目が覚めるとそこは・・・ 2012.5.9

 4時55分起床。今日から「7日滝行」に入るつもりでいたのですが、急に体調が悪くなり、もう少し延期に。季節の変わり目か、空気が乾燥しているためか、ちょっと喉をやられてしまって若干熱っぽい一日でした。一日休んでいるとすっかりよくはなりましたが。とりあえず滝には行きませんが、いつものように写経をして読書。「100日ブログ」に続きの「書評」が早くも溜まりつつあるようで、とにかく読書を急がれます。最近はややスピ系と言うか仏教系の本を中心に読むようにしています。今の自分に何となくしっくりくるんですよね。

 ただ、私自身、関心があるのは日本の「葬式仏教」では決してありません。今や日本の仏教は「葬式」や「お祓い」の名目の上、単なるビジネスに成り下がってますから。それも税金を払わなくていい恵まれた立場。今まで何度も宗教法人に課税すべきだとの議論があったようですが、これは国際標準からまず認められないそうな。つまり世界的に見ても「宗教」に課税するところはなく(すべてかどうかわかりませんが)、ドイツなどは「教会税」ってのがあって、宗教法人には逆に税金が降りてくるとのこと。だけど、それはそれで筋は通っています。なぜなら宗教は公共サービスと同じく非営利だから。非営利団体から税金を取るべきではないでしょう。しかし日本の仏教はまさに「坊主丸儲け」の言葉の通り、完全に営利団体になってますからね。個人的には本気で課税の議論をすべき時期じゃないかと思っています。だけどまあ、政教分離原則がありながら、実際はそうじゃなかったりすので、宗教法人への課税はまだまだ先の話になりそうです。それに、本当に非営利でやってる宗教もあるので、すべて一緒にするのも無理があるんでしょうね。

 それはともかく、日本の仏教(の一部)がなぜに儲かるかというと、それは「霊」や「あの世」の前提があるから。坊主の中にはお布施をケチっては成仏できないなどと言う人もいるらしく、霊を信じている人にとっては一溜まりもない。そもそも日本の仏教と言えばとかく霊と結びつける風潮があって、以前、保育園に作務衣を着ていったところ先生からいろいろ聞かれたんです。で、正直にお坊さんではないけど滝の修行をしているなどと言うと、「お父さんは霊が見えるのですか?」などと質問されちゃいました。「見えませんよ~」と言いましたが、そもそも「霊」なんて実体は存在しませんから。

 最近書評した「お釈迦様の脳科学」って本に面白い一節があって、著者によると「茂木健一郎氏の唱える『クオリア(質感)』は簡単に言うと『霊』のことです」と断定していますが、大いに同感。つまり「霊」の正体はそこに実体があるのではなく、個人の持つ「なんかいや~な感じ」のこと。一般に霊の出やすいと言われる場所は、まず物理的に居心地が悪いです。キレイに整頓されて、ほのかにいい香りがするような部屋には霊など居そうにないですよね。それよりも、散らかってて(視覚)、隙間風など薄気味悪い音がして(聴覚)、なんか湿っぽくて(触覚)、変な臭いなんかしたら(嗅覚)、いかにも霊が出そうじゃないですか。

 もし自分の部屋がそんなのだったら、ストレートに身体だって変になるでしょ。もしオフィスがそんなのだったら、どう考えても儲かりそうにない。まずは「場」が大切。なんか体調が勝れなければ、霊のせいにするんじゃなくて部屋を徹底的に片づける。仕事が不調だったらオフィスの整理整頓をする。昔、一倉定さんって伝説的な経営コンサルタントがいたのですが、一倉氏はなかなか顧問になってくれないところ、無理言って経営指導をお願いできた会社があったそうです。さあ、いよいよすごい経営ノウハウを教えてもらうんだと一倉氏を会社にお招きしたところ、一言、掃除しろ。

