ビリーフの根源 2012.12.29

 今日は比較的暖かい一日でした。いよいよ明日で年間100日の滝行も満行です。何とか滑り込みセーフとなりそうですが、同時に写経108枚も明日で終わるかな。100枚は今年の9月頃に終わっていたのですが、残り8枚をすっかり忘れていて今回の行に合わせて書き始めました。大晦日には108の煩悩をクリアできるかな。ちょうどよかったかな。そして新年早々、1月5日から26日まで今年一番の「21日滝行」をする予定です。ちょうどその間は仕事も入っていないし、できるときにやっておく。それも一番過酷な時期にやるのがいいですね。満行の翌日は福岡で「ビリーフチェンジグループワークス」を開催します。その翌週は熱海ワークスですが、2月1日の夜は東京で「宇宙となかよし塾」の予定。

 最近は「ビリーフチェンジ」の話が中心でしたが、正直なところ、NLPにせよコーチングにせよ、いわゆる「メンタル」を扱うセミナーの9割、いや100%がビリーフに関するものでしょう。「存在してはいけない」などのような深刻なものから、「ありのままであってはいけない」、「重要であってはいけない」のような多かれ少なかれ誰にでも当てはまるようなもの、さらに「お金は汚い」とか「自分はモテない」のような個別的なビリーフなどいろいろありますが、前も書いたように、人間にとって根源的かつ本質的なビリーフに「私」に関する思い込みがあります。

 つまりあらゆるビリーフ、そしてそれが生み出す悩みや葛藤はすべて「私」という概念が作り出したもの。赤ちゃんを見ていると、彼らの世界には「自己」と「他者」の区別もなく生きているようです。ここ2~3日のことですが、ちょうど4か月になるたくちゃんは、ついに「手」を発見したみたいです。自分の「手」を眺めて、「これはなんだ?」という眼差しで試行錯誤しているようなんです。つまり、元々は手も足も身体も、すべて「ひとつ」だったものが、その機能に合わせてなのか、しだいに役割を認識し始めるのです。そのうちその認識が「足」に移って、身体の部位が分節化されていきます。さらに、1歳を過ぎる頃には自分以外のモノにまで区別が始まります。それを最初に感じたのは、ちびQが1歳の誕生日のこと。熱を出して飲み薬を病院でもらったのですが、色のついた液体に興味を持ったのか、手で持ちながらずっと眺めているのです。だけど、眺めてるだけだと飲めないので、それを取り上げると大泣き。薬を返すと泣き止んで、再び眺め始めます。ここに「所有」という概念の萌芽を感じました。そして脳の発達によって言語能力が向上し、さらに世界を複雑に分類し始めます。そもそも言語(記号)ってのは、世界を「分類」するためにあるもので、と言うことは、言語がなければ世界は分類されていないことがわかります。

 例えば目の前に「パソコン」がありますが、私が使ってるのはWindowsです。Macを使ってる人も多いと思いますが、おそらく私の母親が見ればWindowsもMacも同じ「パソコン」でしかないでしょう。つまりパソコンは「ひとつ」としてしか認識しておらず、そこにWindowsやMacなどの言語が介在して初めてそれらが区別されるのです。そうやって世界は「言葉」によって分節化(認識)されるものなのですが、その最も根源にある「分類」がまさに「私」と「それ以外」という概念になるのでしょう。2004年に滝行を始めたのですが、そのとき、導師から言われて印象的な言葉があります。それを「思いを捨てる」という話。滝に入ると寒いし冷たいし苦しい。だけど、それらの判断は「私」の「思い」が生み出しているもの。ようは、寒いも冷たいも苦しいも、「私」があるからそう判断されるのであり、ここにもし「私」という概念がなかったらどうなのか。あらゆる判断が一瞬のうちに消え去れます。

 滝はただ流れているだけ。そこにすき好んで勝手に入って、寒いだの冷たいだの言うのは人間の身勝手。エゴ。滝がただ流れるのであれば、仮にそこに入ったとしても、ただ「ある」だけのはず。滝に打ちつけられる岩が冷たいとかいうはずがないし、他の動物だってわざわざ滝に入ってなど来ません。「修行」などという概念に依存しながら、わざわざ入っては冷たい、寒いって言うのが人間の愚かしいところ。だけど同時に愚かだからこそ人間。人間は愚かであることを宿命づけられている。もし愚かであることを否定したければ、死ぬか植物人間にでもなるしかない。だけど、人間として生まれてきたからには「愚か」であることを自覚し、それを受け入れ、その上で生きるしかないのです。だから、私が滝に入るのもまた「愚か」な行為であると知りながら、それでも入っていくのはまさに人間だから。

 しばしば真冬の滝に入っていくこと自体を揶揄されることがありますが、そういう人もまた、どこかで勝手に滝に入っています。つまり、自分で自分を苦しめる場所に入っていってる。それが会社だとすれば、私から見たらそれこそ愚か。もし、会社が嫌で嫌でたまらないなら辞めればいいだけ。もちろん辞めれば収入がなくなるので、そっちの方がもっと苦しからこそ辞めないでいるのでしょう。だけど「会社」という「滝」に入っているのは、その人の身勝手以外の何物でもありません。それでも入っていくのは、そこに何かがあるから。もっというと、人間であるための「何か」があるから。会社が苦しくて辛かったとしても、それは人間が人間であるがゆえに得られる感情。そのとき、人は二通りの反応ができます。それは「受け入れる」ことと「受け入れない」こと。

