宇宙となかよし

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Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

これが唯一絶対の世界です 2011.5.20

 ところで、これは「解釈」でもなんでもないのですが、「今ここ」ってのは誰がなんと言おうと絶対的なる「真実」の世界ですよ。「時間」なんてものは幻想であり、過去も未来も実在しません。と言うと、なぜか「方便」の扱いをされてしまうことがある。これは方便じゃなくて、この宇宙における唯一絶対の「真実」なんだと言っても、納得してくれないことがある。

 昨日も言ったように、確かに私たちは「対象」を「認識」する際に、コンマ何秒の誤差はできるので、厳密な意味で「今ここ」を実感することはできないのかもしれません。でも実感しようがしまいが、唯一絶対のリアリティであり真実。こればかりはどう言ったらいいのかな、やっぱり何かしらの「確かさ」をつかんでいるかどうかってこと。

 ま、あまり力入れて言う話でもないとは思いますけどね。ただ、いろいろ見ていると、どうも「今ここ」ってものに「幻想」を抱いている人が少なくない気もします。宗教者が「あの世」に救いを求めるように、「今ここ」に救いを求める。だけど残念ながら、「今ここ」は人々を救うようなものではない。なぜなら、すでに今あるものだから。今ない「あの世」って世界に行けば救われるって論理は、論理としてはわかる。

 だけど、「今ここ」はすでにある、、、いつだってある。もしもそこに「救い」を求めるのであれば、すでに救われてるんです。理屈でごちゃごちゃ言っても仕方ないことだけど、あいにくブログって媒体は言葉、、、つまりは理屈で伝えるしかないのも事実。だけど、この理屈と理屈の間に「何か」を感じ取ってもらえばいい。行間を読むってやつかな。だったらもっと行間あけろよ!って言われそうですが、それはさておき。

 さておくな!って言われそうですが、それまたさておき。最近、アメブロの「公式ブログ」を更新しまくってて、毎日、読者登録とアメンバー申請を頂いています。ありがとうございます。「いつも宇宙と仲良し読んでます!」ってメッセージ頂けるのだけど、7人に1人くらいは「宇宙となかよし」じゃなくて「宇宙と仲良し」って書いてくる。違うからね。「宇宙となかよし」なのでそこんとこヨロシク!

 ついでに言うと、私は「石田久二」であって「石井久二」じゃありませんから。これは5人に1人くらい。意外と多い。それからさらに言うと、私は「Qさん」であって「キューサン」でも「きゅうさん」でもありませんので、その辺もまたヨロシク。ま、どうでもいいのですけどね。今たぶん、この数行を一気に読んだと思うけど、これがまさに「今ここ」ですので、そこんとこもどうぞヨロシク!
 
 で、話を戻しますが、「公式ブログ」ではもっぱらネタを中心に書いてて、話題は多岐に及んでます。あ、こっちもか。でも、一つ一つ最初から着地を見据えて書いています。それに対して、こちらは、、、書きながら話ができ上って行く感じで、まさにライブ感覚。そして何となく開き直りつつあります。こっちはもっともっとライブ感覚で書いて行こうってね。ですので、もしかしたら話し言葉が多くなるかもしれません。そしてリアルな私もこんな話し方に近いです。猛烈な早口ですけど。

 ところで今日もまたホーキング博士の話ですが、「天国も死後の世界もない」って話。つくづくすごいです。最近、いろんな人が「真実のメッセージ」を発するようになっていますが、ホーキング博士でとどめを刺されたって感じ。実は私自身も何度も言っているように「死後の世界はない」と思っています。

 厳密には「ある・ない」を議論することはできないのだけど、私たちが思っているような「天国・地獄」のようなもの、死後にこの世の延長のような形で生活するような世界はないってこと。これはまず普通に考えればわかります。私たちが世界を認識するのは、あくまで「脳」が構築した現象に過ぎません。想像や空想の世界はもちろんのことですが、私たちが現実と思っている目の前の世界でさえも脳が勝手に構築したもの。

