宇宙となかよし

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Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

ピュアに生きる 2012.9.12

 今日の夕方頃、先日の名古屋セミナーにご参加頂いた方よりお電話を頂きました。「すごいモノを引き寄せたので、お礼のお電話です!」とのこと。詳細はその方のフェイスブックで拝読させて頂きましたが、もちろんセミナーの効果かどうかを断言することはできません。ビジネス系のセミナーだと、得た情報と結果との因果関係が比較的分かりやすいのですが、いわゆる願望実現系(スピリチュアル系も含む)の場合は、その辺の因果関係が客観的に明確とは言えないので。だけど、ある種のセオリーの通りだとは思いました。その方はセミナーでも一番前に座られてて、たびたびセミナー中に声掛けさせて頂いたのでよくわかるのですが、今回のセミナーでこれまで想像したこともない大きな「願望」を明確化されました。ご自身でもそんな「願望」が出てきたことにビックリと言われていましたが、今回、その実現に至る確実な一歩、それも大きな一歩を踏み出されたようです。おめでとうございます。

b0002156_14161568.jpg 私は「願望実現」を二段ばさみで考えています。それは短期と長期。短期の場合は1~2年以内での実現可能性の高い願望をセットする。もちろん具体的な行動の伴うものとして。長期の場合は10年とか20年とか、場合によっては死ぬまででもいい。今回の人生を悔いなきものにするために、絶対に実現して死にたいもの。私の場合で言うと、まず「長期」は一つしかありません。それは「88歳まで毎日欠かさずブログを書くこと」。つまりあと50年は生きて、今と同じように毎日書くだけ。だけど、生きる死ぬはどうなるかわからないので(決まっているけど)、そればかりはどうしようもない。ただ、今日もまたブログを書くだけのこと。「短期」で言うと、まずは二冊目の出版ですね。それは年内。そのためにひたすら進めるだけ。あとは収入目標でしょうか。その目標に向けて、できることをするだけ。そう言えば、毎年結婚記念日(10月27日)に夫婦(家族)の一年の願いってのを紙に書いてるのですが、当日まで開封しないので全部は覚えてないものの、確か「二人目出産」があったと思います。これもまた見事に実現しましたが、「生死」の問題ばかりは「神のみぞ知る」ですので、書いたからと言って実現する保証はありません。だけど、書かないよりは書いた方が良いとは思います。

 そして「短期」と「長期」では、どちらが大切かと言うと、これは「ケースバイケース」なんて言い方はせず、明らかに「長期(または中長期)」です。究極の「長期目標」としては、死ぬまでに何を実現したいかってこと。ようは「天命」とか言われる部分ですね。今日お電話頂いた方の場合もおそらく「(中)長期」に属する願望だと思います。もし「中長期」の願望が妄想ではなく(最初は妄想でもいいけど)、確たる信念に基づいたものであれば、「宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるもの」なんです。そしてそのための「引き寄せ」がやってくる。ただ、重要なのはその「願望」に気が付くかどうか。

 「短期」は「短期」で必要。だけど、「短期」の積み上げで「長期」が生じるのでは決してなく、初めに「長期」ありきなんです。別の言い方すれば、「天命」ありき。その「天命」とは既に与えられたものだけど、それに気が付いてない人があまりにも多い。「アルケミスト」と同系統の話にマルロ・モーガンの「ミュータント・メッセージ」がありますが、そこには次のように書かれています。

「宇宙から与えられた才能を知らないまま一生を送る人がいるというのは本当なのか?(p.150)」

 昨日の日記の中で「結局、人は自分の運命より、他人が羊飼いやパン屋をどう思うかという方が、もっと大切になってしまうのだ(p.30)」という言葉を紹介しましたが、この場合の「自分の運命」を大切にする人が「真実の人」であるとすれば、「他人が羊飼いやパン屋をどう思うか」を大切にする人が「ミュータント」です。言い換えると「天命に生きる人=真実の人」、「社会的条件で生きる人=ミュータント」となるのですが、人間は脳が発達するにつれ、確かに生活は便利になり寿命も延びましたが、その代わりに何か大切なことを置いてけぼりにしてるのではないか。

 「お金が儲かる」とか「社会的に認められる」とか、そんな社会の「条件」によって「天命」が覆い隠されている。そして「条件」に自分があわなければ勝手に苦しむ。悩む。おかしな話です。何一つも真実のない社会の「条件」を勝手に価値あるものと思い込んで、そこに自分を照らし合わせて、劣っていると悩んでしまう。例えば、、、お金もが儲かろうが、結婚しようが、子どもができようが、自分の「天命」にとって何も関係ない。そもそも、どちらになろうが人は困らない。困るのは自分だけ。いや、困っていると思っているのは自分だけ。私のこのたび、子どもを授かりましたが、それは素直に嬉しく幸せなこと。だけど今回はないと思うのですが、一人目のとき、「子どもが欲しくてもできない人が大勢いるのに、公のブログでそんなに喜ぶべきではない」と苦言を呈されたことがありました。確かにそうかもしれない。その気持ちもわかります。だけど、そのために自分の素直な気持ちをブログに反映させないのもまた、何かおかしな条件付けなんです。そもそも子どもがいるとか、お金があるとか、その人の「人生」にとって何の関係もないこと。

