団解散。直接関与のなかった上祐氏は別件逮捕により3年間の収監。釈放後はオウムから「アレフ」へと名を変え、上祐氏はその代表へ。しかし、アレフ内での麻原原理派に対する反麻原派の上祐氏は離脱し新たな宗教団体「ひかりの輪」を設立し今に至ります。

 とにかくも、何をどう変わろうとも、元オウム幹部の印象の悪さは20年やそこらで拭えるはずもなく、本人もそれを完全に自覚して、言わば大きな十字架を背負った状態。最近ではミクシィ、フェイスブック、ブログなどを活用しつつ地道に活動を広げ、会員数はまだ180名ながらもどうにかこうにかやってきている感じ。まあ、何度も言うけど、それでも元オウム幹部の十字架を下すことは、おそらく上祐氏が生きている間に可能かどうかは厳しいところ。今日のセミナーの開始前、いつもと違う妙な空気が流れていたのは、誰もがその十字架を感じていたからでしょうし、主催の栢野さんも、私はそこまで思いがいかなかったのですが、爆弾や銃器を持って乱入してくる人がいる不安もゼロではなかったと。もちろん私はそんな雰囲気にワクワクドキドキ。主催じゃないってのもありますが。

 で、結論から言うと、今日のセミナーはたいへん良かった。素晴らしかった。本当に参加して正解だった。だけどもちろん、そのことが「ひかりの輪」の教義や存在意義を全面的に受け入れるものではなく、正直なところ、そのあまりに「まっとう」な内容に反して、私はかなり懸念的な思いを持ってしまったのもまた事実。セミナーが始まる20分前、「ひかりの輪」に関する小冊子があったのでざっと目を通してみました。正直な感想は、ぜんぜん面白くない。穏健的な団体であるとの話は聞いていたものの、ざっと見た感じでは、日本の伝統仏教に迎合しつつ、ジャブジャブに薄めた仏教エッセンスを当たり障りなくまとめました的な印象。「ひかりの輪」の「輪」とは、「和」でもあり、それは聖徳太子の「十七条の憲法」の第一条に由来されるもの。聖徳太子と言えば、日本仏教の開祖のような人物で、日本人仏教者として「聖徳太子」と言われたらそれ以上の反論はできないアイコンでもあります。

 セミナーが始まって10分ほど上祐さんの話があった後、いきなり質疑応答。栢野さんから突然ふられたのですが、言葉がまとまってなかったため、3人目で質問。正直な話、面白くない。宗教的な求心性も感じなければ、それまでの伝統仏教との違いもよく分からない。だったら、天台宗なり真言宗なり、伝統仏教で修行を重ねた方が説得力あるではないか、と言いました。返答としては、まず、伝統仏教は今さら感がある。うん、それは確かにわかる。堕落、形骸化した伝統仏教に帰依するよりは、教義のエッセンスは生かしながら、新たな何かを作った方が早い。では、その「面白くなさ」についてはどうか。答えは、面白くある必要もない、と。ラディカルな宗教活動はオウムでやり尽くしたし、今はそれを批判する立場でもある。宗教が宗教たる特徴の一つに、何らかのシンボルや人物(教祖)に絶対帰依する要素があります。オウムの場合は麻原だし、浄土真宗なら阿弥陀如来や親鸞聖人。真言宗なら空海。創価学会なら池田大作や法華経となるのか。それに対して「ひかりの輪」はそのようなシンボルを一切持たず、仏教をベースとした人生における学びの場である。ゆえに宗教的求心力なども必要ないと言うのです。

