宇宙となかよし

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バグワン・シュリ・ラジニーシ 2010.8.29

-人生を変える100日ブログ(29日目)- 

 昨日は7時過ぎから居酒屋での懇親会。そして近くのパブで2次会。最初は単なるカラオケバーだと思っていたのですが、ジャズのレコードがあり、奥に楽器まで。マスターにジャズの話をふってみたら意気投合。ピアノも弾くそうなのでリクエスト。「枯葉」で締めくくります。ベタな曲なんですが、永遠のスタンダードですよね。「枯葉」の名盤と言えば真っ先にこれ。キャノンボール・アダレイ(マイルス・デイヴィス)の「サムシンエルス」から。





 ジャズ喫茶ってのも日本における一種のサブカルチャーだと思うのですが、私が高校を卒業した頃はすでに廃れた存在でした。それでもどうしても行って見たくて、大阪阿倍野のジャズ喫茶に一人で入って上の動画をリクエストしました。今考えると顔から火が出るような恥ずかしさですが、当時の女性マスターは微笑みながら喜んでかけてくれました。もし私が逆の立場だったらバカにするところ。

 なに言ってるのかわからない人のために解説。ようするにサブカル的にはジャズ喫茶とはマスターと客の真剣勝負みたいなもの。当然、客はマスターには知識量では敵わないのですが、それなりに「なかなかやるな」と思わせるリクエストをしなければならないのです。ある本ではリー・コニッツの「モーション」をすればいいとか書いてましたが、それもなるほど。ベタではバカにされるけど、前衛では単に嫌われる。

 ただ、昨日のような場では「枯葉」を弾いてもらうのがベスト。マスターもプロっぽくないし、たとえスタンダードであっても「エンブレイサブルユー」とか渋めのだと弾けない可能性ありますからね。その点、「枯葉」とか「ミスティ」あたりをリクエストすればまず間違いなし。

 ついでに言うと、以前、次のようなライブに行ったことがありました。



いわゆる前衛芸術の類なんでしょうが、この手のシュールな舞踏にジャズサックスの川下直広がぶりぶりに吹きまくる。フリー系で。それを当時また付き合い始めて間もないツレと行ったのです。するとライブハウスは私たち二人だけ。舞踏家が一人にサックスが一人。マスターが一人。客が二人。これぞ真剣勝負ですが、ツレはドン引きしていました。今なら絶対に行かんでしょうが、当時はまだちょっと遠慮的なものがありましたので、私が「行こう!」と言うと、とりあえず行ってたものです。

こんな感じで、私も実は昔からサブカル的な世界は好きだったのですが、この5日間、実に濃い日々を共有させて頂いている北岡泰典氏もまさに「サブカルの帝王」。北岡氏のことを知ったのは2005年10月。ちょうどその頃、無料早朝コーチング行なるものを始めようとしてた時期で、菊池和郎さんと言う方が「300人コーチング(無料)」なるものをしていることを知り応募しました。以下がこの時の記事。

NLPコーチングを受けてみた! 2005.10.31 

 なんか初々しい雰囲気がある私です。この時、「NLPを本格的に学ぶとすれば誰に学べばいいですか?」と聞いて、すぐに帰ってきたのが「日本では北岡泰典さんです」という答え。そしてすぐに検索してみたのですが、めっちゃ小難しい。北岡さんが翻訳している「Magic of NLP」という本を買ってみたのですが、余計にわけがわからん。そんな感じで今まで寄り道はしてきましたが、ようやく5年越しの邂逅を果たしたわけです。

 ところで北岡さんといろいろ話をしていて、いわゆる「尊敬する人物」なる話が出てきました。そこで言われたのが3つ(3人)。一つはNLP。一つはインドの三大聖者の一人であるシャンカラチャリア(8世紀)。そしてもう一つがバグワン・シュリ・ラジニーシ(オショウ)。北岡さんは1980年代に、アメリカのオレゴンにてバグワン・シュリ・ラジニーシに直接弟子入りしています。

 ここでまたつながるのですが、私はバグワン・シュリ・ラジニーシについては正直、よく知らないのですが、この長い名前を一度も忘れることはありませんでした。18歳の時から。私が予備校時代、今となってはまったく付き合いもないのですが、京大受験クラスのヒヤマという男とちょっとしりました。私は京大受験クラスじゃなかったのですが、当時からキネシオロジーを日本で普及していた石丸氏(英語講師)の元で知り合ったのです。ある時、同じ18歳のヒヤマが言いました。