 例えば私とアナタがいますよね。同じ「月」を見ていたとしても、見え方は違います。ウサギに見える人もいれば、カニに見える人もいるように、同じ対象とて何一つ同じように見えることはないのです。もっとわかりやすく言うと、視力が1.2の人と0.1の人とでは、世界の見え方が違うでしょ。確実に。同じ世界を見ているようだけど、見え方が違えば世界が違う。したがって地球上にいる60億の人類にとって、60億の世界が存在していることになるんです。と言うことは、絶対確実な世界なんて存在しないことにある。すなわち幻想。だけど、、、一つだけリアルな世界がある。それが「今ここ」ね。

 それはともかく、私たち人間は前頭葉が発達して、様々に世界を構築できるようになった。目の前の現実でさえも、それは確かなものじゃない。だとすれば「死後の世界」はどうなのか。私たちは「死後の世界」についていろんな空想を巡らせます。ヘミシンクで見てきたって言う人もいます。でも、それは何度も言うように、見えたこと自体は否定しないけど、あくまで脳が恣意的に構築した幻想に過ぎない。集合的無意識が反映されてもいる。

 では、私たちの現実や想像の世界が「脳」によって構成されたのだとすれば、いわゆる「脳」がなくなった死後に、どのような認識ができるかってこと。臨死体験をした人が死後にベッドで横たわっている自分の姿を見たって話をするのだけど、確かに見たかもしれない。だけど、それも「脳」が作りだした幻想なんです。実は私も体外離脱で自分の姿を見たことがあります。マジで。でも今ではわかります。あーこれは脳が作りだしたんだなって。

 何となくロマンのない話かもしれませんが、世界は脳が作りだしているのに、脳がなくなってどのような認識ができるのかってこと。いわゆる肉体的な「生」と「死」の違いは「脳」が正常に機能しているかどうか。これは医療倫理の話かもしれないけど、私は「脳死=死」ととらえても構わないと思っています。心臓が止まったら脳も死んでしまうけど、たとえ心臓が動いていても、脳が完全に死んだのであれば、それは人間としての「死」と見ていいと思ってます。だけど、脳が完全に死んだかどうかの区別は難しいかもしれませんが。

 ですので、私たちが想像するような「死後の世界」のようなものを、脳がなくなった死後に認識することはできないんです。「ある・ない」については、とらえ方の問題かもしれませんが、少なくとも私たちが空想するような世界は存在しません。三途の川も渡りません。完全に脳が死ぬ前はそんな体験もするかもしれませんが、死んでしまったら、そもそも「三途の川」を構成することができないのですから。

 では、死んだらどうなるかって話ね。そこには「脳」から解放された世界があるだけ。それがまさに「今ここ」なんです。「時間」の概念は前頭葉で、「今ここ」は脳幹で認識するって話をどっかで読んだことあるけど、私は厳密には違うと思っています。「脳幹」で「認識」した時点で、それはすでに「今ここ」ではないのだから。つまり、「今ここ」とは「脳」から完全に解放された世界のこと。

 だとすれば、いわゆる「この世」にも、いわゆる「あの世」にも「今ここ」は存在することになり、やはりそれこそが唯一絶対的なリアルな世界なのです。ここに新しい定義ができましたね。「今ここ」とは何か。それは「脳から完全に解放された世界」である。

 となると、こう考える人もいるかもしれません。「今ここ」を体験するには、「脳」を破壊すればいいのでは、と。それは確かにそう。だけど、私たちはそれを望まない。ではどうすれば「今ここ」を体験できるのか。それは「脳」を静めればいい。その方法論がまさに「瞑想」です。もちろん「脳」を静めっぱなしにはできないにしても、ほんの一瞬でも、そんな瞬間が来る時がある。その時にすべてがわかるんです。はい。

 てなわけで、今、一気に書きました。誤字脱字があったらコごめんなさい。文章の推敲をせずにこのままアップします。それではまた明日もよろしくです。ありがとうございました。

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by katamich | 2011-05-20 23:39 | ■精神世界
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