宇宙となかよし

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Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

理性的に自我を弱める方法 2012.9.13

 たくちゃんが産まれてから激動の日々と思いきや、かなり落ち着いた日々となっています。今のところ夜中もずっと泣くようなことはなく、3時間おきにミルクで起きる程度。ただ、なんとなく自分的には生活のリズムが整ってない感じでもあります。土曜日から一週間の滝行をしたいと思いますが、今回も滝場まで歩く予定。無事出産できたことへのお礼の行もかねて。それから5月から始めている「写経」は今日で94日目となっていました。ここ一週間ほどバタバタと時間がなくて休みがちでしたが、今月中には108枚を終えることができそうです。出張があるから10月に食い込むかな。いろんなことが終わり、そしていろんなことが始まる。朝晩は涼しくて季節もすっかり秋。いい感じですね。

 ところで最近、なんとなく「頑張らないモード」で過ごしています。一年の上半期は割といろんなことに頑張って、自分に負荷を与えつつも自らを鍛えるモードなんですが、下半期は「実り」の時期に入るためか、それこそ「流れ」で何とかなったりします。そして本格的な「引き寄せ」が来るのも、だいたい9月以降です。最近よく提示する図式に、

3次元:現実(現象)
 ↓
2次元:認識(情報)
 ↓
1次元:自我(自分)
 ↓
0次元:存在(今ここ)


b0002156_20363051.jpgというものがあるんですが、最近、ハッキリと分かったのですが、人間ってのはすべての「次元」に生きてるんです。しばしば、一般の人は3次元に住んでいて、特殊な人は9次元からやってきた、なんて言う人もいますが、おかしなファンタジーです。次元が高い方が凄いみたいな。確かに脳の発達段階から見れば、次元が高い方が複雑ではあります。産まれたばっかりは0次元。今ここしかなく、自我もない。もちろん認識能力もない。それが生後一年くらいすると自分と他人の区別が付いたり、物事の好き嫌いが出てきたりする。ちびQが一歳になるかならないかのとき、何かの箱を触ってるのを取り上げたとき、うわ~と大泣きしました。それまでは取り上げても無反応だったけど、自分が扱ってるんだって「自我」がハッキリしたんですね。

 その後、さらに脳が発達し、経験や学習を重ねると、世の中に対する「認識」が芽生えます。犬は怖い、アンパンマンは強い、猫は可愛い、お菓子は美味しいなど。そのような「認識」がどんどん複雑化することで、人それぞれの固有の「現実」が構築される。その「現実」が3次元であり、「認識」が2次元なんです。さらに脳が発達するとどうなるか。過去や未来に対する臨場感が高まってきます。実際には今にしか生きてないのに、過去をくよくよ悩んだり、未来に不安をもったり。年とればとるほど「経験」のデータベースが増えて行くので、それだけ過去や未来にとらわれ、そのとらわれが現実化するようになる。

 2次元の「認識」は常に今現在に反映しているはずが、その「認識」を過去や未来から取ってきてしまう。それが4次元人の特徴。と言うことは、私たちは大なり小なり4次元人なんですが、自分にとって望ましい未来を見ている人とそうでない人がいる。悪い予感が当たるのも4次元的だし、逆に良い予感が当たるのも4次元的であり、その場合は「引き寄せた~」などと言って喜ぶわけです。つまり最近思ったことがすぐに現実化したなど。未来に対する想念と現実化の感覚が短くなると、「ついに4次元に突入~!」なんて言いますが、それ以前に皆4次元なんです。望ましいかどうかの違いがあるだけで。NLPのタイムラインなんてスキルはまさに4次元のリソースを活用したもの。

 では、その先の5次元はどうか。これはいわゆるパラレルワールドというやつで、私たちが生きている現実をAとすると、実は同時に無限のA´が存在している。例えば私は今、ブログを書いていますが、5次元にはブログを書いてない私が実際に存在している。「可能性」という要素によって今は「A」が顕在化しているだけで、「A´」も「A´´」も可能性としては存在しており、すぐにそちらに移行することもある。つまり5次元に生きるとは、過去や未来ではなく、まさに今同時にある別の「可能性」にアクセスして、そこからリソースを取ってくるような状態。妄想状態なんてそうですよね。で、そのような妄想の臨場感が高まって、それが確たる「認識」に反映されると3次元の「現実」が目の前に現れる。では、6次元になるとどうか。それ以上は言葉にできず、数学上の概念としかとらえることはできないでしょうね。それでも誰それは9次元から来た、、、なんて言う人もいるので、その辺のとこ、きちんと説明して欲しいものです。

 それはともかく、0次元から5次元くらいまでを私たちは同時に生きているのですが(6次元以上もあると思いますが、言葉で説明できない)、次元が上昇するってのは脳の発達と並行してるわけです。だけど、それだけ余計な情報が付加されるようになり、良いのか悪いのかどうでしょう。「願望実現」の意味においては、4次元や5次元のリソースを適切に取ってくることは望ましいことですが、実際は必ずしも「望ましいリソース」だけとは限らず、無意識に余計な情報を4次元や5次元から取ってくることもありますもんね。と言うか、そんな人はとても多いでしょう。

