宇宙となかよし

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21日滝行がスタート 2011.10.1

 今日から10月ですね。毎度言うようですが、ついこないだ2011年に入ったばかりと思っていたら、早くも年末に近付いているわけですね。2年前の10月1日は思い出深い日でした。評言社の安田社長が博多に来られて、出版にゴーサインを頂いた日。それから2~3週間で原稿の半分を書き終え送付。それから2か月で本が出てしまいました。本そのものはすごく売れたわけじゃないけど、出版社の期待に応えることはできたし、何よりその後の波及効果が大きかったです。多くの方から2冊目もご期待頂いているようですが、私の都合でなかなか書けないでいてすいません。か、必ず書きますので。。。

 そして今日は「21日滝行」の初日。そう言えば今年に入って「7日滝行」は毎月のようにやってたけど、21日は初めて。今年はもう一回は21日をやらなければ年間100日に到達しない。ただ、滝行はやっぱり冬が醍醐味なのです。夏は純粋に気持ちがいいのだけど、冬に比べてどうしても緊張も緩んでしまう。夏にいかにして緊張を持続するかも課題だけど、今のところはより過酷な「冬」の滝行にこそ魅力を感じてしまうのです。だから21日間もやるなら冬。今日はその初日で、水の冷たさ、そしてその雰囲気、体感が夏とは確実に変わっていることを知りワクワクするのでした。

 最近、熊本の新興宗教で「滝行」と称する事件がありましたが、あんなのは滝行でもなんでもありません。方便として「徐霊」と言う言葉を使う場合もあるでしょうが、リアルに「霊」がいるかどうかは別の話。先日も同じこと書きましたけどね。「霊」の正体とはそんなに難しいものじゃなく、誰もが持っている「何か嫌な感覚」がそう。霊が取り憑いてるから嫌な感覚になるのではなく、元々何らかの原因で嫌な感覚になってるのに、一種の「言い訳」が欲しくて「霊」という言葉を使っているだけ。

 一方で「地縛霊」と呼ばれる、その場所に居るとされる霊もあります。これも普通の霊と同じく、実体としては存在しません。もしもそれが実体としてあるのなら、原爆の落ちた広島や長崎は地縛霊だらけで街を歩くこともできないでしょう。もちろんそんな事実はありません。地縛霊の正体は、いわゆる「逆パワースポット」です。

 パワースポットがそう言われる原因は、「そう言われているから」ってのが大きいです。つまり誰かが、なるべく影響力の大きな人(江原氏のような)が、特定の場所に対してパワースポットとレッテルを貼れば、そうなります。もちろんそれ以前に地場、包囲、周辺環境など物理的要因も大いに関係あるのですが、それらを感じ取れる人は決して多くありません。実際のところ、有名なパワースポットでなくとも、ものすごくエネルギーの高い場はたくさんあります。逆にパワースポットと呼ばれる場であっても、すでにエネルギーを失っているところも多いです。その代表が幣立神宮や分杭峠です。

 ですが、いまだに雑誌などメディアでパワースポットと言えば幣立神宮や分杭峠が出てきますし、スピリチュアル的に影響力のある人もそのように言っています。するとそれを信じ込んだ人にとっては、それだけでパワースポットとなり、実際に気持ちがよくなったりするのです。つまりパワースポットをそうたらしめているのは、物理的なエネルギー以上に「思い込み」の要因が強いです。

 「地縛霊」も同様。そこで誰かが事故や自殺でこの世に未練を残したまま亡くなった、、、などの話を聞いたり、直接聞かずともそのように噂されている場所については、それだけで「逆パワースポット」となり、気分が悪くなってしまいます。つまりパワースポットも地縛霊も、それ自体が実体として存在するのではなく、それに向かう人々の思い込み(幻想)がそうさせているのです。

 ついでに言うと、ある工務店の人から聞いたのですが、地震・津波の被災地は一から都市計画がスタートすることで公共及び民間事業が増えるかと思いきや、必ずしもそんなことはないとのこと。もちろん計画はされるでしょうが、民間業者が被災地に積極的に家を建てることはこの数年はないだろうとのこと。なぜなら日本人(に限らないと思いますが)ってのは、いわゆる穢れの思想があるために、人が亡くなった土地には住みたがらないから。その穢れを除去するために塩を盛ったり、水や火で浄化したり、供養したりなどがあり、それによって初めてその土地に近付くことが許されるようになります。ですが、そのような思想(穢れ)のない文化の人たちは、人が死んでも関係なくその上に住みつきます(例えば中○人など)。

