亀の歩みだけど・・・ 2012.7.15

 今日の福岡は熱帯のようにねっとり暑い一日でした。夕方、ツレが「焼肉食べたい!」と言うので、3人で博多へ。炭火焼の美味しい焼肉。ちびQは普段、お肉はほとんど食べないのですが、さすがに柔らかくて美味しかったのか、ご飯と一緒にバクバク食べました。私も確か小さい頃は肉が嫌いでした。固いから。だけど、ある日突然、小学3年前後だったと思うのですが、焼肉の美味さに目覚めて、焼肉ならご飯も何杯もいける感じに。ちびQが大きくなって、さらに子どもが増えたりなどしたら、焼肉は食べ放題しか行けなくなるだろうなあ。もし、願望通りに子ども3人とかなったら一人3,000円として5人で15,000円。うわ~と思うのだけど、ちょっといいとことか、私は行かないけど女の子のいるお店に行ったらそれくらいは吹っ飛ぶ。そう考えると、月に一度くらいはそんな贅沢もありかな。

 私が中学高校のとき、寮生活で月に1度か二月に1度か忘れましたが「焼肉」がありました。天気のいい日は外で七輪。悪い日は中でコンロ。高校のときはずっとコンロだったかな。たぶん安いお肉を一人一パックもらって、野菜とジュースが二本。そしてご飯はもちろん食べ放題。あの時代、ご飯の消費量はハンパなかったと思うのです。だって普通にどんぶり5杯とか食べてましたもんね。私はせいぜい3杯でしたが、10杯食う奴もいた。もちろん普段からそれじゃなくて焼肉のときだけ。カレーのときもそんな奴いたかな。朝の納豆のときも。とにかくあの食いっぷりはすごかった。今日のちびQの珍しいバクバクを見て、そんな未来を予想させるのでありました。

 ところで昨日も書いたのですが、先日の懇親会での喧嘩、、、と言うほどじゃないけど、ちょっと険悪になった話の続き。まあ、お互い酒も入ってちょっとしたボタンの掛け違いが原因だったのですが、お互いに非も言い分もあって喧嘩両成敗には違いない。ただ、私がその話をフェイスブックでネタにしたのはよくなかった。第三者的に見るとそんな話は面白いのでしょうが、本人がいるとこで普通に書くのもなんかな、と。もちろん特定はしてませんが。その後、メールで何度かやりとりあって、これじゃあますます険悪になると思い、私から電話。それで一応収束したのでこの話は終わり。

 ただ、今回、自分でちょっと面白いと思ったのが、その方からのメールに「器が小さい、などなど」と書かれていて、普通に読めば「ひでえ!」ってなるのでしょうが、私、それ読んで爆笑しちゃったのです。失礼な話ですが。言われてること、すべて正しいですもん。爆笑したおかげで私も冷静になって電話できたと思うのですが、非難されて「その通りだ!」と笑えるようのなったのは、私もちょっとは成長したんだな~と思いました。だって、私って本当に器小さいですもんね。これ、皮肉でもなんでもなく、マジでそう思ってます。そんな器だから、いつもいつも悩んでてハゲるわけです。

 ブログを書いていると、どうしても自分のいいところ、美しいところを書こうとしてしまいます。スピリチュアルのカテゴリーで、ある一定の読者さんもいらっしゃることから、それなりに支持されてる部分はあるんだと思います。そしてそのような美しい部分もまた真実の私である一方、器が小さく、ネチネチ、ドロドロした部分も真実の私。性格、いい部分もあれば悪い部分もある。私のいい部分とこだけ付き合えば聖人君子にでも見えるかもしれませんが、そうじゃない悪い部分と付き合ってると、なんとつまらない人間なんだろう、、、と思われるに違いない。私も私で、今まで他人に嫌な思い不快な思い、たくさんさせてきたな~と夜中に目が覚めて自責の念にかられて、今度からはもっとまともな人間になろうと決心するのです。だけど、ちょっとした弾みでまた元通り。ちょっと上手くいったらすぐに偉そうになるし、なんかあるとすぐに攻撃する。一年前の8月も、予言ブログに噛みついてバトル繰り広げて、あれはあれで支持者も増えたけど、離れていく人も同時に増えた。どっちが多いかわかりませんが、ま、できれば離れていく人を減らして支持者を増やしたいと思うのも正直なとこ。

