宇宙となかよし

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差別とスピリチュアル 2013.2.24



 昨日は久々に飲みすぎてしまったようで、今日もなんとなくぼんやりした一日になりました。3月17日の東京セミナー、3月22日夜の沖縄宇宙となかよし塾の案内も早くしないといけないと思いながら、今日は休息の一日となりました。

 ところで先日、「次元」の話をしたと思いますし、昨日のセミナーでもじっくりと説明させて頂きました。ただ、「よくわからない」なるメールも頂いたりして、一方でセミナーでは「すごくよくわかった」なる感想も頂きました。私としても、これ以上に簡単な理屈はないし、そして真実であるとの直観があるのですが、最近、わかったことがあります。

 普通に考えると、どうしても1次元より2次元、2次元より3次元、3次元より9次元の方が「レベルが高い」なる錯覚を覚えてしまいますが、それがまずもって間違い。2007年だったか、ある人から教えてもらって、非常に怪しい会に参加したことがあります。もうつぶれたようなので言いますと、「斉木先生と語る会」なる会です。趣旨はアセンションのリーダーになるとのことでしたが、ようは単なる洗脳集会。斉木先生なる「9次元からやってきた人」の話を聞いて握手をすると、お金と健康に恵まれるって噂で、そのような話が大好きな人達が血眼浮かべて集まっておられました。ただし、「アセンションのリーダー」になるには、斉木先生に「30万円」を預けなければなりません。何度かリピートして会の常連になるとそのような話を持ち掛けられるそうです。そして、その30万円は必ず増やして返してくれるとの約束。実は斉木先生なる人物の職業はプライベートバンカー。ようは、お金をたくさん集めればそれだけ運用益も増えるので、誰かがスピリチュアルな会を開いて集金しましょうって入れ知恵したのが始まりだそうな。

 私も一度行って、ブログでやんわりと「クソだ!」って書いたら、その会の常連さんから批判されたし、2ちゃんねるでも話題になりました。当時はまだ批判する記事がなかったのもあり。会の内容は、定刻から一時間くらい遅れて(波動調整するために)斉木先生が登場します。それからさらに一時間くらいかけて参加者全員と握手をします。そのあとは何言ってるかわからない話と、スタッフによるしょうもない寸劇のようなものを見せられて終了。その中に斉木先生をベタ褒めする参加者の話があって、その人は今まで真実を探求するためにいろんな勉強をしてきたけど、斉木先生にお会いしてすべてわかったと。これ以上にわかりやすく「次元」の話をしてくださる人はいない、と感激してお話していました。

 で、何がわかったかと言うと、当時、ちょっとだけメモったノートを見てみると、そのまんま、「幸福の科学」の話だったのです。斉木先生が「幸福の科学」の会員かは知りませんが、何かしらの説明するのにちょうどよかったんでしょうね。最終的にはリーマンショックによりおそらく預かって資金が溶けてしまい、斉木先生は逃亡、解散と相成ったわけです。解散の理由は「思った以上にアセンションが早まったからだ」とのこと。なんのこちゃ。

b0002156_15364354.jpg それはともかくとして、私自身、「幸福の科学」の教義についてよく知ってるわけでもないし、もちろん批判するつもりもない。友達に会員さんがいたとしても、それはそれで普通にお付き合いするでしょう。しかし、私的には根本的な違和感なるものがあって、それが「次元」をヒエラルキーのように差別化する考え方。右の図は少年マガジンで連載されていたらしい「明王伝レイ」なる漫画の一コマ。「幸福の科学」の布教漫画であることがのちにわかったそうです。これなんか見ても、次元が上がれば上がるほど霊格が高くて、ようは立派だってこと。2012年の「アセンション」も基本的にこのような思想が前提としてありました。今生きている「3次元」が「5次元」にアセンションする、ただし、波動の低い人は3次元に取り残されるので、それまできちんと準備しましょう、、、なんてのが「斉木先生と語る会」でも言われていました。

 その会の最後の方で、「ここにいる人たち、全員、アセンションしました」なんて言い出す人がいて、全員前に出てチャネリングしよう!なんて流れになりました。私もとりあえず並びましたが、そのあと予定していたジャズのライブに間に合わなさそうだったので退散。途中までは見ていました。前に出てきた人が、「あ、光が・・・」とか言ってるのですが、そりゃまあ、スポットライト当ててるのだからまぶしいでしょ。

