前世の話2 2011.1.14

 今日は昼から税務署と散髪に行きました。昨年会社を設立しましたが、本格的な活動は今年から。一度は決算を経験してみないと、どうも個人事業主気分が抜けませんものね。そして保育園にちびQを迎えに行きます。今年からできる限り早目に迎えに行くことを心がけてます。お友達が帰ってしまって取り残されるのはやっぱり切ないですもんね。

 それから、明日から一週間の「滝行」に入ります。前回は年末の15日に満行してますのでちょうど一か月ぶり。実はちょっとブルーです。毎朝5時に起きて極寒の滝行。そしてお酒、肉、Hに「お菓子」も禁止。年末年始とかなりだらけてたので、ここらでリセットする必要がありますもんね。「滝行」の習慣はこんな時に便利です。ぶっちゃけ滝行がなければフリーランスで生きていけてないと思います。昨年からは一応経営者ですが。来週はめちゃめちゃ寒いらしいので気合い入れていきます。

 そんで、満行したらその次の週は東京・熱海です。今年から「超意識ワークス」を開始するのですが、その基礎セミナーがまず東京で。そして熱海では合宿のワークス。早々と満員御礼となっており、今、専用掲示板にて交流が始まりました。昨年のQ州ツアーでも掲示板を設置したのですが、ものすごく役に立ちましたものね。今回もすごく楽しみ。そして来月は、、、本格的な「執筆月間」にしたいと思っていますが、2年ぶりに福岡でのNLPシリーズも開始します。今度も新たにバージョンアップしています。

 そんなわけでして、2011年も半月が過ぎましたが、何となく走りだした気がしています。やっぱり「滝行」をしなけりゃ本格モードにも入れませんものね。で、、、昨日の話の続きと行きましょうか。「前世の話2」ってことで。ま、私のスタンスとしては繰り返しになりますが、「過去世はあるのかないのかわからないけど、あると考えた方が納得いく場合はそういうことにしているけど、基本的にあまり気にしてない」ってのが正直なところ。

 昨日の整理になりますが、そもそも「過去世」なる概念の元となってのが「輪廻転生」観であり、それは仏教以前のバラモン・ヒンズー教に代表されます。それに対して(原始)仏教では「輪廻転生」については明確な見解を示さず、その一方で、「輪廻転生」の軸となっている「魂(アートマン)」に対しては完全に否定しています。

 そして「現代スピリチュアル」については、それらの折衷スタイル。バラモン・ヒンズーが「輪廻転生・あの世」の信仰であるのに対し、仏教やキリスト教は基本的に「この世」を信仰しています。それに対して「現代スピリチュアル」は「輪廻転生・この世」って感じでしょうか。

 つまりバラモン・ヒンズーが「この世で苦しめばあの世や来世で救われる」ってのに対して、仏教・キリスト教は「この世はこの世で楽しみましょう」ってこと。そして現代スピリチュアルは「この世の苦しみは前世のカルマなので、この世の救済のために前世を癒やそう」って理屈になるんです。細かく言えばいろいろありますが、あえて極端に言うとこう。

 でも実際そうですもんね。この世でうまくいかない原因を「前世」に求めて、そこで作ったカルマを解消すれば幸せになれるって理屈ですもん。ただ、、、この見解についてはおそらく私ならば反対するだろうと思われるかもしれませんが、完全に反対ってわけでもないんですよね。久々にこの図を見てもらいましょう。「この世」と「あの世」の見取り図ですね。
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 自分で作っておきながら久々に見ると、我ながらよくできた図だと思っています。実は私の理解では「この世=生きてる世界」、「あの世=死後の世界」ってわけじゃないんです。そもそも「生きてる世界」と「死後の世界」は明確に区別できるものではなく、それらは常に共存してるんです。この辺の理屈はわかりにくいかもしれませんが、原理的には「この世」は「あの世」の一部。図では太線の上が「この世」で下が「あの世」。つまりこうなります。