 だけど、そんなに器用なことできないんですよね。今まで何度も「Qさん(石田さん)はなんでもかんでも正直に書き過ぎる、子どもか!」って言われたことあるけど、確かに子どもですわ。心は少年と言うと聞こえはいいけど、私の場合、中身はガキと言った方がいいのかしら。で、こんなこと書いたそばから、「ようやく自分がガキだってことに気付いたのですね。それだけでも成長だと思いますよ」などとコメントされたら、それはそれで腹が立つ。いや、今はそうでもないかな。実際、今まで何度もこんな「反省」をするたびに、「ようやくわかりましたね」と書かれて、それ見て腹立たせてる自分を見て、「アカンな~」と再反省する自分もいて。だけど、振り返ってみると、こんな私でも亀の歩みでちょっとは成長している。少なくとも後退はしてない気がします。これは単に批判に対する免疫が強くなっただけとも言えるのですが、それもまた一つの成長かな。

 だけど同時に思うのです。このままちょっとずつでも成長すれば、死ぬ頃には「仏」になってるかな、と。死んだら誰だって「仏」になるのでしょうが、それまでにも「仏」になってちょっとは人様のモデルになるような人間にもなりたい。これは私の「自我」かもしれませんが、心からそう思っていることもまた真実で。ただ、その一方で、本当に死ぬまで「仏」になどなれやしないと思うことも。人間ってどこまで行っても両義的な存在だと思うのです。それこそ産まれたての赤ちゃんか、死ぬ間際くらいしか、「仏」である瞬間がない。常に内面に「光と影」を持っていて、実は光が強くなればなるほど、影がまた濃くなるのも事実。その「光と影」を正直に表現するかどうかはあるけど、私はそれもまたアリだと思う。

 私の知り合いで灰谷健次郎さんに大ファンの方がいました。私も灰谷さんの本は「兎の目」と「太陽の子」で感動して、他のも読んで意外と面白くなくてそれ止まりではあるのですが、その知人はすべて読んで、とにかく大ファン。純粋な奴でした。そして九州からフェリーに自転車を積んで、灰谷さんの住む小豆島に行き、自宅を訪問したそうです。知人の予想では「いや~、遠くからよく来たね~、それ、君の自転車?」くらいに快く迎えて頂けると思ってたそうですが、ものすごく愛そうが悪かったと。普通に考えたら当然ですよね。そうやって遠方からでも来る読者などナンボでもいるし、そのたびに快く対応してたら仕事にならない。だけど、その知人は幻滅したと言い、それをして灰谷氏の「本性」だと言うのです。これは申し訳ないが知人が悪い。灰谷さんだって「光と影」がある。本には「光」の部分が強く出ているのだろうけど、そこだけと付き合いたければ訪問すべきじゃない。結婚も同じで、最初は相手の「光」を見て惚れ込んだのでしょうが、一緒に生活しているとどうしても「影」が見えてくる。それに耐えられないと離婚。長く続く夫婦ってのは、光も影も両方愛せる、または認められること。

 そのような前提でもし私が知人のように灰谷氏に会いに行ったとすれば、「いや~、わざわざ訪問したんだけど、めっちゃ愛そう悪かった。書いてることと人間は全然ちゃうで。だけど、それがいい!」って言うと思うのです。ただ、もしその知人がもう渾身のファンレターを書いて、灰谷氏を感動させるようなそんな文面で、「この読者さんに会いたい!」と思わせるような内容だとすれば、返事くらいはくれるかもしれない。そうやって人間関係を作ってから会いに行ったのなら、絶対に愛そう悪くはなりませんものね。なので、その場合は明らかに知人の手続きミス。ただ、そうは言ったとしても「光と影」は誰にだってある。あの天上のように美しい音楽を生み出すモーツァルトだって、その人間性は下劣であったと言われます。映画「アマデウス」でもそんな場面がありますが、だからと言ってモーツァルトの音楽の価値が下がるわけでもない。灰谷健次郎さんの「兎の目」もまた同様。