 ようは穢れとは単なる「情報」であり、同様に供養も、盛り塩も、それ自体に物理的作用があるわけではなく、「情報」を書き換えるための手段に過ぎないのです。ですので、霊も地縛霊も、そしてパワースポットもその本質は「情報」です。言い換えるとそれはまさに「空(くう)」のこと。「空」とは「情報」のことであり、「色即是空」とは、世の中はすべて情報でできているってこと。物理現象でさえも「量子」と言う名の「情報」によって成立しているわけです。

 話がまたそれてしまいましたが、熊本の事件について、新興宗教の人が「徐霊」と称して顔に水をかけ続けて窒息死させたのなど、「霊=情報」の本質に戻ればいかにナンセンスがおわかりでしょう。「何か嫌な感覚」という「情報」を窒息するまで水をかけ続けることでしか書き換えられないなんてことは決してありません。

 つまり「情報」を書き換えればいいのです。徐霊もそうだし、実は願望実現もそう。願望が「叶わない」という「情報」を、「叶う」に書き換えればいい。すべては「情報」だってことに立ち戻ることが必要。この話はまた追々じっくりとしたいと思います。

 で、滝行の話に戻りますが、いよいよこれからが滝行の醍醐味。今年で8回目の冬越しになります。10年もすればまた何かわかってくるでしょうが、とにかく今年もチャレンジあるのみ。まずはこれからの21日間で身体を慣らすってとこでしょうか。そして私がとらえる「滝行」の意味ですが、これは徐霊でも浄化でも心身の鍛練でもなんでもなく、その本質はやはり「リラックス」なのです。

 こればかりは実際に冬の滝に入ってみなければわからないと思いますが、冬の滝でつらいのは、水の冷たさでも痛さでもありません。息苦しさが一番つらいのです。本当にリアルに呼吸困難になります。その苦しさから逃れるには出るしかありません。しかしもしそこから出ないと決めていたらどうしたらよいか。滝行を始めた3年くらいは、本当の滝行はすなわち闘いでした。滝に負けない。そんな気持ちで入っていたと思います。

 しかしある時、気が付きます。滝に刃向っても勝てるわけない。その時、ふと諦めたのです。そして抜けるところまで力を抜いてみた。すると不思議なことに、いつも来るはずの苦しさがない。一度も苦しくなることなく、いつももメニュー(お経など)をこなすことができた。不思議に思って翌日も力を抜いて入ってみた。すると、やっぱり苦しくない。そこでわかったのです。これがリラックスなんだと。

 冬の滝に入るには、リラックスしなければ入りません。でも物理的な冷たさが、どうしても人を緊張させようとします。なぜなら急激な環境変化は人間にとって危険だから。身体にストレスを与え、呼吸を苦しくさせることで、そこから出るよう指令が送られるのです。普通はそこで出ます。ですが、これはリラックスのための修行だと思えば、意図的に身体の力を抜き、呼吸を深くとるようにする。すると自然とリラックスモードに入り、苦しさがなくなるのです。そして水温が低くなればなるほど、身体のリラックスが必要となる・・・

 ですので、滝行をやって何がいいことあるかと言えば、それは徐霊でも神通力でもなく、リラックスモードに入れるってことなのです。余計なコリ、これは身体的にも精神的にも、がなくなりますので、本来の力を発揮しやすくなる。ですので、滝行をやっている限り、私はどんどんコリがなくなってパワーアップできるってわけです。2005年に初めて21日滝行を満行した時、導師から言われました。

 「これから先、ものすごい変化が起るから頭の片隅においといて」、と。その「ものすごい変化」は会社を辞めるって現実によって起りました。さあ、久々の21日滝行ですが、これからどんな面白いことが起るか、それだけでもワクワクです。今日はこの辺で。ありがとうございました。

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by katamich | 2011-10-01 23:39 | ■滝行
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