 それはともかく、先ほどの「明王伝レイ」のピラミッド図のように、「次元」によって「差別」を図る部分が私には違和感があるし、ですが、このような分類が「わかりやすい」と受け入れる人が少なくないのも事実のよう。こう言ってはなんですが、人間は基本的に「差別」が好きなんです。評論家の呉智英さんが、「戦後日本で血液型分類学が流行ったのは『差別』がなくなったからだ」と言ってましたが、何となく同感。私が産まれたときってのは、いわゆる絶対的な「差別」は社会からなくなっていました。少なくともそれを容認する社会ではなくなっていました。子どもの頃は一応のところ「同和教育」なるものはありましたが、その時すでに私の中ではピンと来てませんでした。婚約してた男女が戸籍かなんかを見た途端に、どちらかの親の猛反発を受けて婚約解消させられる、なんて映画を見させられましたが、その意味がわかったのはもっと後のこと。

 その他、戦前で最も強い差別はおそらく「天皇制」でしょう。つまり神としての「天皇」と「それ以外」なる絶対的な区別が戦前まではあったのですが、戦後は天皇が人間宣言なんかしちゃったものだから、拠り所を失ってしまった。ヨーロッパでは今でも王族、貴族階級、市民階級などの差別が染み着いていると聞くし、インドなどは完全に社会システムに組み込まれています。その意味ではイスラムなどは比較的差別がなさそうな印象は受けますが、それはアッラーの元でなる絶対的な信仰が前提としてあります。しかし日本は、もともと「差別」があったところに、急になくなったものだから、何かにつけて「差」を見つけようと走ってします。その一つが「血液型占い」だとも言えるのです。もっとも、血液型の場合は「差別」と言うより「分類」と言った方がいいのでしょうが、いずれにせよ人は分類もそうだけど、差別とか階級とか基本的に好きなんだと思います。

 もっとも、日本にはシステムに組み込まれた社会的差別こそないものの、いろんな分野で少なからず残ってはいます。一番は親の年収。親の年収と子の学歴、所得は比例するなる研究結果が出て久しいですが、今もまだ解消されたとは決して言えないでしょう。それ以外にも偏差値、学歴、所属する会社、年収、容姿、身長、雇用形態(正社員・非正社員)など、いい悪いは別として、「差別・区別・階層」がなくなることはこれからもなさそうです。ただ、日本がまだ救われてると思うのは、頑張れば上に上がれること。親の年収が低くとも、子どもがある日気が付いて頑張ればいい大学に入ることもできるし、学費を支援する制度もきちんとあります。そしていい会社に入れば、その内部で競争はあるでしょうが、社会的にはレベルが高いとみなされます。公務員もそう。もっとも、公務員の場合は入るときの学歴だけで定年までの役職や収入がほぼ決まってしまうという、ある種の絶対的差別構造にはありますが、それでも「辞める」なる選択肢は残されています。

 私なんか、学歴も社歴も決して高いとは言えないものの、独立してから誰とも比べることなく、気ままに満足して生活してますので、ある意味、差別から自由になった成功例とも言えるでしょう。ただ、社会全体を見れば、どうしても「ピラミッド」になってることは否定できず、中にはどの分野においてもボトムに位置する人だっているわけです。かなり以前のことですが、ある人から相談を受けたことがあります。自分はこれまでの人生で何をやってもダメだった。そんなある日、スピリチュアルに出会いちょっと希望が出てきて、その当時、あるチャネラーさんの世話になってるのだと言うのです。しかし、そのチャネラーさんは自分でもわかってることしか言ってくれません。臆病で卑屈で頭が悪くてどうとかこうとか。だからダメなんだと高次の存在がおっしゃるのだそうです。しかし一点、「あなたは霊格は高いわよ」と言われ、その言葉にしがみついてしまってる自分がいる、、、とのこと。しかし、どんなに霊格が高いと言われても、現実世界は苦しいばかり。何度もそのチャネラーさんと手を切りたいと思ってるのだけど、切ったら霊格が下がりそうで怖い、と言うのです。

