前世の話 2011.1.13

 ところでミクシィに設置していた「インドコミュ」のメンバーが10名になりました。本年度中に10名になったらインド行き向けて積極的に動き出すと公言していたので、段々と行く流れが出てきたようです。ただ、そうなると「自転車横断」と両方はさすがに許してくれないだろうから、そちらは来年になるかも。いずれにせよやりますので。

 そしてインドの行き先となると、やっぱり「ラダック」かなあ。日本ではまだまだマイナーな地域ですが、とにかく素晴らしいところです。デリーからヒマラヤ山脈上空を飛んで向かうのですが、機内から見える景色もさいこうですし、レーの空港に降り立った時、明らかに「異次元」を感じましたものね。標高3500メートル。ほぼ富士山ですね。とにかく空の青さがハンパないし、空がまた近いこと。まさに天空です。当然、空気も薄いので最初は頭痛くなりましたが、水をたくさん飲んでトイレにしっかり行って横になってたら2日くらいで順応しました。

 とにかくまあ、日本では決して見ることのできない風景、文化、慣習に触れることができ、どっから見ても「異次元」そのもの。前回はデリーで所持金を奪われ5,000円しかなかく、ずっとレーに滞在していましたが、次回、もし行くとなると専用車をチャーターして拙著「宇宙となかよし」の表紙にもなっている「ラマユル」に行きたいと思っています。そこは「月の世界」と呼ばれ、現地では「ハウル・キャッスル」と呼ばれてるそうです。行きたい。

 それにしてもなぜに「ラダック」にここまで触手が動くのか。過去世の因縁としか思えない、、、なんてことを言いながら、今日は「前世・過去世」について書こうと思います。そもそも「前世・過去世」の元となっている「輪廻転生」って概念ですが、仏教の考え方と思われているようで、実際、お釈迦様は「輪廻転生」について肯定的にはとらえてませんでした。もちろん明確に否定はしてないにせよ、実はその前提となる「魂=アートマン」に関しては、それを完全否定し、それが(原始)仏教の前提となっています。

 スピリチュアルな世界で一般に考えられている「魂」なる概念は、それが永続的であり、生まれ変わりとは「魂の生まれ変わり」だって考え方があります。しかし、それは元々は仏教以前のバラモン・ヒンズー教での教義であり、繰り返し言うように、お釈迦様は永続的な「魂=アートマン」なるものを否定しています。

 しかしどこでどう間違ったのかわかりませんが、今では仏教と言うと、すぐに霊魂だとか、輪廻転生だとかの話に結び付けられてしまいます。ですので原始仏教と現代仏教とでは、その前提がまず180度違うってことは知識として知ってていいと思います。

 私の本にも書いたと思いますが、初めてインドに行ってビックリしたのが、カルカッタの路上での話。手足のない達磨のような男が2~3人(体)、袋の中に入って亀のように頭だけ出して見世物にされてるのを見てしまいました。その横で親分のような人(一応、五体満足)が金をよこせと指図してくる。あれにはショックを受けました。

 後から知ったのですが、インドにはおそらく今でも、それ専用のお医者さんがいるようです。つまり手足を切って不具にした方が物乞いがしやすいってことで、出血多量で死なない程度に手足を切るだけの専門医が。その話を聞いたのは24歳の時。ちょうど世界一周中でイランを同行していた男性から聞いたのです。彼は同い年くらいで、元々は日大医学部で医学を学んでいたのですが、ある日、研修で行ったインドでその専門医に出会ってから、医学に対する情熱を失ったしまったと言ってました。それからしばらくは連絡もあり、東南アジアの旅行代理店で働いた後、アメリカでMBAを取得したと聞きました。

 それはともかくとして、初めてインドに行って手足のない達磨のような男性を見た時、率直に思ったのが、「あの人たちは何のために生きているのだろう・・・」ということ。しかし今では理屈として説明はつきます。それは「来世」での救済のため。つまり今生で苦しい思いをしてカルマを解消し、来世ではもっといい人生が送れるものだと信じているのです。言い換えると、ヒンズー教徒である彼らには「あの世」の論理が生きる前提としてあるのです。それは肉体として生きるよりも、「魂(アートマン)」として生きることに重きが置かれ、修行など苦しい思いをすればするほど「魂」が磨かれ来世につながるって考え方です。

 しかしお釈迦様はその考え方を否定しました。つまり「魂(アートマン)」なるものは存在しない、今生の論理は今生で果たすことが生きる意味だと説いたのです。そしてどっかでも書いたと思いますが、いわゆる「現代スピリチュアル」ってのは、その折衷、言い換えると単なるご都合主義的にそれぞれの死生観を導入していることに特徴があります。