 つまり、ガッチガチの「自我(1次元)」で、勝手な「認識(2次元)」をして「現実(3次元)」を作ってるのですが、しかも余計な「未来(4次元)」を心配して、さらにどうだっていい「妄想(5次元)」をして自分を苦しめている人って多いんじゃないでしょうか。しかもそれらは困ったことにすべて「3次元」に影響する、つまり現実化しやすいので、その世界にしか生きられなくなるんですよね。本当はそうじゃないのに。そのように「現実(3次元)」に対して、1次元・2次元、そして4次元・5次元が板ばさみにして逃れなくしているのが現状です。そんなん現状には真のリアリティはありません。そこでです。1次元から5次元までをまずは「リセット」してリアルな世界を知る。その上で新たな世界を構築すれば真に自分らしい人生を歩めるわけです。その「リセット」こそが0次元へのアプローチであり、それは別名「サレンダー(帰依)」と呼ばれます。

 つまり1次元以上の世界ってのは「脳の発達」によって任意に構築した「幻想」の世界に過ぎません。もちろんそれが悪いってことじゃないです。人間は幸か不幸か「脳」が発達してしまった生き物。ゆえに「幻想」に生きる宿命を持っているもの。仕方ないんです。だけど、この世界が「幻想」であることを知る人間と知らない人間がいるのもまた事実であり、どちらかと言うと私は知っておいた方がいいと思っています。少なくとも私はそのことを知ってから生きるのが楽になりましたし、現実的な意味での願望もどんどん実現するようになりました。面白い限りです。

 ではどうすればこの世が「幻想」であると知ることができるのか。逆に言うと、真のリアリティに触れることができるのか。つまり「0次元」にアプローチすることができるのか。それは大元の「1次元」をリセットすればいいのです。つまり「自我」のこと。では、どうすれば「自我」をリセットできるのか。それは「私」という存在を小さくすることです。例えば目の前にパソコンがありますが、これは「私」が買って、「私」が使っているもの。確かにそうですが、だけどこのパソコンはNECが作ったものであり、インターネットを発明した人、コンピューターを発明した人、そしてそれらを組み立てた人など、私のこのパソコンを使うまでに「私以外」の手が無数にかかっています。そのことに意識を向けると、確かに私がお金を払って買ったパソコンですが、このパソコンができるまでに無数の人の手が入っており、その中の「私」の存在ってあまりにも小さなもの。パソコンだけじゃありません。今日食べたご飯も運転した車も住んでいる家も何もかも「私以外」の手によってできたものであり、その中の「私」の位置ってほとんど無きに等しい。

 その事実に一つ一つ思いを巡らせるとどうなるか。どっかで「自我」が崩壊し始めます。もちろんちょっとやそっと考えるだけじゃダメ。それを習慣にするレベル、または24時間ぶっ続けで考えまくるレベルで、そうやって思いを巡らせる。するとゲシュタルト崩壊じゃないですが、「自我」がどんどん小さくなってしまいに笑いだします。その瞬間に「私」が構築した世界、つまり「認識(2次元)」が外れ、「現実(3次元)」が「幻想」であることを真に理解できるようになります。はっはっはっはっは、な~んだ・・・ってね。

 確かに「瞑想」もいいんですよ。だけど、それって簡単じゃない。理性が介在している限り、なかなか難しい。だったら理性的に「自我」を小さくする方法から入ってもいい。それが今言った方法です。結局、自分自身だって両親がいなければなかったわけだし、その両親もまたその両親がいなければなかった。産まれてからだって、誰かが作ったミルクを飲んだのだし、誰かが設置した水道とガスでお湯を出して沐浴できた。もちろん親の手を借りて。本当は何一つ「私」だけで成り立つものってないのに、多くの人は錯覚している。「私」がすべてと思っている。そして「私」がどう思われるかばかりに気にして自分を苦しめている。他人は自分で思っているほど、自分のことを気にしていませんから。誰だって自分は自分のことで精いっぱい。み~んな「私」のことしか興味ないんです。だけどその「私」がこの世の「幻想」を生み出している。そしてその「幻想」に苦しめられている。その程度のことなんです。

 赤ちゃんを見ていると、つくづく「自我」がないな~と感じます。もちろん苦しみもない。お腹が空けば泣くけどそれは本能的反応。親の顔色などうかがわない。そしてそれでいい。だけど、脳が発達するにつれて「苦しみ」が芽生えるようになる。だけど、それもまた仕方ない。人間なんだから。ただ、もう一度言うけど、この世が「幻想」であることを真に理解している人とそうでない人がいて、私は理解している方が楽だと思うので、こうやって書いています。だけどまあ、「自我」がない方が楽なのに、こうやって「自我」を守っているってのも滑稽な話。人間だもの。「自我」を敵視するのでなく、「自我」を受け入れる。それこそサレンダーして、そして「自我」と向き合う。時々また「自我」に苦しめられる。でも、それはそれでいいじゃないかと思わなくもない。むしろ「自我」を抑えるとか考えるのではなく、「自我」そのものを受け入れる姿勢の方が「自我」と上手にお付き合いできる気がします。そんなとこです。また明日。ありがとうございました。

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by katamich | 2012-09-13 23:39 | ■精神世界
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