 滝は冷たい。それは当たり前。だけど、人によってはその冷たさを否定しようとする。修行すれば冷たさを感じなくなるのか。それは大きな間違い。私は今まででおそらく1000回近くは滝に入っていると思いますが、いつになっても冷たいです。真冬の滝が温かくなることはありません。だけど、冷たいものは冷たいと受け入れてしまうと、その瞬間に滝との関わり方が変化します。これがいわゆる「滝と一体化する」ってことかもしれませんが、そんな言葉もまた勝手に作った概念であって、「ただ、入っている」という事実があるだけなのです。

 つまり、すべては「ただある」だけ。冷たいとか苦しいとかって判断自体、人間が勝手にやってるだけのこと。その勝手な判断を生み出しているのが、まさに「私」という概念であり、言い換えると自我と呼ばれるものなんです。最初の話に戻りますが、この「私」という概念そのものが、人間に与えられた根源的なビリーフです。ビリーフチェンジに最終段階があるとすれば、それはまさに「私」という概念をチェンジすること。ただ、この話ってのは、古今東西のマスターと呼ばれる人が、何千年にも渡って言い続けていること。一回のセッションで誰もが完全にこの根源たるビリーフチェンジをすることができれば、それはもしかしたら「人間」であることからして大変容することになるのかしれません。これを昔の言葉でいうとアセンション。だけど、この根源たるビリーフチェンジはこれからも人類の精神的課題であり続けながら、また、いろんな人がいろんな角度から説き続けるテーマには違いないでしょう。

 ただ、ここでまた同じこと繰り返しても楽しくないので、私なりに気が付いたことを一つシェアしたいと思います。これまた何度も言ったことかもしれませんが、「私」という概念をチェンジするには、まずは「私」を強烈に感じてみるといい。どうすれば「私」を強烈に感じることができるのか。それは簡単。呼吸を止めてみればいいのです。人は何らかのストレスにおかれると、無意識的に呼吸を止めてしまいます。先日ご紹介した「ラブラブ・アンド・ピースピース」の絵を思い出すだけで息が止まるとFacebookにコメントも頂きました。あの絵はかなりストレスになります。だから止まるのです。それ以外にも自分にとって嫌な人間のこと、気の重い仕事のこと、将来への不安などを思い浮かべると、無意識に呼吸が止まってしまいます。もちろん止まり続けることはなく、生きるために呼吸は始まるのですが、頻繁に止める癖がついているので、それを一気に吐き出すことが必要になる。それがため息です。もちろんため息は必要だからしてるのですが、そもそも普段から深い呼吸を習慣づけていれば、ため息はしようがありません。私もこの数年、ため息をついたことがないようです。

b0002156_18262097.jpg 赤ちゃんをずっと見てるとわかりますが、うちのたくちゃんにしても、呼吸を止める瞬間がまったく確認されません。植物だってそう。絶えず呼吸をしているからこそ、成長するのであって、植物に呼吸が止まれば死を意味します。水中で呼吸できる植物もありますが、そうでない植物を水中に入れてしまうと、すぐに枯れてしまいます。つまり、「ただある」の状態において自然な姿は、ずーっと呼吸をしている状態。赤ちゃんがそうであるように。では、私たち大人はどうか。おそらくは1分として、呼吸を止めずにいられないんじゃないかと思います。例えば何かを考えるとき。息を止めてますよね。考えるって実はストレスなので、息が止まるのは当たり前。だけど、そんなもんなのです。人間である以上、ストレスはありますから。だけど、もし、、、これから先、ちょっとでも自然な状態で生きていきたいと思うのならば、先日も書いたように、ちょっと「呼吸」に意識を向けてみるといいでしょう。

 滝の中では何が苦しいかと言うと、それは息ができなくなること。圧倒的なストレス下において、滝の中では普通は息が止まります。そこで、入っているためには、意識的に深く呼吸を取る必要があります。これは日常生活でも同じこと。深く呼吸を取ること。それも、一瞬たりとも呼吸を止めない時間を作ってみること。瞑想が苦手な人は少なくないと思いますが、例えば10分でもいいです、呼吸を一瞬たりとも止めずにたたずんでみてはどうでしょう。ゆっくりと、吸って吐いて、吸って吐いて。ただその繰り返し。意識してないと、すぐに息が止まります。その瞬間を作らないよう、赤ちゃんのように、植物のように、ただ息をするだけの存在。そんな時間を一日にわずかでも作ると、今まで「私」がどれで強かったかがわかることでしょう。「私」を感じるには息を止めること。逆に息を止めずにいると、、、「私」はどうなるか。やってみればわかると思います。そしてそこにこそ、根源的なビリーフチェンジがあるのです。2013年は恋愛、結婚、収入などの具体的なビリーフチェンジの話やセミナーもしてきたいと思いますが、常に「根源」にベースを置いた情報発信ができればと思っています。2月1日の「宇宙となかよし塾」では、そっちの話をメインにしようかと考えています。そんなとこで、明日は満行です。ありがとうございました。

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by katamich | 2012-12-29 23:39 | ■精神世界 | Comments(0)