「大いなる意思」とともに 2012.5.11

 あっという間の金曜日。今日は写経の紙を仏壇屋に買いに行ったところ、いいのがなかったので結局アマゾンに注文。紙が切れるのをうっかりしていました。1~2日ほど間があくかな。そう言えば水曜日から滝行をスタートする予定がちょっと体調を崩して延期と思いきや、土曜日に高校の同級生と飲む予定が入り、延期しといてよかった~となってます。滝行中は酒飲めませんが、同級生と会うのに酒飲まんわけにいかんですからね。突然、連絡があったんですよ。そんで急きょ、市内に住んでるのを知りながら、まだ会ってなかった同級生にも連絡。

 ま~、変な理屈かもしれませんが、このために体調崩したようなもんかな。体調悪かったの、結局、水曜日の夜ぐらいまでで、寝る頃には完全回復していましたし。もし予定通り滝行に入っていたら、会うの断るか、酒飲まんで会ってたかも。ま、飲まんで会ってもよかったけど、15年ぶりに会うのだしせっかくだしねえ。滝行はまたできるけど、同級生の出張にあわせて会うのは次いつになるかわからんし。おまけにもう一人とも会うのは久々で。

 その出張してくる同級生ってのは、仮にRとしとくけど、勉強はすごくよくできて学年トップクラス。人望も高く、リーダーシップもあり、何かと前に立つ人間でした。もう一人の同級生Fは卒業1年前くらいから何かとつるんでいたかな。遠足とかでよく一緒に写真写ってたし。彼も成績はトップクラスで九州の某国立大に進学。女にもちょっとモテてましたが、どちらかと言うと硬派。それはそうと、そのRって同級生は今、関西の急成長企業の役員だったと思うけど、私とはある共通する人物がいることが最近判明。その名も加賀田晃。私は加賀田先生のDVDを見て独立してやっていけるようになった話は何度もしたけど、Rの会社もまた加賀田先生の研修によって急成長したそうな。検索するとRの会社の社長主催で加賀田先生の講演会も開催されてるようで。

 まあ、ご縁ってのは面白いもんです。ちなみにこれも何度も書いたけど、加賀田先生の自宅は私のとこから徒歩圏内。2005~2007年にかけて必死にDVDを見ているとき、隣の郵便局とか同じスーパーやダイソーを加賀田先生も使っていたそうな。今もそうですが。そんなこといろいろ考えてると、やっぱり人生ってのはある程度決まってるような気もします。ちびQももうすぐ3歳になりますが、ちびQはツレと出会わなかったら産まれてなかったわけで、ツレと出会うには、同じ吹奏楽団がなかったら果たされてない。

 「引き寄せの法則」とか言われて、目の前の現実はすべて自分が引き寄せたもので、自分自身の認識こそが世界を造ってると言われますが、確かにその通り。だけど、次の二つは引き寄せも認識も関係ない、完全なる「決定論」として変えられないことだと思っています。それが「生」と「死」。私が産まれたのは両親の「引き寄せ」ではありません。宇宙のスケジュール帳にちゃんと書かれてるのです。同時に死もそう。何やってもやらなくても、私の死ぬ日は決まっています。もちろんそれがいつかはわかりませんし、知ろうとも思いませんが。もし今、ビルの屋上から飛び降りて、死んでしまえばそれが死ぬ日だし、死ななかったらまだ死ぬ日じゃなかっただけ。もちろん怪我もしたくないので、試そうとも思いませんけどね。

 時々、大きな事故で瀕死の状態に置かれながら命を長らえる人もいるし、こないだ書評した柳澤桂子先生のように若い時期に原因不明の難病に懸かり、人生の半分以上を闘病にあてながらもずっと生きている人もいる。かと思えば5分前まで元気だった人が、急に脳溢血などで亡くなることもある。確かに健康は予防できるんですが、死の予防はできません。健康を害して死ぬ人は、もう少し健康に気を配っていれば死ななかったのでは、と周囲は言うかも知れませんが、それは間違いです。原因は何であれ、人の産まれる日と死ぬ日は決まっています。その2点を結んだ範囲が人の一生であって、そこだけはやっぱり自分次第なのです。だけど、、、ある程度は決まっているようです。

