理性を人に預けるな! 2013.1.28

 最近、ずっと2時3時まで起きて執筆を進めています。もちろんずっと集中してるわけじゃないけど、それなりにはかどってはいます。本当は早起きするのが一番だし、それが気持ちいいことも知ってるのだけど、前も書いたように、あと半年はお預けかな。たくちゃんが夜中に起きなくなるまでは。ただ、その一方で、文章は夜中に書く方が生々しい気はします。「夜中に書くラブレター」を朝読み返すと恥ずかしくなるって話はよく聞きますが、夜中はそれが「正常」なのか「異常」なのかはわからないけど、太陽が出ているときは明らかに精神状態が違います。夜に活動する妖精に「自我」を抜き取られているような。文章も「自我」によるストッパーがない分、赤裸々になるのでしょうか。確かにブログ書くのも、0時を過ぎてからの方が入りやすい感じはあります。いい悪いは別として。

 ところで、この「自我」ってのは、精神世界では何かと敵視されがちです。「自我」は「エゴ」と同義とされ、「エゴ」って言うとどうしても「自己中心的」みたいなニュアンスをかけられがち。例えば「願望」を語る際でも、それは「自我の願望」なのか、それとも「自我を超えた本物の願望」なのか、なんて話が取り上げられ、例えば「お金」なんてのは「自我の願望」の典型であって、そんなのは当然、ダメってことになります。世の中がラブでピースになるような、そんな「願望」こそが精神性の高いアセンション時代(死語)のあり方だ、、、なんて言われたりするのです。

 そしてよくステレオタイプで語られるのが、現代人は精神性に乏しく、昔の人は高かったなる話。現代は科学の発展と引き換えに、人間らしい感性や精神性を失ってきた。イジメや体罰が起こるのもそのせいだ、、、みたいな話をする人がいるんです。また、いつだったか地震予言するブログにかみついたことがあって、それが2ちゃんねるなどにも飛び火して、私に対しても賛否両論があったのですが、その「否」の意見の中には、「昔の人は予言を信じて生活していたじゃないですか」みたいな話がありました。冷静に考えると、「だから余計な被害にあったんでしょ」ってなるのですが、この発言には「昔の人は正しい(現代と比べて)」みたいな前提があるのでしょう。

 もっと一般化すると、「理性」に対して「直観」が正しい、常に「直観」が真実であり、直観を信じることが幸せになる条件だ、みたいな。「予言」なんてのは、決して「理性」から導かれたものじゃなくて、「直観」そのもの。そこに「教祖になりたい」などの邪な考えがない限りは。そして直観もしばしば当たります。私だって2005年3月に福岡で大きな地震があったとき、その前の晩に「直観」が走ってブログに「明日は大きな地震が来ますので気を付けましょう」なんて書いて、とりあえず食器類はある程度棚から降ろして寝たのですが、朝方、本当に大きな地震がきちゃいました。それが船井系の地震掲示板に取り上げられて、危うく時の人になりそうなこともありました。だけど、その後の私の「予言」はすべて外れたので、今思うと幸いでした。

 それはともかく、精神世界では「理性」と比べて圧倒的に「直観」の方が人気があります。そしてこの理性がまさに「自我」であり、直観は「本能」に近い概念なのでしょうか。確かに今と昔を比べると、今の方が理性的であり、昔の方が直観的な傾向はあるでしょう。もちろん哲学者、数学者、芸術家など、昔から優れた理性と直観を持ち合わせた人はいましたが、全体として理性を支える社会環境になかったという意味で、直観に頼る部分は大きかったと思います。

