宇宙となかよし

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「三途の川」の向こう岸 2010.10.26

-人生を変える100日ブログ(87日目)-  (○×計画26 3/5) 

 いや~!やってしまいました!12月に毎年恒例となっている東京→札幌でのセミナー行脚ですが、早々と飛行機の予約をしていたにもかかわらず、支払いを「後で」にしてそのまま忘れて取り消されていました。再度予約をすると、羽田-札幌はそのままバーゲン価格が残ってましたが、福岡-羽田が2,000円高くなっていました。ちょっとカードの入力をすれば済むことなのに「すぐする」を実行しなかったばかりに2,000円の損失となってしまいました。あちゃ~! でもいい勉強です。うん。

 ちなみに12月は16日に矢沢永吉の武道館コンサートに行き、17日は未定、18日は午後にトークライブしてその日の夜に札幌入り。そして19日に終日札幌セミナーと懇親会です。今年で4年目。そう言えば昨年の懇親会はめちゃくちゃ盛り上がったと記憶してます。その後すぐにアマゾンキャンペーンもありました。今年はセミナー翌日は一日フリーにしようと思っています。北海道は札幌、そしてせーちゃん牧場のある鹿追町しか行ったことないので、小樽に行ってみようかと計画中。函館や網走や知床はめっちゃ遠いですもんね。いつかゆっくり行きたいとは思いますが。それで今年は締めくくりになると思います。福岡で忘年会くらいはするかもしれませんが。

 それから来年一月早々にまた上京します。と言っても、熱海ですが、あのヘミシンクのMaoさんとコラボで合宿イベントをするんです。Maoさんは確か「三途の川」でカフェを経営していますし、過去から未来から自由自在に旅をして、宇宙人時代の家族にも会っているとか。めっちゃ怪しいですよね。でも、Maoさんの話には少なくともウソはなさそうだし、実際に「体験」をした人の言葉には説得力があります。私も早くMaoさんのカフェに行きたいものです。

 実は、、、と言わなくてもわかると思いますが、私もかなりの不思議大好き人間です。だからこそ、好き過ぎて、疑いまくったり、分析したり、論証したりすることもあるのですが、基本は「不思議大好き過ぎ人間」ですから。なのでMaoさんの「怪しい話」なんかも、それがまったくウソでないだけに、めちゃくちゃ興味深く聞けちゃうんですよね。「そんなのデタラメだ!」で切ってしまうのって、あまりにも発想が乏しいですもんね。もしそれがデタラメであると言うなら、では実際に「見えたもの」をしっかりと解説してもらいたいものです。

 私の場合は「デタラメ」とまでは言わないにせよ、私の頭と言葉でその辺の仮説を立て、論証まではいかずとも、自分なりに解明しようと試みるのは大好き。その上で言うと、一昨日も言ったように「三途の川」は単に「集合的無意識」の中にある共同幻想(?)であって、実際に死後の世界に「存在する」ものではないと考えています。

 例えば西洋では「三途の川」に相当する「この世とあの世の境」ってのが、「川」の時もあるようですが、「階段」や「門」、「トンネル」と証言する人も多いようです。日本の場合はだいたいが「川」であり、それが「三途の川」と呼ばれるものなんです。

 そして「三途の川」の正体は何度も言うように「ガンジス川」です。世界ってのは大まかに「西」と「東」に分かれてて、さらに大雑把に言うと「西」が一神教で、「東」が多神教。ですので、多神教の日本ではまず「阿弥陀如来」が迎えに来て、三途の川では「地蔵菩薩」が鬼退治をしてたりするわけです。ちなみに「閻魔大王」は「地蔵菩薩」の化身と言われていますよね。西洋ではおそらく「神」の遣いとしての「天使」が迎えに来て、そのまま天に召されていくイメージでしょうか。

 結局のところ「ガンジス川」ってのは日本人にとっても何か懐かしい心の故郷であり、遠藤周作の「深い河」などは主人公がキリスト教徒であるだけに、余計にそのコントラストとして「日本」が見えてくる、遠藤文学の中でも傑作なんですね。ちなみに「深い河」にはバラナシの有名宿「クミコハウス」が登場しますが、拙著「宇宙となかよし」の中にも登場します。

