「情報」は「現実」に先行する 2012.2.23

 今朝4時に外に出ると、なんだか6月の梅雨時のような暖かさ。先日までの氷点下がウソのよう。今回の21日行は雪の日も何日かあり、氷点下で氷を割って入ることも。真冬の滝の醍醐味と言えばそうですが、正直、気温が高くなると気分は楽です。花粉も今のところ症状なし。これからだとは思うけど、何となく大丈夫な気がするんですよね。ちなみに今日は、ちびQが風邪で保育園をお休みしたので、私も一日家にいました。そんな風に対応できるのもまた感謝ですね。

 そう言えば今日、興味深いニュースが。


ニュートリノ「光より速い」は誤り? サイエンス誌

米科学誌サイエンスは22日付電子版で、名古屋大学などが昨年発表した素粒子ニュートリノが光より速く進むとの実験結果は、装置の接続不良による誤りだった可能性があると報じた。光より速いものはないとするアインシュタインの相対性理論を覆す内容として議論を呼び、研究グループが検証作業を続けていた。

 観測結果は昨年9月、名古屋大などの国際共同チームが発表した。スイス・ジュネーブの欧州合同原子核研究機関(CERN)からニュートリノ を発射し、約730キロメートル離れたイタリアのグランサッソ研究所にある観測装置で検出した。約1万6000回のデータから、ニュートリノは光よりも 60ナノ(ナノは10億分の1)秒早く到達し光速を上回ったと結論づけた。

 米サイエンス電子版は、この実験に精通した研究者の指摘を掲載。それによると全地球測位システム(GPS)につながった光ファイバーと、コ ンピューターの電子カードとの接続が悪かったため測定結果に誤りが出たという。接続不良による到達時刻のずれを調べると、ちょうど60ナノ秒だった。ただ、結論を出すにはさらに確認作業が必要だとしている。



 と言うことで、残念ながらと言うか、やっぱりと言うか「光速を超える物質」の発見は間違いだった可能性が高そうです。アインシュタインの相対性理論では、「光より速い質量は存在しない」と論証されていたのを、それを「観測」が覆すのか、、、と世界を沸かせましたが、当初から怪しいとは言われてましたもんね。ノーベル賞を受賞した小柴博士の観測結果とも矛盾してたし。もちろん5月の再試までわからないことですが、おそらく覆されることはないかな、と思います。

 ただ、今回は凡ミスとは言えど、「科学」の面白さを再認識した感じはあります。だって、「相対性理論」と言うと、それこそ「絶対」と言えるほどの大前提じゃないですか。それを覆したと言われると、怪しいと思いながらも無碍にはしない。そして実際、間違いが見つかったら、それを素直に認める。別のジャンルだったら「ねつ造」とかしそうなものを、潔く認める姿勢。これぞ科学。やっぱりオレ、科学、好きだな~。頭悪くてよくわからないこと多いけど、「印象」とか「世論」によって物事が決められるジャンルよりは、やっぱりずっと面白い。スッキリします。

 しつこい話だけど、「血液は腸から造られる」という「千島学説」など、確かに全体を流れる「印象」はいいのですが、だからと言って正しいとは限らない。と言うか、明らかに「間違い」と証明されてるのに、「しっくりくる」などの理由で信じようとする姿勢が問題。血液が骨髄から造られること観測されてるし、一方で腸から造られていないことも観測されているのだから、今後もきっと「血液は骨髄から造られる」って説(事実)が覆されることはない。それは「印象」なんてファクターの入りようのない客観的事実であって、70億の人類が一斉に突然変異でも起こさない限り、今後も血液は骨髄から造られ、腸から造られることはないでしょう。

 ただ、こう言いながらも、「血液が腸から造られる可能性」は「論理的」には0じゃないと思わなくもない。ただし、その可能性は0.000…0001%もないと思いながら、厳密に「0」とまでは言わないでおきます。もちろん「科学的」には0と処理されるのですが、明日私が地球外知的生命体と握手して会話するくらいの可能性は残しておきたいと思います。

 と言うのも、人間の身体ってのはまだまだ神秘の可能性があるだろうから。例えば事故や病気で「声帯」を失ってしまった人が、どうしても声を出したいと努力して、なんと「胃袋」を声帯の替わりにして声が出るようになった人などもいます。まさに「信念」ですよね。信念は不可能を可能にすることもある。

 それから確か戦前の人体実験だったと思うのですが、ある国の死刑囚に対して、「血液を抜くこと」で死刑を執行すると告げました。血液を3分の1失うと死んでしまうそうで、そのことも死刑囚に告げました。そしていざ執行が始まり、自分の血液が抜かれていく様子をモニターで観察までさせられます。まさに地獄の苦しみです。だけど、モニター上では血が抜かれながらも、実際は抜かれていません。しかし、その死刑囚はモニターで自分の血が3分の1まで亡くなったところで死んでしまいました。もう一度言いますが、モニターはあくまでダミーであって、実際には1滴たりとも血は抜かれていません。

 ようするにその囚人は、血が抜かれたという「情報」によって殺されたのです。単なる「情報」であるにも関わらず、「身体」にまでダイレクトに影響するわけです。ちなみに今はそんな非人道的な実験は、少なくとも先進国や公にはなされていませんが、戦前はいろいろあったようです。特にナチス政権下のユダヤ人に対しては、皮肉ながらも、そこで行われた人体実験が医学の発展に寄与した側面もあるようです。

 それ以外にも、沸騰したかに見えたヤカンの水(実際には冷たい水)がかかっただけで、本当に火傷してしまったなどのケースもあるようです。つまり「身体」ってのは、直接の物理的刺激だけでなく、架空の「情報的刺激」だけで反応してしまうものなのです。