 それをして言い訳するわけじゃないですが、私もおそらくブログや本では「いい話」をすると思うのです。だけど、本当の人間はいい部分もあるだろうけど、そうじゃない部分もある。それが等身大の私だし、それでもなお私自身、「光と影」の葛藤に苦しめられているのも事実。本物の善人になる、または本物の悪人になる。そうであれば苦しむ必要もない。だけど、私はそのどちらでもなく、いつまでたっても「光と影」、「善と悪」、「美と醜」、「真と偽」がある。でも、だからこそ「成長」するんだと思うのです。一年前よりは、一ヶ月前よりは、一週間前よりは、一日前よりは、少しでも成長した自分でいたい。そう思うからこそ悩み、そして衝突し、そして喜びに安堵することもある。その連続。

 「それでいい」と開き直るつもりはないけど、そんな自分を否定する気にもなれない。であるからこそ学び、であるからこそ成長するのもまた事実だから。そんなわけで、日々いろんなことを考え、学ばせて頂ける今日この頃ですが、ふと思い出したのが藤子F不二雄さんの言葉。

 「あののび太君ね、とっても立派な所が一つあるんです。それは当人も気付いていないんです。彼はそこに自信を持っていいんだけども、気付いていない。どういう所かと言いますとね、彼は本当にダメ人間なんだけれども、時々反省するんです。『これじゃいけない』と思うのね。で、少しでも、今よりは立派な人間になりたいなんて考えるんだけれども、その決心が長続きしないんですよ。ほんの何分でまた元へ戻っちゃったり、続いても3日ぐらいしか続かない。でもね、それは誰でも―例えば僕らなんかでもね、素敵な小説を読んだりしますとね、こういう素晴らしい生き方があるのか、自分も…なんて思うんだけどやっぱり続かないの。それでだんだんだんだん普通の大人になってっちゃうんだけれども、のび太はそこが違うのね。1年に少なくとも3、4回は反省するんです。で、くじけてもくじけても、自分は今よりはいい人間になりたいと思うの。そういうところが、僕はのび太はとっても立派な子だと思う。」


亀の歩みだけど・・・ 2012.7.15_b0002156_146575.jpg はい、私ものび太のようになりたいと思うのです。「ドラえもん」で印象的な話の一つ「多目くん」の回があります。多目くんはのび太よりもすべてダメな奴。のび太は自分よりダメな奴が転校してきて嬉しくてたまりません。テストの点数も上、かけっ子も上。そうやって一緒にいることで、残酷にものび太は優越感に浸りきるのです。ある日、のび太はジャイアンたちに野球に誘われたのですが、行きたくないのび太は多目くんを推薦。「どんなゲームになるやら、想像するだけで笑っちゃうよ」と言い放つのび太に対し、ドラえもんは無言で「配役入れ替えビデオ」を見せます。今までののび太・多目くんの関係を、スネオ・のび太の関係に入れ替えて見せるのです。そんな自分を深く恥じたのび太は、空き地に駆けつけ多目くんの身代わりを買って出るのです。最後、多目くんはまた転校してしまうのですが、そんなのび太に一番の感謝を伝えて、のび太はさらに反省して終わり。

 とにかく私もまだまだクソみたいな人間ではありますが、一年一年、少しずつ亀の歩みでも、「いい人間」を目指したいと思います。ありがとうございました。

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Commented by 悠彰(ゆうや) at 2012-07-16 15:30 x
なんか泥臭くてすきですよ~~。ふつう自分の嫌な部分って隠します。
そこをそのまま文字にして表現しているのって、なんていうか、安心するんですよね。素直が一番だって思います。
Commented by めぐみ at 2012-07-16 21:27 x
こういう記事、大好きです。人間として自分に正直で、それを他人に伝えることもできる。ダメな所があっても(みんなありますよね)あきらめずにもっといい人間になろうと新たに決意する。Qさん素敵ですよ。
Commented by katamich at 2012-07-19 10:40
■悠彰(ゆうや) さん!
単にウソ付けないだけと思います。。。
Commented by katamich at 2012-07-19 10:40
■めぐみさん!
まあ、いいとこを見せようと思っても、すぐに見抜かれますんで、正直に書いた方がいいですもんね。。。
by katamich | 2012-07-15 23:39 | ■人生哲学 | Comments(4)