 実際、今までスピリチュアルに関心を持つ人と多く出会ってきましたが、ほとんどすべての人が「魂(アートマン)」の存在を前提としています。生まれ変わりは「魂」の生まれ変わりであり、同じ「魂」が過去世にもあり、そして来世にも受け継がれるとするのです。ですので「私の前世は諸葛孔明」っていう、とある著名なビジネスコンサルタントの方がいらっしゃいましたが、そうなると、その人の「魂」と諸葛孔明の「魂」は同じものってことになります。それと同じように、現代スピリチュアルの世界では永続的な「魂」があって、その魂を軸に、いろんな人に生まれ変わって行くって理屈が前提となっています。

 ただ、現代スピリチュアルがヒンズー的なアートマン信仰と、仏教的な(キリスト教的でもある)現世信仰との「折衷」であると言ったのは、とてもご都合主義的な理屈によるのです。つまり、例えば今、とても不幸だとしあら、それは前世の魂からいろいろなカルマを引き受けてきたからであり、もしも現世で幸せになりたいのであれば、そのカルマを除去すればいい、って発想があるのです。

 もしもアートマン信仰を徹底するのであれば、現世で不幸なのはむしろ喜ばしいことであり、不幸になればなるほど魂が磨かれ素晴らしい来世が待っているのですから。しかし、そのようなアートマン信仰がありながらも、現代スピリチュアルにおいて関心があるのは来世ではなく、この現状においていかに幸せになれるかってこと。そしてそのために、ぶっちゃけおかしなスピリチュアルが横行するわけです。

 以前、私の知人にパートナーからDVを受けていらっしゃる女性がいました。その方はとあるチャネラーさんから「原因は前世のカルマ」と言われ、もしもDVから逃れたいのであればそのカルマを除去する必要があると言われました。そしておよそ20万円もする全カルマ除去のセッションを受けたと言ってましたが、その後、DVがなくなったどうかの話を聞く前に、私とはご縁がなくなってしまいました。

 ただ、もしもそれで(20万円)で完全にDVがなくなったのであれば、それはものすごいセッションだし、できれば私も受けたいところ。何か上手く行かないことがあれば、行動不足とかよりも、前世に原因を求めてそのカルマを除去すれば済む話ですから。しかし私の知るところ、そのようなウマイ話はいまだに聞いたことがありません。

 とにかく不幸の原因は自分(今生)にあるのではなく、「前世のカルマ」であると思い込んで、やれセッションだの、やれパワーグッズだの、やれパワースポットだのに走ってしまうんです。そうやって散財しながら、残ったものは、、、後悔だけ。そんな人にたくさん出会ってきました。

 実際のところ、「前世・過去世」及び「魂(アートマン)」があるかどうかなんて、私にはわかりません。そもそも「魂(アートマン)」があるかどうかなどは、世界中の哲学者・宗教者が何千年にもわたって論争されているテーマであり、私ごときがそれに「断定」することは決してできないし、いわゆるチャネラーさんにだってそれは困難(不可能)でしょう。簡単に断定することはできても、そこに納得できる根拠を示すことができなければ意味がありませんから。

 ですので、私のスタンスとしては「輪廻転生はあると言えばあるし、ないと言えばないかもしれないが、あると考えた方がいいケースにはそう思うし、そうでなければ気にする必要もない」としか言いようがないのです。なんとも歯切れの悪い言い方でしょうが、それがある意味、最も正確な見解ではないかと思うのです。

 他にも例えば「死後の世界」なるものがあり、ほとんどの人が「ある」と思っているでしょうが、それさえも永遠にわからないこと。例えば医学的に「死」と認められた人が蘇生するケースが世界中にはごまんとあり、そこではだいたい似たようなビジョンが報告されているようです。それをして「死後の世界を見た」と判断する人が多いのですが、そもそも「医学的な死」が「死」とは限らず、蘇生した段階でそれは「死」でないことを意味するわけですから。実際、「医学的な死(臨死)」の最中には大量の脳内ホルモンが出てきて、そこから脳内情報がアウトプットされているに過ぎないって研究もあるわけですから。

 ですので「死後の世界」についても「あるかもしれないけどわからない」が正解であり、それが最も正しい見解じゃないでしょうか。時々、ヘミシンクで「死後の世界」を見たって人がいますし、そんな本もたくさんありますが、それはあくまで「その人が『死後の世界』と決め付けた情景を脳内で見た」だけであり、それがすぐさま「死後の世界」だと断定できるものでは決してありません。