 私は今までインドには4回行ってますが、そのいずれもバラナシ(ガンジス川のある聖地)には行ってます。初めて行ったのは二十歳の時でしたが、「世界最悪の街」って言われるのがわかり過ぎるほどのインパクトがあったのですが、なぜかその後も「川」を見たくて行ってしまうのです。ついでに言うと、その時も「クミコハウス」には行ったのですが、経営者のクミコ(日本人のおばちゃん)の旦那であるシャンティから門前払いを食らいました。疲れているところ、店先でタゴール(ノーベル文学賞を受賞したインド人)の話を始め、私のグループの一人が「そんなことより・・・」みたいなことにキレた感じで。そこで、「クミコハウスがナンボのもんじゃい!」と逆ギレしたのは言うまでもないですよね。

 話を戻しますが、「三途の川=ガンジス川」ってのは、私たち日本人(東洋人)の共通する文化であり集合的無意識(潜在意識)です。実際のガンジス川の西岸には人々の生活があり、そして様々な神様が奉られています。ブラウマ(梵天)、ヴィシュヌ(那羅延天)、シヴァ(大自在天又は不動明王)、ラクシュミ(吉祥天又は弁財天)などなど、ヒンズーの神様であり、日本でもおなじみの神様がたくさんいらっしゃいます。それに対して東岸は何もない不毛地帯です。当然、人々の生活もないし(不可触民が住んでいるとは言われていますが)、神様も奉られていません。

 そして面白いことに気が付いたのですが、日本では「お彼岸」ってのがありますよね。「彼岸」とはつまり「悟りを啓いた境地」のことであり、それに対しして「此岸」は悟り以前の日常生活のことを言います。そこで「彼岸」なんですが、これは「日岸」とも呼べるそうで、ガンジス川の東岸からはまさに朝日が昇ってきます。

 つまり「彼岸(日岸)=東岸」、「此岸=西岸」であり、やはり「三途の川=ガンジス川」ってのは私たちの集合的無意識に深く入り込んでいるのでしょう。ついでに言うならば、私たちは誰もがいつか死ぬわけで、その意味でいつかは「彼岸」に行って悟れるわけです。しかし、生きながらにして悟ることを目指したのが上座部仏教(小乗仏教)における「出家」なのですが、誰もが出家できるとは限りません。

 そこで出家せずとも「悟り」を目指したのが「大乗仏教」であり、その神髄が「般若波羅蜜多」となります。「般若」が知恵、「波羅蜜多(パーラミター)」が彼岸に行くこと。つまり「般若心経」とは出家せずとも生きながらにして「彼岸」に行く、つまり「悟る」ための知恵なんです。そのための究極の思想が「空(色即是空空即是色)」でであり、最後の「ぎゃーていぎゃーてい」は「彼岸に行け、彼岸に行け」って言ってるわけです。

 そのための具体的な修行が「六波羅蜜」と言われる「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」です。それぞれ「与える」「決まりを守る」「受け入れる」「努力する」「瞑想する」であり、最後の「智慧」は先の5つを実践して初めて完成するもの。

 ま、そうやって深く掘って行くと、「三途の川」も実に面白くって、そんなことを思いながらまたガンジス川に行きたくなるのであります。そしてもしかしたら来年、またインドツアーを開催するかもしれませんので、興味のある方はぜひミクシィのコミュにご参加ください。

 話を戻しますが、「三途の川=ガンジス川」であり、「此岸(この世)=西岸、彼岸(あの世)=東岸」であるとすれば、ガンジス川を実際に渡るってのは「悟り」に至るためのものすごく臨場感あふれる疑似体験になるかもしれませんね。そして先日も言ったように、悟った先にはなにがあるのか、、、つまり「死後の世界」には何があるのかと言うと、何にもない!ってのが正解なのです。昔、丹波哲郎が「大霊界」なんて言って映画まで作ってましたが、あんな世界など存在しません。

 「死後の世界」にも段階があって、実際に死ぬと「三途の川」には行くと思いますが、「此岸」にいる間はまだ完全に死んだわけではありません。しばしばそこから蘇生する人がいて、その人たちのことを臨死体験者と呼ぶのですが、いずれも「三途の川」までは行ってます。ただしそれは、その文化に根付く「集合的無意識」に過ぎず、実際、臨死体験中は脳から大量の脳内ホルモンが出て、自分のライフヒストリー(走馬灯)はもちろんのこと、集合的無意識のかなり深いところまで見てしまいます。それが「三途の川」なのです。Maoさんはそれを見てるってわけ。