 もちろんすごい経営ノウハウだって教えてもらったのでしょうが、その前に掃除するのは前提中の前提。以前、勤めていた会社に伝説的な女性社員がいまして、年は私より一つ上でいわゆる腐女子。会社のPCでBL小説書いて、一度、外注さんに渡すデータの中にBLイラストが紛れてたことも。懇意にしてる外注さんだからよかったものの、それが客先だったら大問題に発展してたかも。担当者によっては。それはともかく、その女性社員はとにかく机の上が汚い。机の上だけじゃなく、ロッカーも汚い。スーツをかけずにそのまま入れてるからいつもよれよれ。湯飲みも洗わないので茶渋がびっしり。休日前など半分ほどお茶を残したまま退社するもんだから、月曜日にはマリモのようなカビが浮く始末。そんな感じでしたので、仕事はどうかと言うと、もちろんできない。いや、本来はできる人だと思うのです。弁は立つし、字もキレイだし、建築科出てるので図面も引ける。議事録とか取らせたらそれはもう美しい。だけど、必要な資料を取り出すのにものすごい時間がかかるので、無駄ばかり。この話するとキリないのでこの辺で。

 いずれにせよ、「場」と体調とか、「場」と経営状況とか、かなり関係あるわけです。グーグルなど世界的企業のオフィスとか、独創的ですがすごく美しいですし、それ以外にもアップル、フェイスブック、日本だとグリーなどがよく紹介されますが、すごくキレイですもんね。なのでもし、経営状況をよくしたいのであれば、整理整頓は絶対です。それだけで赤字体質から脱出することだってあるらしい。ま、いずれにしても体調とか経営とか、原因は決して「霊」ではありません。だけど実際は、それを「霊」と言おうと思えば言えなくもない。

 なぜなら「霊」の正体は「なんかいや~な感じ」ですので、「場」が汚れてたら間違いなくそうなる。その上で、「霊」の存在を強く信じていたら五感に作用する「クオリア(質感)」が実際に「霊」を見せることだってあるのです。だからほんとのこというと、霊能者に20万円払ってお祓いしてもらうより、徹底的に大掃除して美化に勤めた方がいい。風水だって結局は掃除ですからね。ま、こんなこと言うと霊能者から営業妨害のように言われそうですが、もっと妨害したくらいです。宗教やスピリチュアルで人を騙して金儲けする人間など、早いとここの世から消えるべきでしょうから。

 いずれにしても、私の基本的なスタンスは常に「霊は存在しない」です。正確に言うと、「実体」としては存在しない。だから、先ほども言ったように、霊の存在を強く信じている人が、「なんかいや~な感じ」の「場」に入ると、一種の「脳内現象」として霊を見ることはあるでしょうね。だから、霊はあると言えばあるのですが、それはあくまで脳内現象であって、実体としては存在しない。それが真実です。

 同じように体外離脱も存在しません。何度も経験した私が言うのもなんですが、実は魂が身体から抜け出すなんてことはありません。これも完全なる脳内現象であって、体外離脱の引き起こすヘミシンクRの開発者であるロバート・モンロー氏自身もそれを認めています。体外離脱して見える世界とは、あくまで脳内で作り出した世界であって、日常的な現実世界ではありません。つまり、体外離脱して隣の部屋を覗くことはできないわけで、もしできたと言われても、それはその人の想像上の隣の部屋です。
 
 ですので、時々はその想像と現実が一致することはあるでしょうが、ほとんどの場合はそうじゃない。もしも体外離脱によって現実世界を浮遊できると言うならば実験すればいいです。隣の部屋にある「絵」を置いて、ヘミシンクRの達人たちが一斉のその「絵」を見に行くなどすればいい。そのような実証データがあるのなら是非見てみたいですが、おそらくないでしょう。そもそもモンロー氏がそのような現象を否定しているところですし。

 以前、こんな話を聞きました。つい最近まで日本では合法でしたが、東南アジアでだいぶ前から違法とされていたマジックマッシュルームの話。これはかなり強烈な幻覚作用を引き起こすキノコで、ま、大麻とかLSDのようなナチュラル系の麻薬のこと。違法になる前はネットでも普通に売っていましたが、さすがに取り締まられました。そのキノコですが、そう言えば「課長島耕作」でも食べさせられるシーンが出てきますね。それはともかく、これは私の旅友から聞いた話なのですが、ある旅人(旅友の旅友)がバリ島でかなりラリっていました。バリでも違法なんですが、店によっては「スペシャルオムレツ」みたいなメニューでこっそり出すとこもありました。その人はそのオムレツにすっかりハマってしまい、ある日、スペシャルのスペシャルがあると聞いて、それを注文。

