宇宙となかよし

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Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

守護霊からのメッセージ 2011.12.4

b0002156_1316142.jpg 昨日は、ちびQと一緒に10時に寝て、朝も寝坊。滝には9時過ぎに行きました。平日は早起きが続いている分、休日にゆっくりするのもアリかな、、、なんてのも言い訳かもしれません。昼からは、ちびQと二人でお留守番。近くの公園に遊びに行き、丘に登ったり、犬を追いかけたり、ボール遊びしたり。写真は後ろの石碑をくぐろうとして、頭をぶつけた直後。その5分後にはまた走り回っていました。そして家に帰っておやつを食べると、夕方まで3時間寝ました。そんな休日。

 ところで先ほど、阿部敏郎さんの「守護霊」ってエントリーを読んだのですが、まったくその通りと激しく同意です。守護霊とかチャネリングって言葉には、どうしても「自分とは別に存在する超越的な実体」ってニュアンスが付きまといますよね。「あの世に~」の雲黒斎さんが「雲さん」と呼んでいる守護霊もそうですが、どうやら黒斎さんなる人は、雲さんなる守護霊とお話をしている、と受け取られがち。黒斎さんの本のレビューの中に「みんな雲さんのチャネリングだけが目当てなのであり、それを忘れないでもっと謙虚な気持ちで、雲さんとの対話をメインに据えてほしい」なんて文言がありましたが、そう感じている人も少なくないってことかな。それ以外にも「バシャール」や「神との対話」もそう。もちろんそれらが実体として存在しないとは断言しないけど(本当はしてるのだけど、「いないことを証明しろ」って言われても面倒なので・・)、自分とは別の宇宙人や神と「対話」しているわけじゃない。

 それらは「真実」を伝えるための方便であり手段でしかありません。おそらくは、それらで書かれてあるメッセージは「言葉」ではなく「感覚」として一瞬で受けたものと推測できます。そしてその「感覚」を伝えるためには「言葉」が一番便利で、その工夫として「対話」があるだけの話。「守護霊」と呼ばれる存在は、一つの真理しか話さないけど、あえてそれにアンチを置くことで、真理が立体的な象として浮かび上がってくる。

 例えば以前、「オレの天使はアホやから『大丈夫』 しか言わんね~ん!」ってエントリーをあげたことがありますが、究極、それしか言わないんですよ。ちなみに、そのエントリーには「そのアホがなぜ天使だとわかるのですか?」なるコメントが付いてましたが、それもまたよくある勘違いかな。天使なんてメタファーに決まってるわけで、ラファエルだのガブリエルだの「実体」としてそもそも存在するものじゃない。密教では不動明王って呼んだりするけど、それも同様。

 で、「大丈夫」の話ですが、天使なり守護霊なりガイドなりハイヤーセルフなり超意識なり神なり、言いたいことはそれだけ。ですが、それだとかなりわかりにくいので、例えばそこに話者を置くとわかりやすくなる。「会社をクビになって生活が不安なんですが、それでも大丈夫って言えるのですか?」なる質問が来ると、守護霊たちも答えやすくなる。ですがそれはあくまで「大丈夫」って一次情報を、その人なりの表現力で伝えただけの話。

 確かに真理としては「大丈夫」なんです。そのことを一次情報として体験した人にとってはわかるのですが、そうでなければいろいろ面倒なこともあります。例えば、「どんな失敗も学びであり、成長の糧だから大丈夫」って話をしたとします。だからと言って「失敗」に対して開き直るのは間違っています。

 時々、「すべては学びだ~」って開き直ってる人いますけど、それは単なる逃げ口上であって、今言うことじゃない。失敗したら反省する。悔しく思う。そして二度と繰り返さないように努力する。その連続で、いつか自分の満足のいく結果、つまり成功を手にした時に言えばいいのです。すべては学びだった、だから大丈夫なんだって。

 だけど、中途半端に「大丈夫」って情報だけを鵜呑みにしちゃうと、自分に都合よく解釈するだけで、成長もなにもない。宗教や精神世界の本に書いてあることは、確かに全体としては真実かもしれません。しかし、その言葉そのものが個々のケースに当てはまるとは限りません。収入を増やしたければキャリアアップすることも一つ。そのためには資格を取るよう勉強する。だけど落ちた。すごくショック。そこで精神世界の本を読むと、「頑張らなくていい」とか「すべては必然ベスト」とか、いろいろ耳心地の良いことが書かれてある。そしてそこだけ真に受けちゃうと、「勉強しなくていい、資格取らなくてもいい、キャリアアップする必要もない」などと開き直ってしまう。だけど、どこかで収入はアップさせたいとか思って、そのための怪しげな情報を求める人もいる。

 昨日も書いたけど、夢や目標に向かって最初はテンション高くスタートすることがあっても、そのうちに飽きたり疲れたりして、「ちょっと違うことがわかりました」などと言って、都合よくストップさせる人も少なくない。例えば100日ブログ書くって決めたら、最後まで頑張れって言いたいです。本当は。だけど、「ブログを毎日書いてみて、私らしくないことがわかりました」などと言って、22日くらいでやめてしまっては、その理由がまっとうそうに見えるだけに、私としてもなんとも言えない。

