儀式 2012.2.8

 今日は一年ぶりの健康診断のため、朝は抜かねばならず、また、滝行でコンディションが変わるのを避けるため、久々に7時まで寝ていました。早起きすると腹が減りますからね。そして、滝行後に血液検査とかするとどうなるか興味はあったけど、変な数値が出ても面倒ですもんね。保育園に送った後、すぐに健診センターへ。一般健診とガン検診で約2時間ほど。

 それから滝行に行ったのですが、なんと外は吹雪いていました。滝場の気温は0度。久々に水たまりの氷を割って入りました。ただ、経験上、滝行で一番つらいのは2~4度あたり。0度だと流れてる水の方が外より温かく感じるもんです。だけど、出た後が大変。めちゃくちゃ寒いです。当たり前だけど。それにしても、毎日、こうやって元気に滝行をさせて頂けることに感謝しかないですね。

 で、最近、思うのですが、「滝行」ってのはつくづく「儀式」ではないかと。その意味では健康診断も「儀式」の一つ。血を抜いたりバリウム飲んだり、そうやって身体の調不調を確認し、何もなければ感謝して、何かあれば感謝して対応する。つまり「健診=感謝儀式」なんですよね、私にとって。滝行もそう。真冬の0度の滝など、誰が好き好んで入るものか。だけど、ご縁あって今年で8年目の冬。健康あってのこと、そして時間もあってのこと。そうやって、この「行」の時期は、毎日、感謝の連続なんですよね。言わば、滝行とは感謝の儀式でさえある。

 その「感謝」ってのは、確かに健康とか時間とか日々の幸せとか、具体的な意味ので感謝もありますが、いざ、滝に入ってる時ってのは、「感謝」そのものに感謝している感覚があります。そこには何の理屈もありません。そして強烈に「0次元」なるものを感じる。これは「0度」の滝に入ったからと関係ありませんが、滝の中で無心にお経を唱えていると、ふとそんな感覚になる。

 私たちが通常、経験している世界は「3次元」、正確には不可逆的な時間を加えた「3.5次元」です。それが現実生活。「2次元」になると、価値観という平面が広がり、「1次元」になると、意思という直線が延びていきます。そしてさらに「0次元」になると、ただ存在するだけ。そこには時間も空間もなく、価値観も意思もありません。だけど存在だけがある。そうなると一切の不安も苦しみもない、ただ宇宙の本質である「喜び」にダイレクトにつながるだけ。それを知ると、何の根拠も理屈もなく、感謝がただぶわ~っと出てくるだけなんです。今日もそんな体験をすることができました。

 そしてつくづく思うんです。やっぱりこの世には生も死もないんだなって。それが本質だなって。その本質ってのが「0次元」であり、「今、ここ」の世界。生とか死ってのは、人間が勝手に分けた概念に過ぎない。もちろん人間も動物も植物も、その個体としての死はあります。だけど、それは単なる「現象」の一つであって「本質」ではない。「本質」にアクセスすると、死なんてものは、単ある概念に過ぎないことが経験としてわかります。

 おそらく「死」なんて概念を持つのは発達した脳を持つ人間だけであって、動物も植物も、そして生まれたばかりの赤ちゃんも、ただ「今、ここ」の連続に生きているだけ。世界のすべてが今、ここにある。それに対して人間だけが、この世界を「今、ここ」から分節化して、様々な概念を作って生きている。
 
 そしてその概念が、まず「私」と「他」というアイデンティティ、つまり意思である「1次元」を作り、さらに「○○は●●である」という価値観、つまり「2次元」を作ります。さらにその価値観を設計図として、この現実世界、つまり「3次元」が作られるのであって、1次元以降の世界ってのは、作られたものに過ぎないのです。それを私は「幻想」と呼んでいます。

 なので、もしも幻想を超えた真にリアルな世界に戻りたければ、0次元を体験するしかない。その方法論として、代表的には「瞑想」があるのでしょう。私の場合はご縁あって滝行をしていますが、本質は同じ。向かうところは「自我(1~3次元)」から自由になることですから。

 そう言えばさあ、今日、おもしろいコピペを見つけたんですよね。こんなの。


脳死により自我が消滅した人間は完全な無に至ります。
私たちが生まれる前そこには何があったでしょう。母体ですか?前世ですか?
いいえ、何もなかったのです。それは無であり私たちはこの世に存在していなかったのです。
それは悲しかったですか?辛かったですか?何も感じないでしょうそれが 無 なのです。

何も恐れることはない私たち人間は発達した脳が作り出した自我により生と死を分けているだけです。
自我がなければ今も無と同じ感覚でただ脳が発する本能の信号により動かされてるだけの存在だったのですよ。

死後の世界に夢を見るのもいいですが、真実にも目を向けてみてはどうでしょうか?それはとても大切なことでとても素晴らしいことなのです。



 うん、実はこれが真実なんですよね。なので、「死後の世界」なんてのもない。しばしば「臨死体験」なんてこと聞きますが、それはあくまで「臨死」であって「死」ではありません。そこで何らかの世界を見たとしても、それは決して「死後の世界」ではありません。私たちは臨死体験、そして死後の世界なるイメージでさえも自分たちで作ってるに過ぎないのです。もちろんこの現実世界もまた幻想。意思と価値観をベースに構築された「作られた世界」に過ぎません。

 もしも真にリアルな世界があるとすれば、それは「今、ここ」と呼ばれる世界で、私の言う「0次元」の世界にしかない。生と死の違いってのは、ようするに「自我」が決めただけのもの。いずれにしてもリアルな世界は0次元にしかなくて、それをしっちゃうと「な~んだ」ってことになる。よって、死後の世界に対する恐怖も何もなくなるんです。

 話を戻しますが、毎日こうやって滝に打たれていると、いつもいつもではありませんが、ふと、その瞬間に立ち戻ることがあります。0次元の世界に。それは喜び、そして感謝しかない世界。誰かが、宇宙の本質は喜びであり、私たちが苦しみを経験するのは、その「喜び」を知るからだと言ってた気がしますが、本当にその通り。そしていつもそこからスタートする。

 そんなわけでして、今日は健康診断と雪の滝行にて「儀式」を経験してきました。明日もまた楽しく起きて打たれましょう。ありがとうございました。

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by katamich | 2012-02-08 23:39 | ■精神世界 | Comments(0)