宇宙となかよし

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瞑想とは、「死」をモデリングすること

 何だかんだと11月1日から毎日4時55分に起きて滝に行ってます。オレもやればできるな。うん。今日はもっぱら読書をして過ごし、昼寝もしていないので、今、めっちゃ眠いです。そして明日は21日滝行も満行。年間100回の目標達成までは、残り2週間やればOK。月末の東京出張後に続けて2週間やるつもりです。

 ところで今朝、滝の中で「瞑想とは、「死」をモデリングすること。」ってメッセージが来たので、忘れないうちにミクシィにつぶやきました。すると、それに対して「あと一歩のところで怖いのは死を感じるからなんですね。」と言うコメントが付きました。しかし反論するのも恐縮ではありますが、ちょっと違うな、と感じました。

 私が受け取ったのは「瞑想=死(のモデリング)」であって、「瞑想=死に向かうプロセス」ではないから。また、「死」とは「恐怖」でもないから。私たちが「死」に恐怖を感じるのは、それが未知だからです。人間の脳ってのは未知なるもの(空白)に対し、ものすごく大きなストレスを感じます。

 例えば「成功」もそうでない人にとっては未知であり、そこから来るストレスを避けるために、同時に成功を遠ざけてしまうもの。「成功」だけでなく、例えば結婚、恋愛、就職などいわゆる「変化」と呼ばれるものは、すべて「未知」だからこそ無意識にブレーキをかけてしまうのです。

 中でも私たちにとって最も未知なるものが「死」です。最初に言っておきますが、「死後の世界」を見てきた人はこの世に一人もいません。どんなに長時間心拍が止まっていようと、壮大な臨死体験をしていようと、生きている限り(生き返ったとみなされる限り)、その人は死んでいないからです。医学的な「死」という基準はあると思いますが、それはあくまで人間が勝手に付けた基準であって、それ以上の状況から蘇生した人はいくらでもいます。しかし本当に死んでしまってから蘇生した人は、この世に一人もいません。蘇生した時点でその人は死んでおらず、単に死にかけただけ。つまり死からの生還ってのは言語矛盾なわけです。

 ですので、「死後の世界」をこの世に伝えるのは、物理的も絶対に不可能です。もっと正確に言うと、「死後の世界」に関するいかなる証言(臨死体験、チャネリングなど)も、その正しさを確かめる方法がないという意味で、それを私たちが知る方法は存在しません。

 しかし私たちは100%例外なく「死後の世界」を知ることにはなります。それはもちろん死んでから。そして繰り返し言うように、私たちは生きている間は絶対に「死後の世界」を知ることはできません。ついでに言うなら、とある実験結果によると、臨死体験時に見るイメージは、側頭葉のある部分に電気刺激することで再現が可能になるそうです(ソースはあえて示しませんが検索すれば出てきます)。

 つまりはこう考えられます。臨死体験に際しては、その苦痛をやわらげるために脳内ホルモンが分泌され、それが側頭葉にある記憶やイメージの中枢に働きかけことで、瞬時に様々なビジョンが見えてします。ようするに「(臨死体験時に見る)死後の世界」は実際に存在するのではなく、単なる脳内現象であるという説が有力的だってことは知ってていいと思います。

 しかしながら、その「脳内現象」とは何かって説明は必ずしも十分になされていません。なぜそのようなビジョンが見えるのか。では、そのビジョンはどんな意味をもつものか。そう考えると、「死後の世界」が実際に存在しようが、単なる脳内現象であろうが、本質的にはそんなに違わないってことになります。

 ある研究によると、脳内には60億の細胞があり、その組み合わせは2万通りに及ぶそうです。つまり脳内には60億の2万乗の「可能性」があり、その数値は宇宙にあるとされる原子の総量よりも多いと聞きました。つまり私たちの脳は宇宙を超えたデータベースであるとも言え、「単なる脳内現象」てな言い方をしようとも、私たちにはまだまだ知らない(脳内)現象が無限になることを示唆されるわけです。

 実際のところ、滝行であったり、ヘミシンクであったり、坐禅であったり、脳内を別のチャンネルにつなぐ様々な方法論があり、それによって未知なるイメージを見ることが実際にありますし、私も何度も体験済み。ただ、そのような「未知なるイメージ」を「単なる脳内現象」だとして切り捨てるのは、あまりにももったいない気がしています。それがなんであろうと、「見えるものは見える」のだし、それによって私たちが普段目にしている世界とは、明らかに別の世界が(脳内であったとしも)存在するって事実を知ることは、生きる上で必ずしも損ではないと思っています。

 アリには人間の世界が見えないでしょうが、人間にはアリの世界が見える(観測できる)。同じように、私たち人間が今見えていない世界を、(その脳内であれ)明らかに違う世界があることを知ることは、決して意味のないことではないと考えています。