 では、そんな社会が生きやすかった、住みやすかったかと言うと、決してそうではないでしょう。今もイジメや体罰の話でにぎわっていますが、そんなのは間違いなく昔の方が多かった。単に世間がさわがなかっただけの話で、実際は今とは比べものにならないくらい多かったでしょう。そもそも人間は、と言うか動物は本能的にイジメをするものです。水槽で熱帯魚を飼うと、それはもう、壮絶なイジメが繰り広げられます。私も昔メダカのような熱帯魚を飼っていましたが、一匹だけがやたらとつつかれ、そしてエサにもありつけずにやせ細るのです。それがかわいそうになって、その一匹を別の水槽にいれると、元の水槽でまた別の熱帯魚がイジメられるのです。それが水槽の中だけの話なのかはわかりませんが、弱肉強食なんて言葉がある通り、弱いものイジメは動物の本能なのかもしれません。その本能が突っ走り過ぎたら、人間は戦争を起こします。戦前までの植民地支配なんてのは、完全なるイジメ。大陸でインディアンやアボリジニを虐殺するのも完全なるイジメ。

 だけど今では、まだまだ問題はあるものの、先進国では戦争や戦略を正当化するような論理はなくなりました。たまにわけのわからない大義名分を背負ってアメリカが仕掛けますけど、昔のヨーロッパと比べたらその数自体は減っています。日本だって、「戦国時代」なんて呼称があるくらいですから、生活の中に常に殺し合いがある時代もあったのでしょう。しかし、そんな状況は、少なくとも日本や先進各国ではなくなりました。では、どうやって戦争をなくし(減らし)、イジメや体罰についても表立った議論ができるようになったのでしょうか。それは「理性」があるからです。言い換えると「自我」があるから。結局、本能や直観だけに従っていると、確かにプラスもあるのでしょうが、圧倒的にデメリットの方が大きいです。北朝鮮なんかを見てもわかりますが、これまでの国家主席は明らかに異常でしょ。もっと極端な例では、スターリンもそうだし、さらにポルポトなんてのは最悪です。もはや人間ではない。もし、ポルポトのような奴が力を持ってしまうと、国民はその本能・直観のなすがまま。気に入らなければ殺し、徹底的に自分の言いなりにさせる。さらに医者とか学者など、マトモにものを考えられる人間から殺していったわけですから、もう、メダカ以下の存在でしょう。

 で、何が言いたいのかと言うと、私たちも幸せになるには「理性的」である必要がありますよってこと。例えば幸せになるには、ある程度のお金も必要です。もちろんお金が必要な世の中だからこそお金が必要になるのでしょうが、ここで「お金のいらない世界」のことを議論しても始まりません。確かに少なければ少ないなりの生活ができますし、最近は「年収300万円」なんて恵まれてる方で、「年収150万円」でいかに豊かに生活していくか、なんて本も出ています。そう言えば昔、サラリーマン時代はおそらく年収300万円なかったと思うのですが、それでも飲みに行こうと思えば行けたし、海外旅行にも行けました。もっとも、それで結婚して子どもを養えるかと言うと難しいでしょうが、当時はそれなりに生活ができました。ちなみにわけわからん上司がいて、私が飲みに行ったりすると、「キミにそんな給料は払ってない」なんて言われたこともありますが、ま、それは言いたいだけだったのでしょうね。

b0002156_1357273.jpg だけど今は、正直、お金はもっともっとあっていいと思っています。理性的にあった方が楽しいし。では、そのお金をどうやって稼ぐかと言うと、それは「理性」を働かせるのが一番です。つまり、考えること。昨日もちょっとdisりましたが、最近流行りのネオヒルズ族。いわゆるY沢氏がそのシンボルとなっているようですが、彼らは徹底して理性的です。どうすれば稼げるのか。億稼げるのか。徹底して研究し実践してきた。ちなみにY沢氏の戦略はわかりやすくて、彼が7000万円のロールスロイスを買ったり、美人モデルの彼女を見せびらかしたり、テレビにやたらと出たがったりするのは、完全なる有名人戦略。胡散臭いことがわかっていても、人は露出する人間には目を奪われるもの。あれだけお金持ってテレビにでも出てるのだからすごいに違いない。だけど、その戦略はやり方としてはOKですし、彼らがいくら稼ごうと批判されることではありません。手段はともかく、それだけ彼らは理性的に考えたのですから。