 最終的には「切りたいと思う自分の心に素直になってみては」と納得して頂けたのですが、その後は連絡がないのでわかりません。ただ、この「霊格」なるものも、差別意識が根底にあります。社会的に目に見える分野においては、どれも自分は底辺。そんなある日、「霊格が高い」という、決して目に見えるものではないけども、自らの自尊心を回復してくれるような「差別」に出会うことができた。最初はそれで気分がいいのですが、実生活に何の役に立たないのでどうしよう、ってことだったのです。先ほどの方は。歴史的には「士農工商」のその下とか、アウトカーストとか、奴隷とか、ある種の絶対差別が必要悪として機能していた時代はありました。どんなに苦しくとも、自分より下の人間がいる。そうやって差別することで、何とか爆発せずに済んでいた。

 だけど、戦後の日本はいわゆる「公的差別」がなくなってしまい、自然発生したピラミッドのボトムを支える差別思想を失ってしまった。ある時期は「共産主義」なる宗教がその希望になっていたこともあったけど、1989年に解体してしまった。そしてちょうどその頃なんでしょうか、オウムなどのカルト教が勢力を拡大していったのは。仏教や神道など伝統的宗教が形骸化してしまい、共産主義も解体した。そこで新興宗教が新たな拠り所となるのですが、ご存知のように、1995年のオウム事件で新興宗教に対する社会的偏見が増長し、ますます行き場を失ったところに2003年頃からのいわゆるスピリチュアルブームです。そこぜ「前世(輪廻転生)」なる思想が公の電波を通して語られるようになり、電波という権威を得た現代スピリチュアル教はブームとして拡大。今はボトムだけど、前世ではお姫様だった、お医者さんだった、僧侶だった、学者だった、戦士だったなどの「物語」を付与されることで、ようやくと自尊心が回復されたのです。

 しかし、裏を返せば「輪廻転生」とか「カルマ」なんて思想も単なる絶対的差別に過ぎません。なぜなら生まれながらにカルマなどの「格」を容認してしまうなんて、差別と言わずしてなんと言いましょうか。霊格が高い低い、波動が高い低いなどと、さも美しい話をしているようでも、根底にあるのは普通に差別です。その意味では私のブログなんかも波動が低くて魂が汚されてしまうので注意が必要。そこで話を戻します。結局のところ「次元」の説明なんかも、潜在的な差別意識にすっぽりハマっただけのもので、宇宙の真理を語る上で何の意味もありません。現実世界のヒエラルキーから敗れた人にとって、いわゆる「目に見えない世界」で「次元上昇」することは、自尊心を高める上で必要なのはわからないでもないですが、私たちはあくまで「現実世界」をベースとしたスピリチュアルな存在です。

 3次元の人が5次元に行ったり9次元に行ったりなどありません。それは単に現実世界のヒエラルキーをコピーしただけの、いわば極めて現実世界的な階級闘争に過ぎないのです。真実はそうではありません。真実は3次元なる現実世界に生きながらにして、どうじに2次元(認識)、1次元(自我)、そして0次元(存在)なる「多次元」に生きる存在なのです。私たちは常に「多次元」を生きるスピリチュアルな存在なのです。しかし、先日も言ったように、1次元から上はすべて「幻想」です。「自我」が「認識」を作り、その時点ですでに70億通りの「認識」をして「現実」が誕生しているわけです。あくまで根源は「ひとつ」だけ。それが0次元なのです。

 それこそ社長も芸能人も医者もヒーラーも乞食も奴隷も、誰一人例外なく「0次元」に生きています。その意味においては、地球上のすべての人は完全なる「平等」に置かれています。「幻想」としての現実にヒエラルキーがあるだけで、真実の世界は「ひとつ」しかありません。そしてもし、真に自由に、真に自分らしく生きるには、現実生活はもちろん、それをコピーしただけの精神世界からの階級闘争からも自由になる必要があります。それが「0次元」に立脚することであり、私たちはその上で自由に「幻想」を組み立てることができるのです。

 そんなわけで、これから先も「0次元」からいかにして自由な幻想を構築するか、つまり「願望実現」するかについて書いていきたいと思います。それではまた明日。ありがとうございました。

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by katamich | 2013-02-24 23:39 | ■精神世界
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