 わかりやすい例を言えば、「梅干し」って「情報」を書きましたが、その文字を見ただけで口の中から唾液が出てきた人もいるでしょう。私も書いた瞬間に出てきました。だけど、実際に梅干しを食べているわけじゃない。逆に「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言うように、心の持ち方次第で、身体などいくらでもコントロールできる。滝行やっててもその辺は実感します。氷点下の滝行などすぐに風邪ひくと前は言われましたが、滝行で風邪ひいたことはなし。でも、風邪ひくと思ってる人はひくんでしょうね。

 それから、アンソニー・ロビンズの「一瞬で自分を変える法」の中にも興味深い事例が紹介されてあります。


 オーストラリアのアボリジニには、呪術師が「呪い」をかける習慣がある。強力な呪いの言葉を唱えると、呪われた人は自分は重病にかかり、死ぬと思い込むようだ。心と身体の関係について数多くの著書があるハーバート・ベンソン博士は、1925年に起こった実例を紹介している。

「敵に呪いをかけられたと知った男は、惨めそのものだった。愕然と立ちつくし、呪いをかけた裏切り者をにらみつけ、(中略)。・・・その男は今にも死んでしまいそうだった」

  私はこれほど真に迫った、恐ろしい話は読んだことがない。そして、「信じること」がいかに大きな影響力を持つかをこれほど如実に示す話はない。普通に考えれば、誰もこの男の命を脅かすようなことはしていない。ところが、この男自身が「自分は死ぬ」と信じ込んでいたために、生理機能もそのように変化して、ついには死に至るような、恐ろしい力が働いたのである。(p.131~132)


 
 これらの様々な事例から言えるのは、「情報(精神)」ってのは「現実(身体)」の上位概念にあるってこと。もちろん物理的に身体が不調になって、心まで不調になることはよくあります。だけど、そんな時こそ、心を強く持つことで身体を元気にすることだってできる。その理論でいくと、、、「血液は腸から造られる」と思い込んでいる人は本当に、、、ってことはさすがにね(笑)

 それはともかく、これも実は最近よく書いている「フィルター」なんですよね。私たちはそれぞれ独自の「フィルター」を通して世界を見ていると言いましたが、「呪術」を信じている人にとってはそれもフィルター。ホメオパシーは「科学」と言うより完全に「呪術」ですが、やはりそれを信じている人にとっては効果があるんでしょう。
効果の程度はあれど。

 だけど一方で、ワクチンや予防接種をすると「マヤズム」が立ち上がって、治る病気も治らなくなる、、、なんて「情報」もまた信じている人にはその通りになっちゃうんですよね。ホメオパシーに限らず、自然療法家、代替医療家の中には「通常医療の医薬品は副作用が強い」と言いますが、確かにそんな側面もある(ただし、漢方や薬草の中には毒性の強いものもあるので、自然なものが無害というわけじゃない)。しかし、それもまた「情報」であって、「副作用が強い」と思い込んでいる人、また、それを言う人のことをオセロ中島のごとく信じ込んでしまう人にとっては、本当に強くなってしまう。効果以上に。

 ですので、本来であれば、副作用のある医薬品であっても、お医者さんが「副作用なんて大丈夫ですよ」と笑って言ってもらえれば、患者も安心するし、実際の問題も少ないかもしれない。だけど、今は副作用の説明もちゃんとしなきゃならないし、いわゆる「科学」が真摯であるがゆえに、「情報」としての力を最適に活用できない側面もあるんです(ウソも方便も含めて)。そこが悩ましいとこではあるんでしょうけど、通常医療以外の多くの自然療法、代替医療は都合のよい「情報」を拡大し、都合の悪いものは触れない傾向があります。そしてそのことをつっこまれることも少ない。

 「呪術」とは「情報」であり、「科学」とは「現実」のこと。そして「情報」というフィルターが「現実」に大きな影響を与えてるのも事実。だからと言って、すべてを「情報」に委ねるほど、現代社会は遅れていない。かつては世界のほとんどが「情報」で成り立っていたのでしょうが、それでは問題・限界があることを社会は知っていて、それを改善する過程で「科学」が発展してきて、今日に至るのです。

 ニュートリノの話からかなりそれちゃいましたが、ただ、どんなに「情報」が「現実」に先行すると言っても、宇宙全体の物理法則を動かすにはやはり限界があるし、不可能なものは不可能。果たして今後、光より速い物質が発見されるかと言うと、その可能性を全否定まではしないけど、はやり考えにくいのではと思います。以前、「光速を超えるとは、ゼロよりも遅くなるようなものだ」と聞いたことがあるのですが、そう考えるとわかりやすい。光の速度って、何かと比べられそうな気がするじゃないですか。理論を知らない人にとっては。だけど、ゼロより遅いって何だろうって思いますよね。逆戻りなんて言っても、それはそれで速度がありますから。

 ですので、おそらくは「情報」とは完全に切り離された、絶対的な物理法則がこの宇宙にはあって、それを解明していことが「科学」なわけですよね。なので、最終的に言えるのは、おそらく物理的な絶対法則そのものがゆがめられることはないにせよ、そこに人間の「認識」や「情報」などのフィルターがかかってしまうことよって、あたかも「絶対法則」そのものが相対化され、そこで創られた現実そのものが「真実」のように錯覚してしまう。だけど、それは一人の人生にとってはとても大切なこと。その辺の説明で納得するしかないんでしょうね。

 そんなわけで、ニュートリノの話は、おそらく残念な結果になりそうな気はしますが、その科学的姿勢にはいろいろ気づかされるとこもありました。そんなとこで。ありがとうございました。

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