誰もが超能力者 2013.2.25

3月17日に東京で「「マネービリーフ」から解放されて思い通りの豊かさを受け取るセミナー」を開催するのですが、ただ今、案内文を作成中。気になる方はぜひ日程を空けておいてくださいね。とにかくも「思い込み」だけで生きてきた人間として、特に生活必需品としての「お金」とは様々なドラマを繰り広げてきたものです。そして最終的には「お金を稼ぐのに能力はあまり関係ない」という結論に達しました。ただし、能力はまったく必要じゃないわけではなく、実際、お金を稼いでいる人の多くはしっかりした能力を持ち合わせています。


しかし、客観的に見ればどう考えても能力があるのに、十分にお金を稼げていない人もたくさんいます。私などは能力的には決して高いわけじゃないけども、だけど、サラリーマン時代と比べたら今では3倍以上の収入を手にしています。とりあえず今の状況としては不満はないし、これからも増えて行く実感があります。では、何が違うのか。これはハッキリ言って「思い込み」の差です。つまり「思い込み>能力」なのです。「能力」はむしろ「思い込み」を補完するためにあるようなもの。これは「お金」に限らずすべての分野に当てはまるもの。恋愛、結婚ももちろんのこと。


話変わりますが、私は昔から「超能力」が好きでした。今でも好きですが、同時に超能力に対しては徹底的な懐疑主義者でもあります。ちなみに昔から「本物の超能力者」と噂されていた、長崎にある「あんでるせん」の久村マスターについて、私は何度も行きましたが、もう結論付けていいと思います。超能力者なんかでは決してなく、単なる「下手な手品師」です。「あんでるせん」のショーに関しては私もすべてのタネを知っているのですが、その大半は同じく長崎の「本物のマジシャン」である小川心平さんのショップに売っています。検索すればすぐに出てきます。一説によると、久村氏は喫茶店を開業するのに、そこで手品を見せれば集客につながると思い、小川氏からマジックグッズを購入したのですが、いつの間にか単なる手品を「超能力」のように勘違いする客が増え、久村氏もそれを否定しなかったためにこんな騒ぎになってしまった。小川氏も、そんな詐欺みたいな商売するならもうグッズは売らないと言って縁を切ったそうですが、久村氏は今でも古くなったグッズでショーを続けておられます。


ただまあ、久村氏もショーよりもメインは説法だと言ってるし、それで勇気をもらう客がいるのも事実なので、そこまで声を荒げる必要もないかと思いながら、私はもう行くことはありません。最後に行ったとき、「福沢諭吉(一万円札)からメッセージをもらう」なるショーをしたのですが、機械が上手く作動しなかったようで、対象となったお客さんはその声が聞こえませんでした。そこで久村氏は「耳鼻科に行ってください」と何のフォローもなく言い放ちました。もちろんギャグのつもりなんでしょうが、ギャグに受け取らない人もいる以上、しかも本人もそれをわかっているであろうのに、何のフォローもなかったのは極めて危険。本当に「超能力」を思って人ならば、それだけで耳が悪くなる可能性もありますから。それが呪詛の仕組みです。


でも逆に久村氏から「いいこと」を言ってもらえば、信じていればいるほど、いいことが起こるのもまた事実。これがまさに「思い込み」の力。ただし、その「思い込み」を他人に委ねてしまうことは、これまた極めて危険。そっから洗脳が始まるわけで、いいことを言われると人は「信じたい」と思うけど、10回のうち1回でも悪いことを言われると、そこに洗脳者へのキャッシュポイントを作ってしまうわけです。私の基準としては、目に見えない世界で悪いことを言う占い師とかチャネラーとかは、その時点で信じないこと、手を切ること。昨日の話じゃないけど、「霊格が高い」などと言われても、それで現実生活が豊かになるわけじゃなし、それを信じることのデメリットが大きすぎます。とにかく「自由」であること。「思い込み」なんてのは自分で作るもの。


と言うわけなんですが、今日のテーマは「あんでるせん」をdisることではありません。「超能力」の話ですが、私は徹底的な懐疑主義者であると言いながら、だけど「超能力」は「ある」と思っています。例えば有名どころで言えば、「超能力裁判」の長南年恵さん。ウィキペディアからエピソードを引用します。

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•成人してからも肉体的、精神的に少女のようであったという。また身辺には頻繁に神仏が現れ、会話をしたり、舞を舞っていたという。
•元々小食であったが、20歳のころから全く食事をとらず、生水の他は生のサツマイモを少量のみという。
•排泄物は殆ど無かったという。また汗や垢といったものも殆ど出ず、風呂に入らなくても髪や体はいつも清潔であったという。
•空気中からとりだす神水は、密封した空の一升瓶の中に人々の目の前で満たしたという。この神水は万病に効くという。
•べつに病人などではなく冷やかし等の目的の者と不治の病人には、神水は授からず、空瓶のままだったそうだ。
•神水(霊水)の色について:赤、青、黄など様々な色があったそうだ。無罪となった裁判所での公判では、茶褐色。
•1900年(明治33年)7月9日。全国紙新聞記者が懐疑の目を向け、目の前で霊水引寄せをしろと要求した。その結果、ひとりでに水が入ったのを認めざるを得ないという結論に至ったという。


