宇宙となかよし

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祈りの極意 2011.11.3

b0002156_18585889.jpg 今日は祭日。久々に滝場まで歩いて行きました。家から10kmあるので、往復20km。さすがに疲れましたが、歩きながらものを考えるのはいいです。昨日も書きましたが。ところで今日は滝場に見慣れぬ姿を見かけました。私が普段、行をしている不入道の滝は民家にも近く、比較的に人の出入りはある方だと思います。滝の修行をしに来る人もチラホラいるのですが、声をかわすことはないものの、ほとんど顔見知りのような感じになってます。

 ですので、見慣れぬ人って言い方も私にとってはさほど変ではなく、それだけ気になる雰囲気がありました。とは言っても、普通のお参りであれば何の違和感もないのですが、気になった理由の一つが、すごくキレイな女性だったこと。年は40を超えてそうでしたが、ちょっとセレブな雰囲気だったのです。そして何より気にさせたのが、その祈り方です。

 不入道のご本尊は十一面観音であり、また、不動明王がたくさん奉られてあります。お参りに来る人も決して少なくはないのですが、普段にない「真剣な祈り」が殊更印象に残ったのです。さっと来て、真剣に祈り、さっと帰っていく。何に対して祈ってるのだろうと気になりましたが、雰囲気から見て、おそらくご家族のことなんだと思います。もしも私が全身全霊で祈るとすれば、自分のことよりも家族が先。順位としては「家族(特に子ども)>自分≧近い知人>遠い知人」となるでしょうが、こればかりはキレイゴトではなく。マザー・テレサのような聖人になると「全人類≧自分」となるのでしょうが、残念ながら私はそこまでに至ってません。

 いずれにせよ、人生のうち、何度かは真剣に祈る時は誰だってある。多くの場合は家族に対してだろうけど、自分のことを祈ってもいい。受験に合格しますよう、ビジネスがうまくいきますよう、恋愛成就しますよう、病気が治りますよう、、、などなど。ただ、悲しいかな、祈りは100%通じるとも限りません。全身全霊を込めて祈ったけども、その祈りも虚しく、、、と言うことも決して稀ではありません。

 じゃあ、祈りって意味ないのか。決してそんなことはありません。言ってることが矛盾するかもしれませんが、真剣に祈れば祈るほど、その結果に満足することもまた事実。その結果とは、祈りが通じることもあれば、そうでないこともある。割合を出すことはできませんが、祈りが奇跡を呼ぶことだって決して珍しくありません。いや、きっと呼ぶことでしょう。

 ただし、「祈り」とは決して生易しいものでもないと思ってます。もしも「祈れば叶う」と思ってる人がいれば、それは間違い。神に祈るとは、それだけ自分に対して強い責任を負わせるもの。つまり、「祈るからにはやらねばならぬ」です。例えば家族がなんかの病気で手術を受けることになったとしましょう。成功する可能性は五分五分。そこで自分のできることは何か。医学的にはどうしようもないでしょう。中には医学の勉強をして、それを何かに生かそうと考える人もいるかもしれませんが、一から医学を学んで手術に間に合わせることは、どんな天才でも無理でしょう。だからと言って、代替医療に走っても、間違って医学知識を植え込まれる危険性もある。

 じゃあ、その手術に対して自分のできることはなにか。おそらく「ない」でしょう。そこで初めて「祈り」しかなくなるのです。もう、自分ができることは何一つない。もちろん家族としての準備やケアは必要でしょうが、手術それ自体については医者に任せるしかない。そして神に任せるしかない。そこで「祈り」が登場するのです。

 では、別のケース。会社を辞めて起業し成功したいと思ったとしましょう。ではそこで「成功しますように」と祈るでしょうか。もちろん祈るのは自由。だけど、祈る前にやることが山ほどあるはず。それをせずして最初から祈りだけで成就することは、まず考えられません。神仏に祈るだけで、それを叶えてあげるほど、神仏は甘くありません。日本電産社長の永守重信氏は、若き日に、京都のとある神社の神主さんから鑑定を受けて、その通りにしたら危機を脱することができたと言います。しかし、永守社長は神社では祈りません。神社ですることは、1に懺悔、2に感謝、3に宣言だけだと言います。

 例えば懺悔や感謝は割と言われてますよね。故・小林正観氏も神社では「感謝」をするんだと言いました。その話を聞いて、確かに「神社では感謝しかしなくなりました」なんて言う人もいる。だけど生きている以上、もう一つしなければならないことがある。それが「宣言」なのです。

 「懺悔」は過去、「感謝」は今、そして「宣言」は未来。自分は「今」にしか生きてないから懺悔も宣言も必要ないって言う人もいるかもしれませんが、それは確かに理想中の理想。そんな瞬間を知ることも大切。だけど、私たちにはほぼ例外なく「時間を生みだす脳」が備わっています。そうである以上、「過去」と「未来」の幻想が常に付きまとうのも事実。

 その「過去」と「未来」の幻想から解放され、唯一のリアルである「今」に戻るには、逆説的にも「過去」と「未来」を感じることが必要なのです。「懺悔」とは「過去」の浄化のこと。別名、許しとも言う。それによって「今」に立ち戻ることができる。「宣言」とは「未来」を確定することで、逆に「今」を充実させること。

 もしも「懺悔」がなければ、いつまでも過ぎ去った「過去」の亡霊に悩まされるだけ。もしも「宣言」がなければ、いつまでも不安な「未来」に翻弄されるだけ。まさに「懺悔」と「宣言」こそが「今」を生きる方法なのです。そして「今」を生きた瞬間、「感謝」はいきなりやってきます。そう、「感謝」は自分からするものでなく、やって来るもの。そして感じるものなのです。

 精神世界の本にはやたらと「感謝」のことが書かれていますが、「感謝しなさい、はいします」と簡単にできるものじゃないことは、誰だってわかることでしょ。嫌なことあっても「感謝」と言われますが、そんなに簡単じゃない。そう、「感謝」とは自分で求めるものではなく、与えられるものなのです。そのためには「過去」と「未来」の呪縛から解き放たれることが大切。それがまさに「懺悔」と「宣言」なのです。

 まずは「懺悔」によって過去を許します。そして「宣言」によって前向きに一所懸命に生きるのです。その瞬間が「今」であり、そこに「感謝」がいきなりやってくる。その時、「感謝」と「祈り」が一体化して、いわうる「奇跡」が起るのです。

 つまりですね、、、過去をくよくよ生きるんでもなく、未来のことをそわそわ思って生きるんじゃなく、まずは自分の足で立って、できることをすべてやった上で、最後に「祈り」ってのが通用するんですよってこと。最初から神頼みはみっともない。とか言う私も、、、できることまだまだありますんで、もうこれ以上何もでき~ん!!ってとこまでやってみなきゃですね。過去を許し、未来を定め、今を生きる。そして祈る。これです。ありがとうございました。

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by katamich | 2011-11-03 23:39 | ■精神世界
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