 ただ、それがまったく「意味がない」かと言えばそうとも思っておらず、「見た」のが事実であれば、それが妄想であろうが空想であろうが、見た事実から何からの「意味」を見出すことは可能。そしてその「意味」によって自分たちの生活がどのように変わって行くかが重要。

 そもそも論から言うと、私たちにとって唯一の現実は「今ここに生きている」ということだけであり、それ以外はすべて「幻想」です。過去も未来も「記憶」の元にある幻想だし、ましてやヘミシンクや瞑想、ドラッグで見た情景が現実であるはずがありません。昨年、「インセプション」なる映画を見たのですが(映画自体はクソでしたが)、そこでは夢の中で夢を見て、さらにそこで夢を見て、、、など幾重にも夢が重なってる世界を描いたもの。しかし、あの考え方自体はフィクションではなく、私たちは大なり小なり「幻想」を重ね合わせて生きてるもの。その辺の話はまた長くなるので今日は割愛しますが、そのような「幻想」から解放される唯一の状況が、まさに「今ここ」にしかないのです。NLPではそれを「(完全なる)4Te」と定義していますが、その辺の話もまたどっかでしたいと思うし、過去ログでもしたような気がします。

 そんな感じで「前世・過去世」に関する思想的背景を説明したのですが、永続的な「魂(アートマン)」があるかどうかはさておき、、、「前世・過去世」を前提としなければ説明しにくいことがあるのも事実。例えば、ちびQは以前、保育園で「蜘蛛」を見て怖がったそうですが、ちびQは蜘蛛をそれまで見たことないはずです。犬は怖がらないのに蜘蛛は怖い。それ以外にも、人間には「蛇」を見て怖がるプログラムが生まれつきあるとも聞きます。

 これは理屈から言うとおかしな話で、原則的には生まれた瞬間の「潜在意識」は白紙なはず。そこから様々な体験・経験によって「感覚(五感)」を通して、「潜在意識」に次々とプログラムが書き込まれ、それが私たちの行動を支配するようになります。

 しかし蜘蛛や蛇は「体験・経験」にないにも関わらず、一定の反応を示す。そうなると産まれた瞬間の「潜在意識」は「白紙」でないことになります。ここで説明されるのが本能や遺伝子です。人類と蛇の長い年月における関係が「蛇=危険」なるプログラムを遺伝子にインプットしてそれが受け継がれていると言う説明。それだと納得できます。

 しかし、蜘蛛や蛇のようなある種の普遍的なプログラムではなく、個別のプログラムが存在することも事実として認めなければなりません。例えば「性格」です。保育園で見てるとわかるのですが、一歳未満にして、それぞれの幼児は特有の性格があることがわかります。つまり人は生まれながらに「白紙」でないのです。性格以外にも「才能」などもそう。例えば音楽や絵画の才能なんか、どんなに英才教育したところで、もともと才能のある人にはかなわないでしょ。もちろん教育は大切で、モーツァルトなども生まれながらの才能に加えて英才教育があったからそのようの天才になれたのでしょうが、実際、積極的に教育してたのは、むしろ姉のナンネルであったようです。しかしある日、父レオポルドは息子ヴォルフガングの才能に気づき、そこから集中して英才教育したのが後の天才を生む経緯となりました。もしも「才能」が関係ないのだとすれば、ナンネルこそが天才作曲家になってしかるべき。でも実際は違います。

 そのように考えると、やっぱり生まれる前から「何かある」と考えるのが自然かもしれないのです。禅の世界でも、それほど「今ここ」に集中しながら、公案の中には「父母未生以前に於ける本来の面目」なる項目があります。父母が生まれる前からある「本当の自分」とは何ですか?って公案ですが、それがある時点で、「生まれる前の自分っているじゃん!」ってことになります。そしてきっと「いる」んだと思います。

 では、いったい何がいたのかって話になるんですが、ブログの字数制限が迫ってきましたのでまた明日。ありがとうございました。

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Commented by ゆきひろ at 2011-01-16 15:54 x
はじまして、ゆきひろと言います。
私は、死んでも魂は行き続けると思っています。その方がこの世の中をよりよく生きることが出来ると思っているからです。
もし、死んだら無にもどるとすれば、この世の中をより楽しく生きることのみに生きがいを見出してしまうだろうから。この世で魂の修行を行った結果が次の人生に生かされると思えば、どのような生き方をすべきかもわかっていくかなと思います。

http://eplus.jp/sys/T1U89P0101P006001P0050001P002048379P0030001P0006
by katamich | 2011-01-13 23:39 | ■精神世界 | Comments(1)