あまりにも「怪しい」ので、詐欺かペテンかの容疑で逮捕されたのですが、その獄中、60日間も何も食べず飲まず、刑務所が懇願してなんとか生のサツマイモを一かじりしたそうではありますが、それも事実として記録に残っているそうです。結局、空瓶に水を満たすことを、実際の裁判の場で行って見せたことから、これ以上疑うこともできず無罪放免。40歳ちょっと過ぎでなくなるまで、少女のような姿であったそうです。


こんなのがお伽噺ではなく、事実として「証拠」に残っていると言うのだから驚きです。年恵さんは、おそらく何のエゴもなく、ただ生かされるがままに、ただありのままに生きてたんだろうな~と思います。こんな人が今も存在するかどうかわかりませんが、おそらくどっかには「いる」と思います。余談ですが、久高島の「あの女性」は決して超能力者でこそないにせよ、なんだか並々ならぬ存在を感じてしまうのは私だけでないはず。来月お会いするのは三度目になりますが、会うたびに何とも言えない神性がインストールされるようで、ただそれだけのためにも訪れる価値はあると思っています。実際、お会いした後は、私にとって必要なチャンスがハンパなくやって来るのも事実ですし。なので、私にとってあの方はまるで超能力者のようでもあります。


それはともかくとして、長南年恵さんのような「リアル超能力者」が今もいるかどうかで言えば、きっとどこかにいると思いますが、まず表に出てくることはないでしょうね。必要な人には必要なタイミングできちんと会うようになっているだけ。実際、いろいろと不思議な話は聞くんですけどね。いろんな人から。だけど、私自身はなかなかお会いできないのは、ま、普通に必要ないからなんでしょう。今の私には必要な人としか会えないようになっているし、そもそも、私の性格からすれば、リアル超能力者なんかと出会えば、もう、大興奮でこのブログに書きまくってご迷惑かけるでしょうから。


だけど、その一方で、人は誰もが「超能力者」だと思うこともあり、それは誰もが寸分違わず思考を現実化させていることにおいて。ようは、空瓶を神水で満たすのも、それは年恵さんが寸分違わずそうなると思っているからに他ならず、多くの人は、「そんなことできっこない」と思ってるからできないのです。手品(超能力)ではお馴染みのスプーン曲げなんかも、元々曲げやすいフォルムをしてるからってのもありますが、曲げられる人は最初から曲げられると思い込んでいます。私だって曲げられます。だけど、金属のスプーンは曲げられても、木のスプーンをグニャグニャにするのは見たことないし、でっかい鉄パイプを曲げるのも聞いたことありません。だけど、そんなことも「曲げられる」と思い込んでいる人にとってはいともたやすいことなんでしょうね。


いずれにせよ、これもまた「ビリーフ」そのものであり、そして私たちは寸分違わず思っていることを実現させている意味において、誰もが超能力者なのです。ぐっと現実的になりますが、お金の話もそう。月収一億円稼げると思い込んでいる人は稼げるし、月収10万円しか稼げないと思っている人もまたその通りになってしまう。確かに空瓶を水で満たすレベルの超能力者となれば、何億人に一人いるかどうかだと思いますが、だけど、それもまた疑いがないからできるのです。


ここでもやはり、「0次元(存在)」×「1次元(自我)」×「2次元(認識)」×「3次元(現実)」×・・・という公式が成り立つわけで、「1次元」以上はすべて幻想であり、その幻想は「思い」がそのまんま反映されているだけ。だけど、多くの人は「3次元」という作られた思い込みの中で生きててそこから出ることができずにいる。なので、空瓶に水を満たすと言っても信じられない。もちろん私だって信じられないと思いながら、一方で、それも「あり」だと思う自分がいる。つまり、「0次元」から普通に積み上げていけば不可能じゃないぞ、と思うのです。


もっとも、空瓶に水を満たすなんてことを心から思い込むほどに、私の「2次元(認識)」は柔軟ではなくなっていますが、だけど、お金とか健康とか、現実的な「思い込み」は自然と操作できるようになってはいます。もちろん程度問題ではありますが、「0次元」を感じることができれば、正直言って、たいていの願望は実現するような気がします。「0次元」のこと人を「ゼロポイントフィールド」と言ったり「形態場」と言ったり「ソース」と言ったりするのでしょうが、いずれにせよこの世は「幻想」であり、極めて恣意的に作られた絵物語であることは間違いありません。そんなわけで、基本的には誰もが超能力者ですので、まずはそのことを知る、認めることが「幻想」から自由になる上で大切かな~と思うのです。今日はこの辺で。ありがとうございました。



by katamich | 2013-02-25 23:39 | ■精神世界 | Comments(0)