「ふるい」にかけられる 2012.3.26

 一週間の滝行も今日で3日目。3月31日に満行するのでとてもいいタイミングです。4月1日からはいろんなことが変わります。あ、4月1日は久々に「九州ベンチャー大学」に参加します。「A4日報」の中司さんメインですが、参加者にも面白い人がたくさん来られるようですごく楽しみ。2年前に九ベンでジョイントした一圓さんも来られるみたいで、久々の再会が楽しみです。一圓さんのご縁で東川仁さんを知り、商工会議所の講師オーディションにも参加。一圓さんは現在、年間200本の講演・セミナーをされているとかで大活躍です。栢野さんいわく、九ベンで講師した人はブレイクするとのこと、私もそろそろ頭角を現したいところです。でも、今年はそんな兆しは確かにあります。1日の九ベンはビジネスモードに切り替えるのにとてもいい区切りになりますね。

 それから4月2日ですが、ちびQの保育園が変わります。今の保育園は40年の歴史があるのですが、今月いっぱいで閉園。来年度からは新しい保育園に引き継がれます。ちびQも2年間お世話になったので、何となく寂しい気持ちがしますね。あそこに行くのも今週いっぱいか。31日土曜日は通常通りの保育があり夕方からお別れパーティ。ちょうど満行の日に一つの区切りを迎えるわけです。何とも感慨深いですね。そう言えば4月生まれの同級生は40歳になるわけで、私もいよいよ大台が近づいてる感じ。この歳になると早生まれは得した気分になりますが、個人的には40歳がとても楽しみです。インドの予言者に言われた通り、「本物のお坊さん」になるかどうかはともかく、私なんか年齢を重ねるほど仕事しやすくなりますからね。翌年にはバカボンパパと同じ歳になる。それはなんか微妙です(笑) 

 それにしても今年も4分の1が終わろうとしていますが、最近、周囲の人たちから口癖のように「月日が経つのは早いな~」という言葉を聞きます。確かに同じ一年でも、ちびQの3年に対する1年と、私の40年に対する1年では相対的な長さは違います。つまり、これからもどんどん一年は短くなるのですが、私が小学生の頃、担任の先生が「一年なんて一日くらいに感じる、一日なんて瞬き一回だ」と言ってたのを思い出しました。当時は「なわけねーだろ」と思いましたが、今は大きくうなずけます。だけど、それだけ一日一日、そしてこの一瞬を愛おしく大切に過ごしたいと思うようになりました。だとすれば、やっぱり好きなことやって生きていきたいですね。

 こう言うとちょっと誤解する人いますが、「好きなことやる」ってのは「好きじゃないことをやらない」と必ずしもイコールではありません。これは程度問題であり、好きなことやるのに、多少は好きじゃないことも発生します。私など確定申告や決算なんて好きじゃないことですが、フリーでやっていく以上やらなきゃならない。だけど、それっぽっちの犠牲で「好きなこと」が思う存分にできるわけですからありがたいことです。

 今、ふと思ったのですが、私って365日のうち「好きなこと」をやってる割合がかなり高いです。確実に8割、いや9割以上は好きなことしかやってません。まず、ブログを書くことがそう。それから、ちびQと遊ぶこと。セミナーや講演で飯を食う、楽しい仲間たちと旅ができる。したい勉強もできる。だけど会社員時代は、、、だいたい半々かな。その前はもっと少ない。歳を取れば取るほど「好きなこと」の割合が確実に高まっています。だけど、世の中には逆の人もいるでしょう。私のように年齢を重ねるにつれて自由になる人、逆に不自由になる人。何となく「二極化」してる感じです。

 久高島で夜の一時間、苗さんのお話をじっくり聞く機会があったのですうが、その時、私はこんな質問をさせて頂きました。

「私たちはこれから先、どんな生き方をすればいいでしょうか?」

 答えは明確でした。それは「自分のことは自分でする」ということ。これは私流に言い換えると、おそらく「すべては自分次第」ってことでしょうか。そしておよそ15年前から人々は「ふるい」にかけられているとも言われました。「アセンション」じゃないですが、この先はやっぱり二極化するのでしょうか。

 では、どうすれば「ふるい」に残れるのか。それが「すべては自分次第」ってこなんでしょうが、苗さんの言葉の通りに言えば「魂を大きくする」ことがそうです。では、どうすれば魂が大きくなるのか。一つは思いやり、そして感謝。これはもちろん「すべては自分次第」と矛盾しません。

 「すべては自分次第」の反対は「すべては他人次第」です。人を思いやるのは、まずは「自分」から。他人からの思いやりを待っていてはダメ。そして感謝もまずは自分から。人が感謝できないのは、自分の思い通りにならない時。思い通りにならないと思うのは、それは他人に依存しているから。

 例えば会社の業績が悪くなり給料が下がりました。会社に依存していたら、おそらく会社のせいにするでしょう。社長が悪い、マネージャーが悪い、クライアントが悪い、などと他人のせいにして。だけど、「すべては自分次第」と思っている人は、まず自分の仕事に反省をし、それでも仕方ないならば、給料が下がったことに何かのチャンスを見いだします。

 私のコーチングのクライアントさんには、会社経営者の方もいるのですが、震災移行、業績が下がったところも当然あります。だけど、震災のせいにしても何も進みません。これを何かのシグナルやチャンスととらえた人だけがやっぱり生き残っています。取引先がつぶれても、自社だけは生き残る。そしてこれを転機ととらえる。私のとこのクライアントさんは皆さん、そのようなマインドですから、何が起ころうが大丈夫でしょう。そもそも私のコーチングは「言い訳禁止」にしていますけど。