 だけど、ヤバいと思うのは、彼らを稼がせる人たち。彼らを使って稼ぐ人もいて、それはそれでいいと思いますが、ようは、彼らにお金を払う人たちは正直、ヤバいと思っています。話によるとY沢氏の塾に参加する費用は120万円。それで秒速で億を稼げると言うのですが、そこまで極端ではないにせよ、120万円の元を取る人は何割くらいいるのでしょうか。例えばある程度生き残っている経営コンサルタントであれば、結果を出さなければ業界から淘汰されるので、元を取る以上の働きはしてるのでしょう。それに対して、いわゆる情報起業系と言うか、とにかくリストを集めまくって、スパムでもなんでも打ちまくって、120万円払える人を根こそぎさらっていくやり方。外資の有名コンサルでも120万円払うとかなりの仕事してくれると思いますが、情報起業系は基本的にDVD送って、たまにイベントして終わり。マンツーマンなんて物理的にも無理だし、だけど、1,000人に一人くらいは成功する人もいて、その人を広告柱にすればまた広がっていきます。ただ、その一人ってのは、元々できる人だったりするだけで、よく見かけるように、「誰でも」、「一日一時間の作業」で「テンプレをコピペ」するだけで、月20万円儲かるなんて話はありません。

 ようは理性的にちょっと考えればわかることであって、自分の「理性」を他人に預けちゃうほど怖いことはないのです。「闇金ウシジマ君」を読めばわかるとおり、カモになる人って、完全に理性がぶっ飛んでますもんね。自分で考えることを放棄してしまう。特にネットの世界は、「誰が言うか」ではなく「何を言うか」が極めて重要。Y沢氏は知らないし、彼とつるんでいるK玉氏も知らなった。だけど、K玉氏は苫米地英人氏と対談するくらいだからすごいに違いない。よって、糸をたどってY沢氏も信頼に値する、、、なんて理性放棄しちゃえば、もう、カモまっしぐらですから。

 結局は自分で考えること以上に大切なことはないのです。知識があろうがなかろうが、自分で考えたかどうかだけが重要。それによって考える訓練にもなるわけですから、慣れない人には苦しいけども、考えて、考えて、考え抜く習慣を付けることが大切なのです。もしお金を稼ぎたかったら、Y沢氏の100分の1でも考えてみることで、彼の考えに乗っかる必要などありません。もっと自分の理性を信じる。そして「自我」を信じること。人類が自我を働かせ、理性的であったからこそ、今、ものすごく便利な世の中になってきてるのです。そしてこれからももっともっと便利になることでしょう。そしてそのうち、病気もなくなるだろうし、食糧やエネルギー問題も過去の話になることは間違いない。人口が増えても月や火星がありますし、もしかしたら、遺伝子の情報がその環境に適合して、人口が増えないシステムに変わるかもしれません。まさにユートピア。だけど、そうなったらなったで面白くないので、そのうちに人類は性欲なんかを失って、あとは種が存続しないで滅びるだけ。だけど、それはそれでいいのかもしれません。

 いずれにせよ、人間とその他の動物との違いは「理性」つまり「自我」があること。人間らしく生きるとは、決して本能や直観に従って生きることではなく、理性を働かせて生きること。考えて、考えて、考えまくる。お金が欲しかったら、恋人が欲しかったら、健康になりたかったら、とにかく考える。もちろん情報収集も大切だけど、「誰が言ってる」に決して惑わされず、その「情報」そのものを理性的に判断できるように考えること。そうやって考えた先に、本当の「直観」が下りてきて、視野がぐい~んと広がり、新たなステップを踏むことができるのです。確かに考えるだけで行動しないとなると、そえはそれでも問題だけど、行動の判断基準を他人に任せるのではなく、自分自身の「理性」におくことが重要なのです。そしてあらゆる問題は、、、考えた先にあることもまた事実。その先の世界を見るためにも、とにかく考えたいと思います。今日はこの辺で。ありがとうございました。

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by katamich | 2013-01-28 23:39 | ■人生哲学 | Comments(0)