 さらに、上祐氏は、今の世の中、形骸化した伝統仏教か、もしくはカルト化した新興宗教かの二つしかないので、第三の道としての存在意義を探しているとも言いました。それに関しては、私とは認識が異なります。第三の道はとっくの昔からあるし、むしろ今ではその第三の道こそが危ない状況にあると考えているから。その第三の道とは、まさに「スピリチュアル」じゃないですか。実際、私がお会いした人の中にも、スピリチュアルに傾倒している理由として、伝統宗教は古いし、だからと言って新興宗教には(オウム事件もあったので)抵抗がある、そこで「スピリチュアル」と出会って目覚めたのですよ、と言う人がいました。そのような人は決して少なくないと思います。

 ただ、繰り返し言うように、「スピリチュアル(ブーム)」自体は、オウムのほとぼりが冷めた2003~2004年頃から、それが「数字」になるという理由によりメディアによって作られたもので、その危うさを無理やりにでも自覚させられたからこそ、ここ数年は江原も細木も登場しなくなっただけのこと。本質的にはカルトと変わらないし、仮にカルトでなくとも、すでに第三の道はいくらでもあるわけです。先ほど上祐氏のツイッターをちらっと見たら、どなたかが「最近エックハルト・トール氏にとても感銘を受け上祐さんの説法とも重なる部分が多い」とリツイートされてましたが、トール氏もウォルシュ氏も、さらにはバシャールもオショウも、それらはまさに「第三の道」であり、加えて言うと、小林正観だって津留晃一だってそう。最近ではネットカルトと言われる伊勢なんとかもそうでしょ。言ってることは皆同じ。では、「ひかりの輪」はそれらとどう違うのか。質問したころ、「別に違わなくてもいい」とのこと。

 そう言われると、確かに私は、何らかの「違い」を探そうとの意図はありました。変なこと言ってたら、「オウムと変わらんじゃん!」とつっこんでやろうと目論んでたのもまた事実。わずかの時間ではありますが、その目論見は見事に外れたのは正直なところ。しかし、です。元々上祐氏は神秘体験や超能力に魅了されてオウムの戸を叩いたはず。そのための修行を徹底的にやり尽くし、そこで得た宗教体験は今の上祐氏の中でまったく死んでしまったことは考えられない。むしろ、話を聞く限りでは、聖地を巡礼等している中で、これまで以上に深い瞑想体験をしたり、虹の輪が見えるなど、かつての神秘体験における一種のアンカーが発火してるだけじゃないのか、とも感じるのです。その上で、あえて徹底した「反オウム」の路線を強調することは、それがあまりにも「反オウム」であるがゆえに、逆説的にもオウムの培養液から派生した団体に過ぎない、との印象を受けたのです。

 つまり「ひかりの輪」は「オウム真理教」の単なるアンチテーゼに過ぎないわけで、と言うことは、歴史の法則から見て、必ず「ジンテーゼ」がやって来る。上祐氏は、今のあまりに穏健的で健全な「ひかりの輪」をこれからも育て、一人でも多くの悩める人を救いたいとの意思があるのはよくわかりました。しかし、もし仮に上祐氏がずっとその志を変えぬままでいたとしても、団体のナンバーツー、ナンバースリーあたりが、それまでの「ひかりの輪」を超えた新たな教義への転身を促さないとは限りません。むしろそれは上祐氏本人から発せられる可能性だってあります。

 正直な話、私がちょっと失望してしまったのが、確かにオウムは犯罪テロ組織には違いないものの、チベット密教や原始仏教(その二つはまったく系列を異にするのでその整合がどうなってるのか疑問ではあるけど)の教義やエッセンスを、ある意味、正しく伝える宗教団体という側面はあったはず。なので、テロや殺人に対する責任や贖罪から免れることはないけども、オウムが伝えていた教義を捨てたわけじゃないとハッキリ言って欲しかった。いや、本心では決して捨ててはいないのでしょう。だけど、様々なシガラミがためか、オウムの教義とは真逆とも言える「聖徳太子」に落ち着いてしまうところに、上祐氏の「逃げ」を感じたのです。だからこそ、「ひかりの輪」は「オウム(アレフ)」の単なるアンチテーゼとしての団体に過ぎず、ゆえに、その後の弁証法的変化への懸念がいつまでも残されるのです。

