宇宙となかよし

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Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

抜けた指毛の話 2011.8.2

 お知らせから。8月27日~29日の「Q州ツアー(GSJセミナー)」に残席1が出ましたので、参加希望者はまずは「080-3374-2769」までご確認ください。再び満員になれば斜線で消しておきますので。さて、今日もちょっと「宇宙人」の話を続けたいと思います。あまり書き過ぎると、9.11セミナーのネタ明かしになりそうですが、ま、その時はその時でまた新たなヒラメキが降りてくるでしょから、出し惜しみせずに書いていきますね。

 とにかく「宇宙」について考えるのは楽しいです。なので、ブルーバックス程度ではありますが、物理の本なんかもよく読みます。とりあえずは「科学」として間違いのない知識を持っておかないと、どんなに「宇宙」について語ったところで、妄想の域を出ませんからね。そうなると、どうしてもファンタジックな話がしにくくなってしまいます。つまり「宇宙人肯定論者」にとっては聞きたくないような話になるのです。

 まず、「科学」としてわかっていることを先に言うと、いわゆる「地球型惑星」において、「人間」と同じような分子構造を持つ知的生命体が存在する確率は、、、当然わかりませんが、少なくとも私たちが「遭遇」する確率は限りなく「ゼロ」です。地球から一番近い恒星は、ここからだいたい4光年ほど離れたところにあるケンタウルス座です。シリウスで8光年ほど。光の速さで4年とかなら、意外と近いじゃん、、、と思うかもしれませんが、とんでもない話。例えば太陽から半径10光年以内に恒星は7~8個程度しかなく、さらに惑星は今のところ発見されていません。

 そして半径10光年を「太平洋」の大きさに見立てると、太陽はビー玉一つの大きさにしかなりません。地球はビー玉の周りを周る砂粒のようなもの。高々光の速さで10年でそんなもの。スピ系の人たちが大好きなプレアデスは400光年、バシャールのいるオリオン座の付近は500光年。正確には若干違うかもしれませんが、とにかくものすごい遠いことは間違いないです。「遠い」なんて表現がふさわしくないほどに遠いのです。

 物理学上は「光の速さ」を超えることは不可能ですので、もしもめちゃくちゃ科学が発展して、限りなく「光」の速さに近い乗り物ができたとしても、一番近い恒星まで4年ちょいかかるわけです。ちなみに「光」が秒速30万キロであるのに対し、現在、最も早い乗り物は秒速70キロが最高。光がどれだけ速いかおわかりでしょう(笑)

 仮に現在の物理的最高速度が秒速100キロだとすれば、光の速さに近付くには、今の3千倍にまで引き上げる必要があるわけです。「不可能」とは断言できないにせよ、少なくとも「私が生きている間」に実現することはないでしょう。と言うか、人類が存続している間にできるでしょうか。ちょっと考えにくいですが、相対性理論のみを絶対条件だとすれば、「高速」の乗り物も可能性0とは言わないでおきます。

 とりあえずこれが「3次元」の限界です。ですので、この3次元において宇宙人やUFOが存在し、さらに地球に行き来しているのであれば、地球の科学なんてものは遥かに遥かに超越していることになります。例えて言うなら、人間とカタツムリくらいの科学力があるわけです。どんなにカタツムリが逆襲してきても、子ども一人に絶対敵わないように、UFOに乗った宇宙人などがいたら、地球人が敵うはずないし、ましてや宇宙人を捕えるなんてことは不可能でしょう。

 ですので、もしも「3次元」に「宇宙人」が存在しているとすれば、それは私たちの科学をはるかに超越したものでしかあり得ません。地球人が宇宙に出かけて知的生命体と遭遇する可能性は、現段階では0%ですが、宇宙人が地球に来る可能性は、「可能性」としては「0ではない」と考えられます。

 では、私たちが宇宙人に会うことは果たしてできるのでしょうか。ファンタジーではなく現実問題として。そうなると、やっぱり「限りなく0」としか言えなくなります。何度も言ってると思いますが、「宇宙人が存在する」と「宇宙人を認識する」は別物です。「存在」そのもの可能性は確かに否定できませんが、「認識」となると、まさに昨日書いたような話になるからです。

 つまり私たちは認識上、経験や体験、知識の範囲内でしか、それを「認識」することができないってこと。未開民族に「自動車」を見せても、それを「自動車」と認識でないばかりでなく、そもそも見えないわけです。例えば今、これを読んでいる人は、おそらくパソコンか携帯から見ているのでしょうが、例えばパソコンのキーボードの「G」と「H」の間の隙間に「抜けた指毛」が「昨日あったか?」と聞かれても、きっと「わからない」と答えるでしょう。なぜなら普段、「抜けた指毛」を見ることはまずないからです。今抜けばそれが「抜けた指毛」だと認識できるでしょうが、部屋の中を探して、「抜けた指毛」を見つけることは、特殊な機械でも使わない限り困難です。ですので、普通の人にとっては、その認識上、「抜けた指毛」は部屋に「存在しない」ことになるのです。可能性としては認められても、普段の生活の中で「抜けた指毛」を意識することはない。どうでもいいものだから。