 コーチングでもそう。最初は調子よくコミットメントしても、途中から「自分らしくない」とか「違うことが分かった」とか、そんな超越的な言い訳を持ちだして、コミットを反故にすることを正当化してしまう。確かにそれも「気づき」だし「学び」ではあります。私もそう思うし、大きな視点から見れば、それでもやはり「大丈夫」には違いありません。だけど、、、どうにもやりきれない気分が残る。少なくとも、「今言うべきじゃないでしょ」と言った方がいいかもしれないけど、中途半端にスピリチュアルだったら、その中途半端ささえも「認める」ことが美しいとされる。

 ようは、精神世界だのスピリチュアルだのって、ある側面から見ると、「壮大なる言い訳のコレクション」なんです。前世なんてのもそう。今、いろいろと苦労しているのは前世のカルマだって話があります。そのカルマを除去するために20万円近くの個人セッションを受けに行った人を知っています。その人が抱える問題も知っていたのですが、「Qさん、全カルマ除去したよ」と報告を受けてからお会いしていません。果たして問題は解決したのでしょうか。

 もし今、何かと苦労しているのであれば、それは今生の問題です。ですが、前世って話は、その今生の問題から目をそらすためにすごく便利な言い訳になる。だけど、考えて欲しい。本当に前世に原因を求めるのであれば、同時に今生は来世に結果をもたらすことになる。もし来世で幸せになりたいのであれば、やっぱり今生の問題は今生で解決して、来世に持ち越すべきじゃない。今生のケツは今生で拭く。だけど、中途半端に精神世界をかじっちゃうと、自分でケツを拭かないための言い訳として使っちゃうだけ。

 もちろん、、、それもまた「大丈夫」なんだけど、そこが表現の難しいとこでもあります。確かに究極は「大丈夫」です。だけど、目先の問題を放置して大丈夫かと言われると、それは違うと答えるしかない。そう言うと、しばしば「矛盾してる」って指摘されるんですが、そのうち、あ~!めんどくせ~!!ってなって終わり。すいません。

 この「大丈夫」って言葉を錦の御旗として、言い訳の材料にするのはやめようと思います。例えば馬がここにいます。馬に乗るととても楽しい。だけど、落ちたら痛そうでちょっと怖い。そこまでは条件は同じ。ですが、この先が二つに分かれる。それでも乗る人と、乗らない人。究極を言うと、乗っても乗らなくても大丈夫。だけど、乗った方が楽しいのはわかっている。

 そんな時、私は勇気を出してこう言いたい。「落ちても大丈夫だよ」って。ちゃんと受け身を取れば、ちょっと痛いだけで怪我しないし、逆のその痛みが教えてくれることもある。また、怪我したところで、ちょっと休めばいい。そのうち治る。だけど、最悪、打ち所が悪くて死ぬこともあるじゃないか、と言われるかもしれない。ビルの屋上から飛び降りるのでなし、馬から落ちたくらいで死なないとは思うけど、それでも死んだのならば、それは運命としか言いようがない。少なくとも、死ぬことを恐れて、乗馬なる楽しいことをやめちゃうのはもったいないですもん。そう言えば、9月に行ったラダックでも乗馬を楽しみましたが、ほとんどが初めてで普通に乗りました。
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 もう一度言いますが、ここに馬がいます。乗らなくても確かに大丈夫。だけど、乗った方が楽しいのであれば、私は「乗っても大丈夫」と主張したい。そして思いきってこう言うかもしれない。「ここまで来て、乗らないのはアホ」、と。もちろん最初から乗りたくなければいいけど、乗りたい気持ちはあるけど、、、と迷いながら乗らないのはアホ。

 人生も同じ。生きてると、いろんなチャンスがやってきます。それを選択しても選択肢なくても大丈夫です。だけど、私は来たチャンスをつかんでいきたい。どっちでも大丈夫なら、つかんだ方が楽しいだけ得ですもん。もちろんつかんでみたところで、途中で飽きたり嫌になったりすることも。それでももし、最初にどれだけか決めたのであれば、そこまではやっていいと思うのです。いや、やるべきでしょう。

 ついでに言うと、そのチャンスってどこからやってくるのか。それは間違いなく「守護霊」が持ってくるのですよ。自分を成長させるためにね。もちろん何でもかんでもやれってわけじゃない。マルチビジネスに誘われたからって、何でも素直にサインする必要はない。と言うか、たとえ勧められたところで、やりなくなければやらなくていい。だけど、本当にやりたいことがあれば、どんなにリスクがあっても、私はやるべきだと思っています。

 どうでしょう。今、もし「やりたい」ってものが頭の片隅にあれば、それはどっからやってきたのか。例えば一年以上も、その「やりたい」が残ってるのなら、どうでしょう。私の話で言うと、だいぶ前、国内のビジネススクールでMBAを取りたいと思ってたことがありました。でもそれは、すぐにわかりました。当時、持っていたコンプレックス(中途採用で給料が安いなど)を埋めがための材料だったことを。ですので、今はそんなコンプレックスもないので、MBAはいらないです。だけど、「本を出したい」はずっと頭の片隅にありました。それは実現しましたが、まだ出したいとも思ってます。なので、それも実現します。

 ですので、もし、「やりたい」ってことあって、多少の冷却期間は必要かもしれないけど、ずっと熱いままだったら、それは今すぐにでもやるべきでしょう。そしてそんな時こそ言いたい。「大丈夫」って。この「やりたい」と「大丈夫」、、、これこそが守護霊からのメッセージなのですから。

 そんなわけで、12月に入って、またまた熱くなってきました。気温とは反比例にオレの心はあっつあつ!さあ、明日も頑張ります。ありがとうございました。

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by katamich | 2011-12-04 23:39 | ■精神世界
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