 私だってもちろん足りない部分はたくさんあります。ルックスもよくないし、学歴だってある方じゃない。会社員経験もそんなにあるわけじゃない。貯金だって威張れるほどもない。社会の「条件」から見れば、足りないところばかりで、そのことに付いて確かに悩んだことだってありました。27歳ニートのとき、「これでいいのだろうか」と本気で悩みました。同年代は仕事も覚え、結婚して子どももいる。マンションを購入した奴もいる。それに比べて自分は一度もまともに働いたことのないニート。アルバイトにも雇ってもらえない。こんなオレって完全に負け組。だからと言って、今から大企業に就職できるわけでもなし、資格をとって何かするのにも頭が悪い。どうすればいいのかわからない。そうやって悩みまくってたけど、運よく月収12万円の契約社員で拾ってはもらいました。だけど、やっぱりどこか自分にはあわないし、将来的にずっとその会社で働いているイメージもない。相変わらず悩み続けて、とにかく辞めたのです。

 だけどあのときは、何度も書いてきたと思いますが、いわゆる「前兆」が次々とやって来ていた。いつ辞めてもいい材料が揃い過ぎていました。最後は神社です。車の運転中、突然、「もう辞めていい」との声が聞こえてきた気がして、そのときなぜか「じゃあ、神社で聞いてみよう」と思って赤信号で止まった場所は「筑紫神社前」。もう、その瞬間に7割以上決まっていたのですが、最後は神社でコインを投げて決めます。そして「表」が出たから辞めた。「前兆」に従いまくって今に至ります。

 その後はいろいろあって、今はセミナーやったりコーチングしたり本を出したりしてますが、私が究極的にやりたいことって、結局は「ブログ書くこと」しかないんですよね。もちろんセミナーとかもやりたいし、やり続けたい。だけど、ブログを犠牲にしてまでやりたくない。もっとも、今の段階ではそれらはすべて両立どころか相乗効果があるものですが。そして「ブログ書くこと」それ自体には何の社会的条件もありません。今では読んで頂ける人も多くはなっていますが、少ない時期から今と同じような感覚で毎日書いていましたので、読者が多いから続けるではないと思います。多かろうが少なかろうが続ける。もちろん多い方がいいのも素直な感情です。とにかく毎日書くことが私にとっての「天命」であり、死ぬまで続ける、できれば88歳まで毎日書ければ本望です。そしてその「天命」に従っている限り、宇宙は何としてでもサポートし続けてくれる。そう、書くんだよ。それでいいよ。そんな声さえ聞こえてきます。

 そう言えば7月のQ州ツアーに参加されたヒガシ君は、あれ以来、毎日ブログでイラストを更新しています。100日間は続けるそうですが、イラスト自体はおそらく一生書き続けるんでしょう。これで大儲けできるかどうかわかりませんが、必要ならできるでしょう。だけど、書くこと自体は与えられたこと。特に専門的に勉強したわけじゃないのに、あれだけ書けるのは何かある。私が今からあのレベルでイラスト書けと言われても、それは素直に諦めます。だけど、彼に一日5,000字のブログを書くように言っても、きっと難しいでしょう。それはやっぱり向き不向きがあって、それ自体が与えられたこと。

 だけど、本当は誰もが気づいてるんですよね。社会的条件が邪魔して気づかないフリしてるだけで、本当は知っている。なぜならこれまでずっとやってきたことだから。「天命」を見つける最も簡単で確実な方法は、今までやってきたことを振り返るだけ。だけど、どこかで価値があるとかないとか勝手に決めて、より儲かるとか、認められることばかり探してしまう。それじゃあ、見つかるわけない。

 恋愛や結婚も同じで、実は自分に最もふさわしい相手がいるかもしれない。だけど、そこでも経済力とか社会的地位とかルックスとか年齢など外的スペックによって探してしまう。どんなにスペックの高い相手と結婚したところで、幸せになれるとは限りません。だけど、本来、幸せになれるはずの人と結婚したら、その人は間違いなく幸せになれます。当たり前の話だけど。

 話を戻しますが、これから一生かけてやりたいことは、実は今までやってきたことでもあります。そこに余計な価値判断をするものだから、他に何かいいものがないか迷ってしまうのだけど、本当はあるんです。「近くの宝物を見つけるのに、遠くまで探しに行くことが必要はこともある」とは誰が言ったのかわすれましたが、そんなこともあるででしょう。なので、もし今もなお何かを探し求めているのであれば、それはそれで無駄なことじゃなかった。だけど、本当の「宝物」は実は足元に落ちている。そんなことを日々実感しています。

 冒頭のお電話をくれた方も、これまである仕事をずっとしてきた。だけど、改めてその延長上にある大きな「宝物」に目を向けたら、、、そのための引き寄せが今起ころうとしている。「アルケミスト」で好きな一節。

「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい。夢を追求している時、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ」

 何かを願望することは同時に自分を傷つけることかもしれない。そんな高望みとか無茶とか無謀とか、言われる前に自分からそう制限してしまうかもしれない。それは決して謙虚な姿勢ではなく、単に臆病だから。夢を持つことで傷付くかもしれないことを恐れているから。そしてそれがもっとつらい状況でもある。これからも一生、そんなつらい思いをして過ごしたいですか。私は嫌ですし、誰だって嫌でしょう。だったら、「宝物」に目をそむける必要はない。それを追求している限り、宇宙のすべてが協力してくれるのだから。

 そんなわけで、なぜか三日連続して「アルケミスト」の話が続いていますが、それもまた、最もピュアな赤ちゃんを目にしてるからかなあ、と思います。もっともっと素直に純粋に。そんな風に生きていきたいと改めて思っています。それではまた明日。ありがとうございました。

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by katamich | 2012-09-12 23:39 | ■精神世界
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