35歳絶対年齢説 2005.2.1

(エキサイトブログが0時~12時の間メンテナンス中だったため、更新が遅れました。おこし頂いた方に感謝申し上げます。)

 今日から2月ですね。そして今日から本格的な「冬」が始まりました。雪がふぶく中自転車で40分の通勤。滝まで行かなくても滝の気分でツイてる~。まかはんにゃ~は~ら~、って感じですよね。

 実は今日はあまり日記に書くような内容がないんですよ。なぜって一日中仕事してたから。って当たり前なんだけど、いつもなら仕事してても話したり、本読んだり、もの考えたり、いろんなとこに顔出したりしてるんですが、今日はひたすら仕事に追われ、昼休みも仕事していました。既存のデータをひたすら並べ替えたり、帳尻を合わせたり、といった単調な作業です。当然楽しくはないです。私はどちらかというと、人とコミュニケーションを取ったり、文章を書いたり、企画したりする仕事が好きで、数字の並べ替えみたいな単調作業は最も苦手とする分野です。久々にストレスを感じそうになりました。しかしです。このような仕事もある人は面白さを見出すし、そもそも誰かがやっているからこの社会が成り立っているものです。また、私のこれからの人生でもこの経験が役に立つ時が来ることでしょう。そう思うと、感謝して仕事をするべきなんですね。この仕事を通して世の中の一員、社会の構成員となっていることに感謝するべきなんですね。

 しかし、私が今の会社にいるのもあと一年です。その一年の間に私を試すような様々な試練が訪れると思われます。辛いこともあれば楽しいこともあり。それもこれも新しい門出への糧となることでしょう。

 私は最近、「35歳絶対年齢説」というのをよく口にしています。「35歳」という年齢は、社会的には一つの節目となります。例えば35歳を境に転職が途端に不利になりますし、フリーターも35歳を超えると「無職」という呼び名になります。私の好きな音楽家に、モーツアルト、チャーリー・パーカー、ミシェル・ペトルチアーニがいますが、彼等は皆、35歳を境に死んでいます。天才の絶対年齢なんでしょうか。そして、ゴーダ=マシッタルダが仏陀(悟った人)となったのも35歳です(その御、80歳まで布教活動をしています)。私は平凡な人間なので、35歳で召されることはありませんが、今は35歳を境に何かが起こるだろうと命運を感じながら生きています。

 事実、30歳を過ぎてからというもの急速に色んな人と出会う回数が増え、その内容も深まり、人を通して様々な経験が私を待つようになっています。先日、導師がこう言いました。

「御神さんというのは面白いもので、貴方の言う『宇宙』でもいいけど、その生き方に素直でいると、必ず、誰か『人』を遣わして貴方を導くものだから。頭の片隅にでも置いといて。」、と。

 私が宇宙の生き方に沿っているかどうかはわかりませんが、確かにこれまで「人」の助けを借りてここまでやってきました。今の会社に入ったのも「人との縁」がきっかけですし、その後の様々な経験もみな、「人との縁」が軸となっています。そう考えると、自分自身で決めたことなどほとんどなく、あらゆることが「人」によって導かれていると感じています。

 ここ一年ほど、さらに最近におけるおそろしい程の人との出会いは、新たな導きにつながるものと確信せざるを得ないものがあります。これから一年間は助走期間として、さらに様々な人との出会いを経験し、その後は、私の言う「35歳」に向けて加速していくことと思われます。どうなるかは明確にはわかりませんが、楽しくワクワク、自分の周りにいる人、自分と直接なり間接なりかかわりを持つ人が幸せになるような存在になれることを目指していきたいと思います。

 日記に書く内容がない、なんて言いながら、今日も濃ゆいこと書いちゃった~。明日も今日の面白くない仕事が続くけど、楽しくなれるよう、前向きに頑張るぞ~。

ランキングがあがるとテンションもあがります。

(私の大好きな映画の1シーンです。ラストは泣けます!!。)

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Commented by katamich at 2005-02-02 19:25
うれしいコメントありがとうございます!!
私はそれでさらにテンションが上がります!!
アセンション、、、どうなんでしょう?
どうあがいても、どうにもできない範囲のことなので、とにかく自然に調和して、自然から愛されるように生きていきたいですね。

by katamich | 2005-02-01 23:53 | ■日一日 | Comments(1)