宇宙となかよし

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Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

「地球≦人類」の時代 2012.1.18

 最近、早起きが定着しているためか、夜はコーチングのセッションがない限り、ちびQより先に寝ているようです。9時くらいから布団に入って、ちびQに絵本を読んであげて、10時には寝る感じかな。ここ数日は、ツレが寝るのを見たことがありません。たいてい私が寝てしまってから、インターネットとかしているようですし。

 そんなわけで、昨年に比べていい感じで過ごしています。やっぱり朝が早いと気持ちいいですね。とにかく前向きな人生を送りたければ、早起きする。いろんな人が言ってますけど、ますます実感しています。そして今日もいろいろ進みました。目標を定めて一歩一歩進んで行く。するとある日、振り返ってみると、随分と高いところまで来たもんだと実感する。今、2005年を振り返ると言わずもがなですが、出版した2009年を見てもそう。こんなオレでも、確実に成長してるって思うわけです。

 今日、公式ブログで「死ぬ日のこと」ってエントリーをあげましたが、人はどうやら「死ぬ日」を選んで生まれてきているけども、ほとんどの人がその日のことを忘れてるって話。あっちのブログにその手の話をするのは珍しいのですが、直感が降りてきてシャカシャカと書いてしまいました。例えば、日中、あれほど目にする雀や烏も、人前に亡骸をさらすことはほとんどありません。本当なら道端に雀の亡骸が散乱しててもおかしくないのに、まず見かけることがない。きっと人目に付かないとこで、きちんと死んで、きちんと自然に帰っているのでしょう。象の墓場なんて話も有名ですが、おそらく野生動物は誰もが自分の死期を知っていて、その日に合わせて生きているのでしょう。

 しかし人間は、その脳に「忘れる」って機能が付加されているため、生きる上で不要で負担にしかならない「死期」って情報を封印して生きています。もちろん私も忘れてしまいましたが、世の中には死期が近づいて思い出す人もいれば、すでに知っている人もいます。ついでに言うと、生年月日、生まれた時間などの属性を調べると、かなり正確に「死期」をはじき出すことができるそうです。五日市剛さんは以前、それがわかる人と会い、「知りたいですか?」と聞かれたそうです。もちろん「いいえ」と答えたとのことですが、私もそう答えるでしょう。

 死期、つまり「死ぬ日」ってのは、それを知ることで人生においてものすごい影響が生じます。束縛と言っていいかもしれない。大きく二つにわかれるでしょう。死期を知って人生に絶望する人、そして死期を知って人生を懸命に生きる人。後者であれば知っていい気もしますが、誰でもそうとは限らない。もしそんなことを誰もが手軽に知れるようになったら、世の中は混乱してしまうでしょう。
 
 それはまさに「自我」があるから。自我のない他の動物たちは、知っててもさながらに生きるだけ。ただ生まれ、ただ生き。なんの野望もなく、大自然のシステムに組み込まれながら、必然的な人生を送って終わる。しかし人間には、どういう突然変異なのか、大脳が極度に発達してしまい、「自我」を生み出してしまった。その「自我」は自分たち人間にとって都合のよい世界を創り、この地球を支配するに至った。もしも人類が本気で地球を滅ぼそうと思えば、可能かもしれません。今ある資源をすべて核爆弾に費やし、一斉にそれを爆破させたら、さすがの地球をたまったものじゃない。だけど、そうさせないのもまた「自我」の役目。

 いつでも地球を滅ぼせる選択肢を持ちながら、その選択肢を生みだしたのも自我ならば、それを抑制しているのも自我。そんな奇妙なバランスの上で、私たちの生活は成り立っています。しかし、そうなったのはおそらくこの半世紀ほどのことでしょうか。「核」という破壊的なエネルギーを発明してしまい、私はそこに人類のパラダイム転化があると考えています。今まではどんなことをしても、人類は地球には叶いませんでした。石器ではどうやっても地球を壊滅させることはできません。つまり、常に「地球>人類」だったのです。

 しかし今は違います。核によって本気を出せば地球を壊滅させることができるかもしれない。少なくともこの地球上にいる生物という生物をすべて滅亡させることは可能。つまり、「地球>人類」のパラダイムが、「地球≦人類」へと転換したのがこの半世紀ほどの話です。言ってみれば、地球の後半戦が始まったのが今なのです。

 そうなると当然、人類の意識も変わってきて当然。私たちはいつでも、自らの手で壊滅させることが可能である。おそらく古代の地球人は、他の動物たちと同じように、自らの死期を悟って生きていたんじゃないかと思います。それこそ一万年ほど前は。しかし、脳の発展が「死期を知る=危険」と認識し、死期を封印するようになった。そのようにして生きてきた人類が、今まさに、次のステージへ進もうとしているわけです。つまり、人類はいつでも人類全体の「死期」を生み出すことができるようになったこと。つまりこんな展開です。


「死期を悟って生きていた時代」
↓ ↓
「死期を忘れて生きていた時代」
↓ ↓
「死期を自由に創れる時代」



 今がまさに「死期を自由に創れる時代」となっているのですが、それは自殺という個人の選択も含めて、何かあったらいつでも死ねる時代。それが今なのです。死はもはや「与えられる」ものではなく、「得られる」ものへと変わってしまった。言い換えると、死は「神の仕業」ではなく、「人の仕業」となっているのです。つまり、今や人は神をも超えて、「死」そのものが相対化され、「死」を超越した存在となってしまったのです。

 死を超越した存在。私はそれを「悟り」だと考えています。人間が生きる最大のモチベーションは死への恐怖です。死なないために食べる。食べるために働く。できればいい状態で働く。だから努力する。人間関係に気を配る。その他諸々。あらゆる営為が死への恐怖を軽減させることで成り立っているのです。しかし、人間は死を超越したしまった。もっと正確に言うと、死を超越した人がどんどん増えつつある。死を超越するとは、最終的に人は死なないってことを悟ること。
 
 今この瞬間。私は生きてもいないし、死んでもいません。もちろんこれを書いた、これを読んでいる自我は「生」を認識しているわけですが、この「今」そのものは何もありません。正確に言うと、存在だけがある。数字で言えば「0」です。「0」はその概念、存在自体はありますが、実体はありません。実体がないとは、生もなければ、その反対の死もないことを意味します。それを2500年前のお釈迦様は「空」と呼んだと思います・

 すべては「空」から始まっている。およそ2500年間、封印されてきた「空」のリアリティ。今まさに、そこに目ざめる人が増えている。それは人類が死を超越したことと無関係でないと思っています。

 ・・・すいません。何言ってるのか自分でもわからなくなってきました。ようは、今はもう、生きるも死ぬも自分次第ってこと。確かに死期はすでに決まってるんです。それを知ってる人もいるけど、大部分は知らずに生きている。だけど、そんなことさえもう、どうでもよくなっている。なぜなら人は死なないんだから。とにかく今、この瞬間を喜びで満たしながら生きようぜってことを言いたいんだと思います。たぶん。

 中途半端な日記になりましたが、今日はこの辺にしておきます。ありがとうございました。

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by katamich | 2012-01-18 23:39 | ■精神世界
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