 「バグワン・シュリ・ラジニーシって知ってる?」と。京大クラスなだけに頭もよく、私の知らないことをたくさん知ってるやつでした。当然私は知りませんし、当時はまだ西洋哲学・現代思想にはちょっと関心を示していたものの、東洋哲学、精神世界などにはまったくの関心を示さなかったのです。当然、「知らない」と答えて終わったのですが、よくよく考えると、石丸氏もバグワンのことをしゃべっていたし、当時、インド人グルから「ダルマ」という名をもらったとも言っていました。そのグルがバグワンだったかどうかはわかりませんが。

 その2~3年後、私は初めてインドに行ったのですが、その前に韓国(釜山)で大学生と交流会があり、その足でカルカッタに飛びました。その時、ソウルの「テヲン旅館」という有名な安宿でまたもバグワン・シュリ・ラジニーシの話が出てきたのです。あの時は私を含むインド組4人に、ソウルの大学院に留学している25歳男性、それからイギリスに4年留学していた整体師の男性。25歳男性は韓国語ペラペラ、整体師男性は英語ペラペラで二人ともインド旅行経験がありました。そして私たち4人は、主にその二人からインドレクチャーを受けていたのですが、その時にもバグワン・シュリ・ラジニーシの名が出てきたのです。即座に「ヒヤマが言ってた名前だ」と思いました。その時もそれだけ。

 その後、バグワン・シュリ・ラジニーシは「オショウ(和尚)」として知られることを知り、そのまま歳月が流れていたのですが、昨年10月に阿部敏郎さんが博多(いまここ塾)に来て、終了後に一緒に飲みに行ったのですが、そこで「ボクはバグワン・シュリ・ラジニーシに影響を受けている」と聞いたのです。まただ、、、と思いました。

 そんな経緯があって北岡氏との邂逅。北岡氏は生後4か月で小児麻痺になり左半身が不自由になります。障害者の認定を受け、幼少期に2度の施設体験をしながら、小学校高学年も障害者のクラスで授業を受けます。その時のトラウマがずっとずっと北岡氏自身を苦しめ、そこから解放されたいがために紆余曲折しながら、行きついたのがバグワン・シュリ・ラジニーシ。そしてオレゴンで弟子入りし、そのコミューンで瞑想、セラピー三昧に入ります。しかしある日、ドイツ人の青年から「最近出てきたNLPに比べるとこんなのはお遊戯だよ」と言われて不審に思いながらも興味を持つのです。その辺の経緯については次の動画が詳しいです。(ついでに言うとこの文章が最高に面白い)

覚悟の瞬間(カクゴのトキ)


 そしてNLPの創設者であるジョン・グリンダーの弟子となり、その後もリチャード・バンドラー、ロバート・ディルツ、ジュディス・ディロージャなどNLPの創設メンバーに直接師事するのです。その後、7年間に及ぶ自己適用を経て、NLPにゆるぎない確信を持ち帰国。今に至ります。

 話を戻しますが、バグワン・シュリ・ラジニーシは北岡氏に「方向」を示す大きな役割があったとのことですが、私自身も今まで何度もバグワンの名を聞いておきながら、そこまでの関心を示さなかったのは、何かの「時期」があったのかと思っています。

 とにかくまあ、今回の5日間のワークショップは少人数ながらにめちゃくちゃ濃い日々を過ごしており、今後の私に何か大きな「変化」が訪れるであろう予感をせずにはいられないものです。この感覚はいつも正しく、すでに様々な「気づき」が私の前頭葉に向かっているところなのです。

 前置きが長くなりましたが、今日のテーマは「個人的天才になるための条件」ってことで、斎藤一人さんのモデリングで最後を締めくくりました。それも私が大好きな話、斎藤一人さんの最高傑作として疑わない「地球が天国になる話」をみんなで読みながら(聞きながら)、その都度、ブレストをはさんでNLP的なモデリングへと踏み込むわけです。

 ついでに「地球が天国になる話」は書店で買えますが、ネット上でも無料配布されてますし、以下の動画で全部聞くことができますので、時間のある時には是非聞いてみてください。





 今日のワークの細かい話は割愛しますが、この話はNLP的にも示唆に富む話であり、2004年5月に私の人生の方向付けをした一人が、斎藤一人だったことで、大いなるシンクロニシティを感じながら5日間のワークショップが幕を閉じました。

 その後、私一人だけ新宿行きのバスに乗り、他の人は電車で帰りました。バスの中で一人、目頭を熱くしながら5日間を振り返る私でありました。明日、早朝の便で福岡に戻ります。ありがとうございました。

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by katamich | 2010-08-29 23:39 | ■精神世界
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