 するとこの世のモノとは思えないほどのバッドな感覚になり、這いずるように宿に帰りました。その翌日、なんとか素面になって別のお店でコーヒーを飲んでいると、後ろから肩を叩く人がいたので振り返ってみたところ、それはなんと「自分」でした。その「自分」が一言。まだ終わってないよ。

 その瞬間、意識を失い、気がつけば知らない場所でパンツ一枚で横たわっていたそうな。もちろん財布もパスポートも取られています。つまり「スペシャルのスペシャル」を食べてから、バッドに入って宿に戻り、寝て起きてコーヒー飲んで、そこで「自分」に会うまでがすべて幻覚。つまり脳内現象だったのです。

 ぜんぜん別の話ですが、私は小さい頃、よく布団に潜って寝ていました。そして朝方目を覚ますのですが、時々、自分がどこにいるのかわからない感覚がありました。布団から出ればすぐわかるのですが、布団の中で思い出そうとするのです。家の中なのは間違いないだろうけど、どっちの方角を向いて寝ていたのかわからない。いや、まてよ、ひょっとしたら家じゃないのかも。ちょっと怖くなって、おそるおそる布団から出て安心する。この感覚は2回目のインド旅行中もありました。

 ヒンズーの聖地バラナシ名物の一つにバングラッシーなるものがあります。それは大麻をヨーグルトに混ぜた飲み物。あるストリートの一角に売られてるのですが、なんと交番の真ん前。インドでも大麻は違法ですが、それは合法でした。後から聞いた話ですが、実はそれは大麻に似た薬草であって厳密に大麻ではないらしいとか。定かなことはわかりませんが、いずれにせよ、そのラッシーを飲むと一時間くらいしてから始まります。そのお店から宿まで歩いて20分程度。ですので、飲んですぐに帰って寝袋に入って横になります。すると手足が痺れるような感覚になり、ま、後はご想像にお任せします。

 そのときは世界一周も後半で旅にすっかり飽きてきた頃。ただ惰性に任せてそのラッシーにハマってしまいました。10日ほど、ほぼ毎日飲みに行ってたのですが、ある日から宿の近くのインド音楽を聞きに行くようになります。キマった状態でインド音楽を聞くと最高なんです。音が視覚化されて、それはもう美しい。しかもそのお店は休憩時間にチャイを出してくれるのですが、キマった状態でチャイを飲むと、この世のものとは思えない美味さ。チョコレートなども最高にクールです。しかしその終盤、完全にキマった状態でインド音楽に行き、そして宿に戻りました。その宿はヴィシュヌレストハウスと言い、以前、「ガンジス川でバタフライ」なる映画にて主演の長澤まさみが泊まっていた宿。さすがにそれは役の上でのことですが、原作者は泊まったのでしょう。

b0002156_1353202.jpg それはともかく、ヴィシュヌに戻ってさあ寝ようか、、、と思った瞬間、言いようのない不安に襲われたのです。果たしてここはヴィシュヌなのか。確かにヴィシュヌなんですが、そうじゃないかもしれないと思い始めて、もしかしたら朝起きたら違う場所にいるんじゃないか、など不安になってきたのです。さらには、そもそもここはバラナシか、ここはインドか。もしかしたらインドに来たつもりがパキスタンにまだいるんじゃないか。いや、もっと言うと、オレは旅などせず日本にいるんじゃないか。目が覚めたら福岡にいるんじゃないか。そして大学に通ってるんじゃないか。その前にオレはオレか。つまり、ちょっと前まで当たり前と思っていたことが、すべて疑わしくなってきたのです。

 とにかくすべては目が覚めるまでわからない。不安でいっぱいだったのですが、とりあえず寝袋に潜り込んで朝を迎えます。ヴィシュヌでした。しかし、昨晩のことはよく覚えている。今まで当たり前と思っていたことに、途端に疑いを持つようになる。その日にネパール行きのバスを予約したことは言うまでもありません。ちなみにそのときの旅行記

【バラナシ最終日】
 ちょっと長く居過ぎたようだ。そろそろ出なければいけない。バラナシ滞在の後ろの方の日、バングラッシーを飲んでインド音楽を聴きに行った。いつものように至福の時を過ごすのだが、終了後、フラフラになって宿に戻るやなんだか変な不安にかられた。果たしてここは本当に俺のベッドなのか。目が覚めたら道の上で寝転んでいるのではないだろうか。そもそもこの体は俺のものなのか。もちろん翌日目が覚めた時、杞憂であるのを知るのだが、本格的に出るときが来たようだ。