 もちろん今よりもっと素晴らしい団体に発展していく可能性はあります。しかしそれとて、上祐氏がセミナーの最後にいみじくも言ったように、「待つ」しかありません。今後どうなるかはわからない。いや、この世にわかることなど一つもない。それでも、今後、上祐氏の背負っている十字架がどのような形に変質していくのかには遠くから傍観するしかなくて、だから「(こそ多くの有識者が言うような)上祐はもう大丈夫だ」とは言えないのです。つまり、今は大人しくても、将来的に何するかわからね~的な不安要素をどこかしら感じさせる内容でした。

 と言うわけで、最初から批判のトーンになって申し訳ないですが、だけど、セミナー自体はとても面白かったです。勉強にもなりました。もしも上祐氏に「オウム」の十字架が最初からなかったならば、さぞ素晴らしい思想家なり宗教家、あるいはビジネスマンになっているだろうのに、と純粋に思いました。ある意味、もったいない。でもまあ、よく言われるように、誰もがオウムに洗脳される可能性はあったし、それがたまたま私でなく上祐氏だっただけのことかもしれません。知識人だから洗脳されないわけじゃなく、実際、オウムの幹部は知識人ばかりだったし。さらに言えば、オウムに最も近い思想集団は実はマルクス主義じゃないでしょうか。オウムがある種の理想を掲げ、それに反する人間はポアしてもいいと考えたように、マルクス主義(共産主義)だって、かつての左翼の運動家は言うに及ばず、天安門事件、ポルポト、そして北朝鮮のように、一つの理想のために多くの人命を犠牲にしてきたわけじゃないですか。そのマルクス主義を支えていたのはまぎれもなく知識人。

 上祐氏はバブルの勃興と衰退が、オウムの隆盛と解体にシンクロしてると言われてましたが、それよりもむしろ、1989年のベルリンの壁崩壊とソ連の解体こそが、オウムを発展させるエキスとなったのではと思うのです。マルクス主義という偉大なる社会実験が失敗に終わり、多くの知識人は思想的に路頭に迷っているからこそ、新たな思想的求心力が欲しかった。その一つがオウムだった。もちろんきちんと検証したわけじゃなく、私の思い付きではあるものの、仮にそうだとしたら、もし私が10年早く産まれてたら、どうなっていたかわかりません。今でこそ「保守」を自認してるものの、私だってかつては「革新」の時代もあったわけですから。

 だからやっぱり他人事じゃない。しかも今、私は「人生」を考えることが一番の仕事になっている。どうすれば一人でも多くの人が幸せになれるのか。そのことを真面目に考えている一人です。その点では、上祐氏と何も違わない。「過去」があるかどうかの違い。しかもその「過去」は、誰だってそうなる可能性があった。だからと言って、「上祐、OK!」とは言いません。本だって買ってないし、ツーショットの写真などもってのほか。セミナー後の懇親会だって欠席しました。

 正直な話、上祐氏から特別に学ぶことなど何一つありません。もちろん知識や経験は私なんかよりはるかに上でしょうし、誤解を恐れず言うと、上祐氏は宗教者・思想家として「ホンモノ」の部類に入るのかもしれません。だけど私は私で伝えたいことがあるし、願いたいこと、祈りたいことがある。それでいいじゃないですか。

 何言ってるのかわからなくなってきましたが、とにかく今日のセミナーやヤバかったですよ。いろんな意味で。自分自身への否定と肯定がすごい勢いで交差するような、なんかヤバい時間でした。上祐氏がすごくいいこと言ってるだけに。とにかく、もう一度言いますが、参加して本当に良かったと思っています。改めて栢野さんの英断に感謝です。まだ書きたいことはたくさんあるんですが、またの機会に。ありがとうございました。

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by katamich | 2013-04-07 23:39 | ■精神世界