 そう言えば「言い訳」もまた「他社依存」の象徴ですね。自分は悪くない、周りが悪いんだ。スピ的な人ならば、前世や守護霊が悪いとでも言うのでしょう。だけど「すべては自分次第」には「言い訳」の入る余地がありません。と言うことは、結局のところ「ふるい」に残るのは「言い訳」をしない人になるのでしょう。五日市剛さんも「言い訳」は最も「運」を逃すと言ってますし。

 昔は私も「言い訳」を考える天才でしたが、徐々に名人くらいになり、セミプロになり、最近では素人レベルにまで成り下がるのに成功したかもしれません。少なくとも無意識に「言い訳」をする習慣はほとんどないし、気が付けば私の周りの人たちからも「言い訳」を聞くことがめっきり減りました。会社員時代はいかにして「言い訳」を編み出そうか、そっちにフォーカスしまくってましたからね。

 とにかく社会がどうなろうが、経済がどうなろうが、もちろん株価や為替がどうなろうが、「すべては自分次第」で「言い訳」を一切しない自分になれれば、この世の中がいかに「自由」だってことかに目覚めるでしょう。つまり世の中とはそもそも「好きなことし放題」なのです。その意味で、「ふるい」に残る人と落とされる人との結末は、自由か不自由かの明確な違いがあるだけ。お金なども関係なく、あっても不自由な人もいれば、なくても自由な人だっている。そしてこれだけは言えるのですが、幸せとは自由とほぼ等価だってこと。

 この辺のことは薄々わかってはいたことだけど、苗さんにそう言われてさらに確信しました。やっぱり来年の久高島ツアーやろう!ついでに話続けますと、沖縄には7大ウタキなるものがあり、その一つが久高島のクボー御嶽。しかし一般の人は入ることができず、さらに完全なる男子禁制です。ネット上には写真もありますが、見るだけで胸がワサワサしてとんでもないエネルギーを感じます。何百年も祈りのためだけに存在した場所。
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 今回のツアーでも、当然、クボー御嶽を前で立ち止まったのですが、近づくにつれてしびれるような感覚があった人もいました。かく言う私も「ええんか、ええんか」と無意識に口走っていたような。我々一同がクボーウタキの前に着いた瞬間、土砂降りの雨が降ってきました。だけど、深い森に遮られ、私たちは誰一人雨に濡れることがありません。激しい雨音を聞きながら、苗さんの話に耳を傾けるのですが、それだけでなにやら神秘的な空気を感じます。

 とにかく間違ってもここに入ってはいけません。だけど、妙に引き込まれるようなエネルギーを感じるのも事実。酒飲んで行くと、きっと吸い込まれるでしょう。そんなこともあって、久高島ではお酒禁止にしたのですが。きっと前日の恩納村のようなノリだったら入っているかも。じゃあ、これまでここに入った人はいなかったのかと言うと、もちろんそうじゃありませんん。まず、神事の際に神職の女性は入れます。入って良いのはこの時、この人たちだけ。

 しかし、そうじゃない人も過去に入ったことがあるそうで、いろんな話が残されています。私が前に聞いたのは、クボー御嶽を観光地化しようと企む外の男性3名。その3名は久高島開発の会議中に泡吹いて精神をやられたそうです。また、面白半分で入った男性は、出た直後から睾丸が肥大化し、結果、使い物にならなくなったそうです。つまり男性としての機能を取られてしまったのです。また、ある大学院生の女性は写真を撮ろうと入りました。そして出てきた瞬間、服を脱ぎだし、気がふれてしまい、今でも精神病棟で入院中とのこと。恐ろしいのは命まで奪わず、生きながらにしてその家族や周囲の人に、クボー御嶽の怖さを知らしめること。

 実は今回、ある男性メンバーが翌朝に一人で散歩している時、クボー御嶽まで到着してしまったそうです。そこでふと、入ったらどうなるのかな、、、とふらふらと森の中に吸い込まれそうになったその時、一台の車が横を通りました。運転席にいたのは真栄田苗さん。その瞬間、我に返って入らずにクボー御嶽を後にしたそうです。よかった、よかった。もちろん彼はどうあっても入らなかったとは思いますが、このエピソード自体、なんかいかにも久高島です。私たちの想像を超えた「何か」が常に起こっている。それをしばしば「シンクロニシティ」と呼ぶことがあるのですが、その縮図を久高島はこれでもかとばかりに見せてくれた、そんな気がします。

 「すべては自分次第」とは言うもの、その「自分」など遙かに及ばない「何か」があることは、頭のどこかに置いておくべきなのでしょう。それに対してはあくまで謙虚に。これはクボーウタキの話にとどまらず、この世の中には理屈を超えた世界があるのもまた事実。好きなことをすればいいと言われても、じゃあ、クボー御嶽に入っていいかと言うと、決してそうじゃない。その意味で私たちの「自由」は限定されたものかもしれないけど、でも、本当の自由とはそんなものかもしれません。クボー御嶽に入って精神をやられた人たち。きっと本人は今も何もわからず自由を遊んでいるのでしょうが、私たちから見たら、それは決して真の自由には見えないでしょ。

 やるべきこと、やっちゃいけないことは確かにあるんです。その上で私たちはいかに「自由」であるべきか。そう自覚することが、本当の意味での「自由」のスタートである気がしています。う~ん、久高島、やっぱハンパない島かもね。「『久』高島」と私の名前の「『久』二」で「久」つながりなのも、どうでもいいですが、勝手にご縁を感じています。だけど、そう勝手に考えるのもまた「自由」であり、とても楽しい「自由」だと思います。なんだか素晴らしい3月だった気がします。ありがとうございました。

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by katamich | 2012-03-26 23:39 | ■精神世界 | Comments(0)