 話を「瞑想=死のモデリング」に戻しますが、今の話からだけすると、私たちの世界はこのように認識できます。まず、私たちが普段見ている世界。それは言うまでもなく「記憶」によってその都度再構成されているだけの「幻想」に過ぎません。簡単な話をすれば、コップに水が半分入ってあるのを見て、「半分しか入っていない」と見る人と、「半分も入っている」と見る人がおり、それだけで同じ現象に対する異なった世界観が反映されています。そこにはリアルはない。だから世の中はすべて「幻想」だって言えるのです。

 さらに私たちには普段見ていない世界もあります。それが今言った脳内現象としての世界。深いトランスであれ、臨死体験であれ、いわゆる「変性意識」におかれることで、時として未知なる世界を見ることがあります。ただし、それらは一種の脳内現象であるため、ある程度の再現性を持たせることは可能です。

 その一つのNLP(神経言語プログラミング)の「アンカリング」って手法があります。NLPの代表的なスキルと言えますが、スキルと言うよりも、実は完全に私たちの日常の一部になっています。例えば会社でとても苦手な上司がいたとします。その人の顔を見る、声を聞くだけでも、気分が悪くなるような。その時、「上司」と「気分が悪くなる」が結びついてしまい、これをアンカリングと言うのです。時折、「上司に似た人」に対しても、同じような悪い気分になることがあり、脳はその辺の区別を正確にできないって性質があります。なぜならあまり区別をしし過ぎると、脳内の情報処理能力がパンクしてしまうために、ある程度の「一般化」で適当に処理しちゃうのです。

 この「一般化」の性質は現実世界における幻想の幅を広げてしまう一方で(「上司」と「上司に似た人」の区別がつかないど)、脳にかかるストレスを軽減させてるってメリットもあります。そこで「上司(及び似た人)=気分が悪くなる」ってアンカリングを解除する方法があって、それをアンカー潰しとか言うのですが、いずれにせよ、脳の性質をしっかり理解すれば、様々にイメージを再現することができるのです。

 ついでに言うなら、それを悪用したのがオウム真理教。苫米地英人さんの話によると、実際の修行の場では違法薬物のLSDを用いて変性意識状態を拡大し、「オウム・麻原=天国」、そして「反オウム=地獄」ってアンカリングをかけて信者をマインドコントロールしちゃったのです。特にLSDみたいな強烈な薬物を使うと(常習性があるなしは別として)、その時に出るドーパミンの量が半端じゃなくなります。

 この辺の話、ヤバいけどもっとしちゃいましょうか。例えばなぜ、アウトローでろくでなしとわかっている人間に魅かれる女性がいるのか。第一段階として、その人は女性をとても気持ちよくさせる雰囲気や言葉を持っているから。その気持ちよさを100としましょう。そして何度か会っているうちに、その「アウトローの人」と「100の気持ちよさ」がアンカリングされてしまうのです。いわゆる「恋は盲目」の状態。

 第二段階として、特に本職アウトローの人がよく用いると言われるのですが、性技によって「気持ちよさ」を倍増させるのです。それを200としますが、それを繰り返すうちに「アウトローの人=200の気持ちよさ」がアンカリングされてしまいます。そして第三段階ですが、それに薬物を用います。そこで気持ちよさが10倍に膨れ上がり、2,000ものドーパミンが放出されるのです。そうなるともうおしまい。アウトローの人を考えただけでも、かなりのドーパミンが出るようにアンカリングされてしまうので、もう「この人なしではいられない」って具合になって、どんどんと身を滅ぼしてしまうのです。そうなると、周囲が何を言ってもダメ。

 似たようなことが「ホストに貢ぐ女性・ホステスに貢ぐ男性」にも見られます。ま、この人たちは必ずしもアウトローとは言えないので、そんな極端なことにはなりませんが、それでもかなりハマり込む人はいますよね。こんな話するとまた批判のメールを頂きそうですが、一応、事実の一つとして書くことがあります。この手の話が嫌いな人は読まない方がいいです、、、と思ったのですが、書いてメリットもないので、やっぱやめときます。実際、民主党とか人権擁護法案とか障害者関係の話を書くだけで、ついに非難を浴びるようになってしまったので、本当は書きたいこともあるけど、今回はやめときます。

 話を戻しますが、アウトローの三段階と同じようなことがオウム真理教でもなされてたのです。麻原なんてのは極端なまでのブ男にもかかわらず、あれほどの美女をはべらすことができた。それも簡単な話で、一種の「至高体験」のような餌をぶら下げながら、まずは教団内におびき寄せます。そこで先ほどの「オウム・麻原=天国」、「反オウム=地獄」ってアンカリングをしっかりと施すと、そのうちに麻原の写真を見ただけでドーパミンがどっぷり出るようになります。

