人生に分岐なし 2012.11.13

 最近、と言うか、かなり前から、ちびQの言葉に「ぶんき」ってのが頻出しています。「ぶんき」とはプラレールの分岐で、つまり分かれ道のことですね。私が小さい頃は「分岐」とか「連結」とか言った記憶ないけど、遊ぶおもちゃによって使う言葉が違ってくるんですね。トーマスも大好きでほとんどのキャラは言えるのに、「トップハムハット卿(鉄道の局長)」だけはどうしても言えない。「それはあきら君には難しい」とは言うのに、どんなに頑張っても「トップハムハット卿」だけは発音できないのが面白いです。それはともかく、人生もやたらと「分岐」だな~って思うことがあって、昨日だったか夢を見ました。それは24歳で世界一周してる夢。それでアイルランドを思い出して、ツイッターでも「ぼちぼちアイルランドツアーの企画に入ろうと思います」とつぶやいたのだけど、あの旅で特に「分岐」を感じたのはヨーロッパ。関空からロス経由のデンバー往復で入り、現地で復路をキャンセルし、あとを断ちます。コロラドスプリングスって空港からニューヨークへ。そこからヨーロッパに飛ぶことだけは決めてたのだけど、どうやって情報を得たのか覚えてないのですが、パキスタン航空のアムステルダム行きが一番安かったのでそれを購入。片道2万ちょいだったような。今ならLCCがあるのでもっと安いのでしょうが。

人生に分岐なし 2012.11.13_b0002156_12574224.jpg アムスに着いてユーレールパスでも買おうと思ったけど、3か月で10万円以上もする。蚤の市に行くとマウンテンバイクが一万円ちょいで売ってたので衝動的に購入。実はその翌日にライデンって街で盗まれたのだけど、すぐにまた中古を購入。ニューヨークで「ベネルクス」の「歩き方」を買ってたので、とりあえずベルギーとルクセンブルクには行く予定だったけど、その先が決まっていない。ヨーロッパはイスタンブールをゴールに決めてたので、ドイツから東欧ルートと、フランスから南欧ルートがありました。それが「分岐」でした。五木寛之の本をアムスで読んだので、スペインにはかなり惹かれたのだけど、最終的にモーツァルトの生誕地であるザルツブルクと、知人が勧めてたハンガリーに行きたい気持ちが勝ってドイツに入国(右写真はルクセンブルクのオレ)。そしてドイツの360度見渡す麦畑を自転車で走っていると、どこからともなく「Qさん、Qさん」って声が聞こえてきて、その当時は「Qさん」なんて呼ばれたこともなかったので妙な気持に。だけど、どこか力強い声でした。今にして、あれはその10年後(34歳)に耳にする声だと確信。10年後は2007年。セミナー等でリアルにそう呼ばれるようになった年でした。

 それはともかく、今でもときどき思うんですよね。もしあのとき、ドイツじゃなくてフランスに行ってたらどうなってたか。それだけでまったく違った人生になってたと思うんです。その前に自転車を盗まれた直後、ヨーロッパが嫌になって(腹減るし)、一気に東欧に行ってしまおうと、ライデンからドイツのミュンヘンまでの切符を買っていました。だけど、これで電車に乗ってしまえばアムスで自転車買ったのはなんだったのか。すると目の前に中古の自転車屋が入ってきて、命運を感じ出発数分前にミュンヘン行きをキャンセル。キャンセル料600円取られ、貧乏旅行者にとって600円はかなり大金なんだけど、それでも自転車を選択。もしあのとき、そのままミュンヘンに行ってたらどうなってたか。そんなこと考えるとキリないんですが、だけど最終的にはなるようにしかなっていない。もしかしたら5次元みたいなのがあって、あのとき、自転車でフランスに行った自分、列車でミュンヘンに行った自分がいるかもしれない。だけど、ここは3次元。2012年11月13日の私は今の私以外に存在しないのです。ようは、自転車盗まれたのも、中古を買い直したのも、ドイツに向かったのも、すべて「最初から決まっていた」としか考えられなくて、あたかも自分の意思で選んだように思いながらも、実は何ものかによって「選ばされている」に過ぎないのでは。