 しかし実際に「三途の川」を渡ってしまってから戻ってきた体験者はいないと言われています。では、実際に「三途の川」を渡ってしまったらどこに行くのか。そればかりは証言もありませんのなんとも言えませんが、とりあえず「直視」はできます。それがまさに「悟り」の境地であり、「今ここ」しかない、真にリアルな世界なのです。

 もっとわかりやすく言うと、「三途の川」の向こうには何もありません。あえて「静寂」という言葉を当てはめましたが、もちろんそれは正確な表現ではありません。「無」でもいいのですが、あまりにも概念化された言葉だけに、それを当てはめるのはちょっと抵抗があります。もし、あえて言うならば、それは「宇宙情報」と呼べるものなのかもしれません。

 私たちは肉体の死を迎えると、まずは「臨死体験ゾーン」に入ります。それが集合的無意識としての「三途の川」です。そして実際に川を渡り「彼岸」へと進んで行きます。さあ、いざ「彼岸」にぎゃーていぎゃーてい。着いたところにあるのはまさに「今ここ」だけであり、宇宙の本質。そのまま宇宙に溶け込んで行き、、、瞬時に(そこには時間などなく)、、、ある魂は再び「此岸」つまり3次元へと輪廻します。49日なんてものもありません。それも単なる集合的無意識です。

 ただしここが重要なのですが、「輪廻」と言っても必ずしも同じ「3次元」に戻るわけではありません。ランドール博士が言うように、この宇宙には「5次元」があり、そこにまるで層を形成するかのように別の「3次元」が存在しています。パラレルワールドのイメージでもいいかもしれません。つまり私たちは肉体の死を迎えて「三途の川」を渡って「彼岸」に着いた瞬間に無限の「3次元」に一斉にワープしてしまうのですが、それとて5次元から見るとただ一つ、、、と言うより、その「一つ」さえもない「それ」があるに過ぎません。

 ああ・・・手が勝手に動き始めたので、そのまま続けます。私たちはいずれ肉体の死を迎えます。そして集合的無意識としての「三途の川」を渡るのですが、その向こうにあるのは「それ(itness←itの名詞形で造語)」だけです。私たちは「それ」であり、「それ」に始まり、「それ」に終わるそのループを「今ここ」に永遠に存在しているだけ。なので所詮は「生」も「それ」であり、「死」も「それ」に過ぎません。「生」と「死」のような「二元論」は少なくとも宇宙にはありません。あるのはただ「それ」があるのみ。

 今、「それ」に向かって溶け込んでみよう。あるのは何もないことであり、だからこそ何でもある。あえて言うなら至福であり真の喜び。

ひゃっほ~!!!

 ・・・一応、手が止まってきました。めちゃくちゃ確信に迫ってしまいましたね。そうなんです。私たちは「ひゃっほ~!!!」なだけ。三途の川だのガンジス川だの、おまけに無職だの童貞だのブサイクだの、そんなことどうでもいい。宇宙には無職と有職の二元論もなければ、童貞とヤリチンの二元論もない。もちろんブサイクとイケメンの二元論もない。何もない。何もないのに、何かあると錯覚してる奴がなんと多いことか。オレ達はただ「それ」であればいい。もうちょっと衣を着せた言葉で言うと、オレ達はただ「オレ(自分)」であればいい。何になる必要もない。ただ、ただ、、、

ひゃっほ~!!!

でええやんか!と小一時間問い詰めたいだけ。うそ。別に問い詰めなくてもいい。オレはオレでみんなソレなんだから。以上。

 てなわけで、自分でも何書いてるかわからなくなってきたので、この辺にしときたいと思います。そう言えば今日から急に寒くなってきましたね。昨日は37度以上の熱がありましたが、今日もいつも通り滝に打たれてきましたよ。おかげさまで家族3人元気も元気。ちびQなんかは食べ過ぎてお腹がパンパン。オレのお腹もまだちびQに匹敵してるので、このまま順調にウェイトを下げていけば、いろいろと楽しいことがありそうです。きっと12月のトークライブ辺りでは、すっかりスマートになった私に会えるかもしれない。。。ウェイト落としたら、また鬼の首取ったように調子に乗りますので、どうぞよろしくお願いいたします。では、本当に今日はこの辺で。ありがとうございました。

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by katamich | 2010-10-26 23:39 | ■精神世界
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