 これと似たような話っては、実は成功セミナーやスピ系ワークにもいろいろあります。「至高体験」や「神秘体験」を餌にぶら下げて、最初は1万円のセミナー辺りから小出しして、その後は次々と高いセミナーへと誘い込み、気がつけば500万円使ってました、、、なんて話が昔よくありましたもんね。それが社会問題になったせいで、一気に廃れて行ったかのように見えたのですが、実はその人たちが「コーチング」に鞍替えしたって現実はあります。NLPや他の心理系セミナーも同様。そんなこと言うと、似たようなことをやってる自分のクビを絞めそうですが、ま、いいです。ウソがつけない性格なので、開き直って真実を書いていった方がお互いのためになりますもんね。

 ま、そんな話はともかくとして、アンカリングによって「至高体験」を起こすことは確かに可能です。例えば私のセミナーでもやるのですが、アンカーの重ね合わせってスキルで、100の気持ちよさを1,000くらいまで増幅させると、人によっては臨死体験時のような天国のイメージが出てきます。ただ、一般のセミナールームではまだまだ難しいです。だから自己啓発系のコアなセミナーなんかだと、山奥の合宿とか洞窟でのワークなどやることが多いのです。オレもやろかな・・・(^^;

 とにかくそんなメカニズムです。でも、最初からメカニズムを知っていると、いわゆる「洗脳されたい人」にはガッカリかもしれませんが、ある程度の節度と距離を保ちながら、それはそれとして変性意識を楽しみたい、通常意識を拡大したい、なんて人にはいいかもしれませんね。

 ただ、私たちは大なり小なり、いろんなアンカリングを持って生きているのも確か。パワースポットとかパワーグッズなんてのも完全にアンカリングですからね。中には伊勢神宮のお守りを身につけてないと不安になる、なんて人もいるかもしれませんが、それは伊勢神宮のお守りに安心のアンカーがかかった状態なだけ。仮にそのお守りをなくしたところで、実際には何の不利益もないのですが、それだけで安心のアンカーが解かれちゃうので、その思い込みが不吉な現象を引き起こしてるだけなんです。

 ですので、もしも何か不安なことがあったら聞いてくださいね。まずはメタモデル質問によって潜在意識下のビリーフを解きほぐしながら、最後は埋め込まれているアンカーを解除すれば、簡単に不安なんてなくなりますから。話はまた飛びますが、昔、滝行やってると霊が寄って来るからやめた方がいいって、何度か言われたことがあります。でも、もう700回近く滝行してますが、その、、、霊らしい霊には巡りあわないのですが。

 これも簡単な理屈で、いろんなところで「滝には霊がいる」って情報を聞いていて、それが潜在意識下に刷り込まれちゃってる状態。そこでその「霊」なるイメージを勝手に作り上げて、それが「滝」の前に来ると(打たれると)出てくるようなアンカリングがなされてるんです。そして「滝で霊をもらった」なんてこと言って、勝手に具合を悪くしているだけ。でも、いくらか払ってお祓いしてもらえばそれも治ります。私に言わせると、お祓いなんてものは、すべて「アンカー解除」のスキルに他なりません。

 滝行なんてのは単に冷たい水を被っているだけ。でも、やるからにはしっかりと作法も覚えて、真剣にやる必要はあります。なぜなら私の中にも滝に対する負のアンカーが施されてて、それを「作法」によって解除できるって、二重のアンカーがあることを知っていますから。滝に入る前は塩で全身を清めますが、忘れることもあります。人によっては塩がなければ滝に入れないって人もいるでしょうが、それもまたアンカリングです。私はそのメカニズムを知っていますので、塩を忘れた際は、塩をかける真似だけして、作法により力を込めることで対応しています。

 とにもかくにも、人間には無数のアンカリングが施されてて、それが無意識的にも人を幸せにしたり、不幸にしたりもしています。確かにアンカーの書き換えってスキルもあり、NLPではその辺のこともカバーするわけですが、本当に大切なことは、アンカリングを超越することであると私は思っています。

 ではどうすればアンカリング(つまり無意識・潜在意識のことですが)を超越することができるのか。それが、、、「死」です。誰だって死ねばすべてのアンカーから解除されます。なぜなら「潜在意識=身体」であるたり、生物学的な死とは身体を消滅させることだから。

 しかしそんなに早くに生物学的な「死」を経験する必要もない。せっかく頂いた命(身体)ですので、決められた通りに使用する義務が私たちはあります。そこで「死のモデリング」ってことが重要になるのですが、それを私は「瞑想」と呼んでいます。

 いろいろ書いちゃったおかげで、今日は6,000字を超えて、そろそろ字数制限になりそうなので「瞑想=死のモデリング」については、また別の機会にしっかり書きたいと思います。ちなみに今月来月の福岡、東京、札幌のセミナーでは、「瞑想のモデリング=死のモデリングのモデリング」をワークに挟んでますので、その辺りの話に興味のある人はぜひお待ちしてます。ではでは、今日はこの辺で。ありがとうございました。

今日も尻切れトンボでごめんなさい!
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by katamich | 2010-11-12 23:39 | ■精神世界
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