 そしてその決まった通りに生きることが、いわゆる流れに乗るってことで、それはしばしば「シンクロニシティ」により確認することができます。加賀田先生のDVDが手に入ったこと、突然、研修を受けられるようになったこと、そして近所に住んでいたことなども完全にシンクロです。やっぱり私はフリーランスで生きるようになってたんだ~と確認できるのです。だけど、そんなこともやってみなきゃわからんことですからね。

 時々、「自分もフリーランスで生きていきたいと思うんですが、やっていけますかね?」とか聞いてくる人いますが、聞かれたら「たぶん、ダメと思いますよ」と答えるでしょう。本当にやっていける自信があったら聞かないっての。自信がないから聞くのであって、自信がないのにやっていけるはずないじゃん。先日世界一周から帰ってきた麻井ちゃんとか、10年間ブラック企業で営業して、最後は役員で年収1,000万円になりながら、スッパリ辞めて独立。これからどうするのか未知数ですが、彼などは間違いなくやっていけるでしょう。もちろん細かくはいろいろ考えてるでしょうが、大まかには完全に決めていて、半ば直感で生きている感じ。具体的な方法論については人に聞くこともあるでしょうが、やっていけるかどうかなどの根本的なことを人に聞くことはない。

 また、つい先日も私の仲間の一人が、独立に向けて動き出したそうですが、そんなのも完全に自分で決めて動いてますからね。当然リスクだってあるでしょうが、リスクのないところにチャンスもないわけで、だけどどこか「流れ」というか「大いなる意思」を信頼して動いているのはわかります。具体的な動きは確かに一筋縄ではいかないでしょうが、その「大いなる意思=宇宙=シンクロニシティ」を信じて頑張っていれば、間違いなく思い通りになるでしょう。それ以外にも、私の周りで独立する人は増えていますが、中には「Qさんと出会わなかったら、こんな展開なかった~」と仰って頂ける方もいます。私はともかく、その方々も「大いなる意思」を信じて動き始めただけ。もし私がそこに関係するとすれば、先に「大いなる意思」を信じて動いていただけのこと。

 では、どうすれば「大いなる意思」とつながって生きていけるのか。それは「迷わない」こと。独立するなどもそうですが、迷いってのは現状維持に引き戻そうとする力。迷えば迷うほど引き戻されます。そしてやってきた直感、やってきたチャンスを逃してしまう。それもまた決まっていると思いたくなる人もいるでしょうが、同じ失敗を何度も繰り返しているのであれば、それは断じて「大いなる意思」ではありません。

 「迷い」とは何か。それは「自我」の働き。今の自分を守るための自我の働き。自我が働けば働くほど「大いなる意思」とのキョリは離れていきます。先日、行動計画には「感情」を挟まないことが大切と言いましたが、この感情こそが迷いの正体。淡々とやる。感情を挟まずただ目の前のことをやる。直感に響いたことやる。それだけで「大いなる意思」とつながっていられるのです。

b0002156_1244661.jpg そしてこれは簡単なトレーニングで、「大いなる意思」とのキョリをはかることができます。それは迷わないトレーニング。例えばランチに行ったとき、メニューを見ても迷わない練習をする。メニューを手に取って5秒以内で決めてしまい、それ以上迷わない。その結果、毎日カレーになってもいい。それが5秒以内の決定事項であれば。だけど、さすがに毎日カレーは脱したいと思うなら、カレー以外から5秒以内に決めればいいのです。その繰り返し。今日着ていく服とか、履く靴とか、何分も迷わないこと。直感で「今日はこれ」で着ていく。何来たところで、他人は何も言いませんから。ただし、命や財産に関わることはトレーニングにしない方がいいですけどね。時々、直感でこのマンションに決めました、などと言う人いますが、その人は普段からメニューを5秒以内に決めるなど、迷わない基礎力があるからです。でも、そうなれば強いし、そうなった方が楽です。

 ですので、いきなり大きなことに挑むのではなく、メニューとか着ていく服とか、小さなことから「迷わないトレーニング」を重ねることで、いつの間にかそれが習慣になって、気が付けば「大いなる意思」を身近に感じていることでしょう。そんなわけで、水曜日からの滝行を延期したのも、どこか直感が働いたとも言え、それはやっぱり正しかったな~と実感するのであります。そんなわけでぜひ、これからも「大いなる意思」とともに生きていきましょう。ありがとうございました。

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by katamich | 2012-05-11 23:39 | ■精神世界