 宇宙人を見つけることも、スケールはまったく違いますが、私たちの「科学」を超えた「超科学」について、私たちは「認識」することができません。それが想像であれ、空想であれ、何らかの形でイメージできたとすれば、その段階でそれは「科学」の可能性に含まれます。だけど「宇宙人」は私たちの概念や認識をはるかに超えた「超科学」でしか、地球人と接見できないとすれば、私たち地球人は「宇宙人」を認識することはできないことになります。

 おそらくカタツムリからすれば、彼らは「人間」が見えていないでしょう。ここで言う「見える」とは識別のことであり、人間、猿、犬、木、石、水などを区別することがおそらくできない。これと同じように、私たち地球人は現代の「科学」をはるかに超越した、まさに異次元とも言える超科学力を持った「宇宙人」に対して、仮に目の前にそれがいたとしても、それを「認識(識別)」することはできない。つまりここに「本当は見てるのだけど、見えていない」って現象が成立するのです。

 おそらく今、あなたの視界に「抜けた指毛」が入っているはず。だけど、ごみやほこり、他の産毛などと「抜けた指毛」を識別することができないゆえに、それを「見ていない」のと同じなのです。これはそのベースに「世界とは何か?」の根本問題が敷かれていると言えます。つまり、「世界」とは、、、

・私たちが認識したもののすべて(主観論)
・私たちが認識する前からあるもの(客観論)


の二つの見解があるのです。この話はどっかでしたかな。つまり、「一つの世界の中に70億人が存在している(客観論)」のか、または「70億人のそれぞれに70億の世界が存在している(主観論)」の見解があるのです。さあ、どっちなんでしょうか。これはまさに哲学上の主要論争の一つ(主客論争)であり、それぞれがそれぞれの立場で議論を展開することになります。しかし、人類の歴史上、「私たちが認識する前からあるもの」であり「一つの世界の中に70億人が存在している」という「客観論」が優位にあったのは、この2~300年に過ぎないとされます。つまりニュートン、デカルトを代表とする「近代科学」が台頭して以来のこと。

 しかし、それはそもそもおかしいぞ、、、って言い始めたのがいわゆる「ポストモダン(ポスト近代科学)」であり、その代表が「心理学」だったり「現象学」だったり「量子論」だったりするわけです。私自身も、かつて「現象学」に傾倒したからではないですが、「70億人のそれぞれに70億の世界が存在している」という立場から常に「世界」を見ています。

 そこで「宇宙人」はどこにいるのか。私たちの「世界」が「私たちが認識したもののすべて」であるとすれば、まさにその認識を超えたところに存在すると考えられるのです。もう一度言いますが、「世界」とは「私たちの認識」そのもの。だとすればその「認識」を広げれば「世界」も広がる。

 しかし「認識」とは「宇宙」と同じで、常に膨張しながら、果てがあるわけじゃない。

 ↑↑今、オレすごいこと言った。「認識」とは「宇宙」であり、「宇宙」は「認識」のことだったのか。146億年前にビッグバンとともに「宇宙」は始まったと言われています。そしてすごい勢いで膨張しており、今もまだ宇宙は膨張しています。しかし、膨張しているのだとすれば、宇宙の向こうに何があるのか、さらに言えばビッグバンの前は何があったのか。それについて私たちはおそらく永遠に「認識」することはできないでしょう。

 まさに認識を超えた世界なのです。特に私たち3次元の文脈では、それを「認識」することはまず不可能。しかし、、、このように言っては誤解を生むかも知れませんが「認識=宇宙」を超えた、「メタ認識」を得ることは、もしかしたら可能ではないかと思うのです。常に「認識」の外にある認識。それはいわゆる「神」をも超えた「目」のこと。そして私たちは例外なくその「目」を持つ瞬間がやってきます。それは、、、「死」です。

 実は「死」とは肉体の消滅を意味するだけであって、存在の否定のことではありません。つまり、、、すべては「死」によって理解できるもの。それは決して臨死体験の記憶ではありません。何度も言いますが、どんなに長い時間臨死体験をしていようが、ヘミシンクでものすごい世界に言ってようが、「死後の世界」を見ることは絶対に不可能です。仮に見たとしても、それが「死後の世界」であると確かめることは不可能。なぜなら、今、生きている時点で、生き返った時点で、その人は死んでいないのだから。

 とは言うものの、人はしばしば「死」の確かさを瞬時にでも体感することができます。それはどこにあるのか。今、、、瞬きしましたよね。さあ、その瞬間をどこまで認識できたでしょうか。それがまさに「認識を超えた世界」のこと。別の言い方をすれば、「今ここ」です。

 宇宙人がいるのかいないのか、会うことができるのかできないのか、、、その答えはすべて「今ここ」にあります。そして「今ここ」こそが真に「認識」を超えた「認識」そのものなのです。その「超認識」の世界においては、3次元の科学がどんなに進化しようと、宇宙人がどんなに超越した科学を持ちこもうと、永遠に確かさをもって「存在」するのです。

 てなわけで、自分でも何書いてるのかわからなくなってきたので、この辺で。でも、数年後に再び読み直したらわかるかもしれないと思っています。今日はこの辺で。ありがとうございました。

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