 人生なんて「分岐」の連続なんだけど、実は「分岐」なんて何一つなくって、すべて決められた方向に進まされているだけ。右と左があって、右を選んだけど、左に選び直してある程度進んだけど、やっぱり戻って右に進んだ。あたかも自由意思のようだけど、そのプロセスも含めてすべて決まっていること。すべて運命。死ぬ日だって決まってて、絶対に変えることはできない。だけど、残念ながらその運命やら死ぬ日やらを知ることは永遠にできないんですよね。だから、人生は決まってないように見えるし、そう考えた方が現実的なんだけど、いわゆる「宇宙の意思」のようなものに触れたとき、「あ、やっぱり最初から決まってるんだ・・・」って揺るぎない確信がやってくる瞬間もある。

 最近、ビリーフの話ばかりしてますけど、例えば「私は存在する価値がない」なんて破滅的なビリーフを持っている人がいて、そうなってるのは多くの場合、両親から刷り込みが原因であって、何もわからず生まれてきた自分にとっては理不尽な話。スピリチュアルの世界では「子どもは親を選んで産まれてきた」って言われることも多くて、確かにそれはそれでキレイな話。だけど、そんなことも永遠に証明できないし、自由意思がないなんて前提に立てば、生前の自分が親を「選ぶ」なんてこともあり得ない。もし本当に意思があったら、金持ちで優しい両親を選びたいところだけど、そうじゃない親にだって子どもはいる。親の立場から見れば、「この子は私たちを選んで産まれてきたのよ~」なんて思い込めば、確かに愛しさも増すし、私もそれを頭から否定する気持ちもありません。だけど、結局は選ぼうがどうあろうが、こうやってこの親の元で生まれ育って今の自分がいるって「事実」だけは否定しようがない。

 「私は存在する価値がない」なんてビリーフを持っていたとしても、それもまた決まってて、そこでリストカットするのも、何やっても上手くいかないもの、すべて決まってること。そう言うと、「だったら何もする必要ない」って考える人もいるのだけど、そもそも「何もしない」ってできますか。詭弁に聞こえるだろうけど、自分を変えようと努力するのも、ただ家に引きこもってだけなのも、どちらも「何かはしてる」のだし、死を選択することさえも自らの積極的な行動の一つです。いずれにしても「何かはする」のだから、仮に選ばされているとしても、必ずどっちかに行くしかない。だったら、とりあえず今の自分の気持ちに正直になって、私があのとき自転車を選んだように、そしてドイツに向かったように、「いい」と思う方向に進めばいい。だけど、その道もまた最初から決まってるのだから、進んだからには何も言わずに信じて、いや、信じる必要さえもなくて、当たり前のように歩き続ければいいのです。「あのとき、あっちに進んでおけばよかった」なんてのは、最も「宇宙の意思」から反した生き方であって、それが自分を生き辛くしている最大の原因なんです。

 そんなわけで、すべては決まってて、「宇宙の意思」から見たら人生に「分岐」なんてものはなし。今までの自分と決別して、新たな自分に生まれ変わるのもまた「宇宙の意思」に従った唯一の道だし、今もし、とても生き辛い人生を送っていて、たまたまこのブログを読んでいたのなら、何かのタイミングなのかもしれません。例えば世の中には「ビリーフ」なんて言葉も概念も知らないままに生きて死んでいく人が大半な中、とりあえずこれを読んでいる以上、そんな考え方があることを知ったのです。知ったこともまた「宇宙の意思」によって知らされただけのこと。すべては決まってるのだから、ただ、お任せすればいいのです。

 ところで今日は久々にメルマガを配信しました。前回が9月23日だったので、実に2か月弱も間があいてしまいました。この間、ずっと放置していたにも関わらず、80名以上の方の新規登録を頂いていました。ありがとうございます。その中で、ちょくちょく「潜在意識に請求書を出す秘伝」について問合せもありましたので、再度公開しています。これで本当にお金が入ってきたなる報告も多く、やっても損はしないので、ぜひ一度お試しあれ。だけど、こんなのもすべて決まってるのかな。

 この「すべて決まってる」という感覚、私はこの事実に気が付いたとき、ものすごく「自由」な気持ちになりました。「すべて決まってる」から何もできないのではなく、決まってるのだったらやりたいことやればいいだけですから。会社辞めるのは確かに勇気の要ることだったけど、すでに決まってるのなら辞めることも決まっている。だったら、そのときの感覚、つまり「内なる声」に従って決めればいいだけ。もう抗いようもないですから。ただお任せして、自分らしく楽しい道に進んで行けばいいのです。「すべては決まっている」と言われてもしも「自由」を感じることができれば、それだけ「宇宙の意思」に直結した生き方をしているわけで。今日はこの辺で。ありがとうございました。

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by katamich | 2012-11-13 23:39 | ■精神世界 | Comments(0)