 明日、ネパールに向かおう。チケットを買いに行った。300ルピーなので1,000円に満たない。これで朝食と宿がつく。
(~1/6)


 つまり「脳」ってのは精巧にできていながら、実はすごくバカなのかもしれません。霊を見るのも脳内現象。体外離脱もそう。本来そこにないものも、あるかのように見せてしまうこともある。逆に本来あるはずのものに対し、疑いの目を持つこともある。私たちの世界ってのは、完全に脳に翻弄されてると言っていいでしょう。そう考えるとどうか。今、このブログを読んでいても、実は「宇宙となかよし」なんてブログはこの世の存在しないかもしれない。すべては脳内現象だったのかもしれない。

 明日になっていつもようにブックマークから「宇宙となかよし」を読もうとするのですが、なぜかない。「いまここ」からランキングをクリックして探すけど、そこにもない。グーグルで検索するけど、やはりない。セミナーで会った人にメールして「宇宙となかよし、どこ行っちゃったのかな~」って聞くけど、返事は「え、何それ?」。セミナーでブログの著者にも会ったはずだけど、その友達は知らないと言う。阿部さんの講演で知り合ったのだと言う。いや、そんなことはない。いつも長文のブログがあったはず。確かメルマガもあったし、ミクシィもフェイスブックもあったはず。だけど、ない。

 もちろんこんなことは起こらないと思いますよ。だけど、、、絶対に起こらないという保証はどこにもありません。実は小さなことなら、誰も経験しているはず。私が小学生くらいの頃、ちょっと下の友達が「カタツムリを食べた」と言い張るのです。カタツムリと言うとエスカルゴでしょうが、普通に考えるとおそらくない。その兄貴も弟が食べたことは否定している。だけど本人は食べたと言うのです。普通に考えると、夢を見たのか、単なる勘違いでしょう。だけど、本人にとってはカタツムリは食べたのです。

 行ったはずのところに実は行ってない。見たはずものが実は見ていない。会ったはずの人の実は会ってない。読んだはずの本が実は読んでいない。そんなことって日常であると思うのです。だけど、本当のこと言うと、私たちが「日常」と思っていることも、実は存在しないのかもしれない。明日目が覚めたら、自分じゃなくなってるかもしれない。と言うか、自分などいないことに気がつくかもしれない。

 すべては「幻想」だったと気がつくかもしれない。すべては「空」だったと気がつくかもしれない。今思うと、あの日、バラナシでの日、すべては「幻想」だったことを垣間見たのかもしれません。もっと言うと、布団の中で自分がわからなくなることもそう。あ、そうか。それって「瞑想」だったのかもしれません。瞑想中に突然、自分がいなくなる経験もある。厳密に言うと「瞑想中」ではなく、瞑想とか滝行の後だったりするのですが、そんな瞬間ってありますね。じゃあ、自分がなければ何があるのか。それはまさに「今ここ」があるだけ。もしかしたら明日、いや一時間後、いや一分後にその瞬間がくるかもしれませんね。すべてがわかってしまう瞬間が。そんなとこで、今日はこの辺で。ありがとうございました。

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【世界】目標を確実に達成する行動強化コーチング
Commented by 山師 at 2012-05-10 23:21 x
Qさんはじめまして こんばんは。

 実家の近所で世話になったおばちゃんが、脳腫瘍が原因で痴呆になり思ったのは、楽しかった辛かった思い出や知識は、失う可能性のある財産と同じで、積み重ねた自分の財産は幻想なのでしょうね。

 Qさんは失う恐怖を克服されてそうですが、自分は瞬間を生きるというのには程遠く、失う恐怖と戦ってます。(笑)
Commented by katamich at 2012-05-15 19:06
■山師さん!
コメントありがとうございます!
山師の通りでしたら、確かに失う恐怖の毎日でしょうか(笑)
痴呆などで思いでを失うことはあるかもしれませんが、思い出になるような、毎日を過ごすと幸せだろうなあとは思います。
by katamich | 2012-05-09 23:39 | ■精神世界 | Comments(2)