・この世=意識=結果の世界
・あの世=無意識=原因の世界


 実は私たちは「この世」と「あの世」を行ったり来たりするんじゃなくて(輪廻転生)、「あの世」がずっとあって、時々、「この世」が出てくるって仕組みなんです。そして「この世」は何のためにあるかって言ったら、「あの世」を進化させるためなんです。別の言い方すれば「この世=地球」「あの世=宇宙」であって、私たちが地球で生を持つのは「宇宙」を進化させるためなんですね。中村天風もそのように書いています。つまり「私たちが生きている意味は宇宙の進化に同調すること」であると。

 ですので、私たちは別に輪廻転生などしてなくって、「あの世」にずっといながら時々「この世」に来てるってこと。もっと正確に言うと、「あの世」にずっとながらも時々「この世・あの世」に来てるってこと。つまり、私たちは常に「あの世」で生きていることは間違いないのです。

 そして「あの世」とは図の通り「無意識」の世界のこと。正確に分割すると「個人的無意識」-「集合的無意識」-「超意識」のことです。特に重要なのが「超意識」です。「個人的無意識」はその人の個人的な体験によってプログラミングされた情報のこと。「集合的無意識」は人類に普遍的な情報のこと。

 昨日の話に当てはめて言えば、犬を怖がるのは「個人的無意識」の情報。蛇や蜘蛛を怖がるのは「集合的無意識」の情報です。「三途の川」も集合的無意識の情報。それらに対して「超意識」とは、、、宇宙そのものの情報のこと。それを私たちは「魂」と呼ぶのかもしれませんが、それは決して個別の魂ではなく、図の通り、すべてが一つの「魂」にあるのです。それをスピリチュアルでは「ワンネス(oneness)」と言います。

 この「ワンネス」を見ることを禅では「見性」と言うし、それはお釈迦様の言う「悟り」と同じこと。誰だって死ねば「ワンネス」だってことを知るのですが、お釈迦様が目指すのは、まさに生きながらにしてワンネスにつながること。これを「彼岸」と言うのですが、般若心経の最後のぎゃーていぎゃーていってフレーズは、まさにワンネスに行け行け!と言ってるわけです。

 ですので、もしもこの「ワンネス」につながってしまうと、「な~んだ、、、オレ達って死なないじゃん」ってことがわかるし、もっと言えば「魂が生まれ変わるわけじゃね~よな」ってことが実感できるのです。なのでスピリチュアル業界において「魂が生まれ変わる」って言ってる人は、おそらくこの「ワンネス」を見てはいないじゃないかなと。バラモン・ヒンズーが言ってる教義を「知識」として再生してるだけ。

 ただね、、、これは私の推測なんですが、バラモン・ヒンズーもおそらく「個別のアートマンが存在する」とは言ってないんじゃないかと思うのです。教義の最終目的はアートマン(自分)がブラフマン(宇宙)に合一するってことなんですが、もっと正確に言うと「アートマン=ブラフマン」であることに気づけって言ってるのではないかと。ブラフマンとは言うまでもなく「ワンネス」のこと。実際、8世紀に登場したヒンズーの思想家であるシャンカラチャリアは明確に「アートマン=ブラフマン」と言ってるのだし、これがアドヴァイタ(不二一元論)と呼ばれる教義ですから。

 ちょっと難しくなってきたかな。ようするに、「魂(アートマン)」ってのは個別に存在するのでなく、それは「ひとつ」としてただあるだけ。私の魂があって、あなたの魂があって、それぞれが別々のものに生まれ変わるんじゃなくて、私の魂もあなたの魂も「ひとつ」なんですよってこと。

 ですので、瞑想を深めていくと、まずは「個人的無意識」が出てきますよね。インナーチャイルドもここにあります。ヘミシンク使うと、簡単にここまでは到達できます。そしてさらに深めていくと、こんどは「集合的無意識」が見えてきます。私はヘミシンクでここまでは見ました。例えば「三途の川」ですね。そしてさらにさらに深めていくと、、、最終的に「超意識」につながり、私たちは「ワンネス」であることを知るのです。ヘミシンクでここまで行くのは難しいと思います。その辺がツールとしての限界かな、と。

 じゃあ、瞑想すればワンネス(超意識)につながれるのかと言うと、それも決してそうとは限らず、多くの場合、ある日突然、それがやってきます。私の場合もそうでした。ただ、「それ」がやってくるにはそれなりの準備が必要だと思うし、それが瞑想だったり、私の場合で言うと「滝行」がそうだったわけです。でも、実際に「それ」がやってきたのは、私の場合ではインドのラダックの丘の上で突然でした。

 上の図に戻りますが、確かに「この世(意識)」では、AさんからEさんまでいますけど、「あの世(無意識)」ではすべてつながっているし、究極的には「超意識」の段階で「ワンネス」として同じものであることがわかるでしょう。

 言うなれば「波」と「海」のようなもの。「波」は一見、独立したものに見えるかもしれませんが、同じ「海」から生じているでしょ。ここでの「波」が「この世」で、「海」が「あの世」ってこと。ですので、いわゆる「輪廻転生」についても、同じ「波」が次々と別のものに姿を変えながら生まれ変わるのではなく、「海」の影響を常に受けながら形を変えているだけ。そしてあの波も、この波も、元々は一つの「海」に過ぎないので、端的に言えば「私の前世は諸葛孔明です」ってのはある意味おかしい。諸葛孔明って人の魂も、私の魂も、同じ「海(つまりワンネス)」において同じものなので、あの人の前世が諸葛孔明だとすれば、私の前世も諸葛孔明ってことですから。

 ただし、、、もう少し正確に言うと、究極的には確かに一つの「魂」なんですが、その水面に近いところ、つまり「集合的無意識」と「個人的無意識」の段階では、それが遺伝子を媒体としてかわかりませんが(おそらくそうだと思ってますが)、何らかの「情報(感覚)」を受け継いで新たな「波(つまり個人)」として生まれてきている。そしてその「情報」こそが、私たちが過去世から引き継がれたものなのでしょう。

 例えば「人間が生まれつき蛇を怖がる」のは「集合的無意識」にインプットされた「情報」ですが、これはかなり広範に受け継いでいます。それに対して「私がなぜかインドに魅かれる」のは、比較的狭い範囲での無意識の「情報」なのでしょう。その媒体が遺伝子なのかどうかはわかりません。もしかしたらまだ知られてない媒体があるのかもしれませんが、何らか特定の「情報」を無意識というデータべースに受け継ぎながら生まれてきていることは考えられます。

 そしてこの「情報」のことを、現代スピリチュアルでは「魂」と呼んでいるのかもしれませんが、意味の深さは全然違うことはご理解頂きたいと思います。私の言う「魂」とは「宇宙」そのものであって、私たちの存在の根源にあるもの。それに対して「情報」は単なる情報に過ぎず、それはいかようにも書き換えられるものなんです。

例えば小指だけをきれいに曲げることはできるでしょうか。私はできません。なぜかと言うと、生まれつきできないから。でもなかには生まれつきできる人がいます。その差は何か。ここでの理屈だと、それは「情報」の受け継ぎの差だと考えられますが、今からでも練習すればきれいに小指だけ曲げるのは可能なはず。それがまさに情報の書き換えなのです。

 ですので、確かに何らかの「情報」を生まれつき受け継いでは来てるのでしょうが、それは「今生」においていくらでも書き換えができるのです。そして基本的にすべてのことは「今生」で解決できるようになっています。そうでなければ出てきた意味がありませんから。宇宙の進化に同調するには、「今生」という場における情報の書き換えが求められてるんです。そしていかに書き換えればいいのかだけ、魂は指令を与えてきます。それを「超意識」や「ハイヤーセルフ」と言い、通常、「直感」によって提供されます。そこでその「直感」に従うことで、自分のやるべきことを果たし、宇宙の進化に同調できるわけです。それを天命と言います。

そんなわけでして、文章だとなかなか思うように書けなくてイライラする自分がいるんですが、少しは伝わったでしょうか。その辺の話をじっくり聞いてみたい方は、ぜひ、私のセミナーやその他イベントに参加されるなどして直接聞いてあげてください。その辺ことをしっかりご理解頂けるのも、私の役目だと感じていますので。てなわけで、明日も早いので、この辺で。ありがとうございました。

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by katamich | 2011-01-14 23:39 | ■精神世界